第百十話
「メルト、ただいま」
「わ! びっくりしたー……やっぱりシレントは迫力あるねー」
「だよなぁ……そのイメージが崩れないように振舞っているけど、自分でも結構ハラハラしてる」
家に戻ると、メルトがバスタオルで尻尾の水気を拭いているところだった。
湯上りフォックスさんであったか。
「メルト、尻尾が乾いたら少しだけ真面目な話をするから、乾くまで俺も風呂に入ってくるよ」
「ま、真面目な話……分かった……!」
「俺がしてることは……お節介、なのかな」
風呂に浸かりながら、窓の向こう夜の森、そして星空を見上げる。
これ、外からはこちらが見られないんだったか。贅沢だな、随分と。
広い湯舟に足を延ばし、これから先のことを考える。
「……鈴による転移で、一気に城まで乗り込む。出来れば……城門から順番に全てをなぎ払いながら」
でもそれは攻め方だった。どう蹂躙し、機能を失わせるか。それだけを考える。
物の数じゃない。正直、直接乗り込むまでもなく、街の外からめちゃくちゃに技を放つだけで、壊滅させられるとは思う。
が、一般人への被害が多すぎる。ならば、城を直接俺が叩くしかない。
なによりも……順番に叩いて行けば、最後に待つのは『イサカ』と『イナミ』だ。
決着は……シレントでなく、シズマとしてつける。
「……王と側近連中を捕らえたとして、問題は『協力者』だな」
キルクロウラーを出し抜き、なんらかの方法でアンダーサイドを破壊し逃亡してみせた存在。
そして魔物を改造強化し、それを人間にも実行出来る技術。
リンドブルムにも協力者を持ち、あの山の山頂にアジトを作るほどの組織力。
明らかに、ゴルダよりも厄介な存在だ。
「……人工ダンジョンを司るコアの欠片も、見つけ出して奪ったのもそいつらなんだろうな」
まだ、どういう相手なのは分からないけれど。
だがこの戦争を先導し、異世界召喚をそそのかしたであろう相手なのは間違いない。
……少なくとも、この世界における『明確な俺の敵』なのは間違いないな。
「そろそろ上がるか」
「真面目な話って言ったから、今回はシロップ濃いめよ!」
風呂上りに差し出されるのは、色の濃いコーラだった。
……なにかに理由を付けては味を濃くしていませんか、貴女。
「メルト……太るよ?」
「ふ、太らないよ……! あ、でもそろそろシロップ少なくなってきたから、また今度作って欲しいわ!」
「ははは、了解。あれなら誰でも作れるからね」
あまり、気負う必要なんてないのかもしれないな。
メルトは、強い子だ。肉体的にも、精神的にも。
かつて、メルトは自分で言ったではないか。
『復讐は余裕がある人間の特権』みたいなことを。
憎しみや恨みよりも、自分が生きる為に、憎い国からの保護も受ける覚悟が彼女にはあった。
「メルト。戦争には、シレントとしての俺だけが参加する。夢丘の大森林のダンジョンコアを使って、俺が直接一瞬であの森に移動するんだ。そしてそのまま……国を潰す」
「……そっか、あそこのダンジョンマスター倒したんだもんね」
「あの森は誰にも渡さないよ。俺とメルトだけのものにする。それで、いいかな」
「うーん……みんなにも分けてあげよう? 元々、あの森は国みんなのものだったんだ。ダンジョンになる前は……いろんな人が行商に来たり、山で獲物を狩りに来たりしてたんだ。ダンジョンになってからは、魔物が強くなり過ぎて限られていたけど」
「……じゃあメルトの集落にだけは、人が勝手に入らないように出来ないか試してみるよ」
「うん、それはお願いするね。あそこは……いっぱい思い出が残っているもん。みんなはいなくなっちゃったけど、思い出だけはいっぱい残っているの」
抱きしめたくなった。なんでもない風に語る彼女を、抱きしめたくなった。
「メルト。俺が、ゴルダを滅ぼしていいかい?」
「関係ない人も沢山殺すの?」
「……国に従う兵士は、殺す」
「国王も殺すの?」
「上層部の連中は生け捕りにして、この国まで連れてくるよ。尋問したいんだ。もちろん……メルト自身が聞きたいことがあれば、直接聞いてもいい。したければ、直接手を下してもいい」
「え!」
その手に委ねると言う。質問も――生殺与奪も。
「連中だけは捕縛し、好きにしていいって許しは出てるんだ。俺は、メルトに委ねるよ」
「……恐いわ。私、国王を前にしたらどうなるか分からないから、凄く恐い」
「でも、メルトにとっても必要なことだと思うんだ。今すぐどうするか決めろとは言わない、でも戦争が終わるまでには決めて欲しい」
「……分かった。本当に……真面目なお話だったのね」
「メルトはどんな話だと思ったの?」
「……庭の一部をどんどん池にしっちゃったこと、怒られるのかと思った……」
「え゛」
あの、暗かったから確認出来てないんだけど……まさかあれからさらに拡張したんですか?
……これはそのうちエビ養殖業者になっちゃうなぁ、メルト。
翌日、メルトは『今日は総合ギルドで昇級テストがあるの!』と言い、朝早くから家を出て行ってしまった為、手持無沙汰になってしまった。
そういえば、俺も総合ギルドから溜まっていた報酬を受け取らないといけないとか言われていたな。
「この姿でギルドに行くのも久しぶりだな……行くか」
そういえば、シレントでリンドブルムの街中をじっくり見て回ることなんてこれまでなかったな。
いつも目的地に直行、食事をしたり、どこかに出かけたりなんてしたことがなかった。
案の定、道行く人に少しだけ驚かれるも、やはり傭兵や冒険者が多く所属する街、以前のような寝不足の凶悪フェイスではない為、そこまで恐れられることはなかった。
で、ようやく総合ギルドに到着した訳なのだが――
「申し訳ねぇ!!!! 俺達がもっと早く関係各所に連絡を入れていたら、昨日のようなことにならなかったんですわ! シレントの旦那、なんとお詫びしたら良いか!」
シグルトさん、迫真の背筋九〇度折り曲げ謝罪。
あれですか! 昨日の件ですか! あれはもういいんです!
「あれはもういい。門の内部なんて貴重なものも見れたからな。それに要件も済ませてこれた」
「まさか……本当に王宮に殴り込みにいったんですかい!?」
「誰が殴り込みだ。少々話をしただけだ」
「は、はなし……」
絶対何か勘違いしてるだろ!
「ところで、そろそろ支払いが溜まっている俺への報酬を受け取りたいんだが」
「了解しやした。そうですね、かれこれもう数か月溜まってますんで、ちょっと時間が掛かります、待合所で待ってもらって良いですか?」
「分かった」
総合ギルドは、文字通り総合である以上、街の住人ほぼ全員が、なにかしらの理由で訪れたことがある。
故に連日大勢の人間で溢れかえっており、こうして午前中だというのに、来客でごったがえしている。
この時間帯は本来、冒険者や傭兵は依頼に出て街を空けているはずなのだが、先日聞いた通り、今は冒険者も傭兵も、遠征に行く依頼を受けられないよう、近場の依頼に限定されている。
故に、昼前には簡単な任務を終わらせ、報告に戻ったらそのまま昼食を摂りに行く……という流れが、ここ数日よく見られる光景になっているそうだ。
まぁ夕方まで掛かる依頼を受ける人間の方が多いのだが、若手や新人は、この時間にはもう帰ってくることが多いと聞く。
「いやー! 久々に行ったけど大量だったな! 俺達以外に受ける新人がいないって意味なんだろうけど」
「だが今年はもうこれで終わりだろうな。そろそろ川の生き物も越冬の為に山頂の湖に移動するだろう。明日からはまた別な任務が探さないといけないな」
「でも今年はメルトちゃんのお陰で沢山稼げたし、来年には黄玉ランクに昇級出来るかもしれないわね! なんだか最近、妙に体調も良いし!」
「ふむ……奇遇だな、俺も最近妙に調子が良い。というか、ここのところ病気知らずだ。一昨日川に落ちたのになんともなかった」
「あ、なら俺もだぜ? うちのおふくろ、風邪ひいててよ。親父も妹も伝染っちまって大変なんだ。でも俺だけなんともねぇんだ」
待合所にいると、そんな話声と共に、見覚えのある冒険者……新人冒険者三人組が戻ってくるところだった。
しかし黄玉に昇級となると、いよいよ新人脱却だな、喜ばしいことだ。
「シレントさん、受付までお越しください」
受付からの呼び出しに、すぐさま窓口まで向かう。
すると、俺の背後に新人三人組が丁度並ぶ形になった。
「お待たせしました。こちら、調査依頼の報酬に加え、警備任務、およびその後の問題解決の報酬となります。そしてこちらが、先日の討伐任務の報酬に加え、隊長手当としての追加の報酬、更に持ち帰った魔物の部位のうち、既に売却が済んだ部位のシレント様の取り分です。全部で合計、大金貨二七七枚となっております」
「中々だな。魔物の部位の売り上げについては、俺の隊にいた人間に等分で支払ったはずでは?」
「はい、勿論です。皆さまにそれぞれ、大金貨一五枚支払っていますよ」
「……分割してもそれか。余程良い値段がついたんだな」
「ええ、勿論です。海外との輸出を生業にしている商会が、大金を払って買い取ったんです。なんでも、希少竜種の翼の被膜は、それほどの価値があるそうですよ」
ほほう……翼の被膜限定、か。何かの需要があるんだろうな。
大金貨二七七枚、日本円にして約一四〇〇万円の詰まった、おなじみの樽型トランクを受け取る。
「す、すっげぇ……とんでもない大金が動くの、目の前で初めて見た……!」
「お、俺もだ……」
「わー……何に使うんだろう……」
すると、後ろの並んでいた新人三人組が、なんとも素直な反応を示していたので、ついついからかってしまう。
「ふ、なんだと思う? もしかしたら国家転覆を企み、秘密裏に武具を買い集めているかもしれないな」
「ひ! ごめんなさい!」
「す、すんません……人の取引盗み聞きしたみたいで」
「申し訳ない……」
「気にするな、冗談だ」
……あの、ちょっと窓口のお姉さん? なんでそんな青ざめた顔で『やっぱり……!』なんて呟いているんですかね? 違うからね!? ただのシレント式バイオレンスジョークだよ!?
「あれ!? カッシュ―! リッカちゃーん グラントー! あと何故かシレント―!」
その時、ギルドの二階からメルトが嬉しそうな声と共に降りてきた。
まぁ、もう俺とメルトが知り合いだと言うことは、上層部の人間は察しているだろうし、一緒に討伐隊の任務も受けているもんな。
もう公言しても良いか、俺との関係を。
「あ、メルト! なんで二階に?」
「ふむ、何か呼び出されていたのか?」
「ええと……この人と知り合いなの?」
「そうだよー」
駆け下りてきたメルトが、嬉しそうに近づいてくる。
「シレントは、セイムのお友達で、同じ旅団に所属してる凄腕の冒険者なのよ! なんと蒼玉ランク!」
「嘘!? 蒼玉、英雄のランク!?」
「ほ、本当ですか!?」
「なるほど……なら先程の稼ぎにも納得が……」
これはあれだ、そろそろ人に知られておいた方が、昨日のような悲劇が起きないだろうから、放っておこう。
「英雄だとは思っちゃいないが、それなりに貢献してきたつもりだ。そうか、メルトの知り合いだったな」
「うんそうよ。私にパーティーの仕組みとか、依頼の流れとか教えてくれたの」
「そうか。それでメルト、上から来たってことは、昇級試験は終わったのか?」
「筆記試験は終わったよー。本当は実技試験もあるんだけど、私は免除だって!」
「ほう……まぁそうだろうな」
「なんだか、沢山推薦してくれた人がいたんだって!」
ふむ……まぁ試験の必要はないよな、メルト強いもん。
「ではもう、結果は出たのか?」
するとメルトは、自慢げに『ふふん』と笑うと、そのまま俺達の間を通り抜け、窓口へ向かった。
「お姉さんお姉さん! 私の新しいギルドタグくーださーいな」
「ふふ、はいメルトちゃん。よかったわね、これで紅玉ランクに昇級よ。もう、一流の冒険者の仲間入りね」
「やった! これでセイムと並んだ!」
お、受かったのか!
「ほう、めでたいな。セイムがいたらきっと祝いに飯でも奢っていたろうに」
「シレントでもいいんだよ?」
メルトが視線で『お祝いして!』と言っている気がする。
……そうだな、セイムじゃなくたってお祝いはお祝いだ。
「すげえ! メルト、もう紅玉ランクかよ……!」
「流石……所属と同時に翠玉に推薦される凄腕だな」
「そういえばそうだったね……ついつい忘れちゃうけど」
ですよね、忘れますよね。
「……丁度いい。今ちょっとまとまった金が入ったところだ。メルト、飯をおごってやる、なんでも好きなモノ食わせてやるぞ。ついでだ、そっちのひよっこ三人組、お前達もついて来い。友達のめでたい席で、構わんだろう?」
「い、いいんですか!?」
「わ、えっと……お邪魔します」
「それは嬉しい誘いですが……良いのですか?」
「構わん。どうせあぶく銭だ。出来るだけ豊富なメニューがある店が良いな、なんでも食わせてやる」
「すっげえ! 流石蒼玉、太っ腹っすね!」
偶には良いよな、こういうのも。
もう最近、ずっと冒険者の巣窟に行っていなかったのだし。
もうじき、戦争が始まることを俺は知っている。だからこそ、今くらい、楽しんだって良いよな。
「シレント、ありがとうね!」
「ああ、俺も久々に店で豪遊したい気分なんだ。沢山食うぞ、メルト」
「うん! そろそろ冬だから、脂がのったお肉ともお別れねー。じゃあ今日は沢山食べましょう!」
少し、心の奥底が、温かくなった気がした。
それはきっと、シレントの気持ち、なんだろうな。
そうして俺は、戦争までの最後のモラトリアムを平和に過ごし――宣戦布告を待つのであった。