05. 晩餐
食堂に招かれた私は、広い円卓の一席に座らされていた。
円卓の真上――天井からはシャンデリアが吊り下げられていて、そこから発する青い光が食堂全体を照らしている。
城の通路もこれくらい明るくしてくれればいいのに……。
今、円卓に座っているのは私一人。
魔王の姿はまだない。
この場にいるのは、私の他には侍女を務めてくれている無貌の女のみ。
……ずっと沈黙が続いていて、非常に気まずい。
私は手遊びをするタイプではないのだけど、手持無沙汰でついつい指先で円卓をなぞってしまう。
この円卓は何かの獣の骨で作られているよう。
私が座る椅子もそうだ。
目の前にはナイフやフォーク――おそらくこれも骨製?――が置かれている。
材質はよくわからないけど、灰色のナプキンまで。
テーブルマナーは貴族邸への潜入任務のために教え込まれたので、問題はない。
でも、魔物が人間と同じマナーで食事などとるのだろうか。
むしろ生きたまま獲物を食い殺すようなイメージしかないのだけど……。
その時、大きな音と共に扉が開いた。
入ってきたのは――
「遅れてごめんなさい!」
――魔王だった。
彼は身の丈ほどの長い杖を持ったまま、円卓へと駆けてくる。
魔王が着席したのは私の正面――反対側の席。
そこには私と同様、ナイフやフォークが置かれていた。
「待たせちゃいましたか?」
「いいえ。私もつい先ほど来たばかりです」
「そう。よかったぁ!」
あらためて見ても、やっぱり人間の男の子にしか見えない。
非人間的な部分は頭の角だけだし、本当に魔王なのかと疑いたくなる。
……いや。騙されるな。
魔法には姿を偽るものもあると聞く。
魔王がその魔法で少年の姿に化けていると考えるのが妥当だ。
決して油断はできない――観察しなければ。
どう行動し、どんな癖を持つのか、それらがわかるだけでも暗殺の成功率はぐっと上がる。
「ケイン、早く料理を!」
「承知しました」
……え?
ケインて、宰相の名前だったはず。
周囲を見回しても、宰相の姿はどこにもない。
彼は誰に向かって話しかけたのだろう。
そう思った時、魔王の持っている杖が輝きだした。
その杖の形に私は見覚えがある。
「あれは……」
杖は宰相の頭――ドラゴンの骨格のような頭――にそっくりだった。
と言うか、サイズも見た目もそのままだった。
「あ、聖女様には教えておかないといけないですね。これ、ケインです」
「主様。これ、はないでしょう。まぁ杖ですから物には違いありませんけど……」
杖? 杖ですって?
たしかに彼が握っているのは杖。
と言うことは……。
「ケイン様は……その、杖……だったのですか?」
「はい。私は魔王陛下の持つ七十二の魔導杖の一つでございます。自我があるため、こうして主様の身の回りのお世話もさせていただいております」
「そ、そうでしたか……」
「外向きの姿を見た後では、さぞかし驚きの事でしょう。城の外では甲冑に杖を差し込んで行動するのですが、城内では杖のままでいるのです」
「なるほど……」
他に言葉がない。
杖に自我があるというだけでも驚きなのに、甲冑と一体化(?)することもできるなんて……。
これって魔物の範疇と捉えていいのだろうか?
扉が再び開く音が聞こえた。
見れば、無貌の女達がワゴンを推して食堂に入ってくる。
……そうだ。
これから晩餐が始まるのだけど、一体どんな料理が出されるのだろう。
人間の私にも食べられるものなのか?
得体の知れないものを出されても、礼儀を欠くような真似はできない。
なんとか胃に入れなければ魔王を怒らせてしまうことも……。
その時、私の鼻に香ばしい匂いが届いてきた。
これは王都のレストランで嗅ぐような、食欲を誘う焼いた肉の匂いだ。
「献立は?」
「前菜には、魔界メイスと沼草のリンネゴマ和え」
「いいね!」
「スープには、ハニースプライトのよだ――こほん。ハニースプライトから提供いただいた水飴をミルクで溶かし、アンモナイトの具と一緒に煮込んだものを」
「うん。大好き!」
「メインに、カトブレパス肉のソテー。ソースには一級マタンゴを使い、マンドラゴラの葉とドリアードの髪も添え物として」
「野菜多くない?」
「好き嫌いはダメです。食事はバランスよくとらなければ大きくなれませんよ」
「はいはい」
「はいは一回!」
「は~い」
「……続けますが、デザートにはレインボースライムのプティング」
「甘そう!」
「お飲み物には聖女様のお口にも合うように、干し首葡萄のワインをご用意しました」
「いいんじゃないかなっ」
……なんだろう、今の会話は。
ケイン宰相は魔王の教育係か何かなのか?
それに、食事のメニューは聞いたことのない食材ばかり。
人間の私にも食べられるものなのだろうか。
「えっ!?」
女達が配膳していくさなか、私は目の前に出された料理に目を丸くした。
想像していたようなグロテスクな食べ物ではなく、普通に王都のレストランでも出てきそうなちゃんとした料理だったからだ。
「それでは主様。乾杯を」
「聖女様、乾杯しよっ!」
魔王が血のように赤いワインの入ったグラスを取った。
私も彼に合わせてグラスを取り、声を合わせた。
「「乾杯」」
魔王はワインを一気にあおったけど、私は慎重に一口だけ口に含んでみた。
……美味しい!
今まで私が飲んだどんな酒よりも甘くて飲みやすい。
さらに料理を実食してみると、いずれも私の食欲を満足させるもので驚いた。
得体の知れない動物の肉も、野菜も、スープも、すべてが私の想像を超える美味しさ――なぜこんな料理が魔王の城で出てくるのか理解できない。
もしかして、私はすっかり何かの魔法にかかってしまっているのでは?
「聖女様の口にもあったようだね。よかった!」
「あ。は、はい。とても……美味しいです」
私としたことが、食べることに夢中になってしまっていた。
食事を満喫しつつも、魔王を観察しなければ……。
「主様。少しは落ち着いて食べてください」
「落ち着いてるよ!」
「ほら、聖女様を見習って。フォークの持ち方、間違ってますよ」
「えぇ~!?」
魔王はテーブルマナーを心得ていないようだ。
ナイフやフォークの持ち方はおろか、口周りをあんなに汚してしまって。
傍で見守るケインが注意する気持ちもわかる。
まるでテーブルマナーを学んで間もない子どものよう。
「……まさか。いや、そんなことが……?」
子どものように振る舞う魔王を見ていて、私はある可能性を思い立った。
魔王は勇者様との戦いで瀕死の重傷を負った。
こちらの勇者様が亡くなったように、魔王も死んでいたとしたら?
そして、その魔王にまだ幼い息子がいたとしたら……。
「主様! ちゃんとよく噛んでっ」
「うるさいなぁ~」
馬車の中でケインが言っていた言葉の意味、ようやくわかった。
この魔王は、人間の知る魔王じゃない。
亡き父の意志を受け継ぐ、まだ王になりきれていない幼い魔王なのだ。