第百七十八話
「では、新たにセイム様に代わり、シズマ様とメルト様でご契約ですね? お部屋の交換にも対応できますが、いかがいたしましょう?」
「そのままで問題ありません。突然の申し出に対応してくださり、ありがとうございました」
「いえいえ。では、ダンジョン探索でのご武運をお祈りしております」
ホテルでの再契約を済ませ、市場へ向かおうとすると、メルトが何やら感心したように、目を瞑りながら『うんうん』と頷いていた。
「メルト、どうしたの?」
「ふふ、私は違いが分かるようになったの。このホテル……一流よ! さっきのホテルの受付さん、すっごく丁寧な対応だったと思うの。気遣いも言葉遣いも間違いなく一流なのよ」
「そうだね、一流の対応だったね」
「え、シズマにも分かるの?」
「そりゃね。気持ちいいよね、あんな風に対応してもらえると」
「……シズマも違いが分かる人だったのね……」
一体どうしたのだろう? どこかで接客マニュアルでも見たのだろうか?
なんにしても、楽しそうに新たな発見をしているようなので、よかったよかった。
もう、嫌な出来事なんて完全に記憶から消えているのだろう。
「じゃあ市場に行こう? あのね、ダンジョンとか野営地がある方に、大きな市場があるのよ。ダンジョンから出てきた人がものを売ったりもしているし、その集まりに参加するかのように、海外の商人さんとか、海外のアイテムを扱うお店もあるのよ。私、見回りでチラっとしか見たことないのだけど、すっごく楽しそうだったわ」
「へぇ、確かに楽しそうだね。それに……ふふふ、実はシズマの姿だと……見たアイテムの詳細をある程度調べられるんだ」
「え、そうなの? なら……お薬とか見たら、その成分とか分かったりする?」
「んー、たぶん分かるんじゃないかな」
ある程度、こちらが知りたい情報を教えてくれているように感じるので、たぶん分かると思う。
すると、メルトは自分の道具袋から一冊の本を取り出し、あるページを開いて見せてきた。
「シズマシズマ、このページのね、この二つの材料の名前と絵を覚えてくれないかしら? もし、これに関係するアイテムを見つけたら教えて欲しいのだけど……」
メルトが見せてくれたページには『蒼天の雫』と『朱海の涙』という素材が記されていた。
青い宝玉と赤い宝玉、どちらも素人の俺が見ただけで『普通の素材ではない』と感じさせた。
その説明文を読んでみると――
『蒼天の雫』
『かつて浮遊大陸から崩れ落ちた岩が、現在の霊峰“レアンデニウム”に変化したと言われている』
『レアンデニウムの山頂で稀に産出される宝石であり、人の憧憬の結晶という説もある』
『物質的な特性と、実体のない力の結晶の混合物と呼ばれている謎に満ちた物質である』
恐らく、メルトのおばあさんが記した内容なのだろう。
俺が【神眼】で読み取る情報より、人間らしい説明文をしていた。
『朱海の涙』
『忌むべき事件“フォーハイウェルの人喰い海域”にて数万人単位の血が流れ、共に海に沈んだ宝』
『怨嗟や憎しみといった負の感情が宝に蓄積され、長い年月で海にそれらが浄化されたと思われる』
『かすかに残った悲しみと無念が宿る、宝石にしては宿すエネルギー量の多い一種の呪物』
『人に悪影響はないようだが、出来るだけ神聖な箱に安置しておきたい』
……なんだか、物騒というか、物々しい素材達だ。
何やら、貴重であると同時に、特定の感情の影響を色濃く受けた素材のように感じる。
だが……どういう訳か、俺はこの二つの素材の名前を、どこかで見た記憶があるのだ。
「メルト、俺この二つの名前……どこかで見た記憶があるんだけど。たぶん、何か道具か薬の説明で見たような……」
「ほ、本当!? もしそれがあれば、そこから成分だけ抽出できると思うから、貴重な素材を二つも手に入るの! どこどこ、どこで見たの!?」
凄い勢いで食いつくメルトを押し止めながら、記憶をほじくり返す。
どこだ……確かこれはおばあさんが書いた本、ならおばあさんはこの素材を手に入れているはず。
なら……メルトの家に行った時……か……?
「…………そうだ、メルトの家だ。そこで調べた何かに使われていた……俺、あの家でたしか……果実酒のことを調べていなかったか……?」
「うん、そうよ。シズマがお酒のことを調べてくれていたのを覚えているわ。で、なんだか変なお酒も見つけていたわね。私には見えていなかった、不思議な瓶に入っていたお酒」
「それだ! そのお酒、その成分を調べた時にその二つの成分が入っていたはずだよ」
「おー! じゃ、じゃあそのお酒、持ってきているのかしら!」
「ああ、持ってるよ。今出そうか?」
「待って! すごーく貴重だから……出来れば私達の家に帰ってから、落ち着いた状況で出してほしいわ。凄く、凄く大事な研究に使うのよ……」
「なるほど……分かった。リンドブルムに戻ったら渡すよ」
「まさかシズマが持っていたなんて……これで実験ができるわ……」
どうやら本当に大事な実験だったようで、メルトは珍しく、緊張した面持ちでしみじみと呟いていた。
彼女の身体のことではないのだとしたら、誰か身近な人間で薬が必要だとメルトが判断した人がいるのだろうか?
なんにしても、彼女の実験がうまくいくことを祈ろう。
「ところで、必要なものが揃ったなら市場に行く必要ってなくなったんじゃない?」
「えー? それを抜きにしても一緒に見に行きたいよー」
「ははは、それもそうか。じゃあ行こうか、メルト」
「わーい。私、変わった素材とかダンジョン産の意味の分からないアイテムが見たいわ!」
「……また『ミミズが出てくる棒』みたいな変な道具、買うつもりじゃないだろうね?」
「……もしかしたらエビが寄ってくる棒もあるかもしれないわね……!」
ないです、たぶん。
「わー……こうして中の方まで入るの初めてよ、いつもいざこざがあるとみんな、外側に追いやられてから戦ってるんだもの」
「な、なるほど? ……なんか周囲の視線がみんなメルトに向いてるし、心なしか恐れられてるように見えるんだけど?」
「え? あれ? あれれ? そんなことないよ?」
いや、メルトが振り返ると、みんな一斉に視線を逸らすのだ。
そんな! うちの可愛いお狐さんを恐がるなんて……!
「メルトってここの警備担当をしていたんだよね。その時のことをみんな覚えてるんじゃない?」
「ふむふむ……私、悪い人しか捕まえていないよ?」
「たぶん、その時の様子が凄すぎたんじゃないかなー」
「うーん、そうなのかなー?」
この子、アンガレスにこそ負けたようだが、それ以外で負傷したって報告も聞かないし、事実彼女がこの辺りを担当し始めてから、検挙されてくる人間が激増したのを覚えている。
きっと、誰一人逃さずに成敗して捕まえていたのだろう。
「ほらほら、あっちの方で探索者さんがダンジョンから持ち帰った品を売っているわ!」
「お、興味あるな」
確か、ダンジョンからは俺達の世界と思われる場所から紛れ込んだ品が見つかるんだったな。
俺達を召喚するのにもダンジョンマスターに生贄を差し出していたし、ダンジョンというのは、何かしら『他の世界』と繋がりやすい環境なのだろう。
その出店に向かうと、港町で見かけた屋台よりも広く、中々の品揃えと規模をしていた。
どうやらダンジョン産の武具やアクセサリーも取り扱っているようで、興味深い品がいくつか混ざっている。
『閃鉄鋼の直剣』
『持ち主がダンジョンで紛失した武具がダンジョンに飲み込まれ再構築された品』
『運よく他に飲まれた素材や武具と交じり合いグレードが上がった』
『切れ味が鈍りにくく刀身も軽い名剣』
『彷徨える魂の首飾り』
『こことは違うどこかの世界で亡くなった者の魂の残滓が宿るペンダント』
『持ち主の幸運を願う気持ちが宿っている』
『小さな幸福とピンチの時に小さな偶然を起こしてくれるかもしれない』
少し齧った情報ではあるが、やはりダンジョンから生まれるのは、こういった特別なものが多いらしい。
ここで失ったものとダンジョンの不思議な力が混じりあった品や、別な世界から迷い込んだ何かが交じり合ったりと、面白いものが時折出土するようだ。
たしかにこれはロマンだし、一攫千金も夢じゃないよなぁ……。
ちなみに、こちらの二品はどちらも『大金貨七枚』と中々の高額だった。
「へー! 面白いものが沢山あるわね! あ、あっちの棚は何かしら」
嬉しそうに、メルトが隣の棚を物色し始める。
その様子を微笑ましく眺めていると、この出店の店主が、こそこそと近寄って来た。
「な、なぁ兄さん……あのお嬢さんの連れかなにかかい?」
「そうですよ、パーティメンバーというか相棒ですね」
「そ、そうか……だったら今日は騒ぎは起きないか……」
「……彼女、何かしたんですか?」
何やら、店主はメルトの動向を注意深く探るように視線を向けている。
その口調はやはりどこか恐れているようで、ちょっとだけむっとしてしまう。
うちのお狐さんをそんな目で見ないでもらえませんか?
「あのお嬢さん……容赦がないんだ。少しでも近くでトラブルを起こすと問答無用で連行されるんだ。ちょっと支払いで揉めただけで容赦なくだ……当然抵抗したり反発する人間も出てくるが全部……名うての探索者も全部、あのお嬢さん一人にこてんぱんにされて連れて行かれたんだ……お陰で治安は良くなったんだが、活気がめっきりなくなってしまった」
「……まぁ非は連行された側にあるってことで」
「それは分かってるんだがなぁ……あまりにも強いし素早いし逃げられないから、みんな恐がってしまってるんだ」
「んー……臨時の警備だったんで、たぶん今日からは参加しないと思いますよ」
「ほ、本当か! そうかそうか! いや、悪い子じゃないのは分かってるんだみんな。ただ、探索者の足が遠のくと、どうしても新しい商品が仕入れられなくてな」
「安心してください、近いうちにあの子と俺が組んで探索に向かうことになりますから、今度は逆に深層まで潜って、貴重な品をこの市場に持ち込んだりしますよ」
「おお! 本当かい!? あんな強いお嬢さんだ、きっと凄いものを持ち込んでくるに決まってるな! 仲間にも知らせてやらないと!」
メルトの名誉を回復させなければ……恐らく、他の利用客には感謝されていても、売り手側や捕縛された経験のある人間には恐れられているんだろう。
……たぶん、喜んでもらえるのが嬉しくて夢中になっちゃったんだろうな。
「シズマー! 面白いのあったよー」
「お? 何を見つけたんだい?」
そんな、ちょっとした恐怖の対象になりつつあるメルトの元へ向かうと、何やら変ながらくたを手にしていた。
む、これは……。
「店主さん、これってダンジョンで発掘された異世界の品ですかね?」
「ん? ああ、たぶんそのはずだ。恐らく民芸品の一種だとは思うが、使い道が分からないんだ」
「へー、じゃあ俺が買っても良いですか?」
「構わんよ。銅貨三枚ってところか」
だいたい三百円で俺が買ったもの。それをメルトは、少し間違った使い方で、両手の間で擦り、くるくる回転させていた。
「これ、こうすると風が起こるのよ。きっと扇子の仲間だと思うわ」
「いや、違うよ。ここじゃ人が多くて迷惑になるから、少し離れようか」
メルトが見つけていじっていたのは、地球の日本に存在していた、古い民芸品であり、玩具である『竹トンボ』だった。
市場から少し離れた場所で、俺はメルトから竹トンボを受け取る。
「メルト、見ていてごらん。これはね、俺が住んでいた国の古いおもちゃなんだ」
「へー! どうやって遊ぶものなの?」
「それはねー……こうだ!」
俺は、竹トンボを空に向けて放つ。
回りながら、眩しい日差しの差し込む青空に向かい飛翔する竹トンボ。
絵になる光景だと感じながら、飛んで行った竹トンボがゆっくりと落下していくのを見送る。
「わーーーー!!! 飛んだ! 飛んだわ! 待てー!」
嬉しそうに追いかけていくメルトを眺めながら、ダンジョンから出土するものが全部『こんな平和なものだったらいいのにな』なんて思っていた。
「シズマただいま! 拾って来たわ! これ、凄いわね! 飛んだのよ、こんな木でできた棒なのに! ビューンって! 擦ってミミズを呼び寄せる棒と全然違うわ!」
「ははは、そうだろうそうだろう。……ミミズが出てくるのも十分凄いと思うんだけどね」
そんな束の間の休日。シズマとして久しぶりに過ごす、平和な一日。
さて、キルクロウラーと合流するまで、明日から二人で少し予習も兼ねてダンジョンに潜ってみますかね?




