第百十八話
野戦病院は、東の野営地からやや離れた場所にある。
国境を抜け、ひとまず東の野営地に到着した私は、この後どうするべきか思案する。
本当なら、まだ向かうつもりのなかったリンドブルムを目指すべきか否か。
あの都市を経由して野戦病院に向かうのが一番楽なのだが、乗合馬車は出ているのだろうか。
「自分で走るの、好きじゃないんですよねぇ」
ここから森を突っ切り、自分で直接野戦病院へ走るのが最高効率。が、私はそれをしたくない。
大人しくリンドブルムに向かう馬車に乗車し、馬車を乗り継いで野戦病院へ向かいますか。
この野営地も、既に一種の前線基地として機能しているのか、荷馬車の出入りが激しい。
私は運ばれてきた物資と交代するように荷馬車に乗せてもらい、リンドブルムまで運んでもらえることになった。
『派遣されてきた治癒術師だ』と名乗ると、驚く程すんなりと荷馬車に乗せてもらえたことから、件の野戦病院の惨状は、皆の知る所なのだろう。
「御者さん。リンドブルムをそのまま通り抜けることは可能ですかね?」
「いやー流石にそれは無理だよ司祭さん! このまま総合ギルドに直行して積み荷を積んでから、今度は北の野営地に向かうんだ。アンタの目的地は北の野営地からさらに北、国境近くに設営されてんだ。このまま乗ってくかい?」
「なるほど……ではお願いします」
致し方ない。この時世で人だけを長距離運ぶ馬車なんて……行軍に関わる馬車だけだろう。
馬車に揺られながら、私は信仰の坩堝、リンドブルムへと向かうのだった。
リンドブルムに到着する頃には、空が朱に染まり始めていた。
荷台から私が下りると、すぐさま総合ギルドの裏手に待機していた若手の冒険者達が、恐らく自分達で梱包したであろう木箱をテキパキと詰め込んでいく。
もう戦争が終わるのも時間の問題だと言うのに。恐らく、そろそろゴルダの前線にも、王都の惨状が報告されているはず。
私の目算では、丁度私が野戦病院に辿り着く頃には――戦局が変わり始める頃合いだろう。
恐らく、この国の軍がゴルダの王都に辿り着くことで戦争の終結が確定する。
そしてあの女性、レミヤがゴルダの上層部と共にこのリンドブルムに帰還した時こそが、主と私の企みが成就する時。
……出来れば『その瞬間』を間近で見たいですねぇ……。
「おーい新人。そこの司祭さんも荷台に乗るから、積み荷を詰め込み過ぎるなよー」
「げ! マジかよ! おい少し下ろすぞグラント」
……これも知った名前だ。確か……そうか、例の新人三人組だったか。
だが、今はこの新人よりも気がかりなことがある。
私の目が、【神の導き】が、このギルドに怪しげな流れを見つけてしまったのだから。
力……なんらかの術式の遠隔操作……? これはギルド側が自分で仕掛けた防衛機構なのか、それとも……。
「失礼。まだ出発まで時間があるのでしたら、少し辺りを見て回ってきてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないぞ。司祭さんはリンドブルムは初めてなのかい?」
「ええ、そうなのです。今は野戦病院への救護に向かうのを優先していますが、いずれはこの都市でも布教活動をしたいと思っていますよ、是非」
好奇心。私は、この総合ギルドを『完全なる善』だとは思っていない。
もしかすれば……もっと醜悪で、独善的で、私と近い人間がトップに立っているのではないか。
そんな小さな可能性に賭けて、私はこの総合ギルドに流れる力を追いかけていく。
「ほう……エルクード教の相談窓口までこのギルドの中にあるのですか」
私は様々なギルドの窓口を眺め、どのような組織があるのか観察する。
……豊かな国だ。ゴルダの上層部は、レンディアならびリンドブルムがどれ程の発展を遂げているのか、自分達で確認したことがなかったのだろうか。
……いや、もしかすれば『この程度の差をひっくり返せるだけの策が仕込まれていた』か。
なるほど? ただ愚かなだけだと思っていましたが、フースさんの方は随分と手を打っていたのでしょう。それなら納得だ。
なにせ……『この国を支えているのは総合ギルド』なのだから。
「あ、すみません! 中庭は関係者以外立ち入り禁止なんですよ!」
「おっと、失礼しました。すみません、実は私治癒術師でして、何やら中庭で戦っている人が見えて、もしも治癒が必要そうな方がいたら……と思いまして」
力を辿り中庭に向かおうとしたところで、職員に呼び止められてしまう。
だが、どうやら『治癒術師』という肩書きは想像以上に万能らしく――
「本当ですか!? それでしたら……少し待っていてください。上に許可が出るか確認してきます」
そう手の平を反すような返答と共に走り去り、少しするとすんなりと中庭に通してもらえたのだった。
中庭では、どうやら冒険者や傭兵の訓練が行われている様子だった。
平時では採用試験のようなものが行われていたと記憶しているが、この状況下では手練れの人間が身体を動かし、ウォーミングアップをしているようだ。
ちらほらと、見知った顔もある。名前は……正直あまり覚えてはいないが。
シレントとしての主と共に行動した討伐隊のメンバーだったはずだ。
「皆さん、治癒術師の方がお見えになりましたよ。不調の残る人やケガが残っている方がいましたら申し出てください。あ、そうだ」
ギルドの職員がこちらに振り向き、耳打ちをしてくる。
「あの、お代の方なのですが……実は今このように慌ただしく、すぐにお支払いが出来ないので……後日、落ち着いた頃合いを見計らって再び来て頂けないでしょうか?」
「無償で構いませんよ。人々の為に立ち上がり、戦地に赴こうとする戦士達に協力出来るなど、それだけで報酬を頂いているようなものですから」
「な、なんと……! スティル様と言いましたよね? たしか布教の旅の最中だとか……貴方のことはしっかりと上層部にもお伝えしておきますので」
「それはそれは……恐縮です」
都合がいい。ここの上層部の直轄がレミヤのはず。
怪しい人間がギルドの上層部にまで名前を売っているという事実に、警戒心を高めてくれる。
……それでいい。
「さぁ、怪我をしている方は並んでください。治療していきますからね」
さぁ、聖職者の本分を果たそう。病める者に救いの手を差し出しましょう。
『聖邪逆転』を施した手で、一列に並ぶ患者達の患部を軽く手でなぞり、時には指で弾き、時には手の平を押し当てる。
魔法で一度に癒すのは今は無しだ。これはパフォーマンスではなく、奉仕活動なのだから。
患者一人一人に……向き合う必要があるのだから。
「次の方、どうぞ」
「よろしくお願いします!」
すると次に現れたのは、見覚えのある若い女性だった。
……弓を使う……名前は………確か……。
「ふむ、お名前は?」
「ネムリです!」
そうだネムリだ。名前に反して快活な人間だと考えていたはずだ、主は。
「ふむ……両肩に蓄積されたダメージで炎症が引き起こされ易くなっていますねぇ……たゆまぬ努力は否定しませんが、時には回復に専念する必要もありますよ。それに若干疲労も溜まっていますねぇ。少し、念入りに治療しますよ」
両肩と鎖骨の境目を指で押しながら、深く指が入る場所を探り、そこを攻撃する。
実際には癒しの効果に反転される攻撃を、指圧と共に。
「んっ! んうっ……あ!」
「あまりなまめかしい声を出さないでくださいね? 敬虔な信徒でも私は年頃の男ですから」
「あ! えと……ごめんなさい!」
「冗談です。後ろに並ぶ人間のことも思い出してくださいねぇ」
からかいたくなる。こういう若い娘はとても面白い。
……しかし、実際治癒術師や医者という存在は貴重なのだろう。
戦時下だからなのか、それとも元々希少な技能なのか。
これも、調べておいた方が良いかもしれないな。
「す、すごい! 肩の調子が……! 疲れも取れてる!」
「はい、では次の方」
そうして、次々に患者を捌いていく。やがて、全ての患者を診終えたところで――
「……あの、実はもう一人だけ……見て欲しい患者がいるのですが、その……罪人でして」
「ほう……。構いません、ギルドで許可を出しているのでしょう? 人は皆、生きていく上で大なり小なり罪を犯します。私はそれで癒しを与える人間を区別したりはしませんよ」
「おお……なんと寛大な……では、こちらについて来て下さい」
……想定していた中で、最も都合の良い展開だ。
何故なら、このギルドを駆け巡る力の流れは……全て地下牢に向かっているのだから。
中庭の一角から、地下へと降りていく。かつて、シレントとしての主が向かった場所。
そして恐らく、例の襲撃犯は……黒幕とも繋がっているのでしょう。
名前は……なんでしたかね? 随分と古い記憶に感じる。
「その囚人の方はどれ程の怪我を負っているのでしょう?」
「正直、薬と他の治癒術師による治療だけでは満足に身動きも取れない程ですね。というのも……術師や薬師が、その囚人を治療したがらないのです。かと言って薬だけを与えても、その回復は微々たるものですから」
「ほう……そこまでの重罪人でしたか」
「はい。本来ならば死罪にしてしかるべきという話でしたが、回復させて情報を吐き出させる必要があるから、と」
ふむ、どうやらあの襲撃犯、満足に口も利けない状態でしたか。
主もまだ、シレントの力に不慣れな時代に痛めつけたようですからね、加減を間違えたのでしょう。
いや、確か……あの時主は治療薬を……飲ませていなかったか?
最低限命を繋ぎとめる程度の回復だとしたら……流石は我が主だ。人の心を折る方法をよく心得ている。敬愛すべきはその判断能力の速さですか。
「こちらの扉です。中に入る必要がありますが……」
「分かりました。ここからは少々特殊な治療になります。職員さんは少し離れてください。秘術の類ですからね、見られたり聞かれるのは私の進退に関わりますので」
「は、はい! そんな秘術まで……凄いですスティル様!」
少々聞きたいことがありますからね。しっかりと……この人には踊ってもらわないといけない。
扉の向こうに一人で入ると、すぐにこの人間が酷い状況で放置されていたことが分かった。
酷い悪臭の中、まるでごみのように転がされている女。
私はこの空間ごと浄化するのを即決する。
『ダイチムシバムヒ』
『前方広範囲を猛毒の沼に変化させ範囲内の敵に猛毒状態と呪いを付与する』
『毒の沼地はフィールドに残り触れた相手に同様の効果を付与する』
『持続時間は使用者のレベルに依存する(最大5m)』
正直、あの倦怠感が再び襲ってくるであろう大技は使いたくはない。
だが、あまりにもこの環境は酷すぎる。私がここにいたくないのだ。
『聖邪反転』と共に発動すると、この空間が完全に浄化される。
悪臭も汚物も何もかもが消え去り、横たわる女の汚れも消え、身体に断続的な癒しの効果が付与される。
急ぎ私は『聖邪反転』を発動したまま『魔王の混血』と呼ばれる薬液を摂取する。
『魔王の混血』
『魔王―――――の血を混ぜ込まれた劇薬』
『特定の職業には全能力値を70%上昇させる効果を持つがそれ以外には毒となる』
『毎秒HPとMPの5%のダメージを受け続ける効果時間は10h』
私なら、この薬液で最高の効果を得られる。希少な品ではあるが、幸い『自作可能』だ。
……薬師の力、そのうち主も必要になるだろう。どこかのタイミングでもっと主には様々な力を身に着けてもらいたいところだ。
予想通り、襲ってくるはずの強力な倦怠感が軽減される。
これは使えるが……私の力も主に引き継がれるのだろうか?
正直、私を始めとした『三強』の能力は、使い勝手が悪いのだ。
なにせ『常に自らの攻撃で相手が死ぬ』状態になってしまうのだから。
『聖邪反転』も一緒にでなければ、日常生活に支障が出てしまうだろう。
作り物ではないこの世界で……私の力は危険すぎるのだ。
「ん……う……あ……」
「おや? そろそろ口が利ける状態になりましたか?」
「だれ……アンタ……」
「通りすがりの治癒術師ですよ。酷い状態の貴女を放っておけないだけの」
「……うそ……ほんとだ……」
「とんでもない重症でしたねぇ。まるで『しっかりと治療する気が端からなかった』かのように」
「……!」
「もうすぐ貴女は全快しますよ。きっと……そうなれば貴女はここから逃れられるのでしょう? 外部から手引きされることになっているのでしょう? 何かを話される訳にはいかないと、あえて治療されてこなかったのでしょう? しかしもう治ってしまった」
この部屋は、遠隔で操作されている。この重たい鉄扉も、遠隔で鍵が開く仕掛けが施されている。
私の目にはしっかりとその効果が見えている。
どこかしらのタイミングで、元々この女を治療して逃がすつもりだったのだろう。
それも『ギルド側に潜む何者か』の手によって。
「アンタ……何者?」
「ふむ……フースさんのお友達……ですかね?」
「!? 嘘、アンタ仲間なの!?」
おや、適当にカマをかけたつもりでしたが当たりでしたか。
ただ、恐らく彼女は単なる手駒の一つなのでしょうね。
「さぁ、それはどうでしょうねぇ。さて、治療が済みましたし私はここをお暇しますかね。ああそうだ……最後にお土産をお渡しします」
私は、新たに封を開けた飴玉の缶を差し出す。
今回は少々特別なモノが入っていますからね、しっかりと持ち帰ってください。
毒ではないと、一つ取り出して彼女の口に放り込んでやる。
「えっと……飴?」
「美味しいですよ、私の好物なんです。よろしければフースさんにもお渡しくださいな」
「……分かった。治療、感謝するわ」
「ええ、どういたしまして」
「ゴリッ美味しいわね本当に」
……黒幕の一味は、どうやらギルドの内部にまで潜んでいるようだ。
はてさて……誰がこの娘を逃がすのか、楽しみです。
ま、私はそれを監視することは出来ないんですけどね? 野戦病院に行かなければいけませんし。
そうして私は、リンドブルムを後にする。
本当になんと楽しい世界なのか。
これは……主に身体を返すのが惜しくなってしまいますねぇ……。
……それとこの世界の住人は飴を噛み砕くのが当たり前なんですかねぇ……。