第百二話
貴族街。
リンドブルムの都市を上層、中層、下層と分けた時に、一番高い位置に存在する住宅街が貴族街と呼ばれる土地。
元来、貴族は地方都市を治め、その派閥の貴族が補佐としてその地方周辺で暮らしていたが、長い年月を経て貴族達は徐々に自分達の領地を諦め、実り豊かなリンドブルムへと居を移していた。
無論、貴族だけに留まらず、領民までもが。
それでも、農地を持つ人間や、自然以外の強み、稼ぎを持つ地方都市も存在している。
それは工業的強みであったり、漁業による稼ぎであったり、貿易的な利益であったり。
だが、それらは少数派であり、貴族の大半は『貴族としての責務も職務も持たない人間』として、リンドブルムの上層で暮らしていた。
だが、そんな貴族の中でも『宮廷貴族』として役割を与えられている一握りの家だけは、貴族街の中でも高所に位置する土地に屋敷を構え、仕事を持たない多くの貴族を従え、利用し、国の為に身を粉にして仕えていた。
その宮廷貴族の中でも、最大の派閥を持つ存在。
『オールヘウス侯爵家』に、今この国の騎士団が集まりつつあった――
「一斑と二班は屋敷の背後、森へ続く坂を監視しろ。三班は家の周り監視、残りは上層の家々を監視しろ。私の隊の者は正面門を固めていろ。屋敷へは最初に私とシズマで向かう」
この時が来た。日が傾き、貴族街を照らすのを止め始めた頃。
夜に広がる闇のように、クレスさんの指示の元、神公国の騎士達が貴族街へと広がっていく。
「シズマ。私が先ぶれとして訪問する。その返答、行動次第ではそのまま私が踏み入るつもりだ。お前も続け、良いな?」
「はい」
「恐くはないか?」
「頼もしい騎士団長が一緒ですから」
「っ! 可愛いことを言うんじゃない」
不必要かもしれないが、緊張を解す為に叩いた軽口が、どうやら気に入らなかったようだ。
やがて、遠くの空に混じる朱が消える頃。最後の日の光、正道を示す光の道が消えたことを表すようなタイミングで、クレスさんが屋敷の扉を叩く――
屋敷内部。不穏な空気を感じ取ったオールヘウス侯爵は、密かに屋敷の私兵をホールに集結させていた。
「状況はどうなっている?」
「それが、斥候が一人も戻りません。恐らく捕縛……つまり、完全に屋敷は包囲されているのかと」
「視認は出来ないのか?」
「完全に隠れられています。隣の屋敷の敷地も利用して潜んでいるのかと」
「つまり、既に根回しは完璧であるという訳か」
「いかが致しましょう。我ら私兵団は、侯爵閣下の指示に従います」
オールへウス侯爵は思案する。『なぜこうも急激に動きがあったのか』と。
先日開かれた昼餐会、その出席者の身分はしっかりと確認していた上に、そもそも国の関係者、女王側の人間が紛れていても、なんの問題もない集まりであったはずだと。
国が騎士団を動かす理由など、本来自分には一切思い当たらないのだと。
だが……唯一にして最大の裏切り行為を自分が働いていることもまた確かだと理解していた。
「獅子身中の虫か……はたまた外に出したのが間違いであったか……皆、時間を稼げ。狙いは私の客人だろう。まずは私が時間を稼ぐ。その間に例の客人達を地下へ案内してくれ。恐らく戦いになる……その時は頼むぞ」
雇い主であり自分達の信じる主の言葉に、私兵団は闘志を漲らせる。
そして一人の伝令が、客人――元クラスメイト達の元へ向かうのだった。
「皆さん今すぐ地下へ避難してください」
突然の来訪に、屋敷の深部でくつろいでいた生徒達が俄かに騒めきたつ。
「現在、この屋敷は国の騎士に囲まれています。侯爵様は、狙いは皆さんだと仰られました。すぐに、皆さまを逃亡させよと指示が出ています」
その報告に、緊張が奔る。
「嘘……国にバレたの……?」
「随分と急だね。ヒシダさん、学園で何か変わったこととかなかった?」
「私を疑っているの? お生憎様、まだ誰とも深い関係になっていないわ。私がつけられたり興味を持たれたってことはないんじゃないかしら。学園の生徒が事故で亡くなったって噂があったけど……この件とは関係ないでしょうし」
「なぁ、どうする? 俺達逃げるだけでいいのか?」
「……正直、この家の兵士に時間稼ぎが出来るとは思えないかな。どうする? 誰か残る?」
意外にも、イサカはクラスメイトの誰かが残ることも視野にいれていたようだった。
だが、それは暗に『優先すべきは一番力の強い自分だ』と言っているに過ぎなかった。
「アタシは逃げよっかな。捕まったらやばいよね。シュウはどうするの?」
「……私はここに残るわ。でも時間稼ぎじゃない。国に入り込む為にも、今の学生の身分はまだ利用出来ると思う」
「えー……じゃあアタシも残ろっかな?」
「……ユウコ、今回だけは真剣に考えた方、いいよ。最悪私達殺されるんだから」
「嘘マジ!? じゃあ逃げよっかな……イサカ、カズヌマ、守ってくれる?」
「追手がかかるだろうからね、そこまで余裕はないかもしれないよ」
どこまでも危機感のないユウコに、イサカがいら立ちを隠せないでいる。
だがそんな中――
「……俺も残る。時間稼ぎに向いているのは俺だ。俺なら、ある程度の攻撃も凌げるはずだ。ヒシダさんも残るなら止めはしないけれど、もし俺が時間を稼いでいるうちにチャンスがあれば、逃げて欲しい」
「ん、その辺りは臨機応変に、かな」
カズヌマの決意に、イサカは乗る。
「分かった。僕は逃げるけれど、カズヌマ君が後ろにいるなら安心出来る。他に逃げる人は?」
「私も一緒に行くよ。戦う力なら……たぶん、私もある方だと思うから」
次に逃げることを表明したのはイナミ カホだった。
女子グループの中で『魔法の力』を持つイナミは、戦力としては、防衛よりも攻撃に向いていた。
「えー……ガチじゃんみんな。アタシ戦えないんだけど」
「ユウコ、逃げても良いよ。でも誰かに助けてもらえる状況じゃないってことは分かって」
「……じゃあここで隠れる。カズヌマがチャンス作ってくれるんでしょ」
「ああ、全力で食い止める」
「決まったね。じゃあ僕とイナミさんは逃げるよ、逃げてムラキ君の救助を狙えるなら狙う。でも一時撤退が必要なら……僕は撤退も視野に入れてる。まだ力が足りないんだ、僕達は」
それだけは事実だった。
国に侵入し、野望を成就するにはまだ力が足りない。
それ故に力を借り、潜み、機会を伺っていたのだから。
各々が自分の選択を決める。逃げる者、戦う者、隠れ機会を伺う者、国に入り込まんとする者。
そんな時、屋敷の奥にも関わらず、皆に聞こえる声量の『宣言』が聞こえて来た――
『オールヘウス侯爵はご在宅か! 神公国騎士団団長、クレス・ヴェールである! 直ちに開錠されたし!』
クレスさんが気合を入れた声量で、扉のノッカーを鳴らしながら宣言する。
しばしの静寂。が、やがてゆっくりと、覚悟を決めたかのように扉が開く。
「こんな時間になんの御用でしょうか、クレス団長」
現れたのは、ハッシュとして顔を会わせたことのある男性だった。
執事? 家令? そういう役職だったはずだ。
「オールヘウス侯爵と面会したい。これは女王直々の命である。書状はここに」
既に、決まっているのだ。この後の流れも含めて。
ここで会わないなんて選択は出来ないように手を打ってあるのだ。
無論、それでも会わないと言うのなら――武力行使だ。
だが、意外にも――
「少々お待ち下さい、すぐにお伝えします」
そう大人しく家令の男性が引き下がる。
……そうか、もう覚悟を決め、なんらかの手を打っているんだな。
なら――
「クレス団長。今から俺、動きます。良いですか?」
「何をするつもりだ。突入にはまだ早い」
「いえ、呼びかけます」
「……分かった」
逃げるつもりだろ? 時間を稼ぐつもりなんだろ? ここまでこそこそ隠れて、囲われて、逃げ回って来たんだもんな。
ここでみんなして打って出てくるわけないよな?
俺は屋敷に一歩踏み入る。そして――おあつらえ向きのスキルが、俺にはある。
『クリムゾンハウル』発動だ。
「とっとと出てこいや!!! イサカ イオリ! カズヌマ コウヘイ! サミエ ユウコ! イナミ カホ! ヒシダ シュウ!!!! てめぇら脳死でほいほい動いてテロリストに仕立て上げられて馬鹿だよなぁ!? 出てこねぇなら今すぐ俺が殺しに行くぞ出来損ない共がぁ!!!」
すげえな!? スラスラ言葉が出てくる。
「おめぇら知ってるかよ!! ムラキなぁ!! アイツもう人間じゃなくなってんだぜ!! おめぇらも半分もうバケモンかもなぁ!!! だったら俺が全部殺してやんよ! 逃げてねぇで出てこいよ雑魚どもがよぉ!!!!」
どうだ、出てくる気になるか? 少なくとも気になるよな、こんな場所にいるはずのない元クラスメイトがいるなんて思わないだろ。
「逃げるならよぉ! 次はもう即殺することになるから覚悟しろよ! いやぁお笑いだぜイサカァ! 最強にして? だったっけ? 最強がこそこそ逃げ隠れてカッコイイなぁ!?」
俺は知っている情報を全部使う。
知らないはずの情報でも全部使う。
「サミエェ! 運を良くしてだったかぁ!? お前幸運かぁ!? 犯罪者になって幸せかぁ!?」
挑発だ、これは安い挑発だ。
「カズヌマァ! 丈夫になった身体で何か出来たかよ! ムラキを一人残して何やってんだ! もうあいつ人間じゃねぇぞ! もう死んでるかもなぁ!!」
抉る。傷を抉る。
「イナミィ! お前どういうつもりだ!? 俺にギリギリまで篭れって指示したのお前だよなぁ!! あ、これって言ったらダメだったりすんのか!? おめぇは絶対殺すから震えとけや!」
こんなところか。これで、一応アイツらのカンに触りそうな文言は全て言えただろうか。
「シ、シズマ……お前……」
「あ、すみません。絶対連中、逃亡を図ると思ったので、挑発してみました。これで少しは逃げるのを遅らせられたと思います。すぐに突入した方が良いですよ」
「そ、そうか……あんまり乱暴な言葉を使うんじゃないぞ、癖になると面倒だからな」
「はい、ごめんなさい」
……これで、『クリムゾンハウル』の効果で次の一撃の威力が上がる。
悪いが対話をするつもりはこっちには最初からないんだ。
クラスメイトが出てきた瞬間……ケリをつける。
すると、屋敷の奥から先程の家令の男性、そしてオールヘウス侯爵が現れた。
「随分と行儀の悪い声が聞こえてきたが、新しい騎士の小間使いかね」
「いえ、客人ですよ。侯爵が抱えている客人と同胞だそうです」
「どうも、初めまして。出来の悪い同胞の面倒を見てくれてありがとうございました」
「はて? なんのこと――」
その瞬間だった。
一瞬、風を感じたと思った時にはもう、侯爵の眼前に槍が突きつけられていた。
「これは伺い立てではないのですよ。もう命令が下っているのです。大人しく従うか、死か。国家転覆の嫌疑がかかっている以上、たとえ事実でなくとも疑われた時点で貴方は従うしかない」
「……まったく。良いだろう、連行してくれ」
「そうさせてもらう。そして――全員突入! 地下室を抑えろ! 地下通路があるはずだ! 全ての部屋もくまなく探せ!」
その号令と共に、控えていた騎士が一斉に屋敷に流れ込む。
が――
「応戦しろ!!!!」
手枷を嵌められたオールヘウス侯の怒声と共に、大量の兵士が玄関ホールに集結したのだった。
乱戦になる……! このどさくさは不味い、時間が取られ過ぎる!
「クレスさん、一瞬だけ突入を止めて下さい。本当に一瞬、三秒程」
全力で行く。
お決まりの速度重視のスキルコンボに加え、この新しいビルド、轢き殺しビルドだ。
俺は全力で、なだれ込んできた兵隊に向けて駆け出す。
先頭の人間に真正面から向かうと見せかけ、直前でステップで斜め前に移動し、そこからジグザグに進むように、ホールになだれ込んできた兵士に重なるようにステップ移動を繰り返す。
……強力な魔物を一瞬で弱らせる程度にはダメージがある。
最悪、何人か死ぬだろうと、殺すことになるだろうと、俺はもう覚悟を決めている。
「ナニが――」
「あああああ!!!! 腹が! 腹が裂け――」
「なんだ、なにをされ――」
悲鳴が、後ろではなくすぐ隣からも聞こえる。
文字通り、轢き殺している。
俺の真横で、突然身体が吹き飛び、おかしな方向に首や手足が曲がっている人間が何人もいる。
ステップで移動する時、両腕を左右に広げ、当たる範囲を増やしていると、手が触れた場所が切り裂かれてしまった人間が何人も床に転がる。
一瞬。ほんの一瞬、目に見えない移動だけで、なだれ込んできた全ての兵士が戦闘不能に陥る。
「屋敷内の捜索を! 敵は殲滅しました!」
「な……! シズマ、お前……! これほどまでに……!」
俺の声を合図に、今度こそ騎士団が突入する。
だが――
「シズマ!!!! お前、何を知っている! なんでこの国にお前がついているんだ!!」
屋敷の奥から、一人現れる男。
元クラスメイトのカズヌマが現れたのだった――