第百四十六話
「もういいのか、ルーエ」
円卓ではない、暗闇の世界。どうやらここは、誰かが誰かを呼び出した時だけ来ることが出来る、精神世界の中でも特に気密性の高い空間のようだった。
俺は、この世界でルーエと二人、これまでの行動について話し合う為に彼を呼び出していた。
「本音を言えば……ずっと一緒にいたかったのう。じゃがそれはシズマをここに抑え込むことになってしまう。ワシはな、シズマとも一緒に旅をしたいのじゃ。リンドブルムを守るだとか、国の為だとか、そんなものは後付けじゃよ。メルトちゃんとシズマと、共にありたいと思ってしもうたのじゃ。これも……ワシが背負った物語の所為かもしれん。じゃが、本心なんじゃ」
「……そうか。安心しろルーエ。ちゃんと見つけてやる。召喚数を増やす方法も、心を宿す方法も」
この優しい剣聖に、心の平穏を、家族のぬくもりを思い出させたのは俺だから。
なら、しっかりその責任は取るつもりだ。
「そうじゃ、聞いていたかもしれんが、コクリさんがシズマに話があるようじゃったよ。さすがに今すぐは違和感があると思うが、たしかこの後はメルトちゃんの注文した鎧を受け取りに行くんじゃったよな? その後で良いから顔を出すと良いかもしれんの」
「了解。ひとまずセイムで行動して、その後俺本体で行動するよ」
「ふむ……ワシの我儘抜きに考えれば、優先すべきはセイムかもしれんな。意思を宿すとしたら」
確かに。この国で明確に地位を持ち顔が利くのはセイムだ。
セイムを国に残せば、こちらは自由に動き回れるだろう。
幸い、セイムは一番俺と考えがシンクロしているようだし、違和感も少ないはずだ。
「ま、何にしてもコアを追加で入手したり、心を表面に持ってくる方法を見つけたらじゃ」
「だな。じゃあルーエ、ここまでありがとうな」
そうして、暗闇の空間が徐々に薄れ、俺は岩の隠し扉の中で意識を取り戻したのであった。
「セイムの状態でこの地下通路を全力ダッシュしようかと思ったけど……せっかく西まで通り抜けるんだし、壁の異常がないかだけ調べてみるか」
あの爆発、イサカ達が逃亡する時の衝撃で、どこかが崩れているということはないが、ひび割れや歪み、そういったものがあるかもしれない。
まぁ、あれは北門側のことなので、正直東や西の地下はそこまで影響が出ていないと思うのだが。
そうして、やや早歩きをしながら、通路の様子を調べて進んで行き、結局異常が何も見つからないまま、俺は西の街道近くにある沼地、その近くにある地下通路の出口に到着したのであった。
「ふぅ……ここの出口って古い巨木の洞が出口になってるけど……そのうち動物とかモンスターの巣穴にされそうだよなぁ」
そんなことをボヤキながら、沼地を抜け街道を目指す。
どうやら、こちらの方も完全ではないがかなり雪解けが進んでおり、沼地もほとんど元のぬかるみ状態に戻っていた。
が、どうやらまだまだこの辺りでの採取任務や討伐任務は出されていないのか、冒険者の姿は特にみられなかった。
まだ少し雪が両サイドに残る街道を進む。
明日はもう三月か……日本だったら、暦の上ではもう春、なんだっけ?
この国も、春にはこれまでよりもたくさんの花が咲いたら、きっと素敵だろうな。
「イズベルの街か……どんなところだろうな。春になったら、他の街にも行ってみたいなぁ」
次の春に期待を寄せながら、俺はリンドブルムに帰還を果たしたのだった。
「な……なんか明らかに街が浮かれてる!?」
西門から戻ると、必然的に冒険者の巣窟に近い通りを通ることになるのだが、そうなると勿論、こちらの通りにも多少は飲食店が存在している。
それがもう、大量の客でにぎわい、さもすれば新年祭や建国祭に迫る勢いで盛り上がりを見せていたのだ。
「な、なにがあったんだ……」
俺は、道行く冒険者と思われる集団に、最近まで遠征に出ていたので、この街の状況に疎いのだと説明し、この盛り上がりの理由を訊ねてみた。
「ん? アンタ何度か見かけたことあるぜ。恐ろしく強い冒険者だよな」
「おっ、そうだな。兄さん確か、昔この近くで女冒険者三人をコテンパンにのした人だよな」
「三人に勝てる訳ないだろ普通。でも勝っちまったんだよな」
「はえー……すっごいって思ったよあの時も」
あ、最近あまり見かけていなかった三人組じゃないか。
何気に話すのは初めてだったな。
「で、何かあったんだ?」
「ああ! 聞けよ聞けよ! まずうちさぁ、貴族の知り合いがいるんだけど、そこで聞いたんだけどよ、なんでも天然のダンジョンコアが、この国にもたらされたってんだ」
「どうやらガセじゃないらしくてな、各方面からこの話が出始めてるってんで、もうこれは確定情報として、どの業種の人間もお祭り騒ぎなんだよ」
「しょうがないね。だって春には野菜がわんさか採れて、山菜だって大量だ。そうすりゃみんなこぞって採取依頼で食糧が出回り、酒場なんかは安い値段仕入れて、メニューを安くしても、この盛り上がりを聞きつけて他国からの客も増える見込みってんで、もう大喜びよ」
そうか! ダンジョンコアの事実が国民にもう知れ渡り始めたのか……!
それだけみんな、内心では不安だったんだろうな……。
「俺、春になったら故郷の村に一度戻るんだ。枯れた畑が元に戻るってんなら、そこの警備の仕事をするんだ」
「俺も田舎に一度戻って、村の様子を確認しにいかないといけないな」
「マジかよ……俺ここ出身なんだけど。俺を置いていくとかもう許さねぇからな……」
なんだか、この三人も楽しそうだ。
教えてくれたことに礼を言い、まずは自宅に戻る。
たぶん、メルトももう家に戻っている頃だろう。
「……俺も生で見たかったなぁ、化粧をしてドレスを着たメルト」
もう、精神世界で見ていた全員が大盛り上がりだったんですよね……。
まぁ元々大人しくしている時のメルトの大人っぽさは分かっていたんだ。
ある意味予想通りではあるのだが……それにしても限度がある。
いや本当綺麗だったな……。
少しだけメルトと再会するのを楽しみにしながら、愛しい我が家へ舞い戻るのだった。
「だめ! ここは全部エビの池にするの! お風呂になんてしないわ」
「いいじゃないか! 一カ所くらい野外風呂にしようじゃないかメルトくん! ほらほら、エビはこれだけ池があれば十分だろう? この辺りだけ浴槽にしてだね……」
「ダメよー! 何かの間違いでお湯が混じったら、エビさん死んじゃうでしょー!」
……泥だらけになりながらメルトとシュリスさんが口論をしていました、庭の片隅で。
……おかしいな、昨日は二人とも絶世の美女として晩餐会の注目の的だったのに……。
「何してるんですか二人とも……」
「あ! セイム、おかえりなさい!!!」
作業を中断し、メルトが駆け寄ってくる。
んー……やっぱりこうして直に見ると本当可愛いなこの子。
嬉しそうに抱き着いてくるのを受け止め、勢いを殺すようにその場で回転してみせる。
「メルト、レディがはしたないぞ? 昨日は凄く素敵なレディになって晩餐会で注目の的だったって聞いたのに」
「そうなの? ……注目されていたのかしら? でも変な人達はいっぱい来たわ」
ああ、黒服に連行されていった皆さんか。
「やぁ、おかえりなさいセイムさん」
「シュリスさん、ご無沙汰しています」
今度はシュリスさんもこちらにやってくる。
しかし、何故か両手を広げ、何かを待ち構えるようなポーズをしている。
「私はレディアだからね。飛び込むような真似はしないさ。さぁ、そちらが飛び込んでおいで」
「ではお言葉に甘えて……」
「な……じょ、冗談だよ」
「ははは」
いつまでも手玉にとれると思ったら大間違いですぞ。
そして本当にこの人の胸に飛び込む勇気は俺にもない。
「なんにしてもおかえり、セイムさん。やっぱり先日の発表に関係して街を出ていたのかい?」
「ですね。これ以上俺が目立つのは本意じゃありませんから。かと言ってあの発表に関係者が誰も出ないのは問題ですし、メルトを矢面に立たせる訳にもいかない。なので、別件でこの街に来ていた団長にお願いしたんですよ」
「ルーエ殿だね。正直、底が知れない人だったよ。シレントさんとはまた違う恐さがあった」
「えー? そんなことないわよ? ルーエは優しいおじいちゃんよ?」
はは、確かに優しいおじいちゃんなのは俺も認める。
だが……精神世界での一幕を俺は知っている。ルーエはまだ……己の強さに多少なりとも執着していることを。
いや、それともあれは『最強の称号を持つシュヴァイゲンの不遜な物言い』に腹を立てたからか。
安息を求め、平和を守ろうと動くルーエにとって、シュヴァイゲンは決して相いれない存在。
いや、ルーエだけじゃない。全員……シュヴァイゲンの『職業』とは因縁があるのだ。
そしてあの一幕で、この世界でもアイツは危険な思想を持っていることが確定した。
……永遠に俺の中で眠っていて欲しい存在ではある。それでも、消すとなると躊躇するけれど。
「それで、二人は結局何をしていたんです?」
「私はエビ池のお手入れをしたりしていたの。そしたらアワアワさんが遊びに来て、今日セイムが戻ると思ったからここで待ちたいって言ったの」
「そういう訳さ。ただ、池が沢山出来ているのを見つけてね、お風呂を一つ作るのはどうだろうって提案していたんだ。首を縦に振ってもらえないんだけれどね」
「ダメよー、お風呂の排水で小川の生き物が死んじゃうわ。川の方でもエビが繁殖してくれないと困るんだから」
「むぅ……それを言われると……小さい川だから無理かぁ……」
この人の風呂好きは筋金入りだな……。
「我が家のお風呂で我慢してください、シュリスさん」
「お、本当かい!? 実はね、もしかしたら入れるかもしれないと思ってお風呂セットは持ってきているんだよ。じゃあお言葉に甘えようかな?」
「おお……了解。じゃあ準備をしてきますよ」
「ふふふ、嬉しいねぇ……やっぱり違う環境のお風呂というのはワクワクするものだよ」
そうして俺は、彼女の為に風呂の用意をする。
……俺を待っていたということは、何か用事があるんだろうな。
池の整備を終えたメルトと二人、シュリスさんがお風呂から上がるのをリビングで待つ。
すると、メルトが何かを思い出したかのように――
「忘れてた! セイムセイム、私ね、昨日着ていたドレス、コクリちゃんから買い取っちゃった! もし何かあった時の為に!」
「おー! じゃあ今度着てるところを実際に見てみたいなー俺も」
「そうね、何か特別なことがあったら一緒に行きましょう、今度は」
楽しみが一つ増えた。
「そうだ、明日当たりからイズベルに向かう依頼を探さないかい? どうせ鎧の受け取りに行くなら、適当な護衛依頼でも見つけてさ」
「あ、そうね! 鎧のこと忘れてた! 向こうに着いたら街の中案内してあげるね!」
今後の予定を立てながら、お風呂の方から浴室の扉の開閉音が聞こえてきた。
そろそろ上がるのかな。なら飲み物の用意でもしないと。
「メルト、飲み物作ってあげようか」
「あ、そうね。じゃあコーラ! 私氷作るね」
コーラを作りながら思い出す。メルトの実家から、沢山の果実酒やシロップを持ってきたことを。
そして……お酒の中に混じっていた、得体のしれない瓶のことを。
「……あれも調べないとな」
コーラを作りながら、考える。
む、そろそろシロップがなくなりそうだ。
じゃあ今回はコーラシロップにレモンシロップを少し配合しよう。
「よし完成。メルト、氷お願い」
「はーい。一つ二つ……三つ。あれ? なんだかいつもと香りが違うね」
「シロップが足りなくなったから、レモンシロップを混ぜたんだ」
「え、なら新しく作らないと!」
「ああ、後で作っておくよ」
そう言うとメルトは『いますぐー!』と我儘を言うが、今はシュリスさんの話を聞かないと。
……材料、まだあるよな? スパイスとか買い足さないとまずいかも。
「ふー! 今上がったよ! いやはや素晴らしいね、まだ少し雪が残る森の景色を見ながら、身体は温かな湯に浸かる……これはなかなかの贅沢だと思わないかい?」
「確かに雪見風呂を家で楽しめるのは贅沢ですね。シュリスさん、どうぞ。我が家の風呂上がりの定番のドリンクです」
「お? これはなんだい? 黒い飲み物というのはコーヒーくらいしか知らないけれど」
風呂上りで仄かに肌を上気させている彼女にコーラ(レモン風味)を手渡す。
なお、俺とメルトはレモネードソーダです。
「アワアワさん、それ最後の一杯なの! 味わって飲んでね! すっごく美味しいから!」
「むむ、それは心して飲まなければいけないね。では……」
メルト、若干恨めしそうな表情をしているのは気のせいですか?
「んく……んく……ハー! 確かに美味しい! シャンパンのような発泡に爽やかでどこかスパイスが効いたこの味……確かに火照った身体にこれ以上のものはないかもしれない!」
「でしょー! 後でまたシロップ作るんだー」
「ふぅむ……これ、公衆浴場でも取り扱ってもらえないだろうか……」
「どうなんですかね? このシロップの考案者は、料理人ギルドにレシピを提出してるので、そのうち一般に広がると思うんですけど」
「なるほど……では期待して待っていようかな」
一息ついたのか、満足そうな表情でシュリスさんが椅子に着く。
……色っぽいな、風呂上りの彼女は本当に。
フレンドリー過ぎて忘れているけど……あの晩餐会での姿は、俺も精神世界で見ているのだ。
マジで美女。絶世の美女。姉妹揃ってレベル高すぎです。あんなん話しかける勇気なんて湧かないよいくら貴族の男でも。
「それで、シュリスさんは俺に用事があったんですよね?」
「ん、ああそうなんだ。ふむ……いや……その……なんというか……」
何やら言いにくそうだ。
「セイムさんが目立たないように立ち回っていると知っている身からすると、頼みにくいのだけどね? 実は近々、私達グローリーナイツは活動拠点を一時的に、ダンジョン島に移すつもりなんだ。この国の最後の天然ダンジョン、分かるだろう?」
「冒険者ギルドのクランなのに、向こうに行くんですか?」
「そうなんだ。それで……出来ればセイムさんにも同行してもらえると、私が個人的に助かるな、と……」
「と、言うと……?」
「正直、寂しい。拠点を移すなんて初めてで、友人がいてくれたら平気かもと思ったんだ」
な……! この人がそんなしおらしいお願いをしてくるなんて……!
が、しかし! もう予定があるので無理なんです!
「すみません……実は明日からメルトとイズベルに向かう予定でして……」
「そ、そうかー……いや、突然の申し出だから無理だとは思っていたんだよ。そうかイズベルか……今の時期は丁度いいかもしれないね」
「丁度いい、というと?」
「ほら、鍛冶コンテストがあるじゃないか。通称『カジコン』。年に一度のお祭りで、無名の鍛冶職人も、この祭りで成果を出せば、大手のクランや貴族、それに騎士団や商会にスカウトされることもあるんだ。それを見に行くんじゃなかったのかい?」
「いえ、メルトの注文した鎧を受け取りに行く予定だったのですが……確かに楽しそうですね」
ほうほう……それは普通に楽しそうだ。良さそうな品があれば購入するのもやぶさかではない。
なにせ……俺、凄い金持ちですから……!
「見ておいでよ。それなりに長期間留まることになると思うから、宿の契約をおすすめするよ」
「でも、そうなるとシュリスさんの方に向かうのが遅くなってしまいそうですが」
「いや、私がちょっと甘えてみただけだよ。実験的に、私が甘えたらセイムさんが動いてくれるかどうか試したかったんだ。どうやら、私は相当綺麗らしいからね。少し前にコクリ女史に『君が頼み込めば大抵の男は首を縦に振るだろうね』なんて言われてさ」
なんてこと教えてるんですかコクリさん。
……いやもし予定がなければ頷いていたけれど!
「よし、じゃあ話はこれで終わり! 悪かったね、変なお願いして。本当に気にしなくていいよ、ただ……そうだね、もし島に来るのなら、イズベルのお土産でも期待しようかな?」
「はは……期待しないで待っていてくださいね」
そうして、シュリスさんは身体が温まっているうちに家を後にした。
いやぁ……一瞬マジでドキっとしたのは内緒です。
あんな上気した顔で『寂しい』なんて言われたらもう……!
「セイム、島に先に行く?」
「いや、イズベルに行くよ」
「アワアワさん、たぶん本当に寂しいんじゃないかなぁ……」
「んー……たぶん大丈夫だと思うんだけどなぁ。それよりも、急に拠点を変えることになった理由の方が気になるかな……」
何か、ダンジョンに不穏な空気でも漂っているのだろうか……?