第百二十六話
「こちらが完成したコートでございます」
「わぁ! 素敵ね! 袖のもこもこが可愛いわ! ファーよね、ファー!」
「喜んでもらえて何よりです。ではお支払いは――」
新年の一月三日。
この日は、メルトと共に完成したコート受け取りに来ていた。
店員が支払いを求め、俺に請求書を手渡そうとするも、それを横からメルトが掠め取る。
「私が自分で買うわよー! ふむふむ……大金貨一枚と金貨三枚ね! お高い!」
「こらこら……そんなこと言うんじゃありません」
「ふふ、確かに当店は高級志向ですからね。しかし、それに見合う品質は保証いたしますよ」
「そうね! 縫い方がすっごく丁寧だし、生地も物凄く綺麗でしっかりしてるわ! 染色も均一だし……これ、鉱石顔料じゃなくて植物染料ね! たぶんエルパイアの樹液に……リサリアの花粉を反応させてるわねー?」
メルトがまた知らない単語を口にしている……! そうか……そういう植物由来の知識に関しては、メルトはガチで専門家並の知識があるんだな……。
「な……! これは驚きました……恐るべき審美眼です」
「はい、じゃあこれお金ね。早速着ちゃいましょう」
嬉しそうに、メルトが買ったばかりのコートに袖を通す。
水色のダッフルコートに、白いファーがあしらわれている、とても可愛いデザインの逸品。
確かに素人目からしても、丁寧なつくりなのが見て分かる。
「わー、暖かいわねー。肌触りも凄くいいわ」
「凄くよく似合ってるよ。はい、じゃあこれは俺からプレゼント」
俺は、前回来た時に購入済みだった品を店員から受け取り、メルトに差し出す。
実は、店員さんにお願いして、購入したものにファーの取り付けを依頼していた。
『ミトン手袋』と『マフラー』。こちらを追加加工してもらい、コートに合わせて贈るつもりだったのだ。
「わ! 嬉しい! プレゼント貰っちゃった!」
「本当はもう少し早かったら時期的にぴったりだったんだけどね」
地球のあれです。深紅に染まった装束を纏い、他人の家に侵入する謎の老人……!
この世界には似た風習がないんだけどね。
「よし、じゃあ買い物も済んだし、総合ギルドに行こうか」
「そうね! 久しぶりねー『向こうに行くの』って。乗合馬車とかあるのかしら?」
「んー、どうだろう。まだあっちへ向かうのには国の許可が必要なんじゃないかな」
俺達は今日、この国を旅立つ。
とは言っても、戦争が終結し、移動しやすくなったゴルダを目指すだけなのだが。
……夢丘の大森林。もう、あそこは俺達だけの領域になっている。
だからこそ、メルトは一度、自分の故郷を見に行きたいと熱望していたのだ。
だから、総合ギルドに『長期遠征届け』を出す必要があるって訳だ。
何気に、シーレはしっかりギルドに提出済みらしい。シレントはそんなもの出してないけどな!
セイムとしても出したことはなかったが、今回は明確に遠出、ゴルダまで向かうということで、この届出は必ず出さなくてはいけない。
ギルドへ向かいながら、今のゴルダはどうなっているのか考える。
王都は、血の海と化していた。死体の数だって数千はくだらない。
この世界には浄化の魔法があるとは知っているが、それにしたって限度があるだろう。
それに、王城の完全崩壊による国の不安定化に、残された貴族達の反発もある。
けどまぁ、俺達は別に王都に向かう訳じゃないもんな。大森林に向かうだけだ。
「なんだかたった数カ月しか経っていないのに、物凄い時間が経ったように感じるわね」
「同じこと思ってたよ。レンディアに来て……リンドブルムで暮らし始めて……」
「冒険者になって、色んなお仕事して。毎日がとっても楽しかったわ」
「ね、毎日新鮮だったよ。これからはリンドブルム以外の街にも行ってみたいし、もっと楽しくなるだろうね」
「ねー! まずは港町に行ってー……あ! セイム大変だ! 私、港町より先に東の街、護衛任務で行った街に行かないといけないんだった!」
メルトが何かを思い出したのか、焦ったように説明し始める。
「私、前の任務で向こうの鎧職人さんにおーだーめいど……? の軽鎧を依頼したんだった!」
「あー、そんなこと言ってたね、そういえば」
「受け取りに行かないとだから、里帰りが終わったらあっちの街に先に行けないかしら……?」
「構わないよ、俺も気になるしね、鍛冶が盛んな街だなんて」
確か『イズベル』という街だったか。
今回の戦争に向けて、確か大量の武具をリンドブルムに輸出していたとかなんとか。
……戦争、速攻で終わっちゃってかなり武具が余ったんじゃないですかね?
「いろんな場所に行く予定がいっぱいで、なんだか嬉しいね」
「確かに。不思議と面倒なんて気持ちが一切湧いてこないや」
きっと、この世界が楽しいから。
この生活が楽しいから。
かけがえのない家族である、彼女と共に歩むのが大好きだから。
そうして、無事にギルドに到着した俺達は、冒険者ギルドの受付に長期遠征の届出を提出するのだった。
「長期遠征の手続きですね? 差支えがなければどちらに向かうのかお尋ねしても?」
「元ゴルダ領地です。あちらにお世話になった方がいるので、この戦争でどうなったのか気になり会いにいってみたいと思いまして」
「あの……ゴルダ方面は今、神公国から全面的に立ち入り禁止のお触れが出ているのですが……」
「では、上の人に『セイムとメルトには許可が下りないか』聞いてみてください」
「ええと……分かりました」
恐らく通るだろう。正直傲慢な考えではあるが、もうこの国のギルドは、絶対に俺の要望を断れないのではないだろうか。
……初めは、こういう立ち位置にはシレントが収まるはずだった。だが、気が付けばセイムがその位置に収まり、極めて平和的に、ある種の特権階級にまでのし上がってしまった。
受付で待っていると、意外な人物が窓口に現れた。
「セイム様、メルト様。応接室をご用意しています。そちらで詳しいお話をお聞かせ願えないでしょうか」
「驚きました……了解です」
現れたのはレミヤさんだった。
受付には表れない人だと思っていたので正直驚きだ。
彼女の案内で二階にある応接室の一室に連れられる。
「レミヤさんって冒険者じゃなくて職員さんだったのねー?」
「ええ、そうなりますね。元々は傭兵でしたが、この街に来てから冒険者に転向、その後にスカウトされた形です」
「なるほど、そうだったんですね」
貴重な彼女の情報。そうか、元傭兵だったのか……。
応接室に通されると、すぐにソファに座るメルトと、どこか思いつめた様子のレミヤさん。
その二人の温度差に、少し居心地が悪いというか、何とも言えない気持ちになる。
「セイムさんもお掛けください」
「はい。……それで、どんなご用件でしょう。まさか遠征届けの為だけに連れてこられた訳ではないんですよね? 俺達はもう、しばらくは国やギルドからの依頼を受けるつもりはないと女王陛下にはお伝えしています。そちらにも伝わっていると思ったのですが」
この人は油断できない。ある意味では、バークさん以上に。
だが、彼女が話し始めた内容は――
「セイムさん、コクリからお話は聞きました。シレント様は……生きていらっしゃるのですね?」
「ああ、その件でしたか。はい、シレントは重傷こそ負いましたが、生きています。今は旅団の本隊に合流し、治療に専念していますよ」
「よかった……本当にご無事だったのですね……」
それは、シレントを案じる内容だった。
この場所に案内したのも、シレントの生存を他の人間、バークさんを含めて誰にも聞かれないようにする為だったそうだ。
薄々勘づいていたんだけど、レミヤさんってシレントのことめちゃめちゃ気に入ってない? 恋愛感情……ではないと思うけれど、冒険者としての信頼以上の感情を抱いているように思えるのだ。
彼女も元傭兵ということが、何か関係しているのだろうか。
「シレント様が、異世界の勇者だということも聞いています。セイムさんもやはり、その話は知っていたのですね?」
「ええ。シレントと同じく、シズマという青年も預かっていますから。二人とも異世界の勇者候補として召喚されたそうです。シレントはゴルダ国で教育を受けている最中に不信感を抱き出奔しました。そして先にゴルダを怪しみ逃げ出していたシズマと合流し、その後旅団に参加したんです」
「……あの、お二人の長期遠征届けなのですが、もしや旅団に一時的に戻る為ではないでしょうか? もしそうなら……シレント様に渡していただきたいものがございます」
すると、それこそが本題だと言わんばかりに、レミヤさんは持っていた小包をこちらに差し出してきた。
「ギルドではなく、私が個人的に保有していたエリキシル材の原料です。そちらには優秀な錬金術師であるメルト様もいらっしゃいます。どうか、シレント様の治療にお役立て頂きたいのです」
「な……そんな、シレントは時間こそかかりますが、このまま治療を続ければ完治しますよ」
「それでもです。これは、私の気持ちなのです。どうか、お納め頂くことは出来ませんか」
その小包を突き返すなんてことは、俺には出来なかった。
普段はクールに振る舞っているけれど、この人が本当は情に厚いのは……スティルとのやり取りで知っているから。
「分かりました。こちらを受け取ります。後日、旅団の方で調合、出来上がった品をシレントの治療に役立てることをお約束します」
「ありがとうございます。それでは……元ゴルダ領への移動ですが、私の方から許可を出しておきます。ですが、王都では今も一部貴族が残った国軍をかき集め、私兵と共に抵抗を企てているという報告もございます。くれぐれも、王都に立ち寄る際はお気を付けください」
「そんなに抵抗が激しいのですか?」
「いえ、武力鎮圧だけならば容易です。しかし、女王の意向で、なるべく血を流さないように、と」
「なるほど。シレントがいたら鼻で笑うかもしれませんが、戦争が終わった以上、血はもう流したくありませんからね」
「ふふ、そうですね、笑われてしまいそうです。現在、向こうの国にいる私の同僚が、首謀者の貴族を捕える為に動いているはずです。程なくして鎮圧されるとは思うのですが」
「なるほど。とにかく了解です、元々王都に向かう予定はありませんしね」
これで、ゴルダに向かうことが出来る。
ギルドから正式に通行証を発行され、これで俺達は問題なく国境を抜けられるそうだ。
「私、優秀な錬金術師だってさ! 照れちゃうわね、ギルドにも所属してないのに」
「でも実際、この街の誰よりも知識は勝っているんじゃないかな?」
「うーん……そうかも?」
応接室から一階に戻りながら、先程のレミヤさんとの会話を思い出す。
シレント以外の話題は特に上がらなかったな。
……でも、俺は知っている。スティルが調べ予測した通り、地下牢に閉じ込められていたはずの襲撃者『フーレリカ』が逃亡したことを。
だが、それが大きな騒ぎになっていないことから言って、事件そのものが『起きなかった』とされているのではないか?
しかし、ギルドの職員はそれを知っているはずなのだ。無論、レミヤさんも。
なにせ、スティルはこの話を、ギルドの受付嬢から聞き出したのだから。
……アイツ、結構あちこちから情報仕入れていたみたいですよ。
半ばナンパみたいな方法で色んな女性から話を聞いていたみたいです。
流石、顔だけなら自キャラナンバーワンのイケメン。
「さて……国境までは馬車が出ているらしいから乗せてもらうことになるけど、そこからは徒歩になるね。野宿もすることになるだろうけど大丈夫?」
「大丈夫よ! 私、野宿の達人だから!」
「達人って……ま、それもそうか」
国境には、今も野戦病院が残されている。故にそこへの物資の搬送が行われているのだ。
殆どの患者は既にリンドブルムまで搬送されているが、まだ移動に耐えられなさそうな人間はあそこに残っており、同時にゴルダの兵士達も、スティルに治療された後はあの場所に捕虜として残されていると言う。
恐らく、抵抗している貴族に対する切り札になるのだろう。
こういう戦争って、手柄を求めて貴族の次男や三男が参戦することも多いって聞くし。
こうして見ると、まだまだ戦争が完全に終わったとは言えないかもしれない。
こんな短期間で終わった戦争ですら、ここまで爪痕が残るのだ。もし、本格的な開戦となっていたら、どれだけの人間が犠牲になり、二次被害が出ていたことか。
そう考えると、シレント……そして戦力を派遣した旅団、セイムの功績は計り知れないモノがあるのだろう。
「さ、馬車が来るまでのんびりしていようか」
「そうねー。なんだか不思議な気分。こうして、ここで向こうに行く馬車を待つのって」
「そうだね、まるっきり逆だもんね、初めて来た時と」
「こういうの、感慨深いって言うのよね。感慨深いわねー」
「そうだなぁ」
メルトは、半ば諦めていたのだ、里帰りを。
それでも、もしかしたら焦土の渓谷を制覇した俺と一緒なら可能かもしれないと、僅かな希望を抱いていたのだろう。
それが叶うのだ。きっと、言葉以上の重みが秘められているんだろうな。
「あ! リッカちゃん達だ! ちょっと遠出してくるって教えてくるわね!」
「了解。行先は適当に誤魔化しておいてね」
「もちろんよー」
俺だけじゃない、他の人間との繋がりも、彼女には出来た。
人の社会に、彼女はしっかりと組み込まれている。
それが、嬉しい。なんだか勝手に保護者みたいな感想を抱いているけれど、それが嬉しいんだ。
「……まずは振出しに戻る、か」
次の行き先を決めるのに、始まりの場所に戻るなんて、なんだか少し詩的じゃないか。
柄にもなく、そんなことを考えながら、ぼんやりとメルト達の姿を見つめていたのだった。