第百九十一万
本来の階層主が現れる。
だがそれは、まるで今さっきまでここにいた存在が、墨汁を全身に被っただけのような姿だった。
漆黒に染まったダンジョンマスター……そうとしか形容できなかった。
『デミ・シャドウ』
『ダンジョンマスターフェルシューラーを真似た影』
『本物よりも大幅に弱体化しているがそれでも一部似通った力を使う』
『明確な弱点がないため純粋な武力で上回るしかない』
「そいつ、弱点無しみたいです。純粋に総力戦で挑みましょう」
「分かった。作戦通り行くぞ! もう一度だ――」
アラザさんが指示を飛ばした瞬間だった、デミ・シャドウが高速で接近し、腕の先を鋭い剣のように変形させ、真っ先にリーダー格である彼を潰しにかかった。
それを防ぐガークさんの大盾が、影の腕に少しだけ貫通されていた。
「っ! こいつ、強い!」
「そのまま抑えろ! 私が支える!」
盾を貫通した部分をアラザさんが掴みとり、動きを固定する。
その隙に、またしても背後に回り込んでいたリヴァーナさんが迫る。
さらに、地面を霜が覆っていくのが分かった。
「足を固めます、マスター!」
魔法班から上がる声に、アラザさんが頷き、完全にデミ・シャドウの動きが止まる。
……これで決まりそうだが、俺自身も剣を上段に構える。
強いんだろ、お前。あのとんでもない強さのダンジョンマスターの力を一部、真似できるんだろ?
「……ふぅ……はぁ……」
意識を集中させる。
発動速度が遅くなる大剣は使わない。ただ……遠距離から確実に仕留められるように自己強化を重ねがけし、もしもに備える。
「獲った」
リヴァーナさんの一撃が、身動きが取れないデミ・シャドウに迫る。
足元の霜が、デミ・シャドウの足を伝い、下半身を凍り付かせる。
盾に突き刺さったまま引き抜けない腕が、デミ・シャドウの動きを阻害する。
が、次の瞬間デミ・シャドウの姿が忽然と消え、とどめを刺さんと密集していたリヴァーナさん、アラザさん、ガークさんの頭上に転移していた。
しかし――
「『ゲイルブレイク』」
知ってた。
あいつ、姿を消してこのフロアから去っただろ。
ならお前だって短距離の転移くらいできるだろうと踏んでいた。
予想通り、一発逆転を狙い頭上に転移したところに、俺の放った剣圧が吸い込まれ、致命傷になるような傷を負わせながら、デミ・シャドウの身体がフロアの壁まで吹っ飛び激突した。
すかさず接近し、壁からずり落ちる前に追い打ちをかける。
ここで畳みかける。剣を収め、今度は両の拳で乱打を叩き込む。
『ワンハンドレッドラッシュ』
『凶拳士の基本技の一つ』
『一瞬で百の打撃を与え対象に大量のダメージを与える』
『一撃一撃が非常に低威力であるため使用者のステータスに大きく依存する』
『攻撃後の隙が極端に小さいため連続使用可能』
弱い一撃でも、恵まれたステータスと武器の力を乗せ、何度も繰り返す。
影という割には生々しい打撃感を味わいながら、一〇〇の打撃を繰り返す。
沈め、このまま沈め。これで倒れろ。
「おおおおおおお!!!!」
限界を超えるつもりで繰り返す一〇〇の打撃が、実を結ぶ。
殴っていたはずの場所から、光の粒が無数に上がる。
……やっぱりでかい隙、無防備になった瞬間があるなら、こういう固定砲台的に乱打するのが効率的だよな。DPS高いし。
そんなネトゲ時代のような思考による攻撃を止め、息を大きく吐くのだった。
……よかった、動けない相手で。この技、方向転換も移動も出来ない技なんだよな。
攻撃後の隙はなくとも、攻撃中は隙だらけなんだよ。途中でキャンセルできないし。
「ふぅ……撃破完了しました」
「あ、ああ……! 素晴らしい働きだった。まさか、あの状況から敵が逃れるのを読んでいたのか?」
「はい。どうやらダンジョンマスターの容姿をコピーしていたので、アイツみたいに忽然と姿を消したりできるかもしれないと予想し、備えていました」
「助かったよシズマ君。驚いた、見上げた時にはもう、アイツが攻撃を受けて吹っ飛んでいたからね。危なく、私もマスターも班長もまとめてやられていたかもしれない」
「感謝」
いや、正直驚いているのは俺の方なのだ。
完全に死角に転移したはずなのに、三人はすでに頭上に視線を向けていたのだ。
姿が消える=死角であろう場所に移動していると、瞬時に判断していたのだ。
今回は備えていた俺の方が早かったが……たぶん、対処出来たんだろうな。
「さて、ドロップを確認しましょうか」
「そうだな。確認が済み次第、野営の準備に取り掛かるぞ」
そうして、俺達の一日目のダンジョン探索は、三〇階層を突破したところで終了となり、今日の反省会と明日以降の攻略ペースについて話し合いをすることになったのだった。
野営の準備が終わり、俺が作ったマグロ三昧を皆で囲む。
……美味しそうなマグロの刺身が食べられるのに、わさびも醤油もないのがこんなにも……こんなにも辛い、悲しいことだなんて、俺知らなかったよ……!
「……美味しい! この白っぽい部分をレモンとお塩で食べるの、すっごく美味しい!」
「大トロの部分だね。たぶん、黄色いヤツが落とした部位じゃないかな」
メルトが大トロの刺身をレモン塩で食べながら、あまりのおいしさに身体をくねくねと動かす。
なんというか、疲れが吹っ飛ぶくらい可愛いしぐさです。
「生でも美味しい。でも焼いた方が好き。シズマの作るタレが美味しい」
「ありがとうございます、そう言ってもらえて」
「ああ、正直英気を養うなら、美味い食事は必須かもしれんな……」
「ですね……正直、今日は大きなイレギュラーが二度も起きて大変でしたしね……」
食卓を囲みながら、初日の探索を振り返る。
確かにイレギュラーだらけだった。特に……最後のダンジョンマスターの登場は。
あいつの言動、言葉の節々から、得られる情報はないかとよく思い出す。
「……少なくともダンジョン内の様子はあいつに筒抜けで、特に進行度が早い俺達に目を付けていた。なら、もしかしたらリアルタイムで次の階層をどうするか、あいつが決めている可能性もありますね……俺、てっきり入場段階でダンジョンの構造はある程度固定されるのかと思っていましたが、今日のことで考えを改めました。あいつは、俺達を監視して道先の構造を変えている」
ここは、間違いないだろう。
そして……俺が受けた印象だが、これまで俺が見て来たダンジョンマスター『グリムグラム』も『ディードリヒ』も、邪悪さが言動に滲み出ていた。
だが……フェルシューラーからはそういったものを感じなかったのだ。
純粋な『高難易度ダンジョンの運営』と『優秀な探索者への一定の敬意』。
そんな二つの思いを感じたのだ。そして……ここからは俺だけが知る情報だが、どうやらあいつは『グリムグラム』以上の力を持っているらしい。
だが【神眼】で見た情報には『本来であればグリムグラム以上の力を秘めるが彼女に残虐性はない』とあった。なんだろう……本来であれば? なら、彼女は力を振るう気がないのだろうか?
それとも、あの場では振るうつもりがないという意味なのだろうか……。
「……ダンジョンで大地を侵食、ダンジョンの外にまで被害が出るようにしている理由を問いたいものだな。最下層に辿り着いたら、必ず」
「そうですね……どうやら話は通じる様子でしたし」
「けど、強すぎた。勝てる姿を想像できない」
「強かったね、ダンジョンマスター。あれが最下層にいるのかしら……」
正直、分からない。あいつが直接対峙するのか、それともダンジョンのボスとして他に眷属でも連れているのか、現段階では判断できないのだ。
焦土の渓谷でも強欲の館でも、俺は直接ダンジョンマスターを殺した。
が、焦土の渓谷では偽物とはいえ、ダンジョンコアを直接安置していた。
なら、実際にそういうことをすることもできるのではないだろうか?
俺には、どうにもあのダンジョンマスターが直接手を下すようには思えないのだ。
それはまぁ……しっかりダンジョンを運営していることからくる予想でしかないのだが。
「ヤツの言葉を信じるなら、いきなり踏み入った瞬間に命を落とすような階層はないという話だが、それでも警戒し、常に抗毒ポーションを飲みながら、一番先に誰か一人が踏み込むようにしよう」
「なら、その役目は俺がします。幸い、ポーションもアクセサリーも、環境の変化に強くなれる品はまだ持っています。それで、俺が内部の様子を伝えますよ」
「……本来、客将のような立場である君にそのようなことをさせるわけにはいかない。だが……すまない、頼めるだろうか。それが一番、安全な策だと分かっている以上、頼むしかないのだ」
「もちろんです。では……明日から引き続き攻略を進めましょう」
状態異常に、環境の温度変化による異常も含まれているのが今日で分かった。
現状で半減、ならばそれに加えて弱めの対抗薬を服用すれば良い。
完全に防ぐと逆に異常に気が付けないからな。合計で80%ほどカットできるようにするか。
そうして、俺達は明日以降、攻略のペースを落とすのではなく、今日の遅れを取り戻すくらいのつもりで挑むことを決める。
道中の露払いは俺とメルト、そしてボスのフロアでは臨機応変に援護に回る方針は変わらず。
こうして俺達の攻略一日目は幕を閉じたのであった。
「全員、警戒。また『極寒エリア』です。コート着用の上、炎の魔法を周囲に浮かべて進みましょう。メルトも辛そうならここはみんなと一緒に移動でもいいよ」
「だ、大丈夫! 私も暖かい空気を体の周りに纏うから! 行きましょう!」
初日の探索での進行速度を、それ以降下回ることはなかった。
二日目は八〇階層まで進み、そして今日は……既に一一二層まで辿り着いていた。
明確なゴールを、最下層が今どこなのかを、それをはっきり知れたのが大きかった。
モチベーションが違ったのだ。もう、本当に『必ず辿り着く』と。
あのダンジョンマスターとの遭遇が、完全に俺達に火をつけたのだ。
「メルト、空中に二匹。前方の足元に氷のトゲ」
「分かった!」
危険な地形も増え、極寒や灼熱、砂嵐に毒霧と、過酷な環境が増えてきている。
一〇〇層を超えてから、もう通常の階層なんて殆ど現れていない。
即死こそすることはないが、放っておいたら死ぬような階層が続いているのだ。
「先に行く、メルトはもう少し周囲の氷を燃やし溶かして進んで」
「分かった! 先に行ってて!」
そうして、一一二階層の氷を極力溶かし、階層の気温を上げるように立ち回りながら、一一三階層の目前まで辿り着いたのだった。
「お疲れ様、シズマ君、メルト君。……ついに、残り一〇層だな。恐らく一二〇で最後の階層主が現れるだろう。そこで一泊した後、万全の体勢で最下層に向かうことになるだろう」
「そうですね……アラザさん、ここまで俺達を連れて来てくれてありがとうございました」
「それはこちらのセリフだ。率先して危険な役割を買って出たのも、野営で我々の英気を養ってくれたのも、物資の運搬をしてくれたのも、このアクセサリーを貸し与えてくれたのも……皆、君だ。私は、このダンジョンを踏破したら、正式にこの功績の大半は君によるものだと国に報告したい」
「ですが、それは止めてくださいって言いましたよね」
「ああ。だから、私は決して君の活躍を忘れない。だから明日は必ず踏破しよう」
「はい。では……一一三階層の様子を確認してきます」
俺は、先の階層の様子を確認する。
……少しだけ肺が痛いな。これは毒霧か。
俺は戻って皆に報告し、引き続き容赦のなくなったダンジョン『大地蝕む死海』の攻略に勤しむのだった。
「準備完了! 撤退と足止めお願いします!」
一二〇階層の階層主は、もはやここが海底の洞窟だということを感じさせない相手だった。
もはや洞窟ですらない、天井が存在しない、完全な異空間。
ここはもう、洞窟の中ではなく、どこかの渓谷、岸壁に囲まれた空間だった。
偽物の空が広がる異空間。俺は、空から舞い降り、そのまま地面に縫い付けられた『醜悪なドラゴン』に向かい、大剣を全力で振りかぶる。
「『グランドスラム』」
遠距離攻撃ではない、直接大剣を全力で振り下ろす一撃を加える。
『グラウンド・ゼロ』
『戦士大剣奥義の一つ』
『全力で大地を震わせる一撃を振り下ろす』
『直接当てない場合も広範囲への攻撃技となるがゼロ距離でこそ真価を発揮する』
『武器攻撃力×100の固定ダメージに加えステータスとレベルに算出されたダメージが加わる』
『ダメージ限界突破効果ありただし再発動まで時間がかかる(5m)』
威力と隙の無さを天秤にかけ、一番ふさわしい技をチョイスする。
もう、俺達の攻略方法は確立されているのだ。
『大きな個体が現れたら皆で隙を作りシズマの大剣による極大の一撃で一気に葬り去る』という。
最初はキルクロウラーの魔法の一斉放火による起点からの畳みかけで問題なかったのだが、次第に階層ボスが『魔法を無効化する』特性を持つようになり、明らかにこちらに対するメタ対策なのだろうと、攻略方法を変えたのだ。
その結果が、俺の攻撃により沈めるというものだった。
そうして、俺達は最後の階層主であろう、この不気味に変形した、異形のドラゴンを葬り去ったのだった。
これで、明日は最下層だ。
果たして……このダンジョンの最後に待ち受けているのはどんな相手なのだろうか。
それとも……あのダンジョンマスターが直接対峙することになるのだろうか――




