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08. 図書室へ

「カリス様。……カリス様。朝でございます」


 誰かに名前を呼ばれて、私は目を覚ました。


 ここは私の寝室。

 窓の外からは明るい光が差している。


 ……朝だ。


 天幕の向こうには人影があった。

 それは無貌(むぼう)の女――私の侍女だった。


 今しがた聞こえてきた声は……もしや彼女のもの?


 ベッドから降りて幕を開いてみると、たしかに目も鼻も口もない彼女の姿がそこにあった。

 昨晩と変わっているところと言ったら、首周りに巻いているチョーカーくらいだ。


「あなた、喋れたの……?」

「魔声石をいただいたのです。その力によって声を出すことができるようになりました」

「魔声石……」

「このチョーカーに縫い付けてある小さな石がそうです」


 彼女の首に巻かれたチョーカーには白い石が縫い付けられていた。

 たしかに声はそこから聞こえてきている。


「今後、わたくしがカリス様の身のまわりのお世話をさせていただきます。あらためましてよろしくお願いいたします」

「ええ。よろしく」

「つきましては、お食事をご用意しております――」


 部屋の中には、料理の乗せられたワゴンが置かれていた。

 いい匂いがすると思ったら、朝食だったの。


「――蜂蜜パンとコーンスープでございます」

「まぁ。ありがとう」

「毎日午後七時には、食堂で陛下と晩餐を共にしていただきます」

「わかりました」

「それ以外の時間は、ご自由にお過ごしください」

「ご自由にって……私がするべきことは何もないのですか?」

「ございません。あなた様には一切の不自由をさせぬようにと、陛下からのご命令です」

「そうですか……」


 日に一度の晩餐以外はすべて自由時間だなんて。

 尋問を覚悟していたけど、どうやらその心配はなさそう。


「ただし、中庭にだけは立ち入らないようお願いいたします」

「中庭? そこに何があるのですか」

「わたくしからは申し上げられません」

「……わかりました。中庭には立ち入らないようにします」


 立ち入りを禁じられると、逆に気になってしまうのが人の(さが)

 機会があれば覗いてみることにしよう。


「そう言えば、あなた達は自分達のことをなんと呼んでいるのです?」

「自分達のこと……と言いますと?」

「あなた達は自分達のことを魔物とは言わないでしょう」

「そうですね。わたくしどもは、自分達をアザレアの民と称しております」

「アザレア?」

「魔王ガルガリシオン陛下の治める国家です」


 魔王の国家、か。

 たしかに人間国家連合(ガヴァメント)の支配の及ばない暗黒の領土は、魔王の国と言って差し支えない。

 でも、魔物の口から国という言葉が出るなんて、違和感が凄い。


「わたくしは外におりますので、何かあればお呼びください」

「待って」

「何か?」

「呼べと言われても、なんと呼べばいいのか……。あなたの名前を教えてくれる?」

「わたくしどもに名前はありません。わたくしどもはすべて、陛下の所有物ですので」

「それはそうなのでしょうけど、いざという時に困ってしまいます」

「左様ですか」

「私があなたに名前をつけてもいいのかしら?」

「……はい。問題ないかと存じます」

「それじゃあ――」


 名前を呼ばれること。

 それは名を持たない私にとって憧れでもあった。


 そんな私も、今はカリスという仮の名を得ている。

 魔王暗殺の特命を終えるまでの仮初めのものだけど、番号以外で呼ばれることは思いのほか嬉しい。

 その気持ちは、魔物である彼女も同じではないかと思う。


「――ジーナはどうかしら」

「ジーナ、ですか」

「アルストロメリアの古語で女性という意味なの。嫌じゃないかしら?」

「とんでもございません。名をいただくなど身に余る光栄です」

「今後ともよろしくね、ジーナ」

「よろしくお願いいたします、カリス様」


 ジーナは深く頭を下げた後、部屋から出ていった。

 思いのほか喜んでくれたみたいだ。


 私はテーブルに移されたパンとスープを食しながら、昨晩のことを思い出していた。


 浴場に現れた髪の毛の魔物。

 あの魔物は、私のことをずっと視ていると言った。


 今は視線を感じていないけど、部屋の外に出たら監視されると考えた方がいい。

 この城を自由に動き回れるのはいいけど、あの魔物に監視されている以上、あまり目立つことはできそうもない。

 情報収集をするにも、場所を選ばないと危険だな。


 それに打って付けの場所と言えば――


「図書室!」


 ――今日やることが決まった。





 ◇





 ジーナに図書室へ行きたいと伝えたら、彼女は快く承諾してくれた。


 寝室にはザドリックが用意してくれたという黄色いドレスが置かれていて、それに着替えるように促された。

 昨晩のこともあるし、今日は短剣(ダガー)を持ち歩くことは避けよう。


 私はドレスを着替えるや、ジーナと共に図書室へと向かった。


「今日も曇りなのね」

「この土地の空に雲が晴れるということはございません」

「そうなの……」


 回廊の窓から覗く外の景色は相変わらずの曇り空。

 朝ということもあって明るくはあるけれど、太陽の姿は雲に隠れて見られない。


 それから階段を二度ほど上り、何度目かの曲がり角でジーナは足を止めた。


「ここが図書室になります。わたくしは外で待機しておりますので、お帰りの際にはお声がけください」

「ありがとう」


 図書室の扉を開くと、中は思いのほか明るかった。

 窓からは明かりが差し込み、ズラリと壁に並ぶ本棚を照らしている。

 そんな中で私の目を引いたのは、部屋の中央からこちらを見つめている女性の姿だった。


 無貌(むぼう)の女じゃない――ちゃんと目も鼻も口もある。

 ただ、健康的には見えない真っ白い肌に、不気味な紫色の髪、そして真っ黒に染まった目に金色に輝く瞳が、私の警戒心をあおった。


「ようこそいらっしゃいました、聖女カリス様」

「あなたは?」

「私は、この図書室の管理を命じられている司書でございます」

「名前はないのかしら」

「カーミラと申します」

「そう、カーミラ。さっそく本を見させてもらいますね」


 彼女はニコリと笑うと、私を本棚の前へと案内した。





 ◇





 図書室の本を見て回っていて、私はある誤算に頭を抱えた。


 この部屋にある本は、すべて古語で書かれているのだ。

 そのため、ごく一部の古語を知っているだけの私では、まったく読むことができなかった。


「こちらはいかがでしょうか?」

「……ダメ。これも何が書いてあるかわからないわ」


 カーミラがおすすめの本を持ってきてくれているのだけど、どれも古語で書かれていてまったく読めないのは変わらず。

 私は受け取った本を机の上に置いて、大きな溜め息をついた。


「お力になれず申し訳ありません」

「いいのよ、カーミラ。ありがとう」

「失礼ですが、カリス様は大陸言語をいくつ解されているのでしょう」

「南方言語と西方言語、あとアルストロメリア地方の古語を少しだけ」

「となると、この部屋の本に読めるものはありませんね」

「そうでしょうね。残念です……」


 魔王や魔物の情報を得られると思ったのに、読めないのでは仕方がない。

 それにしても魔物が古語を理解できるなんて意外だった。

 それ以前に、本を読むという習慣があることに驚いたわけだけど……。


「カーミラは本が好きなのですか?」

「はい。知識とはこの世の何よりも尊きものと心得ます。書物にはその知識が込められた宝と言ってよいでしょう」

「なるほど。宝ですか」

「それだけに、その宝を得られないカリス様が不憫でなりません」

「仕方ありませんね。私もそれほど学があるわけではありませんから」


 とは言ったものの、本物の聖女様は古語も含めて、この大陸で使われている言語のおおよそはマスターしていると聞いている。

 さすがにそのことで偽者だとバレることはないだろうけど、聖女様に扮する身としては不安になってくるのも事実。


「時間はありますから、少しずつ古語を学んでいくことにします」

「カリス様は逞しいですね」

「そうかしら」

「はい。とてもそそられますわ」

「え?」


 カーミラが舌なめずりをしている。

 彼女は熱い眼差しを私に向けながら、急に身を寄せてきた。


「カリス様。今すぐ古語を完璧に理解できるとしたら、どうします?」

「そんなことが可能なのですか?」

「どうします?」

「……ぜひ理解したいですね」


 なんだかカーミラの様子がおかしい。

 彼女は椅子に座る私の背後に立つや、両肩にそっと手を添えてきた。


「私の眷属となれば、私の知識の一部――例えば言語能力がそのまま受け継がれるのです。素敵なことではありませんか?」

「え? ええ、それは……そうですね。……眷属?」


 急に胸騒ぎがした。


「聖女カリス様。知識を得る快楽を私とご一緒しましょう?」


 偶然、私の視線が机の上に置かれていた花瓶へと向いた。

 花瓶には、口元から牙を剥き出しにしたカーミラの顔が映っていた。

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