第百七十一話
「とりあえず、御父上がいらっしゃるまでまだ時間があるんですよね? その間にメルトへお土産を買って、しっかりと儀礼服に着替えたいと思うのですが」
急遽、今晩シュリスさんの御父上、ヴェール卿との面談が決まってしまった。
が、幸いにもピジョン商会に儀礼服を以前注文して買ってあるため、着る服に困ることはない。
「メルト君はそういえば……お留守番かい?」
「ええ、船に慣れていない様子でしたし、酔い止めの薬の副作用もあるみたいで」
「へぇ、船酔いの薬なんてあるんだね。しかしそうか……ならお土産を先に買いに行こう」
鎧姿ではないので、リンドブルムにいる時よりは目立ってはいない。
だがそれでも、美しい金髪をなびかせ、颯爽と道を行く彼女は人目をよく惹いていた。
彼女と共に波止場へ向かい、メルトが気にしていた果物屋台へ。
すると、既に彼女はこのヤシャ島の治安維持として、グローリーナイツを率いている存在だと周知されているのか、視線を惹くだけでなく、どこか彼女を恐れるように皆が身を引いていた。
「流石、ここでも一目置かれていますね」
「そうだね、私達が来てすぐの頃は、少々人が増えて争いも多くなっていてね。小競り合いがそこら中で起きていた」
「で、片っ端から武力鎮圧していたと」
「私の指示ではないけどね。私はイズベルに向かっていたから、ここに来たのはつい最近なんだ。ただ他のメンバーは既に一月以上前からここに来ていてね、随分派手に取り締まっていたようだよ」
「なるほど。話には聞いていましたけど、イズベルでは中々の騒ぎがあったみたいですね?」
「そうなんだ。いや、私としては……旅団所属の鍛冶職人、シジマさんの作を見ることが出来たのが何よりの収穫だったんだけどね。もう見せてもらったかい? メルト君の新しいダガー」
「勿論見ましたよ。あれは凄い剣でした。恐らくあれを超える剣にはそうお目にかかれないかと」
「本当だよ。もし可能なら……私の長剣も作ってもらいたいくらいさ」
そう言いながら、シュリスさんは腰に差していた、やや刀身の長い剣に手を添える。
そういえば……彼女が帯剣している姿を見るのは初めてかもしれない。
「剣士だったんですね、シュリスさん」
「そういえば儀礼用の剣以外をセイムさんの前で装備するのは初めてかもしれないね。そうだね、私は両手剣の中でも刀身の長い、細身の剣を得意としているんだ。私が扱えるギリギリの長さを計算して作っているんだ」
鞘からして、かなりの名剣なのが見て取れる。
綺麗な細工のされた鞘に収まる、刀身だけで一メートル以上はありそうな剣。
「じゃあ、果物買っちゃいますね」
俺は、どことなくマンゴーやパパイヤに似た果物を数個と、バナナそっくりな果実を購入。
更にスイカのようだが、模様が縦縞模様ではなく、横縞模様の大きな果実を購入した。
いずれも未成熟の状態で運ばれてきたのだろう、まだ少し色が緑色だった。
「その房になっている果物、それは中々優秀だよ。茹でたジャガイモに似た食感で結構お腹に溜まる。携帯食として食べる探索者が多いんだ」
「へぇ、いいですね。この国でも栽培出来たら良いですね」
「そうだね。コアの力で国の豊穣の力が高まっている。更にリンドブルム下層では新たなガラス温室が設置される予定だと聞いている。こういう優秀な食物はどんどん栽培を試してもらいたいね」
「なるほど……難民の流入も増えていますし、海外から訪れる人も増えるかもしれませんし、出来ることはやっておいたほうがいいですね」
そうして果物を購入し、俺達は一度ホテルに戻るのだった。
なお、シュリスさんは宿泊客ではないので、ホテルのロビーで待ってもらうことに。
流石、こういう部分の管理も徹底しているようだ。
「メルトただいまー。果物買って来たよ」
「おかえりー……」
悲報、お狐様、溶ける。
メルトが今度はうつぶせになり、手足をだらんと投げ出し、完全に脱力して潰れていた。
き、気持ちよさそうだ……尻尾まで思いっきり脱力している。
「たぶん、まだ完全に実が熟していないと思うけど」
「大丈夫よー……魔法でちょっと熟成を進めるー……」
「べ、便利だな……本当に凄い魔法だ」
言われてみれば、草や木の根を操作できる以上、果物もその操作可能範囲に含まれるのか。
「メルト、俺はちょっとシュリスさんのお父さんに会わなきゃいけないから、帰ってくるのが遅くなってしまうと思うんだ。晩御飯、一人で食べられる?」
「えー? ここのホテル、きっとお高いわよね? どうしようかなー」
「お金なら置いておくよ。どうやらホテルの外にも食べられる場所はありそうだけど……メルトは可愛いからね……一人でいると変な奴が寄ってくるかもしれない」
「本当に? 私可愛い?」
「うん、可愛い」
「そっかー……なら、今日はホテルで食べるわねー……お金はたぶん、間に合うと思うわ……」
本当に眠そうだ……あの酔い止め薬、あまり常用はしない方がよさそうだな……。
俺はメルトが必要ないと言っても、念のために大金貨を三枚、メルトのポケットに入れておく。
ポケットに手を入れた瞬間、パシっと掴まれてしまった。
「捕まえた……」
「捕まった。はい、お金一応入れておくよ」
「このベッド反則よー……ほんのりひんやりしていて、動きたくなくなるわ……」
「はは、今晩ここで寝るのが楽しみだよ」
「ちゃんと帰ってきてね? アワアワさんと番の儀式したらダメだからね……私、知っているのよ……番の儀式をすると『朝帰り』っていうヤツになるのよ……」
「その知識は一体どこから……」
「本で読んだのよー……『有閑マダムとイーストフィールド伯爵』っていう本……」
「な、なるほど……」
たぶん、官能小説的な本なのかもしれない。
まぁ情操教育の一環ということで……たぶん直接的な描写のない本だとは思うが。
「じゃあ、夜には帰ってくるよ。メルトもあまり早い時間から寝ると、夜眠れなくなるから気を付けるんだよ」
「わかった……もう少ししたら剣のお手入れするね……」
そう最後に言い残し、再びベッドで動かなくなるメルト。
非常に可愛らしい。動かなくても可愛いというのは、ある意味では才能かもしれない。
なんだこのフォックス!
……ともあれ、俺も儀礼服に着替え、ホテルのロビーに戻るのだった。
「おかえりセイムさん。……似合うじゃないか、そういう服装も」
「ありがとうございます。なんだか不思議な感じがしますね。俺だけこういう格好で、シュリスさんが冒険者風の格好なのが」
「ああ、これかい? 流石にこの辺りは温かいからね、あの格好は辛いんだ。無論、ダンジョンに入ることになるならいつもの装備になるけどね。街中を警らするだけならこの格好で充分さ」
「なるほど。じゃあ……夜までどうします?」
「そうだね、私も一度この島のクランハウスに戻ろうかな? そこで正装に着替えて時間を潰すよ」
「ああ、クランハウスとして存在しているんですね。場所を知っておきたいので一緒に行きますよ」
「勿論さ。ここのクランハウスは元々は酒場だったらしくてね、暇つぶしによさそうな遊戯室もある。そこで一緒に過ごそうか」
ほう、ということは本当に急遽決まったんだな、クランの派遣というのは。
元酒場の遊戯室となると……ビリヤードやダーツ、それにカードテーブルなんかもありそうだな。
……セイムとしての経験や記憶にも、しっかりそういった遊びに関わるものがある。
そして何よりも……俺自身ビリヤードはともかく、ダーツは得意なんですよ……!
少し楽しみにしながら、一緒にグローリーナイツの臨時クランハウスに向かうのだった。
事前に聞いていた通り、そのクランハウスはリンドブルムにあるような豪華なお屋敷ではなく、周囲に実際に営業中の酒場やレストランがある通りに唐突に存在する、やや大きめな建物だった。
酒場の名残である看板が取り外され、今は『グローリーナイツクランハウス』と書かれた小さな看板が設置されており、もしかすればちょっとした警察機構、保安官事務所のような立ち位置になっているのかもしれないと感じた。
「ただいま。午前の波止場付近の見回りを終わらせてきたよ」
「お、戻りましたか団長。さっき迎賓館の方から使いが来ていましたよ。晩餐会の日取りについて打ち合わせがしたいから、明後日の夜に来て欲しいって」
クランハウスに戻ると、すぐに団員の一人が報告してきた。
そうか、晩餐会の準備にも駆り出されているのか。かなり多忙だな、シュリスさん。
「お、セイムさんじゃないか! そんな格好してるから、どこの貴族様かと思いましたよ」
「はは、馬子にも衣装ってヤツですよ」
「謙遜しなさんなって。堂に入っていますよ、本当にどこぞの貴族の若旦那って風体だ」
「ははは、そうだったりしてね」
一応、設定的には元貴族ですから。
……最後まで『盗賊/剣士』のジョブで展開されるストーリーでは貴族に返り咲くことはなかったけれど、しっかり義賊として活動し、それが評価されるというストーリーだった。
数少ない『バッドエンドではないラスト』を迎えた組み合わせなのだ。
もうあのゲーム、バッドエンド風味な終わり方するジョブが多すぎて……。
「私は着替えてくるから、セイムさんは適当に遊んでいておくれ。遊戯室に案内してあげてくれないかい?」
「了解です。んじゃセイムさん、隣へ。今の時間は暇な連中もいますから、一緒にやりましょう」
「いいね、何があるのか楽しみだよ」
「よーし、これで俺の持ち点はジャスト〇だ」
「下ぇ!? またかよぉ! マジでつええ……次は持ち点1001だ!」
ダーツ、ありました! 正確には少しだけ得点の配置が違ったり、ゲームの種類も『ゼロワン』以外が有名じゃないようだが、まごうことなきダーツだ。
俺は数少ないネトゲ以外の特技だということもあり、はりきって無双状態を維持しております。
もうね、セイムの知識や経験、身体能力なんて関係ないですよほとんど。
「随分もりあがっているようだね。どうだい? セイムさんは楽しんでいるかい?」
「楽しむどころじゃないですよ……誰もセイムさんに勝てねぇんでさぁ……」
「全滅っすよ。俺達こっちに移ってから毎日遊んでるってのに……」
「いや悪いね、俺の故郷にも似たようなゲームがあって、俺の特技だったんだよ。年季が違うのさ、年季が」
もう自分の部屋にもニードルレスのソフトダーツセットを完備していたので……。
久しぶりにしっかり金属の針が使われている本格的なダーツを投げられて、若干テンションが上がっております。
「ほう、セイムさんは得意なのかい? なら次は私と勝負しようか」
「いいですよ、今は1001でもう一度やる所なんですけど」
「随分持ち点が多いね? 中々集中力が必要そうだ……」
いやぁ……こんなに楽しく遊べるのなら、メルトも連れてくるべきだったな。
明日当たりここで遊ばせてあげられないか聞いてみよう。
そうして、約束の時間になるまで、シュリスさんとダーツで白熱したバトルを繰り広げるのであった。
いや強いですねシュリスさん。危なく負けるところでしたよ。
「くぅ……ドレスじゃなければもっといいところまでいけたかもしれないのに」
「いつでも挑戦してください。じゃあ……そろそろですか?」
「そうだね、恐らく今夜の定期船で父が来る。迎賓館に向かうはずだから、私達も先に迎賓館に向かおうか」
さて、いよいよ恋人のふりとして御父上とご対面か……。
「セイムさん、事情は団長から聞いています。リンドブルムに残った副団長やレティの嬢ちゃんも知ってます。たぶん、下手したらクランを誰かに引き継いで、団長が引退するかもしれない案件なんす。だから、頼みます」
「ん。責任重大だね。分かった、最善を尽くすよ」
恐らく、ヴェール卿としては『必ず外国の貴族と婚姻を結ばせたい』という訳ではないのだろう。
自分の娘の立ち位置、国防の観点からしても、外部に渡したくない力なのは理解しているはず。
だが、貴族同士のしがらみで、形だけでもこういう場に娘を出さなければいけないのだろう。
……今日の挨拶、恐らくこちらが偽の恋人なのはすぐに見抜くだろうな。
問題は本番の晩餐会……そこでどう動くべきか……だろうな。
馬車に揺られながら、今後の動きについて、そして御父上にどう挨拶をすればいいか、そればかりを考えるのだった。
……どうして精神年齢がまだ高校生なのに結婚の挨拶みたいなこと考えないといけないんですか! もし御父上が『娘はやらん!』とかステレオタイプな態度を取ったらどうしよう……!




