第二百三話
さてと、メルトの作業の進捗も気になるし、時間ももうお昼だ。
俺は家に帰宅すると、二階に声を掛ける前に先に昼食を作っておくことにした。
家の冷蔵庫には保存食以外残されていないので、今回もメニュー画面に残っている食料を使用しよう。
「あ……キルクロウラーから預かってる食料がそのままだったな」
干し肉や硬パン、乾麺や魔物の残した肉、エビ、イカも全て俺が預かっているのだった。
……内部の時間も止まっている収納だと思われると後々なにかに影響するかもしれないし、今回は申し訳ないけど……俺が消費しちゃおう。
もし聞かれることがあったら『中でダメになっていたので処分しました』とでも言えば……。
「よーし……硬パンで久しぶりにキッシュ風のフレンチトーストでも作るかなー」
今ならきっと、以前より上手に作ることができる。
イカもエビもあるんだ、とびっきり美味しいの、作ってやるからな。
「おーい、メルト―。お昼ごはんの時間だよー」
昼食を完成させ二階に声を掛けると、またしてもすぐにメルトがやって来た。
が、どうやら作業部屋を気にしている様子で、その表情には若干の罪悪感が浮かんでいた。
「どうしたんだい?」
「うん……今ね、セリーンちゃんに薬品の分離作業をお願いしているんだけど、まだ二〇分は手を止められない作業をお願いしてるの。私だけ先に食べるの、悪いかなーって」
「なるほど。でも先に食べ終わって戻って、セリーンの作業が終わっていたら、ご飯を食べるように指示を出すといいよ。俺はこの後、ちょっと街の方に行ってくるから」
「うん、分かった。セリーンちゃんのお陰で、今日中にお酒から『朱海の涙』と『蒼天の雫』を分離できると思うの。やっぱり他の作業をしながら分離作業もできるのって便利ね……」
「そっかそっか。それで、メルトの調合に必要な素材は揃うのかな?」
「ううん、まだまだだよ。朱海の涙を素材に『水底の闇』っていう宝石を錬金術で作るの。で、次に蒼天の雫を素材にして『蒼穹の光』っていう宝石も錬金術で作ってー……それで最後に『ハムンチュソウル』っていう宝石を手に入れて、それを素材にして作られるのが『アニマのゆりかご』っていうお薬なの。これが……人や物に霊魂を宿したり、宿っている霊魂を揺さぶり起こすお薬。たぶん、世界で指折りの珍しいお薬よ。絶対、私が作れるって言ったらダメなんだからね」
「お、おお……分かった、絶対に内緒にするって約束するよ」
「そうよ、シー、よシー」
久々に聞いたメルトの『シー』に癒されながら、昼食を頂く。
……我ながら美味しい。シーフードオムレツの腹に溜まるバージョンって感じで。
魚介の出汁がよく全体に染み渡っております……。
「おいしー! 後で絶対にセリーンちゃんにも食べさせておくわねー!」
「うん、お願いするよ。じゃあ俺は街の方に行ってくるけど、何か買ってきて欲しいものとかあるかい? ついでに買ってきてあげるから」
「あ! じゃあマルメターノと丸パン! あとお野菜も! 久しぶりに食べたいなー」
「よし、じゃあ三人分買ってくるよ。俺とセリーンとメルトの分」
「四人分でもいいのよ? 私二つ食べちゃうわ」
「だーめ。代わりに何か他にも作るから、それで我慢すること」
「はーい」
……たまに、思うことがある。
メルトは言動こそ幼いが、その身につけている知識や技術は、この世界でも上位だと思う。
そんな人材を、俺個人が独占しているようなものなのだ。
それはこの世界の人類に対する冒涜なのではないか? と。
いや、それでも知識を選んでメルトはそれを外に伝えたことがあるな、過去に一度。
あれで低級とはいえ貴重な薬が世に出回りやすくなったはずだ。それは十分な貢献だな。
……やっぱり独占したくなっちゃうんだよなぁ、俺の可愛い家族のことは。
「よし、じゃあ行ってくるよ。食器はシンクの水に浸けておいてね」
「うん、余裕があると思うから洗っておくねー」
そうして、久しぶりに俺は一人で街に向かう。
なんだかんだ、シズマとしての姿で一人で街に向かうことなんて、これまで殆どなかったな。
何もトラブルに巻き込まれないと良いんだけど……フラグじゃないぞ、これは。
先日も思ったのだが、本当に街で見かける獣人の姿が増えたと思う。
元々ゴルダでも獣人の姿は珍しいとされていたが、そうか、こちらの国に渡ることも、かといってゴルダの王都に住むこともできず、あちらの領地の辺境に皆、追いやられていたのだろう。
それが、難民という形でレンディア側に渡ってきたんだろうな。
だが、難民が獣人だけとは限らないはずだ。向こうの国の思想に染まった市民も、そして貴族だってこちらの国に移住してきているはずなのだ。
俺がまだ見たことがないだけで、そういった衝突、トラブルも起きているんじゃないだろうか?
この国には獣人の貴族だって多少なりとも存在しているというのに……。
というか、普通にそういう種族の差別を行ったら、この国では周囲に非難され、居場所を失ってしまうと思うのだが……そういうことを理解出来ない人間は、どこにでもいるんだろうな。
そんな一抹の不安を感じながら、総合ギルドに到着する。
少し前まで、農地の警備や開拓で沢山の冒険者が依頼に駆り出されていたのだが、今はどういう状況なのだろうか? 恐らく今日も賑わっているであろう建物の中に足を踏み入れる。
「ああ嫌だ嫌だ……なんでギルドの職員にまで獣人がいるのかしら」
「まったくだ。冒険者のような下働きに獣人どもがいるのは百歩譲って許せるが、どうして人との応対をする職員にまで獣人がいるのだ。まったく嘆かわしい」
……今言ったばかりじゃん! なんでいきなりこういうトラブルに遭遇するんだよー!
冒険者ギルドの受付で、周囲に聞こえるような大きな声で、職員の獣人女性に向けた差別的発言を繰り返す、おそらく貴族かそれに準ずる富裕層と思われる男女が注目を集めていた。
「他の職員を呼べ、獣人!」
「そうよ、変わって頂戴」
人が冒険者ギルドに用事があるって時に……邪魔くさい連中だな。
俺は二人を押しのけ、構わず獣人の冒険者ギルドの職員さんに話しかける。
「受付さん、こんなの相手にしなくて良いから、俺の相手してよ。たぶん王城から連絡が来てるかもしれないんだけど、冒険者ギルドに所属したくてさ。問い合わせてくれますか? シズマって言うんですけど」
「え、あの……」
「お願い、こっちでなんとかしておくから。たぶんゴルダから来たのかな? こっちでなら変に委縮しなくても大丈夫ですよ。問い合わせ、お願いします」
「は、はい」
……さて。残念ながら、俺はセイムじゃないので『最悪貴族を殺してもある程度目を瞑ってもらえる権利』というものは持ち合わせていない。
が、騒ぎを大きくして大事にして、それで社会的に抹殺することくらい……できるはずだ。
「なんだ貴様は! 私達が話している最中だっただろう!」
「ただの業務妨害ですね、普通に冒険者に取り押さえられても文句が言えない状況でしたよ、貴方達。ここはゴルダじゃないんですよ、そんな発言、許されると思っているんですか? というかですね――敗戦国の貴族だろどうせ? お前はもう復権できねぇよ。必ず国が潰す。なんならここにいる全ギルドの人間が証人なんだよ。逃がさねぇからな? 必ず上役にお前らの言動を報告する」
風向きが変わったのを感じたのか、立ち去ろうとするのを妨害する。
俺を押しのけようとしても、避けようとしても無駄だ。残念ながらステータスが違い過ぎる。
次第に『目の前にいるただの若者』が、得体の知れない遥か格上の生き物だと理解したのか、怒りに満ちていた表情が恐怖に移り変わっていく。
するとその時、先程の受付の女性が、ギルドの責任者であるバークさんを伴い戻って来た。
恐らくこの貴族と思われる夫妻、彼らもバークさんを知っていたのか、にやりと笑いながら、俺について告げ口のように報告をし始める。
「“ロンド卿”! この者を捕らえてくださりませんか! 我々がそこの受付にロンド卿に取り次ぐように頼んでいたのに、この若者が突然割り込み、あげく我々を恫喝し始めたのです」
はて? 『ロンド卿』とはなんのことだろうか? バークさんの別な呼び名だろうか?
俺も上に問い合わせて欲しいとお願いしたが、どうやらこの夫妻もバークさんに用事があったようだ。果たして、彼はどちらの要件を聞きにここに来てくれたのだろうか?
「シズマ様ですね。王室よりお話はすでに通達されております。少々『些事』が残っておりますので、そちらの対処をした後、応接室にご案内致します」
「ありがとうございます。よかった、俺は獣人差別主義者と冒険者ギルドが懇意にしているのかと思ってしまいました。とりあえず、この二人が何を言っても、今このホールにいる全員が証人として名乗り出てくれるかと思います」
「なるほど。さて……『リーベルト“元”子爵』でしたね。午前中、女王陛下と謁見なされたというお話でしたが、まさかその直後にこのような問題を起こすとは。ゴルダ領地の再分配に関するお話、諦めた方がよろしいかと。どうやら貴方はこの国のやり方にそぐわない人間のようだ。しっかりと、女王陛下にご報告しておきますので」
「ち、違う! それはこの男のでまかせで――」
「彼はその若さで女王陛下の覚えもめでたく、数々の功績を残してきた人物です」
「な……そんな、こんな若造が……」
「諦めてください。もう、覆りませんよ。大人しく一般市民として、一から始めるしかありません」
「クソ……なぜこんなことに……!」
「今回は見逃しますが、獣人への差別はこの国の住人にとって、唾棄すべき因習でしかありません。どんな報復をされたとしても責任は取りませんし、貴方達への救いの手はとても少なくなることでしょう。ゆめゆめ、お忘れなきように」
バークさんのその言葉に恐怖を覚えたのか、元子爵とやら夫妻は周囲を見渡し、自分達に向けられた視線の数々に恐怖を感じたのか、逃げるようにギルドを立ち去っていった。
……そこまで、獣人差別に対して厳しかったんだな、この国は。
「少し、こちらも熱くなってしまいました。いやお恥ずかしい、私の妻も獣人でしてね。まったく……ゴルダから移民申請をした元貴族の中には、あのような方が珍しくないのです。シズマ様、お見苦しい場面をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらも余計な口出しをしてしまいました。それでは、行きましょうか」
「ええ、ではこちらに」
上階へ移動しようとしたその時だった。
階段に足を掛けたところで、ホールにいた多くの人間が――
「よく言った若いの! 危なく手が出るとこだったぜ!」
「かっこよかったぞ青年! 冒険者になるなら今度一緒に組もう!」
「なんでも教えてやるからなー! ホネのあるやつは大歓迎だ!」
そう、口々に温かな言葉をかけてくれたのだった。
……照れくさい!
「ふふ、やはり皆も同じ気持ちだったのでしょう。ギルドでも、難民の働き先として、職員の補充や新規で各ギルドに適正のありそうな方を割り振っているのです。ギルド内は獣人を歓迎する空気が出来上がっているのですよ。それをあの夫妻は……責任者でありながらこんなことを言いたくはないのですが、正直胸がすく思いでした」
「ははは……そうだったんですね」
応接室に移動し、早速俺は正式に『紅玉ランクの冒険者』のタグを受け取る。
しかも、しっかりとそのタグには『2』という数字も刻まれており、それが『ダンジョン二踏破』を意味しているのだと、すぐに分かった。
「シズマ様も旅団の関係者だとか。我が国は本当に幸運です。貴方達に目を掛けてもらい、お陰でこうして国も変わりつつあります」
「半分は成り行きなんですけどね。ただ、セイムがこの国に根を下ろしましたから。だから俺もそれに続いたみたいなものですよ」
「なるほど、そうでしたか。セイムさんは今どちらに?」
「旅団に一度戻っていますよ。事後処理とか色々あるんです、彼」
「なるほど、そうでしたか。そういえばシレント様も、少し前にゴルダ方面に向かわれたとか」
「らしいですねぇ。シレントの行き先については、正直詳しい情報はないんですけどね」
話を合わせつつも、旅団という、今はまだ架空の集団の嘘の近況を語る。
……まずは、二人。セイムとシーレを顕現させるために、俺もできることをして、メルトを手伝わないと、だな。
タグを受け取った俺は、ギルドを後にしたその足で食料を買いに向かい、そして約束していた『マルメターノ』を三つ買って帰るのであった。
……相変わらず結構な行列でした。屋台通り、最近は難民の流入もあり、物凄い賑わいでしたよ。
俺の見立てだと……一番売れていたのは串焼きだったな! 頑張れ、マルメターノ!