第百二十七話
「では、ここまでありがとうございました」
「ありがとうございました!」
それから、二日がかりで俺達は国境の門に辿り着いた。
野戦病院で別れるはずだった荷馬車の御者さんが、善意で国境まで運んでくれたのだ。
国境を守る巨大な門。戦争の傷跡が刻まれ、今は半ば崩れ落ちてしまっている。
同時に、焦土の渓谷は消滅し、崖の下に続く道が途中で途切れてしまっている。
ただの大地の割れ目になってしまっていたのだ。
「へー……こんな風になっちゃうんだね、ダンジョン」
「そうみたいだね。大森林の方はまだいじっていないからそのままだったけれど」
「なるほど……国境の門、壊れちゃってるね」
「たぶん、このまま完全に取り壊すんだと思うよ。ここはもう……国境じゃない。ゴルダもレンディアの領地になるんだから」
「そっか。戦争って……そういうものなのね」
争いの歴史。戦争がどんな結果を残すのか。それに間近に触れ、俺もメルトも少しだけナーバスになりつつあった。
「不思議ねー……前にここに来た時はね、ゴルダ側の兵士に『許可証のないものは立ち去れ』って言われたの。その時は『人が広い自由な世界を旅するのに、どうして許可がいるんだろう』って不思議だったわ。でも、今ならそういう制度を理解できるし、そういうのがきっかけで戦争が起きるだろうなって分かるの。私、少し賢くなったわ」
「そうだね、この世界の成り立ち、社会構成にメルトが適応しつつある証拠だよ」
「ふふ、そうなのね?」
無知でいた頃とは、少しだけものの見え方も変わってきているのだろう。
俺も、少しずつこの世界が、地球での常識が通用しない、戦争が当たり前に、身近に起きる世界なのだと思い知ったところだ。
「さて、じゃあここからは徒歩で移動だね。まだまだ長旅になるし、無理な移動はなし、のんびり歩こうか」
「そうねー。でも少し寒いから、早めに野営の準備を始めた方が良いかもね?」
のんびりと、ゆっくりと、初めの場所に戻る旅路を続ける。
野営の時は、ついつい懐かしくなって『ピカタサンド』を作ってみたり、当時メルトが男装のつもりでローブのフードをかぶり、低い声を出していたことをからかったり。
そんな懐かしい話をしながら、野営を重ね、この旅を続けていく。
そんな徒歩の旅も三日目、ついにゴルダ領の村が見えてきた。
「メルト、念のためコートのフードをかぶった方が良いよ。耳は出さないように」
「うん、わかった! ゴルダだもんね……」
こういう住民の意識改革も、少しずつ進んで行くと良いんだけどな。
「……村、だと思ったんだけどな」
「うん、そうね……」
立ち寄った村だと思った場所。だが、そこはもう村と呼べる状況には見えなかった。
雑草や蔓のような植物が住居を侵食するように伸び、既にこの場所に人が住んでいないと判断するには十分すぎる程、自然に帰り始めていたのだ。
「村を捨ててレンディア側に避難したのかな」
「どうしてかしら? 雑草が伸びるってことは、それだけ大地に元気があるのよね? でもこの村、畑があった形跡がどこにもないわ……」
「そういえばそうだ……」
メルトは、村の様子を見ながら中に入っていく。
打ち捨てられた生活用品や、壊れかけの井戸、干されたままの洗濯物や枯れた花壇。
なんだか、ある日突然住人が消えたような、そんな印象だ。
「……セイム、ゴルダって獣人が嫌われているのよね?」
「うん、そう聞いたよ。中には商会で働いていた獣人もいたらしいけど」
「そっか。この村、たぶん獣人の村だと思うわ」
するとメルトは、干されたままの洗濯物を確認し、そう判断していた。
「たぶん獣人が隔離されていたのかしらね? 王都からまだかなり遠いけど、一応国の中にも住める場所があったのね」
「なるほど……そうなると、村に畑がないのもなんとなく理由に察しが付く、ね」
「どういうこと?」
「『獣人は無断で作物を育てることを禁ずる』とかかな。自活するのを禁じて、徹底的に労働階級として扱っていたんだと思うよ」
想像でしかないけれど。でも、獣人が自分達の力だけで生きられるようにするのを禁じていた可能性は高いだろう。そうでなければ、こんな辺境の村に畑がないことに説明がつかない。
行商人から買うのだって限度があるだろうし。
「この村、人が戻ってくることってあるのかしら?」
「きっと、戻ってこれると思うよ。もうゴルダじゃない、レンディアの領地になったんだから」
「そっか。じゃあ……いつでも戻ってこれるようにするね?」
そういうと、メルトは地面に両手をつけ、何やら魔力でも込めているのか、うっすらと光が広がっていく。
すると、家を侵食していた蔓や雑草が、見る見るうちに小さく萎んでいき、まるで逆再生のように雑草が地面に戻っていった。
数分後には、村全体の雑草や蔦が消え、少しだけ住みやすそうに改善されていたのだった。
「ふぅ……しばらくは家の周りに生えてこないと思うわ。村の外で成長するはずよ」
「……凄いね。こんな広範囲で使えるんだ」
「そうよー、自然の中なら、割と遠くまでお願いできるのよ」
「お願いか……なるほど」
それは、自然を支配下に置いているということなのではないだろうか。
もしかすれば、俺が思っている以上に、この自然魔法はとんでもない力なのかもしれない。
「これで、住人が帰ってきた時に家のお手入れの手間が少なくなるわね!」
「そうだね、きっと戻ってきた人、喜ぶと思うよ」
「よーし! じゃあ置手紙書いちゃお! 『村のお手入れしておきました。お礼は小エビでいいですよ』よし!」
「よしじゃないが」
「冗談よ? でもこれを残したら『きっと国の偉い人じゃない、善意の誰かがやったんだ』って思って、身構えないで済むかも?」
「うーん……まぁいいか。中央の広場に案山子でも立てて貼っておこうか」
もしかしたら、こういう小さな遊び心が、追い詰められた人間を救うことだってあるのかもしれない。
このちょっとしたおふざけを許し、引き続き俺達の旅路は続いていくのだった。
それから更に数日。
野宿を挟みながら、道中で大活躍するメルトの自然魔法に助けられながら、ついに俺達はゴルダ王都が遠くに確認できる場所まで辿り着いた。
「おー……遠くから見るとマジで城がなくなってるのが目立つなぁ」
「ほんとだ……ゴルダのお城がなくなってる……あれ、シレントがやったんじゃないのよね……」
「あ、うん。そうそう」
おっと、うっかりしていた。
あれをやったのは『謎の狂信者スティル』だった。
しかし改めて見ると……ゲームの広範囲技って現実の世界でやるとえげつないな。
確かに『ソラガオチルヒ』はゲーム時代、範囲攻撃としては魔術師の広域魔法にも匹敵する攻撃だった。
それで一国の城を一撃で完全に更地にしてしまうことを考えると……魔法の習得も考え物かもしれないな。ちょっと、範囲が広すぎる。
俺の持ちキャラにいる『レント』は生粋の魔術師だが、まだ育成を殆ど行っていないので、こういう範囲魔法は覚えていない。
これは今後育成するのが躊躇われるな……単体魔法に絞って習得するスキルツリー選びをするべきか。
って……この世界でキャラクターの育成ってどうやるんだ? メニュー画面からスキルツリー選択とかできるのか、これ。
「もっと検証とかしないとな……」
「なになに? 現場検証? 私知ってるわ、本で読んだことある。事件が起きると、探偵っていう人が、その場所を調べるのよ。お城の跡地見に行くのかしら?」
「ああ、違うよ。王都に近づくつもりはないよ、このまま大森林方面に行こうか」
「そっか。……きっと現場検証をしたら、スティルの力が分かるかもしれないわ……あんな大きなお城を、あっという間に壊しちゃうなんて……」
ははは……そうだよなぁ。
『スティル程度』でここまでやれちゃうと……最強キャラのあいつとかどうなるんだ……。
王都への道を逸れ、山が連なる自然豊かな道を進む。
この先が、夢丘の大森林だ。そういえば……こっち方面にも兵士が展開していたよな。
……あれ、もしかしてこっちってレンディアの兵士が制圧とかしていないんじゃ……?
嫌な予感を感じつつも、大森林に向けて行軍を再開する。
今度からは馬とか馬車、用意した方いいかもな。
馬車ってどこで買うんだろうか。
「メルト、もしかしたらこの先に……シレントで殺した沢山の兵士の死体が残ってるかもしれない。心の準備をしておいて欲しい」
「え? いっぱい死体を放置してきたの? それたぶん……魔物に食べられちゃってるかも」
「あー、そういう可能性もあるのか」
「うん、そうだよ。魔物による死体食いは、前にシレントと一緒に討伐依頼あったでしょ? あの時の事件みたいな大きな効果はないけど、人間の死体にもある程度は力の残滓が含まれているの。だから魔物が狙ったりするのよ」
「……マジか。じゃあ魔物が強力になってたりするのか……」
「そうかも……ちょっと気を引き締めていきましょう。もしかしたら、強くなった魔物が大森林に向かったかもしれないから。ダンジョンって、魔物を引き寄せる力もあるの」
「そうなのか……人工ダンジョンとは勝手が違うんだなぁ」
つまり、俺のせいでダンジョンの難易度が上がっている可能性があると。
「あと、ダンジョンに入る前に、その死体が沢山あった辺りの土地、浄化しておくね。これ以上魔物が寄ってこないように」
「浄化……メルト、そういう神聖な魔法も扱えたんだ?」
「え? 違うよ、浄化だよ。綺麗にするのよ。血とか食べ残しとか、そういうのって病気の原因になるのよ? だから私が自然にお願いして、大地の栄養になってもらうのよ」
あ、概念的な浄化じゃなくて、生物的な意味での浄化でしたか。
植物が死体や血を栄養に分解するのか……これ、何か他のことに利用できそうだなぁ。
その後、メルトの予想通り、俺がテントに隠していた大量の死体が見事に食い荒らされており、案の定テントの中はとんでもない悪臭に満たされていた。
メルトの魔法でテントごと草木の根に覆われ、後はこのまま数時間は放置するらしい。
「二時間もすれば勝手に根っこが消えて、残りはサラサラの砂になるはずよ」
「そっか。メルト、正直魔術師としてもやっていけるんじゃない? とんでもない魔法に思えるんだけど」
「うーん……でも魔法を使うととってもお腹がすくのよ? 今だってもうおなかペコペコよ?」
「そうなのか。はい、これあげる」
燃費が悪いのか。俺はアイテムボックスから『満腹サンドイッチX』という名前のアイテムを取り出す。
『満腹サンドイッチX』
『サービス開始5周年を記念して実装された特性サンドイッチ』
『公式サイトに投稿された現実世界のサンドイッチの写真とレシピの中から選ばれた』
『大賞受賞者“ニッシーヨッシー”の作』
これ、運営がことある毎にバラまいた食糧アイテムなんですよね。
低級ポーションと同じくらいしか回復効果がないけど、何気にスタミナ消費が数時間軽減される効果があるので『簡易美食家』として、結構需要があったりする。
……美味しそうなので俺も食べよう。
「わ! 大きい! いただきまーす!」
「俺もいただきまーす!」
分厚いサンドイッチ。挟まっているのは……ハニーマスタードチキンとサルサソース、それにアボカドソースに……チーズか。
確かに凄いボリュームだ。いただきます。
「……うっまぁ!?!?」
マジでか! ゲーム時代の料理ってこんなに美味しいものなのか!?
「美味しいわ……! 初めて食べる味よ! すごいすごい!!」
「確かにこれは止まらない……!」
二人で爆食。これ、美味しすぎるし量もあるし、最高の携帯食では?
俺、このアイテムもう7スタックあるぞ……有用だからって。
ちょっと中毒になりそうだから、これからは自重しよう。
「じゃあ、ダンジョンに入るよ。戦争前に色々設定したからね、今はもう休眠期間は解けているはずだよ。それでもメルトの家と里には俺とメルトしか入れないけれど」
「あ、そういえば……じゃあ、森を抜けて一直線で私の家に行く?」
「ううん、その前に……強欲の館、ダンジョンマスターの根城跡地を見に行きたいんだ。あの場所には……一応、俺の世界から一緒に運ばれてきた大きな道具が置いてあるんだ。あれの中身とかできるだけ回収しようと思ってる」
前回は時間がなくて放置したが、マイクロバスには現代の文明の利器が詰まっている。
それを悪用される訳にはいかないからと、できるだけ回収するつもりだ。
……マイクロバスって丸ごと収納できませんかね? なんか行けそうな気がしてきた。
「跡地……本当にアイツ倒したのね。それにセイム、シズマの世界の道具も気になるわ! じゃあ、まずはそっちに行って、その後私のお家に行こっか」
「そうだね、じゃあ道は……案内の必要はあるかな?」
「構造が変化してなければ、たぶん大丈夫よ。この大森林は私の庭なんだから」
「はは、確かにそりゃそうだ」
彼女にとっては、里帰りであると同時に、苦い記憶の残る地のはずだ。
だがそれでも、彼女はニコニコと、元気な足取りでダンジョンへと向かっていく。
さぁ……帰ろう、メルト。次に進む為に――