第百二十二話
闇の中。ここが現実なのか、そうでないのか、私には判断がつかなかった。
自分が眠りに選んだ場所の所為だろうか。ここは、あまりにも光が届かない場所だから。
だが……あの方が現れたことで、ようやく私は『ここ』が夢の中、いや、精神世界の中なのだと合点がいった。
「ああ、主。やはり私をここに呼び出すことが出来ましたか」
「……お前、今日まで一睡もしていなかっただろ。俺に呼び出されるのを恐れたか?」
主が、怒りを込めた声色で私に迫る。私を責める。
「そうですねぇ……途中で止める訳にはいきませんでしたから」
「……確かに俺はお前の策に乗った。けどメルトを不必要に傷つけたな? 覚悟は出来ているんだろうな?」
「不必要……いいえ、必要でしたよ。少なくとも……私の真の目的は彼女を傷つけること――」
その瞬間、一瞬意識が飛ぶ。精神世界だというのに、私のこめかみを正確に打ち抜く主の拳によって。
……甘んじて、この罰を受け入れよう。
「……お前、俺がお前の考えを読めないとでも思ったか?」
「ははは……お見通しだとでも?」
「……質問を変えてやる。『お前はちゃんと、自分を狂人だと認めることが出来たか?』」
瞬間、頭に氷の釘を差し込まれたかのように、痛みと冷たさが襲い掛かる。
……この年若い主が、私の考えを一瞬で読み取ったことに、畏怖の念すら抱きながら。
「嫌になってしまいますねぇ……賢過ぎる主というのは……」
「俺だって嫌だよ。一番近づけたくなかったお前が『一番俺と周囲のことを考えてくれていた』なんて」
「……まぁ、最初に言っていたじゃないですか、シーレさんが。『一人くらいは自由に好きなことが出来る、非合法な立場でいられる人』がいた方いいと」
「だから、お前は自分を犠牲にした。全てのヘイトを自分に集め、そしてシレントを始めとする旅団の人間全体の脅威度を下げる為に。この世界で暗躍する人間達が皆、お前一人を警戒し、俺やメルト、周囲の人間に魔の手が伸びないように今回の策を考え付いた」
そうだ。主は分かっていなかったのだ。本当の狂信者達は、平気で人を殺すし、無関係の人間も巻き込むし、幼い子供がいればそれを人質とするし、恋人がいればその躯を掲げ心を折りにかかる。なんでもするのだ。
旅団という正体不明の、実態の掴めない強大な力を持つ組織。
それを潰そうと思ったら、真っ先に狙われるのはあの娘さんを始めとした『実態の掴める手近な関係のある人間』なのだから。
主は分かっていなかった。一つの勢力が国に対してあまりにも大きな貢献をすることの危うさを。
強力過ぎる力を大量に保有する危うさを。
本当に旅団が実在し、多くの人間が同時に動くならそれでもよかったのだ。
だが、主は一人しかいない。一人の力では周囲を守り切れない。
それを、分かっていなかったのだ、主は。
「だからって『お前一人を犠牲にする』ことを俺は反対した。もう二度と表に出るつもりがないにしろ、それでもお前が憎まれ、危険視され続け、全ての悪意を一身に引き受け続けるのを俺は認めたくなかった」
「ですが、現状これしか手段はありませんでしたからねぇ」
「で、お前はそのついでに『確かめようとした』んだ」
……無断で心に踏み込んでくる。だが、主を拒む術を私は持ち合わせていない。
答え合わせでもするように、私の内心を主が暴き始める。
「……途中まではしっかり楽しかったんだろ? 不必要とまではいわないが、あんなに他人を傷つけたんだ。いや、案外それも計算のうちか? お前、どの勢力も信用していなかったもんな。出来るだけ多方面にケンカを売って自分にヘイトを集めていたんだ」
「まぁ多少個人的趣味もありましたがねぇ」
「……で、お前は最後の仕上げにメルトを傷つけた。それで『自分が満たされるのか確かめる為に』」
「……」
そして、私は自分が満たされていないことに気が付いてしまった。
いや、そもそも途中から感じていたはずだ。
『これ以上言ってはいけない』『この娘をこれ以上傷つけては自分の心が持たない』と。
だから私は逃げたのだ。認めたくなかったのだ。
自分の性質が、所詮創造主に作られた仮初の性質なのだと知りたくなかったから。
だが、私は自分の性質を強く理解出来るようになってしまった。
「シーレも言っていたけど、お前達キャラクターの設定、ストーリーについての理解が深まったんだよな、俺が成長した影響で。それで知ってしまったんだろ?」
「……ええ、私は狂人などではなかったのだと。所詮、ストーリーに沿うように作られただけなのだと。いえ、皆分かっているのですよ。自分達は所詮ゲームの存在。都合の良いストーリーを背負わされただけなのだと。だが、それでも私は自分を狂人だと思いたかった」
「が、実際はそこまで狂っていなかった。演じてみても、なりきることが出来なかった。まぁ結構いい線いってたよ。メルトを傷つけたのは今でも許せないけどな」
「……飴を渡しておけばなんとかなると思ったのですがねぇ」
「そんな訳ないだろ……で、お前は結局『この場所で眠りについた』それが全てなんだよ」
「……その通りです。きっと、私は軽くうたた寝をしている程度です。すぐに……行動してください、我が主」
「分かった。……お前の行動全てを許すつもりも肯定するつもりもない。けど、それでもお前の提案を飲んで良かったと思っているよ。これで、謎の第三勢力として、暗躍してる連中の注目はお前に向く。もう存在しないはずのスティルという狂信者に注目が集まる。ありがとう、スティル」
嗚呼……その言葉だけで私は報われてしまう。
もっと叱責を受けると思っていたのに、拳一つ受ける程度で貴方は許してしまうのですか。
「……いつか、メルトに直接謝る気はないか?」
「ありませんよ。私はどこにも存在しない狂信者のままで良い。せっかく全てのヘイトを集めたのですから。ヘイト管理の大切さは、貴方が一番よく分かっているでしょうに」
「まぁな。タンクって使ったことないけど」
「『アレ』を使っていたではないですか。いえ、主自らも今現在『回避タンク』ではありませんか」
既に、主はかなりの強さまで来ている。少なくとも……私では勝てないですねぇ。
何せ主は『私の特別』ですから。スキルの効果も激減してしまう。
「あー……『アレ』は一発ネタだしなぁ……」
「もし、この先で誰か一人『旅団の責任者』が必要になる時が来たら、『アレ』を使うといいでしょう。外見的に丁度いい」
「ん、そうだな。……ちょっとこの場所も揺らいできたな。そろそろ目覚めるのか?」
「ええ。では……この身体、お返しします」
「あいよ。セイムに変えておいてくれ」
「了解。ええ、そうですね。それが一番良い」
私の『狂った演技』はこれにて終い。
少々名残惜しいですが、疲れてしまいました。
ああ……最後にもう一度、あのカフェで紅茶を飲めばよかったですねぇ。
北門近くのカフェ……あちらはあまり美味しくありませんでしたから……。
微睡の中、私はメニュー画面を操作する。
さぁ……おかえりなさい、我が主――
いつか一緒にお茶でも飲みたいものです――
「……ここは、あの岩の中だよな」
闇。一切の光が入らない、家の地下に続く、山の中にある隠し扉の中。
ここを通れば、最速で自分の家に戻ることが出来る。
それはひとえに……スティルが『早く帰ってメルトを出迎えろ』と言っているに等しい。
「……王国側の研究資料に……大量の金銀財宝、お土産としてこれ以上のものはないな」
メニュー画面を確認する。随分と『光り輝く聖なるべっこう飴+15』が減っている。
……これ、飴の癖にポーションより遥かに回復効果が高いんだよな。
『光り輝く聖なるべっこう飴+15』
『聖別された特殊な白樺から採取された樹液を元に作られたべっこう飴』
『HP断続回復効果に加え睡眠混乱誘惑といった精神系状態異常を完全に防ぐ』
『溶けにくく一粒で長時間楽しめるお買い得仕様だがそもそもの値段が高額』
いや、飴だけじゃないな……他の残り数が少ないアイテムも減ってしまっている。
スティル……いつの間に使ったんだ……そんな素振りはなかったのに。
「……全力疾走で帰るか」
色々まだ気になることはある。だが、スティルの心遣いを無駄にする訳にもいかない。
全力で地下通路を走り抜け、俺は久しぶりの我が家に舞い戻るのだった――
家の中は、俺が戦争に向かう前とあまり変化はなかった。
が、なんだかエビのから揚げの香りがうっすらと残っている。
さては……毎日作っていたな? 揚げ物は美味しいけど太りやすいんだぞ。
帰ってきたらちゃんと注意しないと。
「ええと……これかな」
サンルームで外の反応を確認する。
すると、メルトと思われる反応と、もう一人、彼女と一緒に動いている反応が、ゆっくりと家に向かっていた。
家の近くで、その反応のうち一人が引き返していく。恐らく、メルトを家に送り届けてくれたのだろう。
……玉座の間で、メルトは間違いなく相当なショックを受けていた。
スティルの視界には一瞬しか映らなかったので、その詳細は俺にはわからないけれど。
だがそれでも、彼女は今、完全に憔悴しきっている可能性が高い。
俺は、出迎えるのではなく、ただ家の中で椅子に座り、玄関の扉が開くのを待つ。
が、いつまで経っても扉が開くことはなく、どうしたのだろうかと、テラスから外の様子を窺う。
すると、メルトが庭の片隅に座り込み、自分が造ったエビ池を眺めていた。
……よし、呼ぼう。
「おーい、早く入っておいでー」
そう、家の中から声をかける。が、メルトは体育座りのまま、今度は顔を俯かせてしまった。
……まさか幻聴だと思われているのか。仕方ない。
俺はメルトを迎えに池に向かい、隣に座る。
「エビ、かなり減っちゃったね?」
「……いっぱい食べちゃったから……」
「で、そろそろ幻聴じゃないって気が付いたかい?」
「……」
「ほら、触れるよ、俺」
尻尾もふもふ。頭なでりこ。
「え? あ、あれ……」
「ただいま、メルト。代わりに王宮に出席してくれてありがとう」
「な、なんで!? え、だって……!」
一応、スティルについては何も教えない方がいいよな。
真っ赤に目を腫らすメルトが、ようやく俺を現実だと受け入れたのか、再び目に涙を浮かべる。
そして次の瞬間――
「セイム!!!!!!!!」
「グエ!!!!」
地面に押し倒され、まるで絞殺さんばかりの力で強く抱きしめられる。
苦しい! 痛い! が、これは受け入れるべき痛みだ。
「セイムいる!!!! ここにいる!!!!! あいつは嘘つきだったんだ!!!!!」
「ぐ……ぐぐ……」
「セイムセイムセイム!!!! 帰ってきた! 帰ってきてくれた!!!」
「ぐ…………ぁ……たすけ……」
「本物だ……! ちゃんとここにいる……!」
本当に死にそうです。肺が圧迫されて息が出来ないです。
さすがにタップ! ギブアップ!
だが、背中をポンポンされていると勘違いしたのか、さらに抱きしめる力が増す。
「たすけて……離して……苦しい……死ぬ……」
「あ! はい! 息して!」
「ふはぁ!」
「はいもう一回! セイムだ! セイムがいる!」
「ぐえ!」
生かさず殺さず、拷問のようなハグの末、ようやく落ち着いたメルトと共に家に入る。
……メルトの反動がすごい……。
「セイム聞いて。変な奴が来たのよ。それで、シレントが殺されたって嘘ついたのよ!」
「あー……うん、シレントで一回負けた振りをして、ゴルダのお城を調べていたんだ。あの変な男……スティルは危険な男だね。もし、どこかで見かけても……近づかないようにね」
「分かった。そっか……死んだふりをして調べものをしていたのね……」
「そう。それにあの変な男、スティルからも逃げたかったからね。だからそのまま、こっそりゴルダから離れたんだ。でも、今がどういう状況なのかは知ってる。今すぐ……いや、明日、王宮に向かおうか」
「うん、じゃあどう報告するの?」
「そうだね……とりあえず『シレントは重傷を負いながらもしっかりと本隊に帰還した。しばらくは治療に専念させるので、仕事は俺を含めて頼まないで欲しい』とかかな」
「分かった、私も余計なことを言わないようにお口『ん』ってしておくわ」
「ははは……そうだね。それと……ゴルダ王はシレントの代わりに俺が引き受ける。そのまま人工ダンジョン跡地に連れて行く。メルト、そこで聞きたいことがあれば聞くんだ」
今日、既に心労が重なる経験をした彼女にこんなことを言うのは酷かもしれない。
だが……早く終わらせてしまいたいのだ。こんな、くだらない戦争やそれに纏わる厄介ごとなんて。
「……うん、分かった。聞くべきことはもう決まってる。だから……それが済んだらゴルダの王様をどうするかは、女王様に決めてもらうつもりよ、私」
「……そっか。良いんだね?」
「うん。国と国の戦争だもの。決着は王様同士で決めないとだと思うわ」
「……分かった」
殺すつもりだった。仮にメルトが殺さなくても、俺が殺すつもりだった。
だが、あくまで国同士の戦争だからと、理性的な判断を下すメルトの意見を尊重する。
「……でも、帰ってきてくれて本当に良かった。私、セイムもシズマもシレントも、他のみんなも全員、もう二度と帰ってこない、死んじゃったんだって思って、もう全部どうでもよくなっていたわ。そのまま森に帰ろうかなって思ったのよ」
「そっか……心配かけてごめんよ、メルト」
「ううん、悪いのはあの変なヤツだもん。スティルってヤツが悪いのよ。今度見かけたら無視してやるんだから。プイよプイ」
「ははは……そうだね、それがいいよ」
そうして、ほほを膨らませながら顔を背ける真似をするメルトを眺め、ようやく戻ってきたのだなと、これで不安の種が暫く芽吹くことはないのだなと、心の底から一息つくのだった――