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09. アザレアの花園

 私が席を立とうとした時には、すでにカーミラに抱きしめられていて身動きが取れなかった。

 とても女性の力とは思えないほどの凄まじい腕力。

 私ではとても振りほどけそうにない。


「カーミラ、何を!?」

「ごめんなさい。私、もう我慢できないのです」

「なんですって!?」

「カリス様の純潔の匂い……とても我慢できるものではございません!!」


 そう言って、彼女は大きく口を開いた。

 二本の鋭い牙を目の当たりにして、私は彼女の正体を察した。


「あなた、ヴァンパイア!?」

「その通りでございます。あなた様の血、これから美味しくいただきまぁす!!」


 まさかカーミラがヴァンパイアだったなんて!

 ヴァンパイアに血を吸われた者は、魂を毒に侵されて自由意思のない奴隷にされてしまうという。


 ダメだ、動けない――噛まれる!!


「ヤメロ、カーミラッ!!」

「ぎゃっ!」


 突然、背後にいたカーミラが吹き飛んだ。


「!?」


 代わりに、私の傍に大量の髪の毛が現れ、私の体を包むように蠢いている。


「なっ!?」

「騒ぐナ、聖女! ワタシはオマエを助けてやったんダッ!」

「あなたは昨日の!?」


 昨日、浴場に現れた髪の毛の魔物?

 否。髪の毛だけじゃない――ちゃんと人の形をした姿がある。


 小柄で色白、灰色のワンピースを着た少女。

 顔は髪の毛に隠れて見えないけど、人型の魔物だったのか。


「こんな明るい場所に出てくるなんて珍しいじゃないの。ねぇ、ビアンニ?」


 床に倒れていたカーミラが、手足を使わず弧を描くようにして起き上がった。


「聖女に何をスルつもりダ!?」

「何って……古語を学んでいただく良い機会かと」

「嘘ダ! 眷属にスルつもりだったんダロウ!!」

「何か問題でもあるのかしら?」

「アルに決まっテル! この女は、陛下の妃ダゾ!?」

「わかっているわ。わかっているけど……我慢ができないのだから仕方ないでしょう」


 カーミラの髪の毛が見る見るうちに逆立っていく。

 猫背になって、その表情には邪悪な笑みが露わに――これが彼女の本性か。


「性悪ヴァンパイアめ……」

「邪魔するなら、お友達のあなたでも殺すわよ?」

「やってミロ!」

「ゴルゴンごときが私に敵うと思っているのかしら!?」

「試シテみるカ!?」


 ビアンニと呼ばれた少女の髪の毛が伸び、まるで蛇のように蠢きながら床を埋め尽くしていく。

 その髪の毛は、私と当人、そしてカーミラの足元を除いて、あっという間に図書室の床を覆い尽くしてしまった。


「本気みたいね。退く気はないのかしら?」

「ソッチが先ダ。コッチから退く気はさらさらナイ!」

「そ~ぉ。ざ・ん・ね・ん♪」


 カーミラから肌寒い気配が立ち上った瞬間――


「おやめなさい」


 ――突如、二人の間に真っ黒い壁が現れた。


 否。これは影……?

 影が床から天井へと縦に伸びている、としか言いようがない。


 外から差し込む光を吸収しているのか、全体は真っ黒いまま。

 不定形の影の中には二つの目玉が浮かんでおり、それがカーミラとビアンニを交互に見下ろしている。

 その目玉に凝視された途端、二人ともその場にひざまずいてしまった。


「このお転婆ども。お妃様の前だというのに、なんたる無礼を働くか」

「もも、申し訳ございまセン……ッ」

「お許しをっ! ほんの出来心――悪戯だったのでございますっ」


 ビアンニもカーミラも、身を震わせながら弁解している。

 彼女達の態度を見る限り、この影は二人より格上の魔物であるらしい。

 しかし、こんな姿の魔物は見たことも聞いたこともない。


 不意に、影の目玉が私の方を向いた。


「誠に申し訳ございません、お妃様。これも私の監督不行き届きが原因です。この者達にはしかと罰を与えるゆえ、どうかお許しください」

「は、はい」

「本来であれば、正式な場でご挨拶をするべきなのですが……。このような形でのご対面となってしまったこと、平にご容赦ください」

「いえ……」

「申し遅れましたが、私はイブリスと申します。この城のハウスキーパーを務めております」


 魔王城のハウスキーパーと言うと、使用人の責任者か。

 こんな得体の知れない存在が上司だなんて……怯える気持ちもわかる。


「さて。お妃様には、引き続きこの部屋をご利用いただいてよろしいのですが、どうされますか?」

「あ、はい。そうですね、使わせていただきます」

「では、この者達は私が一旦引き取ります。以後、あなた様には一抹の敵意も向けられないように躾けておきますので、ご安心ください」

「そうですか……」

「それでは、ごきげんよう」


 直後、影は床に向かって沈み込んだ。

 真っ黒な水溜まりのようなものができたと思った瞬間、ビアンニとカーミラを飲み込んで、影は消え去ってしまった。


 図書室には私だけが残され、静けさが戻った。


「……私、古語は読めないんだった」


 結局、私は一冊の本も読むことができずに図書室を立ち去ることとなった。





 ◇





 図書室で寒気を覚えた私は、ジーナに気が休まる場所はないかと尋ねた。

 すると、彼女は城の裏側にある花園へと案内してくれた。


 花園と言われても、この荒廃した土地に綺麗な花々など期待できるわけもない。

 そう思っていたのに――


「なんて……美しいの」


 ――予想を遥かに超えた光景が私の目の前に広がっていた。


 そこには、アルストロメリアで見られる花々、加えて見たこともない美しい花々が咲き乱れていた。

 まさに花園――こんな青々とした自然豊かな場所が、どうしてこんな荒れ果てた土地に?


「ここはイブリス様の結界によって護られているため、花々が枯れることなく維持されているのです。アザレアで唯一、生命を感じさせる場所と言えましょう」

「結界ですか……」


 花園を見渡しても、特に周囲を覆うようなものは見られない。

 おそらく魔法の類で見えない結界とやらを張り巡らせているのだろう。

 魔法に明るくない私には、その理屈は到底理解しようがない。


 花園を道なりに歩いていると、大きな石碑が見えてきた。

 その前で立ち止まり、石碑に刻まれた文字を読もうと試みたけど――


「……古語ね」


 ――読むことはできなかった。


 石碑には、山羊のような角を持ち、翼の生えた女性の彫刻が彫られている。

 さらに、周囲には色取り取りの花々が咲いており、花園はこの石碑を中心として作られているのだと思えた。


 私は、これが墓石なのだと察した。


「先代王妃様の墓所でございます」


 ……やはり。

 となると、ザドリックの母親も亡くなっていたというわけか。


「先代の王妃様はどのような方だったのですか?」

「……」

「ジーナ?」

「申し訳ございません。それにつきましては、わたくしの口から話すことはできないのです」

「そう」


 口止めされているのは、何かしら理由があるのだろう。

 今はザドリックに母親がいて、すでに亡くなっているという事実だけわかればそれでいい。


 ただ、この場で私がやるべきことは決まっている。

 夫の母上のお墓を前にしているのだから、やることは一つしかない。


「お花を供えたいのだけど、どうすればいいかしら?」

「では、ハニースプライトから花をお受け取り下さい」

「ハニースプライト?」

「花園にて、花々を世話している者達です」


 不意に、私の視界に何かが飛んでくるのが見えた。


 それは手のひらに乗るくらいの小さな人の姿をした魔物。

 俗に言う妖精というやつだ。


 蝶のような羽根を羽ばたかせ、ハニースプライトが私の目の前に飛んでくる。

 彼女(?)は白い百合の花を一輪だけ抱えていて、私に差し出してきた。


「ありがとう」


 花を受け取ると、ハニースプライトはニコリと笑って飛んで行ってしまう。


 私は先代王妃の墓前へとその花を供えた。

 そして、女神に祈る時のように墓石へと手を合わせる。

 魔物の世界でこの振る舞いが正しいのかはわからないけど、私が知っているやり方はこれだけだから。


「……行きましょう」


 祈りを終えた私は、ジーナと共に踵を返した。


 城への道を歩くさなか、不意に優しい風が花園を吹き付ける。

 まるで先代王妃が私へ挨拶してくれたような――そんなことを思わせる風だった。

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