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第百四十話

 それは、悪夢のような光景だった。

 時は、今から五分ほど遡る――




『アビスファング』はリンドブルムにおいて、最も堅牢で手出ししづらい、鉄壁の守りを誇るアジトを構えていることで有名な勢力だ。


 アンダーサイドでの裏取引、所謂ブラックマーケットを取り仕切り、時には非合法な品も扱う、アンダーサイドでも更に『アンダーグラウンド』まさしく深淵アビスの名に相応しい行いをこれまで手がけてきた。


 故に地上における裏の顔役『カースフェイス商工会』とは危険度が段違いであり、その凶暴性もリンドブルム随一だとこれまで言われてきたのだ。


 そのアジトの中。

 メンバー達が語らい、遊び、飲み交わし、そして地上で起きたことを報告しあう宵の時間。

 そこでカード遊びに興じるメンバーに向かい、下っ端と思われる構成員が必死に訴え出ていた。


「本気でやばいんです、一緒にいたヤツが三人もやられちまったんです! ありゃ普通じゃねぇ! 今すぐもっと兵隊用意して、ぶっ潰すべきですって!」


「わあった、わあった。ったく……カースフェイスの見張りに今人員割いてるってのに、どこのどいつだそのジジイってのは」

「分かりやせん……だがもう何人か追跡に向かわせてるんすよ、なのにまだ戻らねぇんです」


 ゲームを中断し、部下の話を聞く上級構成員。

 が、カードの対戦相手はしびれを切らし――


「早く引けよ。おめぇもくだらねぇ報告で中断させれういなねよおえう……あえ?」


 対戦相手の呂律が、唐突に乱れる。

 舌の回らない男が最後に見た光景は、カードを持ちながら、驚愕の表情を浮かべる相手の姿が、ぐるりと百八〇度、天地逆さまになっていく姿だった。


 ……実際に逆さまになったのは、転げ落ちる男の首の方だったのだが。


「ひ! なんだ! おい集まれ! なにかが――あーがー……」


 転がるものが、一つ増える。

 アジト入り口付近のホールを、一人の修羅が無造作に歩く。

 誰にも確認されずに、人の間を縫うように歩いていく。


「……質が低いの」


 ルーエの通った後には、ただ無数の頭が転がるのみ。

 響く音もなく、ただ『ゴトリ』と頭が床を転がる音と、頭を失った体が床に、テーブルに倒れる騒音のみ。


 素早くもない、ただ歩いているだけで、死体の山が築かれていくという異常な光景。

 突然同じフロアにいる人間の首が、何の前触れもなく落ちていく様は、順番が後の人間にとっては、まさしく『悪夢そのもの』の光景だった。




「……上か」


 時は現在に戻る。

 この階には既に人間は残っていないと判断し、ルーエは静かに階段を上る。

 そこで変わらずに広がるのは、階下の惨劇に気が付きもしない、構成員による宵の宴。


 そこではまさしく酒池肉林、どこから仕入れて来たのか、沢山の食糧に――人間の三大欲求のうち『食と睡眠以外』を満たす為、どこからか『調達』してきたと思われる女性の姿もあった。


「おい! 早く次に回せよ! 新しいうちじゃないと楽しめねぇだろうが!」

「ぶはは! ちっちぇもんなお前! まぁ待てよ、今終わる」

「難民もこうして見れば悪くねぇんだけどなぁ!」


 外道の行為が随所で見られる中『様々な騒音』に紛れ『質の違う叫び』がそこに混じる。


「キャアアアアアアアアア!!!!」

「おいうるせぇぞ女!! 黙って腰振って――って――」


 命を生み出す行為の最中、命が散っていく。

 一人、また一人と男達の命が『転がり落ちる』。


「……驚かせてすまんの。着替えてここから逃げるのじゃ。地下にも国の騎士が巡回に来ている。助けを求めるのじゃ。出来るかの?」


 ルーエは、獣の如く獰猛な笑みを一瞬で掻き消し、出来るだけ優しい声色で、慰み者にされていた女性……多くは難民と思われる人間に、ここを出るように指示を出す。


「ひっ……!」

「……すまんの、ワシも男じゃったな。こんなジジイでも近寄られたくないじゃろ。すまんかった」


 顔を隠し、極力見ないようにしながらも女達を逃がそうとする。

 だがそんな最中、唐突にルーエは刀を振るう。


「お主は死ね」

「ガッ……」


 一人の女性が、唐突に息の根を止められる。

 頭と身体を分断され、床に血だまりを広げる。

 首を失った身体が無数に転がる空間が、まるで湿原のように変貌していく。


「こやつじゃろ? おぬしらを騙して連れてきたのは」

「は、はい……」

「んむ。では着替えたら急いで外を目指すのじゃ。少し歩けば巡回中の国の騎士もいるはずじゃ。無事、ここを抜け出すんじゃぞ」


 情事の狂乱に紛れていた、一人の女。

 その女から不穏な気配を感じていたルーエは、躊躇なくその命を絶つ。


 心音、呼吸音、視線の動かし方やその他『最中の言動』から、既に怪しんでいたのだ。

 そして救助した女性達が、どこかその女を恐れている様子だったことから、処断したのだった。


「あの……おじいさんは一緒に来てくれないのでしょうか」


「まだダメじゃな。上におるんじゃろ? この腐った組織を作った元凶が。ならばワシはそれを倒さねばならんのじゃよ。せっかく逃げてきたゴルダの民が、これからも安心して暮らせるようにする為にも。良いか? 全員、必ず医者に今日のことを申告するんじゃぞ」


「はい……助けてくださり、ありがとうございました」


 最低限の衣類を身に着け、地獄と化したアジトから逃げていく女性達を見送り、ルーエは更にその形相を怒りに歪め、怒気を全身から放ち始める。


「……外道が。楽に死ねると思うでないぞ」




 アジトそのものが巨大な基礎、土台である関係で、そこまで広い空間が存在している訳ではない。

 だが巨大故に、建造時に現場を移動する為に、土台の内部に小さな通路が幾つも用意され、通路が外に面している部分には増築されるように小屋が建設され、最上段に移動するまでに幾つもの空間が、構成員の待機所が作られていた。


 その全てで、ルーエの絶技が振るわれる。

 断末魔の声も上がらずに、首が落ちる前に次の首が切られ、一人目の首が床に転がる頃にはもう、既にそのフロアの人間が皆、絶命していた。


 冴えが、増していく。

 実際に技を使い、人を殺すごとに、ルーエの膨大な武の知識が身体に馴染んでいく。

 もはや、人が到達することが出来ない領域まで、ルーエは足を踏み入れていた。

 やがて――


「……二人か。一人は……娼婦か、はたまた被害者か……」


 刀を握る力が増す。

 アジトの最上段、恐らくボスの待ち受ける扉を、ルーエは静かに開く。

 情事にふけている為か、はたまたルーエの技量によるところなのか、扉を開け内部に侵入しても、それに気が付く様子のない男。


 歳の頃三〇過ぎ、どことなくシレントにも似た、荒々しい風貌の、筋骨隆々の男が、己の肉体と肉欲を、女体へとぶつけている最中だった。


「いいぞ……! 気に入った! この街には獣人が少ねえからな……! おら! もっと鳴け! 獣らしく鳴け!」


 その、苦しそうに鳴く姿は、どことなく『銀狐族』に似ていた。

 恐らく『白狐族』の娘は、鳴くではなく泣きながら許しを請う。


 ルーエは幻視した。その姿が、可愛い孫娘と一瞬、重なってしまった。

 故に――


「っ!」

「誰だてめぇ!」


 ここに来て、初めてルーエの一撃が、一太刀で全てを終わらせてきた斬撃が止められる。

 男の得物は籠手なのか、鋼鉄製のそれが、ルーエの刀を確かに受け止めていた。


「ほう、見えた訳ではなくとも気配を感じたか。優秀じゃな」

「なにもんだテメェ」

「通りすがりのジジイじゃよ……ちょいと邪魔だからここの連中を皆殺しにしている最中じゃ」

「な――」


 瞬間、籠手と腕の境目で腕が切り落とされる。


「ギャアアアアアアアアアアアア!!!」

「さて、お前さんが頭目で間違いないんかの?」

「殺す! コロジてやる!!!!」

「どうやってじゃ?」


 男の身体がベッドから転がり落ちる。

 身体を支えていた足だけが、ベッドに残されていた。


「質問に答えい。お前が頭目か?」

「が……あ…………」

「なんじゃい、ショックで死におったわ。根性が足りん」


 男は、唯一胴体に頭を残したまま、命を落とす。


「……娘さんや。他の女性の皆さんも既に避難済みじゃ。服を着たら案内するぞい」

「ぅぅ……ぅぅぅ……なんで……私が……なんで……」

「……すまんの、ワシがもう少し早く来ておったらのう……すまんの……」




 こうして、一夜のうちに、リンドブルムの四大勢力の一角が完全に壊滅した。

 無論、アジトにいなかった構成員もいただろう。だが、既に組織の九割以上の人間が死に絶え、頭目を失ったアビスファングは……誰がどう見ても壊滅状態だった。


「ほら、あそこに鎧の人がおるじゃろ? すぐに助けてもらいんしゃい。ワシはもう少しこの辺りを見回ってくるでのう」

「おじいさん……ありがとう……ありがとう……」

「くれぐれも、ちゃんとお医者さんに言うんじゃぞ。あのような外道の子など生みとうないじゃろ。……良いか、辛くとも自死だけはするでないぞ。必ず……必ず生きて生きて、今より良い生活を手に入れるのじゃ。もう、おぬしを苦しめる者はおらんからの……遅くなってすまんかったの……」


 獣人の娘を見送りながら、ルーエは一人後悔の涙を流す。

『なぜ自分はもっと早くこの状況を予想出来なかったのか』と。


『自分が酒盛りを始める前にもう、街の不穏な気配も争いの火種にも気が付いていたのに』と。

 もしかすれば、傷を負わずに済む人間を増やせたかもしれないのに、と。


「すまんの……諦めんでくれい……生きるのを諦めんでくれい……」


 小さく呟きながら、ルーエは一人、再びアンダーサイドの深部へと戻っていく。

 最後の仕事を済ませる為に――








 油断していた。浮かれていた。現状の不穏分子を理解していながら目先の欲を優先してしまった。

 自分が背負ってきた物語を思い出せば、ワシが本当に優先すべきことは他にあったはず。


 ワシの物語の最終目標は『故郷の安息』。

 その為に強きを挫く旅を重ね、悪しき為政者を成敗し、修羅と蔑まれながらもただ平和の為に武を振るい続ける、そんな物語だったはずだ。


 失った家族の眠る地を守る為、強大な諸外国に剣一本で挑む、そんな物語だったはずだ。

 それを、ワシは何を浮かれておったのか。

 再び得た家族に浮かれ、研ぎ澄ますべき刃と眼を曇らせただけではないか。


「……姿を見せよ。ワシは今少々機嫌が悪い。早うせんとここからでも殺す」


 アビスファングのアジト前の広場にて、ワシは物陰に向かい殺気を飛ばす。


「……どこの勢力かは知らんが、被害者が連れてこられるのを見逃したのじゃろう? ならば同罪じゃ。この場で詫びて死んでいけ」


 抜刀。放たれた剣気が、全てを切り裂き『風景をズラす』。

 全てを等しく両断し、壁も、地面も、分断されズレていく。


「……やりおる。防いだか」

「……言い訳はしない。だが一人で連中に仕掛けるには、今の私は少々背負う責任が多かった」


 物陰から現れたのは、ワシ意外ではこの国で初めて見る、刀を腰に下げた一人の男だった。

 ……そうか、この男か。


「カースフェイスの用心棒殿か。ここの連中を監視していたか」

「……私を知っているか。では、そちらもどこかに雇われた身か」

「否。彼奴らはただ『ワシの気に障った』。だから殺した。外道に明日を生きる道理はない」

「……そうだな。貴殿と敵対するつもりはない。だが……貴殿の怒りを受け止める責任が私にはあるようだ」


 名を、確か……『ガリアン・ガスフィルド』と言ったか。

 メルトちゃんが『私よりも明らかに強い人』と呼び、同時にセイムの姿であったシズマも『自分より強いかもしれない』と評した男。


 正解じゃ。どうやら、この人物もまた『人の領域から外れつつある者』のようじゃ。

 ワシの一撃を受け止めた以上、恐らくこやつは……この世界で出会ったどんな相手よりも強い。

 ……戦って負ける気は微塵もせんがの。


「では大人しく切られてくれるか?」

「……抵抗はする」


 視線が交差する。

 ワシの視線を真正面から受け止め、殺意に耐え、戦いになれば応じるという意思が伝わってくる。

 ……強いのう。この上なく、強い男じゃ。じゃが……それは技と体のみに限った話か。


「……外道でない者を斬るつもりはない。それに……心弱き者と死合うつもりもない」

「っ!」

「おぬしが『どこで折れた』かは知らんが、雇用主と身の振り方はもうちっと考えた方がええ」

「……御見それした。少々……考えることが出来てしまった」


 そうしてワシは踵を返す。

 どうやら、感じていた気配の主は、外道ではなかったようだから……のう。


「……帰るかの……メルトちゃんもレミヤ嬢も待っているからのう……」


 まだまだ、青いのう。

 おぬしも、ワシも――

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