第百六十一話
三月一〇日。徒歩だということもあり、行きよりも時間が掛かったが無事にリンドブルムに帰還を果たした。
メルトが言うには『もしかしたら途中でたくさん馬車が通るかも』という話だったのだが、峠道に差し掛かったところで、麓のイズベル方面を見下ろすと、確かに馬車が大量に出てきているのを見かけたが、結局こちらに追いついてくることはなかった。
もしも交渉の余地があれば乗せて貰えないかと期待していたのだが、残念。
というのも、今回はイズベルからリンドブルムに向かう護衛依頼や乗合馬車が一つも出ていなかったからだ。
これについても『たぶんしばらくあの道を使う依頼はないんじゃないかなー』とメルトが言っていたが、何か知っているのだろうか? あれか、もしかしてイズベルに来たたくさんの人間の帰宅ラッシュ的なやつなのだろうか?
「なんだかんだ移動時間を含めたら一月半も離れていたのか……」
「そうねー、街がだいぶ落ち着いた感じに見えるわ」
「そろそろ暖かくなってきたし、農家の皆さんも準備で忙しくなるから、周りもそれに合わせて落ち着いたってところかな?」
「なるほど! 今年はいっぱい食べ物が穫れるのよね? この街の周辺だけじゃなくて国全部」
「そのはずだよ。でも同時に……冒険者も傭兵も忙しくなるだろうね」
浮ついた空気が薄れていたリンドブルム。だが、今度は国の生活を支える農家を中心に忙しくなっているのが道中で見て取れたのだ。
農具を運ぶ人間や家畜を引き連れる人間、中には新たに農地を広げる為なのか、柵の材料と思われる資材を運ぶ人間も。
国に豊穣の力が満ちたという話が真実として認められ、真の喜びと盛り上がりを見せるのは、きっと今年の夏の収穫シーズンや秋の収穫祭になるのだろう。
その時、この国がどうなっているのか今から楽しみだ。
「魔物の活性化だっけ? でもきっと大丈夫よ。少なくともゴルダはちゃんと成り立っていたと思うわ。きっとレンディアもうまくやっていけるんじゃないかしら」
「そうだね。……目を向けるべきは国内よりもむしろ国外、だろうね」
「そっかー……アワアワさんもそれで大変みたいだもんね……ねぇ、本当にアワアワさんと番にならないのよね? 真似っこよね?」
「そりゃそうだよ。俺はメルトの家族だからね」
「置いていくのはダメよ、もし誰かと番になるとしても。ちゃんと私も連れて行ってね」
「いやーそんな時は来ないんじゃないかな。メルトとずっと一緒にいるよ……さ、そろそろ人が多くなるから口調を戻すよ」
「分かった! じゃあシレント、冒険者ギルドに顔を出しにいきましょう?」
「ああ、そうだな。メルトは長期街を空ける届け出ていたんだろう? 帰還の手続きも必要だ」
「そうだった! セイムはどうしよう?」
「港への出発前にでもやらせるさ」
こういう面倒な部分も、みんなを召喚し意思を持たせられたら解消できるんだろうな。
……賑やかで、とても楽しそうだ。
俺は、意識の中の円卓でみんなと会話が出来る。メルトも、そういう大勢の仲間に囲まれた、なんというか……安心感、家族に囲まれているような感覚を味わってほしいのだ。
ギルドに向かいながら、そんな未来を夢想する。
総合ギルドの建物に入ると、これまで見たことがないくらい、大勢の人間で溢れかえっていた。
だがそれは騒ぎや緊急事態のようなものでなく、純粋に用事のある人間が大量に訪れているだけのようで、皆、整理券を手にして長蛇の列を作っていた。
「わひゃー! こんなに広いギルドなのに、人でパンパンね! みんな依頼発注窓口に並んでるみたい!」
「そのようだな。俺達は……冒険者の報告受付だからあまり並んでいないが、それでもいつもより多いな」
列に並び、前のメルトが帰還の報告をする。
どうやら今日も窓口の担当は、メルトのギルド登録を担当してくれたお姉さんだった。
……そういえばシレントもこのお姉さんが担当してくれたんだったな。
「次のかたどうぞー」
「俺だ。帰還の報告と、この後またしばらく留守にする。手続きがしたい」
「な! シレント様! 既に長期でリンドブルムを離れるとの報告は国からされていますが、また離れるのですか?」
どうやら俺が戦争に従事し、国を空けることはギルドにも伝わっていたらしく、俺は帰還の手続きと、またしばらく街を空けることを申請する。
これ、もうそのまま手続き無視で姿をくらませてもよかったんじゃなかろうか?
「手続きが完了しました。シレントさんが留守の間、随分と情勢が変わってしまいましたが……」
「全て把握している。そうだな……俺が戻ったとレミヤには伝えてくれ。借りがあるようだからな」
恐らく、これによりシレントの帰還はギルド長にも伝わるだろう。
スティルはギルド長のバークさんを警戒していたようだが、現状冒険者として登録している以上、こちらの情報は筒抜けだろうしな、これは仕方がない。
……あとでもしレミヤさんが接触してきたら、地下牢に捕らえられているはずのフーレリカがどうなったのか聞いてみないとな。スティルの読みが正しければ……逃亡しているはずなのだから。
手続きを終え、改めてギルドの様子を見る。
どうやら、この大量に依頼をしに来ている一般市民のほとんどが、服装や体格からして、農民のような外で労働をしている人間に見える。
今は間もなく春を迎える季節。というよりも、既に気温が上がり始めていることから、既に畑仕事が始まっていてもおかしくはないのだ。
もしかすれば、畑仕事や農場近辺の魔物退治の依頼をしに来ているのかもしれないな。
「シレントシレント、この後どうしよっか?」
「そうだな……一応、俺の帰還の報告はしたから、すべきことは『今は終わった』」
つまり、シレントとしては終わった、という意味だ。
それが伝わったのか、メルトが言う。
「なら、冒険者の巣窟の様子、見に行かない? シレントがいればきっと変な人も恐がって逃げていっちゃうわ!」
「なるほど。少々騒ぎがあったらしいからな。今は盛り上がっているとはいえ、何かしらの問題がまだ残っているかもしれない、か」
ルーエとして解決した、アンダーサイドを牛耳っていた『アビスファング』なる存在による、拉致や恫喝による治安の悪化。
一応解決は見せたが、何か問題が残っていないとも限らないからな。
「隊長!? シレント隊長ですか!?」
その時だった。大勢の人ごみで賑わう中だというのに、それに掻き消されることのない、一際大きなこちらの名を呼ぶ声が飛んできた。
何事だと声の主を探すと、人込みを掻き分けて一人の女性がこちらに駆け寄って来た。
確か……ネムリだ。以前、討伐隊で俺の小隊に組み込まれた、翠玉ランクの弓使いだったか。
「ネムリか。久しいな」
「お久しぶりです! ……ではなくてですね、ご無事だったのですか隊長!」
「む? 俺のことを誰かから聞いているのか?」
「あの戦争で、隊長が戦場に向かったのをバスカーから聞いた人がいましたから。その後の消息が掴めないことについて皆調べていたんですよ。そんな中、難民の中に隊長と思しき人間を見かけたという人もいて……真偽不明の情報ですが、きっと戦場にいたのは間違いないと。戻ってこないことについて、皆が心配していたんです」
「なるほど。しかし……たった一度任務で組んだだけの人間をそこまで気にするか? 普通」
「なにを言っているんですか! あの危険な任務を達成できたのも、強大な敵をまるで英雄譚のように打倒したのも、富を皆で分け合おうと言ってくれたことも、私達の心にしっかりと刻み込まれているんですからね! 隊長はいつまでも私達の隊長なんですから」
「その娘の言う通りじゃ。儂らはオヌシの圧倒的な『強さ』に心を打たれた者。既に冒険や戦いというものに飽いていた儂もまた、隊長殿の強さに滾るものを感じたんじゃからな」
すると、更にもう一人の人物が合流した。
彼は……確か、俺の小隊のパーティの一つにいた魔術師の老人だ。
名前は……残念ながら知らない。
「あ、イーストンさんだ! お久しぶりねー?」
すると、メルトが名前を知っていたのか、嬉しそうに話しかけていた。
そうか『イーストン』さんか。
「メルト殿、久しいのう。それにネムリ殿も。そちらは忙しいじゃろう?」
「お久しぶりですイーストンさん。ええ、連日農地の巡回依頼を受けていますよ」
「へー! やっぱり農作業がそろそろ始まるからかしら?」
「うむ。儂は最近冒険者を引退し、学者ギルド一本に絞っているのだが……なにやら、気候の変化に伴い、例年よりも早く農作業をしなければならないということで、農業を生業にしている人間は皆、てんやわんやといった様子。それだけでなく、農地の拡張を国が推奨しているのだよ。その補助として、冒険者や傭兵への依頼料が免除されているのじゃ」
「大丈夫なのか、それは。受注側やギルド側の不満が出そうなものだが」
「無論、全て国で補填しているようだ。儂が思うに、コアの噂は事実であり、ここで国費をばら撒いてでも、一挙に国を発展させたいのだろう。幸い、戦争に勝利したことでゴルダからの税収もあるからの」
「なるほどな。ならばこの騒ぎ、混雑具合も納得だな」
「そういうことじゃ。ふむ……隊長殿の帰還は正直、儂にとってはここ最近で最も嬉しい知らせじゃ。ここで終わらせるのは惜しい。そうは思わんか、ネムリ殿」
「そうですね! シレント隊長! あの時の隊の面々を可能な限り呼んで、帰還を知らせましょうよ! 私達本当に心配していたんですからね!」
「ぬぅ……」
「ねぇねぇシレント? 別に良いと思うなー。私も心配したんだから、きっとみんなも一緒よ?」
「……そうだな。ではイーストン、任せて良いか?」
「うむ、ネムリ殿も頼めるかね?」
「勿論です! 交流のある冒険者の皆さんもいますからね」
そうして、いつの間にか俺の帰還を知らせる話が、気が付けばあの時の隊の皆で冒険者の巣窟に繰り出すという話になっていたのであった。
……確かに俺が戦争に向かったのはキルクロウラーを通じて知られていただろうし、心配をかけたのは事実だもんな。そうだな、その埋め合わせも兼ねて、冒険者の巣窟に皆で飲みに行くのも良いな。どのみち、あの場所の様子は見ておきたいと思っていたのだし。
結局、総合ギルドにはあの討伐隊結成の任務で一緒だった面々が殆ど来ており、早速連中を引き連れて冒険者の巣窟へ向かおうとしたその時だった。
隣のメルトが俺の脇腹をつついてきた。
「ん?」
「シレント、レミヤさんがいるよ」
「お、そうか」
足を止め、彼女がいる受付の向こう側に声をかけてみる。
「レミヤ、今戻った。薬の件、感謝する!」
そう声をかける。すると――
「シレント様! シレント様ですか!!!」
猛烈な速さで、受付を縫うように駆け出し、この人でごった返しているフロアの中を、まるで人などいないかのような高速で目の前までやって来た。
「落ち着け、レミヤ」
「シレント様、もうお身体はよろしいのですか!?」
明らかに、いつもの冷静な表情ではなく、焦燥に駆られた調子で問うレミヤさん。
……物凄く心配させてしまったんだよな……スティルめ、余計に心を折るような真似をしたからだぞ、絶対これは。
「問題ない。薬の材料をセイムに持たせてくれたようだな。感謝する。この借りはいつか返そう」
「借りなどそんな……いえ、では……これからどうやら集団でどこかへ向かわれるようですね? 私も同行してもよろしいでしょうか?」
む、意外な申し出だ。
「飯を食いに行くだけだが? 俺の安否を心配していた連中がいるらしくてな、その詫びも兼ねて」
「では、私も参加する権利がありますね? ご一緒させて頂きます」
マジか! なんかこういう集まりに参加するイメージが全然なかったんですが……。
ともあれ、俺とメルトに加え、討伐隊に参加していた面々、そこに更にレミヤさんを加え、冒険者の巣窟へと向かうのだった。