第百十一話
宣戦布告=即開戦という訳ではない。それではあまりにも、宣戦布告した側が有利過ぎる故に。
つまり宣戦布告とは『〇〇日後に攻撃を仕掛ける』という先触れでしかないのだ。
無論、既に軍備や人員を街に控えさせているレンディア側が有利なのには変わりないのだが。
だが今回は違う。宣戦布告と同時に送り込まれるシレントが、そのまま国を落とす。
本来ならば唾棄すべき卑怯な方法での終戦だが『本来ありえない状況』であるが故に、レンディアはいくらでも『言い訳』が出来てしまうのだ。
『そんな者は知らない』『そこにいるはずがない』と。
シレントが、直前までリンドブルムで過ごしていることは、街にいる人間なら誰でも知っているのだから。ダンジョンへの転送なんて方法、普通は思い至らないのだから。
無論、ゴルダが既に『シレントにダンジョンを攻略された』と公言していれば、その限りではないのだが。
だが、ゴルダは自国のダンジョンを攻略されたなどと、口が裂けても言えない。
それを知るのは国の中枢にいる極々一部の存在だけ。
故に、大々的に『夢丘の大森林』を警戒出来ないのであった。
ゴルダ王都の冒険者ギルドは、閑散とまではいかずとも活気を失っていた。
国が疲弊してきていることは、既に国民も感じ始めている。
それをいち早く察知するのは商人であり、続き敏感なのは、各地を旅する冒険者達。
商人が減れば、当然物価は高騰し、貧困と物資不足により国の活気は失われていく。
冒険者の数も減れば、当然問題解決能力も低下し、市中の治安も悪化していく。
そして冒険者はそんな国に見切りをつけ、徐々に国を去っていく。
一つの失策が、連鎖的に国を追い詰めていくのだ。
徐々に人が離れていく国を立て直すのに、異世界召喚なんて博打めいた手法を取った結果が、今のゴルダの惨状なのだ。
だがそれでも国王は認めない。全ては無能な勇者と、裏切者の勇者、そして甘言で己を惑わせた協力者が招いた結果なのだと、そう信じて疑わないのであった。
そんな沈み行く船であるゴルダの冒険者ギルドにて、まだ働いている奇特な職員の元に、一人の使者が現れる。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
窓口を担当しているのは、かつてセイムの冒険者採用試験を受け持った女性だった。
この閑散とした状況で、未だ冒険者ギルドに留まっているのは、ギルドの責任者である人間と、彼女ただ一人。
すでに他の職員は皆、暇を出されてしまっていたのだった。
「……知っていてその対応は薄ら寒いわよ」
「申し訳ありません、現在、新規の依頼は受け付けていなくて……」
「見たらわかるわ。残った冒険者もみんな、何かに備えている。きっと覚悟しているのでしょうね、自分達が『徴兵』されることを」
「あの、先程から何を言っているのでしょうか……?」
ギルドを訪れた人物は、ローブで姿を隠してはいるが、レミヤその人。
特異な力を持つ彼女ならではの移動法で、僅か三日という短期間でゴルダまで到着した彼女は、用件を伝えにギルドを訪れたのであった。
「業務が終わったらまた会いに来るわ」
「すみません、業務時間外に依頼者とコンタクトを取るのは規約違反でして……」
「邪魔したわね。じゃあまた後で」
一方的にレミヤは用件を伝えギルドを去る。
残された受付の女性はただ、思案顔でギルドの業務を引き続きこなしていく。
やがて業務終了、既に冒険者や職員の減少により、本来であれば二四時間開いているはずのギルドの業務が終了し、冒険者も自分達の拠点に戻り、静寂が広がる冒険者ギルド。
そこに残るのはギルドの責任者である、ギルドマスターと職員の女性のみ。
「マスター。日中、私の元同僚が訪れました。恐らくもうすぐこの場に現れるでしょう」
「そ、そうなのかい!? で、では私はいよいよ……用済みという訳なんだね……」
職員の意味深な言葉に、ギルドマスターはどこかオドオドしながら返答する。
その姿は、ギルドの責任者と職員という関係には見えない、どこか不自然なものだった。
「そうなりますね。これまで長らくギルドマスターを務めてくださり、ありがとうございました」
「いや、お礼を言いたいのは私の方さ。冴えない商人崩れである私に、こうして人の役に立てる仕事を与えてくれたのだから」
まるで、自分は本来マスターの器ではないと言うように、そしてこの女性職員こそが、自分の上司であるかのような物言い。
「もし、全てが終わった後……またこのギルドが復活を果たす時が来たら、その時はまたよろしくお願いしますね」
「……そうだね、そんな日が来るなら……」
「恐らく、この国は戦火に見舞われます。今後の流れ次第では、貴方も避難して頂くことになるでしょう。帰ったら荷物を纏めておくことをお勧めします」
「そうか……君は、最後まで残るのかい? 大丈夫なのかい……?」
「問題ありません、私って結構強いですから、本気を出せば」
マスター、否、元マスターの心配を、彼女は笑って受け流す。
そうして、ギルドを去るマスターを見送り、女性職員ただ一人がギルドに残る。
それは実質、ゴルダの冒険者ギルドが『終わった』という意味に他ならないのであった。
「……結構居心地よかったんだけどな、ここ」
一人、誰もいなくなった受付ホールで独り言ちる。
忙しくも、忙し過ぎない日々。少しずつ衰退していく中、それを如実に感じながらも、人との距離が近い職場を、彼女は気に入っていた。
都会ではないけれど、人の多い街。けれども、その街が今、困窮に苦しみ、人が少しずつ去り、寂れていく姿に彼女は胸を痛めていた。
……だが同時に――
「ならこのまま国と一緒に沈んでいきますか?」
その時、誰もいないはずのホールに響く声。
声の主は、唐突に現れる。誰もいないはずの受付の椅子に座った形で。
「冗談。元々沈むのが分かっててここに来たんだから。多少の愛着はあれど、所詮『穴の開いた船の玩具』程度の愛着しかないわ」
愛着は持っても執着はしない。そんなドライな感情も持ち合わせていたのであった。
「安心しました。てっきりゴルダに付くのかとのかと思いました」
「ゴルダには付いても、現王家に付くつもりはないわ。……貴女、いつ向こうを発ったの?」
「三日前ですね。女王とバーク様のお考えを伝えに来ました」
「はっや……相変わらず便利な能力ねぇ……『影走』だったかしら? 私にも教えなさいよ」
「無理な相談ですね。これは私のようなエルフの一部氏族限定の魔法ですから」
現れたレミヤと、軽口を叩く職員。
旧知の仲なのか、レミヤも心なしか、いつもより表情が豊かになっていた。
「で……貴女が来たってことは、確定なのかしら、戦争」
「はい。三日後、一〇日の早朝に、ゴルダ国王の枕元に宣戦布告の書状、女王の署名付きのものを届ける予定です」
「ヒュウ! かなり挑発的ね? そっちの情報はこっちには全く入ってこないのだけど……相当頭に来てるみたいね?」
「ええ。だから“メリッサ”、貴女にはここのギルド最後の緊急依頼を発注して欲しいの。分かるわよね?」
明かされた職員の名は『メリッサ』。
「ここに未だ残る冒険者達全員に、国境の山脈へ向かうように強制依頼を出して頂戴」
「……そうなると私、宣戦布告と同時に国家反逆罪で王家に捕まるんじゃない? 一応今街を離れている冒険者の帰還も待たないといけないのよね? なら逃げられないじゃない」
「そうですね。全員が依頼を受けるまで、貴女には最後までここに残ってもらうわ」
「酷いこと言うわね……レミヤ、貴女はどうするのよ? 宣戦布告の書状を出したらそのまま帰国するつもり? 私のこと手伝い……いえ、守りなさいよ」
『緊急時に所属する冒険者を徴兵する』ことを条件に、ゴルダでも開かれていた冒険者ギルド。
それは城下町だけではなく、国内の他の街でも同じ条件だった。
つまりゴルダにとって冒険者ギルドとは、国内の雑務を片付けさせながら、緊急時には国の為に使える便利な駒なのであった。
そのような条件下で何故、これまでギルドはゴルダから手を引かなかったのか。
それはひとえに『民の自由の為』でしかない。
国ではなく、そこに住まう人間の為の組織がギルドなのだ。
……そういう『建前』の元、これまで動いてきたのが冒険者ギルドなのだ。
「冗談。貴女ならこの国の兵士如き、いくら湧いて出てきても切り抜けられるでしょう? 私は書状を届けたらそのまま姿を隠します。そうね……このギルドにでも」
「はぁ? ここに何カ月も立て籠もれるような物資はないわよ?」
「いえ、長くて二日程だけで構わないわ。この戦争……早期決着が予測されているから」
レミヤはシレントの言葉を信じ、戦争がすぐに終わると確信していた。
宣戦布告からの即時攻撃など、本来許されるものではないと、メリッサも理解している。
故に問うのだ。何故、二日で終戦するのかと。
「貴女まさか……国王を暗殺するつもり?」
「その策も考えました。でもそれでは諸外国に示しがつかない。我が国が卑怯者の烙印を押されてしまうもの」
「そうよね、国王の暗殺なんて貴女くらいしか出来ないもの。ではどうやって? まさか、もう国内に他の十三騎士を控えさせているのかしら?」
「いえ、十三騎士は現在、この国内に私しかいません。リンドブルム内には既に待機していますけど」
「なるほど、言い訳ね。自分達はやましいことなどしていないと言い張る為の。なにか伏兵……新しい戦力を手に入れたのね、女王は」
「ええ。その力により、戦争を終わらせます。宣戦布告が届いた段階で既に戦争は始まっていますから。あれはあくまで『〇日後に国境を越えて攻め入る』という知らせでしかありません。それ以外のルート警戒していなければ、国を率いて戦うなんて出来ませんから」
詭弁ではあるが、正論でもある。
そもそも戦争は『作法などない殺し合い』でしかないのだ、本来は。
それを諸外国が監視しているからこそ、取り繕い、高潔であろうとしているに過ぎない。
なら『バレなければ何をしても良い』ということでもあるのだから。
「……そうね、実際ゴルダも馬鹿じゃないわ。最近になって『夢丘の大森林』方面に軍を展開し始めているし、得体の知れない連中も城を出入りしているわ。たぶん、こっちもこっちで開戦に向けて準備を進めている。宣戦布告をこちらからするつもりだったのかもね」
「……ダンジョンに軍を配備……? 何故……」
「さぁ、知らないわ。ただ少し前から夢丘の大森林方面への立ち入りが全面禁止されているし、焦土の渓谷はダンジョンが休眠期に入っているって報告も来ている。レンディア側でダンジョンの攻略を完遂したのでしょう? おめでとうって言うべきかしら? まぁだからこそこっちも戦争の準備を早めることになったんでしょうけれど」
「……ええ、焦土の渓谷のコアは既にこちらの手中にあります。恐らく、休眠期間もまもなく晴れるでしょう」
「なら、大森林の方は……どういうことなのかしらね」
レミヤは考える。恐らく、国側がギルドよりも先んじて、大森林を突破されたことを知ったのではないかと。
大森林が突破されたことはメリッサも知らない様子。だが軍が展開され始めているのなら、おそらくゴルダ側も、そちらから敵対勢力が攻めてくる可能性を憂慮しているのではないかと。
「いえ、問題ないでしょう。そこに軍が配備されても、なんの問題もないはずです」
だがそれでも、確信する。たとえ兵士が幾ら配備されようとも、シレントの手にかかれば物の数ではないと。
「では、ギルドからの緊急依頼の配備はお任せしましたよ、メリッサ」
「はいはい。じゃあ私は……久しぶりの自分の装備の手入れでもして待ってるわよ、徴兵に来た軍が怒って派兵してくるのを」
「ふふ、頑張ってくださいね。私は姿を出すことが出来ませんから」
「はー……この戦争終わったら、暫く休職しようかしら……どっかにいい男いないかしらねー」
これにて、戦前の下準備は全て終わり。
戦争は起こり、死ぬべき者は死ぬ。
国は亡国となり、新たな秩序がそこに広がる。
反発する者も必ず現れるだろう。だが、その程度を抑え込めない国が戦争など起こすはずもない。
ゴルダは、ここに滅びの運命を決定づけられた。
かつて、自分達が召喚した存在によって。
「ふぁ!?」
開戦までしばしの休息として、シレントの姿のまま自宅で過ごしていたある朝のこと。
最近まで『立ち入り禁止』という立て札と共に、大きな木の柵で封鎖されていた庭の一角が解放され、その先に広がっていた光景を前に、ついついシレントの姿のまま変な声を上げてしまう。
「な、なんだこりゃ……!」
「庭を全部池にしたら大変だからね! 森の一部の木に『退いてもらって』池を広げたのよ!」
先日、メルトが池を作り過ぎたので控えるように言ったのだが、その結果生まれたのは……森の一部が拓かれ、まるで棚田のように作られた池だった。
……凄い、普通に金取れるレベルの完成度なんだが……! これが自然魔法……!
「いや凄いな……でももうじき雪も降るし、エビも冬を越す準備が必要じゃないか?」
「大丈夫、ちゃんと水深が深い部分も作ってあるわ! 段になってるけれど、下まで続く穴も開いてるのよ。寒くなったらみんなここに隠れるのよ」
「……抜かりなしか。じゃあもうじき俺も出発するから、今のうちにエビのから揚げの作り方、教えておくよ」
「分かった! ふふ、楽しみねー? 産卵の季節になったら、エビがたーくさん棲み始めるわ。毎日食べられるわねー」
「もう、すっかりいつも通りだな。俺がいない間、あんまり揚げ物とかコーラを飲み過ぎないようにな」
「大丈夫、分かってるわ。……うん、私はいつも通りだと思う。食べて、働いて、遊んで待ってるからね。だからシレントも無事に帰ってくるのよ?」
「もちろん。さて……じゃあ食べる分だけ採って戻ろうか」
楽しそうで何よりです。さて……じゃあシレントの姿でもエビのから揚げ、作れるよな?
なんか凄く酷い絵面だけど……いけるよな?
結果、いけました。二人でエビのから揚げを摘まみながら、のんびりと過ごさせて頂きました。
さて……そろそろレミヤさんもゴルダに到着した頃だろうし、俺も準備するかね。
サンルームに向かい、俺は『グリムグラムの心臓コア』を使用する。
すると前回同様、ダンジョンに関わる項目が現れた。
『管理者情報不明 仮の権限所有者グリムグラムを認証』
『管轄管理項目を選択してください』
『自陣強化』
『拠点強化』
『拠点移動』
『拠点転移』
『拠点管理』
『仮拠点建造』
『機能制限中』
『機能制限中』
「む……なんか項目が増えてるな」
未だに制限されている項目が二つあるが『仮拠点建造』という項目が新たに増えていた。
少々気になるが……今は森林がどういう状態で、どういうことが可能なのか調べておかないとな。
「まずは拠点管理……か」
その項目を選ぶと、恐らく大森林の全体図と思われるマップが表示された。
「メルトー、ちょっとこっち来てー」
「なになにー?」
隣の部屋で引き続きエビのから揚げを作っていたメルトを呼ぶと、香ばしい匂いをさせながらメルトがやってきた。
「なぁに? あ、これハーブいっぱい使った唐揚げだよ。はい、アーン」
「ん……美味しいなこれ……! じゃなくて、ちょっとこの地図見てくれないかな?」
「うん? あ、森の地図だ。へー……ダンジョンになって複雑化したけど、地図で見るとこうなってるのねー」
「じゃあこれはあの大森林で間違いないんだね」
「うん。ええと……あ、これがダンジョンマスターの住処かしら?」
「ああ、たぶんそうだよ。ここが館のあった場所。もうなくなったけどね」
「でー……私の里はそこからかなり離れてるけど……ここね」
地図には『銀狐の里』と表示されている。
他にも『海鳴りの祠』やら『海渡しの山』という地名もあるが、いずれもメルトの故郷の里の近くにある地名だった。
そして、その里から少し離れた場所に――『賢狐の社』という地名もあった。
「あ、そこ私の家だ」
「凄いな、地名がついてるのかメルトの家は」
「そうみたいね? お祖母ちゃんがそう呼ばれてるのは知ってたけど!」
なんか、話には聞いているけど、物凄い賢い人だったんだな、メルトのお祖母ちゃんは。
しかしそうか……確かに里からは結構離れているな。だからこそ、生贄にならずに済んだのか。
「あった。『地域閉鎖』の項目があるから、メルトの故郷や家には人が入れないようにしておくよ」
「あ、それじゃあお願いね。私も入れなくなるかもだけど」
「……ふむ。例外の設定は出来ないのかな……『原住民』と『管理者』は例外に出来るのか。俺とメルトは問題ないみたいだよ。戦争が終わったら、一度行ってみようか」
「そうね! いっぱい果実酒とかもあるから、回収しに戻ろっか!」
そうだ、戦争の後のことを考えよう。
辛い決断が待っていたとしても、その先に楽しみがあれば……乗り越えられる。
そうして、俺は無事にこのダンジョンに転移可能なことを確認し、作戦開始の時を待つのであった。