第百五十六話
翌朝、相変わらず早朝に目覚めた俺は、今日の仕上げ作業の前に体を清めようと、この街の共同浴場へと向かう。
……知ってますか。嗅覚って一番鈍りやすいというか、自分の匂いに慣れてしまうので、実際には凄く臭くても気が付けないんですよね……。
そりゃ連日、火の前で汗だらけになりながら作業をしていたんだ、きっと臭い。
軽い水浴びだけじゃどうしようもないくらい汚れているに決まっている。
故に、番頭に料金を支払い、男湯へ向かうのだった。
「……考えてることも、状況も皆一緒か」
浴場に入ると、恐らく同業と思われる、筋骨隆々のいかつい男がたむろしていた。
身体の傷より腕の傷、火傷の痕の数からして、間違いないだろう。
ここでもしっかりかけ湯をし、全身の汚れを流してから浴槽へ。
「あ゛あ゛~~……生き返る……」
野太い声で吐いたセリフが、思いの外浴場に反響する。
が、それは何も特別なことでなく、似たような声がそこかしこで上がっている。
連日の鎚を振るう作業に、体中の筋肉に疲労がたまっているのは何も俺だけではないのだ。
皆、この湯の温度に疲労と凝りを溶かされているかのような声を上げていた。
「お、アンタ例の外からきた職人だろ? そうだ、仕事の進み具合は」
「ん? ああ……まぁ佳境に入ったところだ」
「早いな。何作ってんだ?」
まぁ、答えても問題ないか。
「魔剣を二本。それもとびっきりのヤツだ。悪いが……今回だけは優勝は俺が貰う。貰わないといけないんだ。少々訳アリってやつだ」
そう語る。訊ねてきた職人も、周囲にいた職人も、ごくりと喉を鳴らす。
宣戦布告だ。俺は勝つ。そして……心臓銀をメルトに与えるのだ。
まだ詳しいことは分からないが、薬ならば……きっと、いつか必要になると踏んでいるはず。
「言うねぇ。おめぇも魔剣職人だったとはな」
その時、新たに浴槽に入って来た、ドワーフの男性が近くに寄って来た。
「ほう、そっちもか。なら……案外、俺とお前の一騎打ちかもしれんな」
「そうなりてぇとこだが……まぁ、そうもいかねぇのがこの大会の難しいところよ。俺は去年、準優勝でな。優勝はどこぞの貴族がチーム単位で雇ってる、職人チームだった。ここ三年程はずっとあそこが優勝している」
「ほう? 資金も人員も潤沢なのか。そいつを否定するつもりはないが」
なるほど、一人で一本仕上げないとダメというルールはないのか。
なら、確かに万全の体制で挑むチームは強いのだろう。
「それだけならいいが、黒い噂もあるからな。素材の買い占めはもうされているが、中には妨害工作をしてるなんて噂もある」
「買い占めか。もし、ここにいる連中で不足してる素材があるヤツがいたら言え。俺は研究の為に種類だけは潤沢に確保してる。いくらか回せるだろう」
そう提案すると、男達が一斉に近寄って来た。
ムサい! マッチョメンが密集するのは絵面がムサい!!!
とりあえず提供できそうな素材はあとで渡すから、と工房の場所を伝える。
「ふぅ……じゃあ俺は上がるぞ。必要なヤツはあとで工房に取りに来い」
「あいよ! いやぁワリィな!」
「助かる! 丁度在庫切らしてたんだ」
しかしそうか……この大会、優勝することに想像以上の意味があるのかもしれないな。
妨害までして勝とうとする人間までいるんだから……。
「あ、シジマだ!」
「む、メルトか」
着替えを済ませ休憩所に出ると、同じく湯上りであろう、少しだけ尻尾に水気を含んでいそうな状態のメルトとばったり遭遇した。
「丁度良かった。メルト、もうそろそろ武器の仕上げにかかる。グリップを作る為にメルトの手を測ったりしたい。このあと工房に来られるか?」
「うん、いいよ! そっかー……ついに私の剣が完成するのね! きっとシジマ、優勝するようなすっごい剣を作ってくれるって信じてるわ!」
「任せろ。きっと……誰も真似できない、最高の逸品を作ってやるからな」
メルトを伴い、工房に戻る。
そういえば久しぶりだな、メルトが工房に来るのは。
工房の前に到着した瞬間、その異常に気が付いた。
仄かに漂う薬品の香りと、物の焼ける匂い。それは明らかに工房に誰かが侵入した形跡だった。
「メルト、武器を構えろ」
「うん」
まさか、俺が妨害の標的にされたか?
……最近、俺の存在が認知され始めたことがアダになったか。
扉を勢いよく開き、メルトが武器を構え突入する。だが――
「誰もいないわ、気配もない。でも……」
「ああ。完全に荒らされているな。置いてあった素材も大半が持っていかれてるな。それに……ギルドから借りている特別な機材が消えているな」
あの反応液を入れるのに使った浴槽が消えている。
魔剣作りの要になる機材だ。
「シジマ! どうしよう! シジマの武器、盗まれちゃったの!?」
「ん? いや、普通に全部収納して持ち歩いてるけど」
「あ……そっかー……よかったー……!!!」
「とりあえずギルドに報告だな。行こうか、メルト」
……噂の『集団で一本を仕上げる工房』の仕業か……?
「今年はお前さんのところが被害に遭ったのか……」
鍛冶ギルドに報告に向かうと、開口一番受付の人間がそう漏らした。
聞けば、こういった妨害は毎年のことらしく、俺が盗まれてしまった浴槽については、責任は特に問わないそうだ。
「しかしそうすると……シジマ、お前さんの魔剣作りはどうなる」
「もうブレードは完成している。グリップ回りだけ作れば終わりだ、問題ない」
「な……! 仕事がはええじゃねぇか。そいつは盗まれていないんだろ? ならあとは小さな容器でも対応出来るな。必要あるか?」
「ああ、あると助かる」
「待ってろ、その程度の大きさのヤツならアクセサリー作りのヤツがいくらでもある」
問題はない、と。
しかしムカつくな、その工房。『ゴルハー工房』という場所らしいが。
……かといって武力で解決するような案件でもないし、証拠もないからな。
なら、大人しく大会で優勝するしかないか。
「待たせたな、こいつが容器だ。工房はどうする? 引き続き同じところでいいのか?」
「問題ない。今日から門番も配置しておく」
「頑張ってくれよシジマ。正直、ああいうやり方、疑惑のある連中にデカイ顔されるのは腹が立つ。アンタは外部の人間だが……職人の魂を持つ熱い男だってのは知ってる。だからどうか見せてくれ」
「任せろ」
あれは俺じゃなく、シジマ本人の人格なんだけど、ね。
が、気に入らないのは俺も同じだ。
工房へと戻った俺とメルトは、すぐさまグリップ作りの為の採寸を開始し、最後の仕上げとして、もう一度グリップに必要な合金を生み出していくのだった。
「あついあつい……! もう脱いじゃう!」
「……男の人の前で脱ぐのは上着までにするように。シャツまで見せるのはやめましょう」
「えー! 私、ちゃんと『ブラジャー』っていうのつけるようにしたわ! シャツを脱いでもおっぱ……胸も隠れてるよ」
「下着は見せるものじゃありません」
「むぅ……」
グリップ用の合金を成形している傍らで、メルトが服を脱ぎだすのを咎める。
この子は……人間として成長はしていても、まだ女としての成長が十分じゃない……!
もう、シーレとしてそういう知識、常識をメルトに教えることも敵わないし……どうするべきか。
「よし、あとは彫金と反応液に入れるだけか……」
本当は、ブレードを反応液に入れる工程が残っている。このタイミングで容器を失ったのは大きいのだ。だが――もう一つ、俺には使えるかもしれない方法があるのだ。
「メルト。だいたいこのくらいの大きさ……メルトが今使ってるダガーが丸ごと沈むくらいのお風呂って、魔法で作れないかい?」
「うん? 出来るよー」
「それを、可能な限り頑丈に、腐食や変質にも耐えられるように、常に魔法で補強し続けることって出来る?」
「たぶん出来るわ。魔力を結構使うと思うけれど……お薬飲みながらなら?」
「はい、じゃあこれ飲みながらお願い」
俺は、久しぶりにアイテムボックスから、最上級の回復アイテムを取り出す。
かつて、新人冒険者三人組に飲ませ、瀕死の重傷を癒した薬だ。
「あ、すごい薬だ! いいの?」
「いいの。今から作るのは最高の剣だからね、出し惜しみはしない」
俺は、メルトの生み出した容器に反応液を流し込み、彼女に見えないようにブレードを沈める。
完成品を披露するまで、この武器の姿は見せないようにしているのだ。
「むむ……確かに容器が凄い負担掛かるね! 溶けるし……何か強力な魔力を感じるわ」
「やっぱりそうか。実はこの反応液……」
反応液に必要な最後の触媒。強力な魔力を秘めた物質。俺はそれに……リンドブルムの巣の本来のダンジョンコアの欠片……つまり『イサカの胸から奪ったコア』を使っている。
気味が悪いかもしれない。だが、確実にこの世界で成長した魔力ある物質の中では、一番の触媒になると思ったから。
人工ダンジョンで手に入れた暴走状態のコアは、あっちはあっちで人工ダンジョンの平定、再設定に使いそうだし。
「シジマ、口開けるから薬飲ませて」
「ん、了解」
メルトは両手を生み出した容器に添えたまま、ずっと魔力を込めている様子。
なので代わりに瓶をメルトの口に運ぶ。
なんだか、餌付けみたいで可愛いな、メルト。
「んく……んく……ふぅ、一回止めていいよ、ちょっと飲んだだけで凄く回復したわ」
「やっぱり凄い効能だなぁ……これ」
「ね! それに美味しいわ! 不思議な味がするの、オレンジとリンゴと、何かしらない果物の味。順番に味が何度も変わるの」
マジでか! そんな美味しいのかこれ。
「シジマ、反応液の色が変わって来たよ? それにシュワシュワ音もしなくなったわ」
「ん、もう終わったかな。じゃあメルト、一度反応液を捨てるから、中身を見ないようにね」
「ん! 目を閉じるわ!」
キュッと目を瞑るメルトが可愛いです。
反応液を捨て、中のブレードを見れば、黒くすすけ、模様もなにもない、ただ全体を炭で塗りつぶしたかのような状態になっていた。
それを粗目の布で磨くと、微かに輝きを放ち始め、そして刀身から金色の線が顔を出した。
これをさらに細かい目のやすりや布、研磨剤で磨き、油で仕上げの磨き上げを行えば……完成だ。
「よし、問題ないよメルト。残りのグリップに関してはギルドで借りた容器で間に合うからね、もう手伝ってもらうことはないよ」
「分かった! じゃあまた暫く工房には出入りしないね? でも……門番はどうするの?」
「ん? こうするの」
俺は、オーダー召喚でシレントを呼び出す。
……こうして傍から見ると、この威圧感は異常だ。そりゃみんな顔色変わるわ。
シレントは生産職でない為、指示できる内容に限りがある。
が、その一つが【門番】だ。
「シレント、門番を頼む。窓や扉から無理やり侵入しようとするヤツは気絶させてくれ」
「……」
シレントが静かに工房の外へ向かい、門番を開始する。
これでもう……この工房は鉄壁の守りを約束されたも同然だ。
「と、いう訳で、もう安心だよ」
「なるほど! ……やっぱりシレントは恐いね! きっとこれなら安心よ!」
メルトが工房の外に続き、シレントを観察しながらそんな感想を漏らす。
悪気はないのだろうが……今、一瞬シレントの表情が悲しげに歪んだ気がした。
そうして、メルトはそのまま工房から離れていった。
「さて……グリップとガードの作成と、黒化処理……磨いて組み立てたら完成、か」
まだ、時間に余裕はある。だが、俺は早々に完成させ、武器をギルドではなく、自分のメニュー画面に保管し続けるつもりだ。
提出は……当日で問題ないか聞いておかないとな。
その後、共同浴場で話した職人達が素材を受け取りに来たのだが、案の定門番のシレントを見て腰を抜かしておりました。
すんません、すっかり忘れてました……。
あ、安心してください。素材は盗まれていませんので。しっかりメニューに保管していたので。
その後、俺は最後の仕上げに入る。
門番をしているシレントは、一切の物音を立てず、静かな夜が続く。
そんな中、聞こえてくるのは『ゴリゴリ』という、硬い金属に彫刻を施す音のみ。
メルトの手のサイズに合わせて作ったグリップに、滑り止めの溝を掘り、さらに金色の、魔力伝導率の高い方の合金を模様のように埋め込み、刀身に魔力を伝える道として利用するのだ。
「……完成。あとはこの容器に沈めて……」
シュワシュワと泡と光を漏らしながら、反応液がグリップを変色させていく。
ガードにあたる部分も共に黒く煤けていき、目的の色になるのをひたすら待つ。
「……よし」
やがて、刀身、ガード、柄、柄頭の全てのパーツが完成する。
全て黒く煤けた、お世辞にも美しいとは言えないパーツ群。
だが、それを丁寧に磨き上げていく。
ヤスリや荒布、そして研磨剤を駆使し、丁寧に細部まで磨き続ける。
そして最後に、全体を植物性の油で薄く磨き込み、仕上げていく。
「……完成した」
出来上がるのは、ブラックメッキの二本のダガー。
まるで年輪のような層が刃に浮かび、さらにそこに金色の線が浮かび上がり、模様を形作る。
黄金が巻き付いたような装飾のされたグリップもまた、黒く輝き、神秘的な美しさを放つ。
思わず……この完成度に自分で呼吸を忘れてしまう程に。
「……鑑定してみるか」
俺は本来の姿、シズマの姿に戻る。
若干の眩暈と共に、鍛冶の知識がフィードバックされていくのを感じる。
だが、耐えられる。
「……凄いな……もうここまでステータスが上がってる」
体力 5581
筋力 1901
魔力 136
精神力 671
俊敏力 1755
【成長率 最高 完全反映】
【銀狐の加護】
【心眼】
【初級万能魔法】
【ウォリアーズハイ】
【食繋者】
【怪力】 ←New
【鍛冶】 ←Master
【演奏Lv3】
【料理Lv4】
【細工Lv8】 ←New
【裁縫Lv1】
【剣術Lv6】
【弓術Lv1】
【魔術Lv2】
【格闘Lv1】
【狩人の心得Lv1】
【学者の心得Lv1】
【盗賊の心得Lv1】
【剣士の心得Lv4】
【戦士の心得Lv7】
【傭兵の心得Lv2】
【舞踏の心得Lv4】
【聖者の心得Lv2】
【凶拳の心得Lv1】
【魔術の心得Lv2】
【星術の心得Lv1】
どうやら、以前は基礎スキルの【細工】しか習得できていなかったが、今回はしっかりと鍛冶仕事をしたので【鍛冶】を習得、更に完全に覚えたのか、Masterの文字まで追加されていた。
ステータスの確認を終え、いよいよこの完成した武器を鑑定する。
俺は進化したスキル【心眼】を発動させ、この完成した二本のダガーを視界に収め集中すると――
『双魔刃ノクターンライト』
『鍛冶職人のシジマとシズマの共同の作』
『非常に高度な技術で作成された絶大な魔力と切れ味を秘めた魔剣』
『魔力との親和性も高く使用者の魔法の発動を助ける』
『また属性付与を行うことも容易であり属性剣として扱うことも可能』
『膨大な魔力が漏れ使用者の魔力を徐々に回復し更に倒した敵の魔力を吸収する』
『ただ一人のためだけに生み出された至高の一対』
「……名前、勝手についてるな。でも……これでいいか」
闇夜の光。黒く輝く刀身に奔る、黄金の二筋。
流線形の刃からそのまま続くようなガードが、攻撃をいなすのに役立つはずだ。
そして、メルトの手にフィットする取り回しのしやすいグリップ。
武器の性能だけで、もうこれが至高の一言で済ませられないクオリティなのが分かる。
それに加え、魔法の発動媒体にもなる。それだけでもう、他の武器を圧倒するだろう。
魔剣というカテゴリになるらしいが、そもそも魔剣は貴重な存在だからな。
かつて、オークションでも魔剣が出品されたのを覚えている。
その時も、法外な値段が付いたはずだ。
「……こいつはしばらくメニューにしまって、あとは鞘を作って終わり、だな」
さて……大会の本番が楽しみだ。
俺の剣を前に……心折れるんじゃねぇぞ、ゴルハー工房。