第百九十六話
洞の中、鈴を揺らしてみても、音が鳴ることはなかった。
恐らくメルトが鈴を鳴らそうとして鳴らなかったから、一度しまっているのかもしれない。
……きっと、ダンジョンは崩落しているはずだ。
そして鈴が鳴らない以上、俺が現れることはないとメルトは思っているはず。
もしかしたら、鈴を収納魔導具にしまい込んでしまっている可能性もある。
俺は、この『転移の鈴』をメニュー欄に収納することなく、常に身につけておくことにした。
いつでもメルトの持つ鈴が鳴らせるように。
俺も、常に揺らしながら生活できるように。
「んー……実際に調合をしようとしない限り頭が痛くなることはないか」
洞から出た俺は、まずは自分の身体の調子について調べていく。
身長は元々の俺、シズマと大差がない。少し低い程度だろうか?
身体の重量バランスは……女性の身体だ、多少重心の違いはある。
が、筋力そのものは十二分にある。一応、槍闘士としてもカンストまで育てていたからな。
強さ相応の身体能力があるのだろう。
俺は槍を取り出し、構えてみる。
すると、槍闘士としての記憶が微かに流れ込み、一瞬だけ立ち眩みがする。
同時に、ルーエの持つ膨大な武の情報のおかげで、今すぐにでもこの槍を自由自在に動かせると確信を持てた。
生産職は戦闘職の技、スキルを発動出来ない。
だが、それでも十分に戦えるだけの知識が、身体に染みついている。
俺は舞踏のように、型稽古のように、自分の持つ槍を振り回す。
突き、薙ぎ、打ち払いに棒術。自分の身体を軸に振り回すように自在に扱うことができる。
まるでバトントワリングのように、まるでヌンチャクのように、危なげなく曲芸じみた動きもできる。
槍の全長は二メートルにギリギリ届かない程度。恐らく、分類的には短槍と長槍の中間くらいだろうか。今の俺、即ちセリーンの身長よりも僅かに長い程度だ。
『業槍“聖人の罪”』
『極めて強力な副次効果を持つ槍』
『戦士・傭兵・槍闘士・騎士・踊り手・踊り子が装備可能』
『技の威力が10%減少する代わりに通常攻撃の威力が20%上昇する』
『装備中はHPとMPとスタミナの自然回復速度が上昇する』
『速度は他装備に加算される 速度+50%』
『槍そのものに回復の効果はない』
技を元々使えないメインジョブが生産職なので、実質デメリット無しである。
ちなみに、この手の『生産職で使ってくださいね』と言わんばかりの強力な装備は、実はそこまで高価ではなかったりする。
だって、無理してこの職業で戦う必要ないし。
俺がこの武器を持っているのは、たまたま手に入れたから、売らずにとっておいただけである。
まぁお陰で、こうして役立ってくれているのだが。
「……戦えるな、これなら十分」
スティルの目算だが、この樹海は抜けるのにもう数日はかかる見通しだと言う。
その間にメルトが鈴を鳴らしてくれれば一気に戻ることができるのだが、そうすると今度は『突然知らない女が現れた』という状況に陥る。
確率的に、メルトの周囲に誰もいないことの方が高いとは思うが、分かれた状況的にキルクロウラーの誰かが一緒にいる可能性もある。
今のうちに、何か適当な言い訳でも考えておくべきだろうな。
『シズマは無事にこちら側に帰還したので私がそれを知らせる為にシズマの鈴をお借りしました』とかなんとか言えば、ギリギリ通るだろうか?
「歩いているうちにメルトが鈴を鳴らしてくれることを期待しつつ出発するかな……」
この樹海、恐らく魔物も棲んでいる可能性が高い。
こんな人のいない土地だ、警戒しておいた方が良いだろうな。
ライズアーク大陸……まさかこんな広大な樹海があるくらい巨大な大陸だったとは。
俺はどの方向に歩けばいいかすら見当もつかない中、ただ太陽が沈んでいく方向に進むことに決めた。
少なくとも……この方向はダスターフィル大陸のある方向のはずだから。
まぁ多少のブレはあるだろうけれど。というか東の山脈を超えたら隣の国って話だしな。
恐らくあちらが『シジュウ連邦国』なのだろう。以前お世話になったコンコーン商会もあちらの国の出身だって話だし。
「どれだけかかるか分からないけど……まぁ一日中全速力で走れば数日で抜け出せるだろ」
ステータス、化け物だし。自然回復も早いし汎用移動用のスキルもあるのだし。
俺は若干不安になって来た自分を誤魔化すように、早速この森の中を全速力で駆け抜けることに決めた。
木々を避けて走り抜ける……良い訓練になりそうだ。
そう思っていた時期が俺にもありました。
行けども行けども森じゃねぇか! なんでだよ! 俺たぶん時速五〇キロ近い速度で移動してるぞ!? この森が迷いの森でぐるぐる回っていたり、どこかでループでもしていなきゃおかしいだろ!?
もう三日だぞ三日! しかもほぼ一日中走ってるのに! いやでも……そうだよなぁ。
地球だって世界トップクラスで広い森となるとウン十万平方キロメートルあるって言うしな。
でもそうなると、フーレリカはどうやって移動してきたんだって話だよな……もしかして、ある程度森の中まで入ってこられる道でもあるのだろうか?
「上空から観察出来ればいいんだけどな……ダンジョン内じゃないからマップの表示も出来ないからなぁ……いや……もしかして――」
あまりにも広い。もしかしたら、メルトの住んでいた『夢丘の大森林』のように、自然の地形がダンジョンに変化したってことも考えられる。
もしそうなら――
「表示された! ……すげぇ、画面いっぱいの森判定」
マップが表示されたけれど、なんの解決にもなりませんでした。
けどそうか、ここはダンジョンの中だったのか……どこかにダンジョンマスターでも潜んでいるのだろうか?
「いや、余計なことは考えない。ここを抜け出すのが先決だ」
俺はマップをスクロールし、一番近い道、森の出口を探す。
どの方向も、いくらスクロールしても森が続くだけだったが、ようやく細い道が森に続いている場所を見つけた。
恐らく、ここが一番近い人間の手の入った土地だろうと、まずはそこを目指すことにした。
「よかった……見当違いの方向に進んでいた訳じゃなかったんだな……西より少し南……西南の方向だな」
それでも、恐らくはまだ三日は走り続けないと到着しそうにないな。
フーレリカの奴……一体どれくらい一人で森の中を進んでいたんだろうな。
あんまり荷物が多かったように見えなかったのだが。
自給自足生活で突き進んでいたのかねぇ……それとも、このダンジョンに何か秘密でもあるのか。
ようやく見えてきた森の突破口を目指し、俺は今日も走り続ける。
よかった、この力を持っていて……正直森の中だけならシズマの姿になって速度特化にした方が早いのだろうが、念には念を入れないと、だしな。
「はぁ……はぁ……はぁ……ようやくだ……!」
疲れないはずなのに、それなのに荒い息が止まりそうにない。
これは精神的なものなんだろうか。もう、延々と緑を見せられ続け、俺の精神もだいぶすり減ってきていた。
誰も話す相手がいない。脅威でなくても、いつ魔物と遭遇するかも分からない。
どっきりのような意味での恐怖もある中、夜には木の上に登って休む。
そんな日々を過ごしながらの移動で、俺はついに遥か視線の先に、明らかに人の手のものと思われる、大きな門を発見した。
「人……人と話せる……!」
誰もいない巨大な森の中に一人きり。正直、精神的な疲労があまりにも大きかった。
食料も水も潤沢にあったが、ただ精神的な面でのみ、辛かった。
あまりにも辛過ぎて、夜に夢ではなく精神世界に入るようにして、仲間達との会話で孤独を紛らわせようとする程度には限界がきていた。
それがついに……! 人の痕跡のある場所に――!
「廃村じゃねぇかバカヤロー!!!! なんだよおおおお期待したのによおおお!!!」
見えていたのは古い廃村の門でした。
たぶん、森の近くで暮らしていた村が、ダンジョン化に伴い打ち捨てられたとか、そんな感じではないだろうか。
村の様子を見るに、ここが打ち捨てられたのはここ数年どころの話ではなさそうだった。
完全に草に侵食された家々に、村のあちらこちらに巨大な樹木が聳え立っている。
おそらく、これは打ち捨てられた後に成長したものだろう。
もしかしたら数百年単位で打ち捨てられていたのかもしれないな。
「けど、人の生活圏だったなら……もっと外、下界までの距離だって近いはずだよな」
再び地図を開くと、細い道が、村の入り口と思われる地点から細々と続いていた。
この道をたどれば、今度こそ外に出られるだろう。
マップを確認した限り……これ、森が増えて村周辺を飲みこんだとかそういう感じですかね。
途中で道が消えているんですがそれは……。
「あ、でもまっすぐ進めば今度こそ森を出られるな」
ここまでの道中、毎日の全力疾走で、首から下げた鈴は毎日揺れていた。
それでも鳴らないということは、恐らくメルトも鈴を鳴らしていないということだ。
それとも……もう、諦めて鈴をしまい込んだのか、それともどこかに捨ててしまったのか。
……鳴らない鈴に絶望し、八つ当たりのように鈴を投げてしまうことも考えられる。
それを思うと、俺はまたしてもメルトに深い絶望を味わわせてしまったという事実に、胸が締め付けられる思いだった。
「メルト……」
無意識に、俺は首から下げた鈴を握りこんでいた。
……もし、このまま鈴が鳴らないままだったとしても。
俺は、自力でリンドブルムまで帰ろう。
だから、進む。この寂れ、草に侵食され、ほぼ獣道のようになってしまった道を延々と。
それから更に二日、視界に映る森の深さに変化を感じた。
木々の合間が明るいのだ。それはつまり、木々の数が少なくなっている証拠でもある。
マップを開けば、そこには確かに森の境界、終わりが表示されていた。
つまりダンジョンの終わり、この森が途絶えると言う意味だ。
俺は、今度こそ万感の思いで駆け出し、やがて――
「出た!!!! 脱出成功!!!」
久方ぶりに、視界に一本も木が入らない世界に帰還を果たしたのだった。
「誰か出て来たぞ! 女の子だ!」
「マジか! なんでこんなところから出てくるんだ!?」
その時、俺は久しぶりに、他人の生の声が聞こえてきたことに驚き、心臓が大きく跳ねた。
振り返れば、恐らく冒険者かなにかだろうか、旅支度をして歩いている二人組の姿があった。
「すみません! ここ、どこですか! 何日も森の中を彷徨っていたのですが!」
「え、な、なにか訳ありかい? この森……普通は人が足を踏み入れる場所じゃないんだが」
「ここ、一応あれだぜ? 『禁域ダンジョン』の一つなんだぜ? 見つかったら大変だ」
はて……禁域とな? 俺は『突然謎の集団に襲われ、気がついたら箱に閉じ込められていた。森の奥深く目覚めて脱出して逃げて来た』という、嘘の話をでっちあげる。
「ふむ……人攫いか。あり得る話だな、ここ数年は聞いていなかったが……」
「嬢ちゃん可愛いからな、気をつけた方が良いぜ。っていうかマジで無事でよかったな……」
「はい、本当に幸運でした。それで、ここはどこなんでしょう? 自分がどれくらい眠っていたのかすら分からなくて」
「ここは国境近くに広がる『エグゾースト』と呼ばれる禁域ダンジョンの近くだ。実質天然の国境壁だな、ここを通って密入国なんてできやしない。で、この道を進んで行けば、正規の国境があるってワケだ」
「俺達はシジュウ連邦国に向かうところだったんだよ。嬢ちゃんは?」
「ええと……私はできれば、港町に行きたいです」
「港ぉ!? こんな内陸部からだとかなりの距離になるぜ!?」
マジか。いや、国境が近かったことを考えるに、その可能性は考えていたのだが。
「いや、南の港町に向かえばいい。あそこならここから……馬車で四日程の距離になる。察するに嬢ちゃん、あんた外国の人間だろ? 話を聞いているとそんな感じがする」
「はい、そうなんです……」
「外国からの拉致……か。そういう事件なんてもう何年も起きていなかったはずなんだがな……」
「もしかして、別な国からきたのか? ここはコンソルド帝国だぞ」
「あ、はい。私は――神公国レンディアにいたはずでした」
行きずりの相手ならば、この程度は良いだろう。
俺は大人しく、元居た場所に還る方法を彼らに訊ねる。
「まず南に向かうんだ。この道沿いだな。途中で小さな村があるが、そこに定期的に乗合馬車が来ることになっている。距離があるからな、港に向かうならそれが効率が良い」
「……しゃあない! おい嬢ちゃん、これ取っとけ! 港までにしたって乗合馬車は高いんだ。国境付近は道が長いからな、かなりの高速馬車しか走っていないんだ。これやるから、それで支払いな。で、港に着いたら定期船で西の港町まで送ってもらうんだ。そっちも結構金がかかる。大金貨一枚で本来なら足りるんだけど、最近じゃ『共通貨幣』での支払いじゃないと受けつけてくれないことも多いんだ」
そう言うと、男は初めて見るメダルを一つかみ……いや二つかみ渡してきた。
精巧な作りの、銀色の硬貨。銀貨ではないようだが……合金か?
「それは『リクス』という単位で扱われる新しく浸透してきた貨幣だ。それ一枚で一〇〇リクス。で、それ全部で五〇〇〇リクスだ。それだけあれば、乗合馬車には乗れるはずだ」
「ありがとうございます! そうか貨幣が違うのか……あの、じゃあこれお礼です」
俺は、懐から出すふりをしながら、大金貨を一枚取り出し手渡す。
「いいのか? 一応、こちらの大陸でもまだ使える店が多いんだが」
「いいんです、よくしてもらったお礼です」
「じゃあ実質両替だな。船はたぶん大金貨でも乗れるだろうから、そっちの支払いは大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「そか。嬢ちゃんも災難だったが……マジでこの森から脱出できたのは奇跡みたいなもんだ。絶対、無事に元居た場所に戻るんだぞ」
「旅の無事を祈っている。ではな」
「はい、本当にありがとうございました!」
久しぶりに出会った人間が、とびきりの善人だったことに心から感謝する。
そうか……貨幣も違うのか。なんだか本当に遠くにきてしまったのだなと、しみじみと思う。
だが、これで帰るために必要な情報は揃った。
待ってろよメルト……必ず、俺は君の所に帰ってみせるからな……!