第百一話
夢を見ている。
これは夢の世界なんだと、即座に認識することなんてあんまりない経験だけれども。
でも、不思議と俺は、今目の前に広がる光景が夢の中なのだと、自分が今いる場所が夢の中なのだと、確かに認識出来てた。
暗い部屋。不思議と自分の姿だけは認識出来るのに、周囲は漆黒の闇。
だが、目の前に光で照らされた大きな円卓が設置されていた。
椅子の数は……多いな、少なくとも『円卓の騎士』なんて数ではないのは分かる。
誰も座っていない椅子が並ぶ円卓。
俺は、その並べられた椅子の中で『唯一豪華な装飾のされた椅子』に腰かけた。
不思議と、この椅子には俺が座るべきなのだと感じたからだ。
「どこだ……ここ」
暗闇の中。円卓と椅子だけが存在する静寂の世界。
俺は、こういう恐いくらいの静寂が好きだ。もちろんゲームの音が騒がしいゲームセンターも好きだが、こういう静寂、静謐、孤独を感じさせるような環境も同じくらい好きなんだ。
「……変な夢だな」
「ええ、変な夢です。でも……起きた時、欠片だけでも貴方の中に残ってくれたら、私はそれをとても『嬉しい』と思うのでしょうね」
突然、暗闇の向こうから女性の声が聞こえて来た。
聞き覚えのあるような、どこか涼し気で、それでいて優しい語り口の。
暗闇から現れたのは、白銀の長い髪を持ち、淡いローズピンクの瞳を持つ、とても綺麗なエルフの女性だった。
「……シーレ?」
「ええ、私ですよシズマ」
夢? これは、夢なのか?
「シーレ、これは夢だと思う?」
「いいえ、これは半ば夢ではないです。どこかにある……シズマの心、意識、そういうものが集まる場所だと思います」
「そんな場所が……」
「最近出来たんですよ。恐らくシズマが成長した影響でしょう。かなり、今日一日で強くなったみたいですよ」
「あ、そういえば今日はまだステータスの確認してなかったな俺」
「きっと、とてつもなく強くなっていると思います。こうして、私達キャラクターが主人格であるシズマを呼び出せるようになったんですから」
え? 俺を呼んだ? シーレが?
「何故呼ばれたのか、ですね?」
「さすがに分かる? うん、どうして俺を呼んだのか教えて欲しい。重要なこと……なんだよね」
不思議な気持ちだった。
自分で変身するのとは違う、別人として、自分が生み出した存在とこうして話しているのが。
「今日は、お別れの挨拶に来ました」
「え? なんだよお別れって」
「ほら、前から言っていたでしょう? 『シズマが一番強くなれば自我を保てる』と。もう、私の姿になっても、私の意識は表に出て来ません。私はようやく、他の皆さんと一緒にシズマの中で一つになれるんです」
唐突だった。
それは、シーレが望んでいたことだと分かっていたのに、少しだけ、俺は――
「……寂しいな、それ。俺からはもう知覚出来ないじゃないか、殆ど」
「そうですね。でも、いますよ。私も、シレントも、セイムも、みんなシズマの中にいるんです」
「……メルトが寂しがるぞ、絶対」
「んー……それは確かに申し訳ないです。色々、一緒に行動することも多かったですしね……」
「俺、次にシーレの姿になった時、なんて説明したらいいんだよ……絶対に悲しむぞ」
そうだ、明確に女性人格として、メルトの傍にいてくれたのはシーレなんだ。
その消失は……絶対にメルトが悲しむ。
「これまで通りじゃダメなのか、シーレ」
「……シズマの力が強まったおかげで、私達キャラクターは『自分が背負わされた物語とその由来』までもをしっかりと認識するようになりました。それで、ようやく分かったんですよ。どうして私だけが、シズマの意識と同化しないのか。他の方達と一緒になれなかったのか」
どうやら、俺の成長は全てのキャラクター達になんらかの変化を与えたようだった。
「たぶん、私の設定やストーリーだけ、明確に『モデルになった実在の人間』がいるからなんです。ですから私の人格は創作ではなく、実在の人間ベースなんです。だから本質的に別人である私は、他の皆さんのように簡単にはシズマの中に溶け込めなかった」
「実在の……人物?」
「ええ。シナリオ担当とはまた別な人間、制作陣の中にいた女性スタッフの一人。それが私の元になりました。博士号を持ち、狩猟免許まで持つ、かなり変わった人間だったみたいですよ? 本人はいたって真面目だったんですけどね」
マジか……狩人×学者の組み合わせで用意されていたストーリー、あれって実在の人間の体験談とかも混じっていたのか……。
確かに別人の意識、原型が基盤にあるなら、すんなりと同化は出来ない……か。
「シズマ、最後に伝えておくことがあります。私は消える、それはつまり、これからは全て自分で考え、行動する必要があるということ。ですが、その思考や考え方には、私達が宿っているんです。貴方には私達が文字通りの意味でついている。それを忘れないでください」
「……分かった」
「それともう一つ……『彼』を頼るのも手段の一つとして考えておいてください。シレント達は警戒していますが『彼』だけは、貴方のことを『多少は優先して』考えてくれているようですから」
「彼って?」
「何番目でしたっけ……貴方が『三番目に強い』と言っていた彼ですよ。実は、声だけならここに聞こえてきていたんです。もし、貴方がどこかで『シレントではない暴力』が必要になったその時、躊躇なく彼を使ってください。私の予想ですと……彼のスキルはきっと貴方の今後の生活にも役立つと思うんです」
彼……三番目……それは俺個人としては『物騒な狂信者』と断じたキャラクターのことだった。
俺を優先している……? 暴力が必要な時……?
「さて、もうじき夜が明けます。私はこれで、完全に自分を貴方の中に溶け込ませることが出来る。シズマ、ここからは貴方にとっての試練の時となります。もしかしたら怒りに我を忘れることも、心を抉られるようなこともあるかもしれません。ですが……関係ないんですよ、貴方は強いんですから。いいですか? この世界は地球ではないんです。忘れないでください、私達最強の戦士達の力を引き継いだ貴方が、たかだか子供の戯言に揺らぐ必要はないんですから。だから頑張って、蹂躙して、分からせてあげてくださいな」
「苛烈なこと言うなー……けど、分かった。ああ、もう気負ってない。普通に見つけて、普通に倒して、普通に捕まえて終わらせる。安心して俺の中で見ててよ」
そう最後に伝えると、俺の意識が円卓から遠ざかっていくのを感じた。
気が付くと、俺は自分の部屋のベッドで目を覚ましていた。
少しだけ憂鬱な雨音が、屋根を打ち反響していた。
「夢……じゃない気がする」
本当に、最後に別れを言いに来たんだろう、シーレが。
元々別人が元になっていた……か。それなら人格が別れていたのも納得か。
なら……もしかしたら『上位三人』になっても、人格を乗っ取られることはない……?
いや、希望的観測はやめておこう。
「もしもの時は『彼』を頼れ……か」
選択肢の一つとして覚えておくか。
……シーレが消えた、か。
やっぱり喪失感が凄いな。
俺、結構無意識にシーレに頼っていたとこ、あったもんな。
難しい決断が迫った時とか、自分じゃ判断出来ない時とか、シーレの人格に頼っていた。
それに、メルトについてだって、シーレ頼りだった。
そんな彼女の人格が、もういない……いや、表に出てこないというのは……寂しい。
「が、もうウダウダ考えるのは終わりだ」
見送ったんだ、お互いに。ならもう、行動あるのみなんだよ。
俺は気合を入れ、降りしきる雨の中登城するのだった。
城に到着すると、いつもとは違う道を案内され、騎士団管轄と思しき施設へと連れていかれた。
そこはどうやら騎士団の作戦会議室らしく、通された部屋には既にクレスさん、それにクレスさんと似た意匠が施された鎧をまとう騎士が数名待機していた。
無論、そこにはコクリさんの姿も。
「来たか、シズマ。ここに居る面々が今晩、貴族街に向かうことになる。それぞれの隊をオールヘウス邸を囲むように配置する。万が一魔物が現れた際にも対応出来る腕利きだ。シズマ、お前の方の覚悟の程はどうだ? この数日間で成果はあったか?」
クレスさんが、俺の顔を見るなり訊ねてくる。
それは覚悟を問うと言うよりも、最終確認、既にこちらの心が決まっていると確信しているかのような、軽い調子の言葉だった。
「もちろんです。幸い、力も十分に蓄えることが出来ました」
「ん……そのようだな。お前達、疑問に思うかもしれないが今は飲み込め。だがこの青年は私が認めた戦士だ。今回の作戦の足を引っ張るようなことには決してならないと私が保証しよう」
「「「は!」」」
クレスさんの心遣いで、俺に向けられていた懐疑的な視線が一瞬で霧散する。
そこを見計らうように、今度はコクリさんが作戦の細かい内容を解説し始めてくれた。
とはいえ、俺は昨日聞いている為、とくに目新しい情報はないのだが。
「それと追加の人員として、アンダーサイド内の監視にキルクロウラーから数名派遣されているね。それでもアンダーサイドは複雑極まりない構造をしているからね、万全だとは言えない。そもそも、国も把握しきれていない区画なのだし」
まさか、本当に協力を取り付けてくるなんて。
そうしてコクリさんの説明と、騎士団のそれぞれの役目の再確認、作戦決行時刻を伝えられる。
「今回は事前情報はほぼ出していない。お前達も昨日突然ここに集まるように言われ混乱しているだろう。だがこれは奇襲戦でもある。騎士団の中にオールヘウス家と通じている可能性がある者もいる。極々少数で秘密裏に、素早く行う必要があった。難しい作戦ではあるが、皆の武運を祈る」
その言葉に、集まった少数精鋭の騎士団の人間が表情を引き締める。
やがて、作戦会議は終わり、決行の時までしばしの自由時間となった。
騎士の皆さんはそれぞれの部隊の元へ。そしてコクリさんは少し出て行ったと思ったら、何やら荷物を抱えて戻って来た。
クレスさんはというと――
「シズマ、旅団とはどういう集団なんだ? セイムはどういう人間なんだ? 何人くらい所属しているんだ? セイム以外にこの国に根を下ろす人間はいるのか?」
質問攻めをしていた。俺を。
「えーと……お世話になっている人達なので、情報の漏洩はちょっと……」
「むぅ……ならセイムがどういう人間なのか教えてくれ。いまいち掴みかねているのだ。強く誠実なのは分かる。だが、たまに恐いんだアイツは。でも優しいのも知っている。私と手合わせをした後に貴重なポーションを使ってくれた。だが、やはり恐い」
そんな! クリムソンハウルがそんなにトラウマになっているなんて……!
……今度セイムで優しくしよう。思いっきり親切にしよう。
「きっと戦いになると白熱しちゃうんですよ。悪い人ではないです」
「そうなのか……そうかもしれないな……」
「ねぇ、ちょっと次は私の話を聞いてくれるかな?」
とここで、今度はコクリさんが持って来た荷物と共にこちらにやって来た。
「君は異世界から来たんだろう? こういった品々が君達の世界のものなのか、どういう使用用途なのか、知っていたりはしないかな?」
そう言って彼女は抱えていた小さなコンテナから、様々なガラクタを机に並べだした。
なんだかとても目が輝いているように見えるが……そうか、そんなに好きなんだ、こういうのが。
……リモコンに古い携帯電話、壊れたマウスに古い玩具……あ、大人の玩具もある。
これは知らぬ存ぜぬで通そう。
「さぁこの中に知っているものはあるかな!?」
「え、ええと……とりあえずこれ……」
俺は、この中から一番当たり障りがなく、興味を引きそうな道具として携帯電話を選ぶ。
「この世界にもあると思うんですが、これは通信の為の装置ですね。会話が出来ます」
「ほうほうほう! この大きさでかい!? それとも大きな装置が本体でこれがパーツの一部かい!?」
「いえ、これ単独ですね」
「なんと! 伝達ケーブルもなしにこの大きさで……! 素晴らしい英知がそちらの世界にはあるんだね! もしかして仕組みも知っているのかな?」
「いや……流石に詳しいことは……」
「むぅ……それもそうか。いや、しかし大きな一歩だ。ふむ……今日捕縛する予定の人間の中に詳しい人間がいればいいのだけど」
「期待しないでください。全員、俺と同じ子供ですから」
「そうか……しかしいい話が聞けたからね、気長に解析するさ」
そう言うと、満足そうにコクリさんはコンテナをどこかに持ち帰って行った。
自然体。今日、この国の重鎮の一人であろう貴族を捕まえるというのに。
もしかすれば、隣国との戦争開始のきっかけになりうる事件を解決しようとしているのに。
それでも、この人達は自然体でいられる。
それがなんだか頼もしいと同時に……この国の底知れなさを思い知らされた気分だった。
もうすぐ日が暮れる。そろそろ、俺も気持ちを切り替えないとな。