第百七十五話
ベッドで横になり考え込んでいたところに、部屋の外から近づいてくる声。
それが、メルトのものだと、悲し気に泣く声だと気が付いた時にはもう、考えを中断し扉を開いていた。
「メルト、どうした! そのケガ、どうしたんだ!!!!!」
扉を開き泣き声の主であるメルトを迎えようとすると、彼女の顔、鼻の先端とおでこに擦り傷ができていた。
まるで、顔面から転んだかのようなありさまだった。
だが、それが問題ではなかったようだ。
「あ゛あ゛あ゛ー! 怪我はいいのーーー! こっち、こっちー!!!」
相変わらず堂々と泣き続ける彼女を部屋に引き入れ、どうしたのかともう一度訊ねる。
すると彼女は――
「私の……わたじの尻尾ぉ……!」
「な……これは……形が変わって……」
「掴まれて、思いっきり引っ張られて全身地面に叩きつけられた! 顔の傷はそれよぉ! でも尻尾の形が変わるくらい、毛を毟り取られたのよぉ! あ゛あ゛あ゛あ゛! くやじいい!」
メルトの言う通り、彼女の銀色で美しい毛並みの尻尾の先端の毛が極端に短くなり、全体像がいびつな形になってしまっていた。
尻尾を掴まれた? 地面に叩きつけられた? 顔から? 怪我をさせた?
「メルト。相手誰。どこの誰。今どこにいる」
「わがんない! 探索者ギルドの人、いっぱい来て、つれていがれだ! くやじい! 悪いヤツだから捕まえようとしたの! でも負けたの! 尻尾掴まれてビターンって叩きつけられた!」
「どんな奴だった。性別は? 種族は? 何歳くらい? 髪の色は?」
殺さないと。
今すぐ殺しに行かないと。
一族郎党皆殺しにしないと。
「そ、そんなにいっぺんに聞かれても……いいのよ、私が自分で仕返しするもん」
「いや、それでも教えて。人の家族を泣かされて黙っていられるか。特徴を教えて」
「うう……セイム、少し恐いよ?」
「お願い、教えて欲しい。このままだと俺――この島の人間を皆殺しにしなくちゃいけなくなる」
言わないならする。疑わしいヤツは全部殺す。こんな島、滅ぼしてやる。
「だ、だめよ! エビ屋台まで潰れちゃう! 落ち着いて、落ち着いて? ……ええと、歳はわかんない……セイムと同じくらい? 髪は焼いたエビみたいに真っ赤だったけど――」
! あいつか! そうかあいつか! そうだ、今日あいつはダンジョンに向かうって言っていた! ならこの事態は予想出来たことではないか! なんで、なんで俺は今日に限って休んだ?
「……メルト、安心して。そいつ、明日たぶん、粛清されるから。俺に、粛清されるから」
「え? 明日は晩餐会よね? サボっちゃダメよ? アワアワさん、困っちゃうんじゃないの?」
「大丈夫、悪いヤツもその晩餐会に来るはずなんだ。……メルト、俺について来たせいで大事な尻尾が傷ついてしまってごめんよ。どこか相談出来るお医者さんがいないか探してみるからね」
「傷はたぶんついてないと思う……毛が伸びたら……あれ?」
すると、メルトが何かに気が付いたのか、ベッドに座り自分の尻尾を調べ始めた。
自分の尻尾を大事そうに抱えながら、念入りに具合をチェックしている姿が、なんとも痛ましい。
……アンガレス、お前死んだぞ。明日まで待つの、止めるか? 今から殺しに行くか?
「むむ……なーんだ! セイム、これ私の勘違いだ!」
「ん? どうしたんだいメルト」
その時、悲しげだったメルトの声色が、唐突に楽観的になる。
なにやら尻尾の毛を毟られた場所を調べているようだが。
「ほら見て、これ、ただの換毛期だわ。一気に引っ張られたから痛かったけど、元々抜ける予定の冬毛よ、これ。ほら、簡単に抜ける。そっかぁ……いつも森の中にいたけど、今は温かい島に来て抜ける時期がズレたのね!」
「ということは……尻尾は元通り?」
「そうね、ブラッシングをして他の部分の冬毛も全部抜けたら、形も整うわ」
「そっか、本当によかった。でも……この怪我はしっかり治さないとね」
俺は今日、大量に消費したポーションをメルトにも渡す。
正直、ここまで強力なものでなくても問題ない程度の軽傷だが、俺の気が済まないのだ。
小瓶の口を開け、ゴクゴクと彼女が喉を鳴らすと、見る見るうちに傷が癒えていった。
「ふぅ……治った! 前から思っていたんだけど……セイムが持ってるすっごいポーションって、誰が作っているのかしら? 私も今お薬のことで色々調べものとかしているんだけど、そういう知識ってあるかしら?」
ふと、メルトが飲み終わった空き瓶を手でいじくりまわしながらそんなことを聞いてきた。
そういえばまだそのキャラを使っていないな……薬の知識とか、俺も身につけたら今後の役に立つかもしれない。
「俺の中に眠っている人の中に、薬を作るのが得意な人がいるからね、その姿になれば知識も得られるかもしれないよ」
「なるほど……いつか、会ってみたいわ。よーし……じゃあ私はブラッシングするね」
「うん、じゃあ俺は少し散歩に――」
そう口にした瞬間だった。まるで立ち眩みでもしたかのように唐突に頭が重くなり、俺は思わずベッドに倒れ込んでしまった。
意識が――遠のく――
「シズマ、抑えろ」
唐突に、意識が覚醒する。
そこはもう既に俺の精神世界で、周囲には円卓を囲む仲間の姿が揃っていた。
「シズマ……今、散歩と偽って迎賓館を襲撃しに行こうとしただろう。抑えろ、気持ちは分かるが今は抑えるんだ」
シレントが、冷静に俺の考えを見抜いた上で提言する。
……そうだ。俺は散歩に行くと偽り、迎賓館に寝泊まりしているであろうアンガレスの息の根を止めに行こうとしていた。
「シズマ、僕も同じ気持ちだよ。ただ……国家間の争いに発展する可能性だってゼロじゃないんだ。それは、メルトやシズマの平穏を壊すことになるかもしれない。だから……今は抑えるんだ」
「そうじゃな。ワシならば誰にも悟られずに暗殺も可能じゃろうが、この国の中で他殺体……いや、行方不明になった段階で、問題になるのは目に見えておる。しっかりと大義名分を得るのじゃ」
セイムが、ルーエが俺を止めようと説得してきた。
そうか、俺が意識を失ったのは、俺の凶行を皆が止めようとしてくれているからか。
「……確かに頭に血が昇ってたのは認める。ごめん、手間をかけたね」
「だが実際、ここにいる全員、気持ちは一緒だ」
「ええ、そうですねぇ。ただ個人的に思うに――ダンジョン内なら殺しても問題にならないのでは? 行方不明になったのだとしても、ダンジョン内でのことならお咎めもないでしょうし」
「スティルさんの案は一考の余地があると思いますよ、私も。ダンジョンを墓標とし、そこに私がレクイエムを奏でましょう」
「よさんかスティル、ハッシュ。儂も大人しく大義名分、なんらかの形で決闘を正当なものにする流れを作るべきだと思う。シズマ、セイムとして戦うのなら、手心は無用だ」
「そうだね。今回は僕も本当に怒っているんだ。いつもみたいな初期技ばかりで手心を加える必要なんてない。帝国側に印象付けるためにも……戦いになったら『最強の一撃』を決めるんだ」
……ヤバいな。俺以上に心の中のみんながブチギレてる。
現状、殆どの姿の内面は俺のままだ。自我を持っていくのはルーエとスティル、そして一部を上書きするハッシュくらいのもの。
それ以外は俺が演じているだけだし、シーレももう、表に出てくることがない。
だがそれでも、表に人格が出られない姿でも、メルトは俺達を別人として扱い、その上で家族として慕ってくれている。
つまりメルトは『俺達全員の家族』であり、この怒りは当然の感情なのだ。
「分かった、闇討ちとかそういうのはなしだ。明日の晩餐会で、しっかりと状況を整えてから決着をつける。恐らく、こういう人間を連れてきている以上、シュリスさん相手に何か仕掛けるつもりなんだと思う。セイム、もしもこの先人格を宿して、召喚で個別に行動できるようになった時、面倒なしがらみがついてまわるかもしれないけれど……俺は明日やりたいようにやる。いいか?」
「構わないよ。思いきり煽ってもいいし、最悪こちらからある程度しかけてもいい。帝国に注目されるのだって構わない。メルトは僕達の大事な娘みたいな、妹みたいなものだ。なんだってするよ」
「分かった。じゃあ……今日はもう寝る。みんな、悪かったね。俺が先走ったばっかりに」
最後に皆に謝罪し、暗闇の円卓の中、瞼を閉じる。
意識が、現実へと還って行く――
「セイムー? 散歩に行くんじゃなかったのー?」
「ん? ああ、なんだか急に眠くなったんだ。明日は早いし寝ようかな。メルトは明日はどうする?」
「うーん……尻尾の毛を整えたら……私もやることができたから、明日は好きに過ごすね?」
「ん、了解。じゃあ、今日はもう寝ようか」
「はーい。じゃあ今日はここまで! 明日抜けた毛をしっかり保管して、リンドブルムに戻ったら保存用の処理をしないと。今年はお金に余裕があるから売らないけどね!」
そういえば昔、メルトは自分の抜けた尻尾の毛を行商人に売っていたんだっけ。
あんなに綺麗な毛並みだ、きっと高値がついたんだろうな。
俺は泣き止んだメルトが尻尾の手入れを満足げに行っているのを見て、少しだけ安心して意識を落とす。
おやすみ……明日、しっかり仇はとるからな……。
翌朝、俺が目を覚ますと、部屋に充満する奇妙な臭いに表情がゆがむ。
なんだ? なんか薬臭いような、純粋に刺激臭というか……。
隣のベッドには既にメルトの姿はなく、どうやら臭いの元は部屋のバルコニーのようだ。
「メルト、そこにいるのかい?」
『あ、おはよー!』
「なんか酷い臭いがするよ、何してるんだい?」
『あ! 部屋に臭い入っちゃった!? ごめーん!』
外で作業をしていたメルトが、何やら機材を使い抽出した液体を小瓶に移していた。
どうやら、二種類の薬を同時に作っていたらしく、ガラスの機材が二つ、ベランダに設置された机の上に並べられていた。
作業を終えたのか、窓を少しだけ開き、その隙間から身体を滑り込ませるように戻って来た。
外はそんなに酷い臭いなのか……。
「ごめんね、もっとしっかり窓をしめておくべきだったわ」
「ホテルに迷惑が掛からないようにね? しっかり掃除した後、換気して臭いが残らないようにしないと」
「うう、すっかり忘れていたわ。大丈夫、臭いの中和に必要な薬は持ってるから処置しておくね」
どうやら、メルトが調合していた薬は獣人にとってはかなり強烈なものだったのか、珍しく尻尾を腰に巻き付け、耳も完全にペタンと頭に折りたたんでくっつけていた。
「それで、なんの薬を作っていたんだい? 前に手に入れた『心臓銀』を使う薬かい?」
「ううん、それはまた別よ。これはー……そうね、尻尾の毛とか髪の毛に関係するお薬で、もう一つは……お腹の調子に関係するお薬みたいな感じかしら?」
何やら、少し表現をぼかしているように感じるが、もしかしたら彼女の身体に関するものかもしれないし、あまり根掘り葉掘り聞くものじゃないな。
「なるほど。じゃあ、俺は少し早いけど、着替えて迎賓館、この島の館に行ってくるよ。どうやら晩餐会だけじゃなく、昼餐会もあるみたいだからね」
「なるほど……分かったわ! 私も……やることをやったら少しお出かけしてくるね!」
よかった。昨日のことを引きずっている様子は見受けられない。
もし、今日になってまた沈んでいたらどうしようかと思っていたんだ。
何故か未だに耳を折りたたんでいるメルトに言葉を掛けてから、俺は迎賓館に向かうのだった。
セイムが去ったホテルにて、メルトはベランダを片付け、別な薬品を部屋中に振りかけていた。
「これで部屋の匂いは消えたわね……よーし……じゃあ次はお風呂でこれを使って……」
メルトは調合した二つの薬のうち、一つの小瓶を取り出し、中身をちゃぷちゃぷと揺らす。
黒い、漆黒の液体が波打つ。正直不気味な見た目をしているが、メルトは嬉しそうに笑う。
「ふふふ……見てなさい……尻尾のお返し、絶対にしてやるんだから」
そう呟きながら、メルトは服を全て脱ぎ、シャワー室に向かう。
その小瓶を手に、何かを企むような笑みを浮かべながら――




