第百七十話
「い、いざ乗り込むとなると恐いわね……だ、大丈夫よね? 沈まないよね? 私、泳ぐのって苦手なの。尻尾がね、お水を吸って重くなるの……! 本当に大丈夫!? ひっくり返らない!?」
ああもう可愛いなこの子は!
定期船に乗り込む間際になり、波止場で足を震えさせるメルトの頭をそっと撫でる。
「大丈夫大丈夫! 島はここから船で一時間のところだし、すぐ着くよ。それに船が沈むような海模様じゃないよ。こんなに穏やかだ。こんな立派な船、きっともっともーっと遠くまで余裕で行けちゃう船だと思うよ。だから島までなんて余裕だよ余裕」
「本当に? もし船がひっくり返ったら助からないのよ、きっと」
「大丈夫、救命ボートも積んでるし。ほら、あの小さい船。もしもの時はあれを使うんだ」
「備えているってことは……沈むかもしれないのね!?」
「大丈夫です。そもそもメルトの魔法なら……海を凍らせてその上に逃げられるんじゃない?」
「……あ! そっか、海も水だった。しょっぱいけど水は水ね! 試してみる!」
メルトの使う『自然魔法』は、自然界にあるものならなんでも操作出来てしまう。
無論、操作できる範囲やものに限度はあるのだろうが、これまで何度も水の状態を変化させて氷にしているメルトなら、たとえ塩水でも氷に変えられるだろう。
確か、冷気で凍らせているわけでなく、水そのものに働きかけて状態を変化させているのだし。
……これって機転を利かせると何でもできてしまうのでは……?
高温のスチームを噴出したりとか……シンプルに熱湯をぶっかけるとか……。
「凍ったー! これでもう安心よー!」
「お、じゃあ安心して乗ろうか」
いやはや、何事も初めての体験は恐いからね、仕方ない。
そうしてメルトに船の安全性、そして落ちた場合の対処も教え込み、船に乗り込んだのだった。
「おー……これってどうやって動いているのかしら……」
「ふむ……帆船だけじゃないね。かといって外輪が付いているわけでもない……たぶん、何か動力が船の後ろについているんじゃないかな?」
「ふむふむ……魔法で動いてるのね、きっと。凄いねー……こんなに広いなにもない海を移動しているなんて……」
「そうだねぇ。島までで一時間ってなると、隣に大陸に移動するとなると、どれくらいかかるんだろうね」
「ね! あ、そうだ。先にお薬飲まないと」
「お、酔い止め薬かい?」
「うん、齧って飲み込めるタイプなのよ。甘くない飴みたいな」
「ほほー、便利だね」
メルトは取り出した黒い丸薬を口に放り込み、ゴリゴリと噛み飲み込んでみせた。
水無しでいけるなら、確かに需要がありそうだな……。
『実際に効果を確認できたから、小瓶一つで金貨二枚』という話だったしな。
あの薬問屋の店主さん、どうやら本当に高値で買い取ってくれたらしい。
「島についたら、まずはアワアワさん……シュリスさんのところに行くのよね?」
「その予定だよ。たぶん、俺達より先に着いているはずだからね」
イズベルの街を先に出たのは俺達だけど、シュリスさんはその後リンドブルムに立ち寄ることなく、そのまま素通りで港町に行ったはずだ。
そもそもグローリーナイツの馬車って性能が良いって話だしな……なんでも、馬の数や馬車の質が違うのだとか。
休憩回数が少なくとも長距離を走ることができると聞いたことがある。
「アワアワさんの出る晩餐会? 私はやっぱり出られないのかしら……」
「難しいんじゃないかな。他国の人間をもてなす以上、相応の地位は必要だろうし、それこそ今回はシュリスさんクラスの人間が抜擢されるくらいなんだし」
「そっかー……」
やはりまだ心配なんだろうな……俺がシュリスさんと二人で出席することが。
「きっと……海の真ん中にある島だから、美味しいエビの料理とか沢山出てくるに決まっているわ……羨ましい……」
「……そういうことでしたか」
違ったようです。
航海中、海が荒れることはほぼなかった。
だが、聞くところによると天然ダンジョン『大地蝕む死海』が徐々に海底を侵食していってる関係か、この海域は全体的に渦潮が発生しやすくなっているらしく、時には船を航路から外し、大人しくなるのをひたすら待ったりしなければならないそうだ。
つまりそれだけ輸出入や人の搬送に遅れが生じ、更に漁の漁獲量にも直結する問題だというわけだ。確かに早急にダンジョンを制覇、休眠状態にして海の平和を取り戻したいのだろうな。
そうして一時間かけ、朝に出発した船が正午前に到着したのであった。
「……あっつい! おかしいわ! 港にいた時はまだ少し肌寒かったのよ!?」
「ほんとだ、気温がだいぶ高いね……大陸から西南に位置してるからかな?」
「うー……せっかくコート買ったのに……脱がないと無理よー」
島の気候は、完全に春そのものだった。
リンドブルムに近いほど環境の変化の恩恵が大きいと思っていたのだが、この島は例外なのだろうか? それとも、半ばレンディアが存在する『ダスターフィル大陸』の範囲から外れている関係で、元から大陸よりも温暖な気候だったのだろうか?
「これじゃあ次にコートを着るのは次の冬までおあずけねー……」
「はは……そうなりそうだね。用事が済んで港町に戻ったら、向こうももう完全に春になってるだろうしね」
残念ながら、フードから耳だけを出した可愛い状態のメルトは暫くおあずけです。
可愛かった……本当に可愛かった。まるで何かのマスコットのような出で立ちでした。
コートを収納魔導具に収め、船が港に到着するのを待つ。
島の様子は港町よりもさらに活気にあふれ、温暖な気候のせいもあってか、多くの人間が波止場で作業をしている様子が見える。
やがて船が停泊し、タラップが下ろされ乗客が下船していく。
その流れに乗り俺達も陸に降り立ったところで――
「ふー! 生きた心地がするわ! やっぱり人間、地に足を着けて生きないといけないわね!」
「なーに言ってるの。大丈夫だったろう? 船の上も」
「そうなんだけどねー? でもなんだかこう……喜び、大地の偉大さ、そういうのを実感しているわ……!」
「ははは……言わんとしていることは分かるけども」
さて、じゃあこのヤシャ島には冒険者ギルドはないって話だったし、探索者ギルドに向かうのは……シズマとして活動を開始してからで問題ないな。
なら、ひと先ずは長期の契約が取れる宿を探して、その後シュリスさんのいる場所を探そうか。
「メルト―、勝手にどこかに行かないで―」
「はーい! ごめんごめん、なんだか不思議な果物が沢山売っていたの、ついつい」
「ほほう、ここも海外から色々運ばれてきているみたいだね」
「あとで食べてみたいなー」
確かにこちらの市場を巡るのも楽しそうではある。
「じゃあ宿を契約したら、市場を見物して歩こうか」
「賛成! こっちにもエビって売ってるのかしらねー?」
ヤシャ島は主にダンジョンに挑む人間が多い関係か、島の半分を占めるのは街で、その更に半分を占めるのが宿だった。
無論、安宿から高級路線の、もはやホテルと呼んだ方が良さそうな場所まで千差万別だ。
俺達は余計なトラブルを避けるため、客層が良さそうな高級なホテルに宿泊することに決めた。
……本人は無自覚だけど、メルトってかなり目立つ容姿をしているからな。
美人と可愛いのまさに中間といった具合の顔に、美しくも神秘的な銀髪。
ちょこんと乗った形の整った狐耳に、髪と同じくらい美しく輝く銀の尻尾。
言動が幼いためか、そんな彼女の魅力が暴力的なまでに周囲に振り撒かれているのだ。
……今考えると、シーレとメルトの二人で行動をしていた時期や、セイラと二人で動いていた時期は、トラブルを意図的に引き起こそうとしていると思われても仕方なかったと思う。
「おっきー……ここって本当に宿屋さんなのかしら?」
「そうだね、ここはホテルって呼ぶんだよ。ここと契約しようか」
「わ、分かった……! ホテルかー……なんだかお城みたいねー」
ホテルに入ると、意外にも貴族風の人間よりも、凄腕の探索者、冒険者という雰囲気の装備に身を包む人間の姿が目立っていた。
もしかしたら俺と同じ考えでここと契約したのかもしれないな。もしくは、資金に余裕があるからこそ、休息の質にこだわっているのか。
「すみません、二人で一月、契約出来ますか?」
「二名様ですね? お部屋のタイプはツインとダブル、それ以上もございますが」
「ツインでお願いします」
「畏まりました。お食事は一階のレストランにて、別料金となっております。ただいまの時期ですと、一月の契約で……大金貨八枚となっておりますが」
日本円で四〇万か。このレベルのホテルに一月も泊れるのなら、十分安いと感じる。
それに……お金にはまったく困っていないので。
「それでお願いします。部屋にお風呂かシャワーはついていますか?」
「勿論でございます。ホテル利用者様限定のプールもございますので、ご入用でしたら水着のご購入も検討なさってはいかがでしょうか?」
「なるほど、考えておきますね」
そうか、ここまで温暖だと、もうそんなサービスまで始まっているのか。
……というかこの世界にプールとか水着とかってあるんですね。
「わー……すっごく贅沢ねー……」
「これもトラブルを回避するためだよ。見たところ、ここの利用者はみんな『弁えてる凄腕』ばかりだからね。トラブルは起きにくいと思ったんだ」
「なるほど……じゃあお部屋、案内してくれるみたいだから行きましょう?」
「おお……! ホテルマンさんまでいるのか……!」
昇降機で上階に案内された俺達は、その二人用の部屋の広さに驚きつつ、さっそくベッドに寝転がり、船旅の疲れをいやす。
……ベッドの弾力が心地いい!
「わー……ほよんほよんって跳ねるわ! すごいベッドね! ここならぐっすり眠れるんじゃないかしら!」
「確かに……これ、バネだけじゃないよな……まさかウォーターベッドだったりして……」
「ウォーター……? お水のベッド? むむ……確かに中に水の気配を感じるわね」
「マジでか! いやぁ……良いホテルを選んだね」
二人でお互いのベッドに仰向けになりながら、そんな会話を交わす。
完全にだらけきっております。
「このまま眠りたーい!」
「ははは……構わないよ、メルト。一先ず今日は俺達が到着したってシュリスさんに伝えてくるだけだからさ」
「うーん……じゃあお留守番していようかしら? 酔い止めの薬の影響だと思うんだけど、少し眠たいのよー……」
「はは……じゃあここで休憩していなよ。果物、お土産に買ってきてあげるから」
「うん、おねがーい……はー……このベッド、身体がとろけそうよー……」
幸せそうに目を細めて寝転がるメルト。
このままゆっくりさせてあげようと、俺は彼女に留守番を任せ、早速シュリスさんの居場所、グローリーナイツのヤシャ島の拠点を探しに繰り出したのだった。
「おっと!? セイムさんじゃないか! このホテルに泊まっているのかい!?」
「……外に出て早々に出くわすとか想定の範囲外なんですが……」
「む、私を探すところだったのかい? ……その、話は聞いているね?」
いきなりエンカウント! 本日は鎧姿ではなく、やや軽装な冒険者スタイルでした。
そんな彼女が、少しだけ頬を赤らめている。
その様子に、こちらも釣られるように顔が熱くなってきた。
これは断じて気温のせいではありませんね……。
「実はその、今晩私の父が島に到着するんだ。丁度良い機会だから、その……一先ず私の恋人という形で……紹介させてもらっていいだろうか?」
「な……いや、確かに今回は必要なことですし、ね。了解しました」
「いやぁ……面倒ごとに巻き込んでしまい申し訳ないね……今回だけ、初回だからね……ひとまず私が男連れだとアピールしておきたいんだ」
「心得ました。じゃあ……それっぽい態度で接しますね?」
「お、お手柔らかに頼むよ、セイムさん」
まさか、シュリスさんを探すどころか、いきなり結構なイベントに突入ですね!?
こりゃ下手なこと言えないぞー……。




