04. 未知なる世界
「あなたが……魔王陛下」
「そうです」
「……」
「どうかしました?」
「い、いえっ」
……どう反応したものか。
おぞましい魔物を想像していたので、拍子抜けしたと言うか、信じられないと言うか、困惑してしまう。
頭に生えた山羊のような角を見れば魔物だとわかる。
しかし、特徴的な黄金の髪と赤い瞳を除けば、容姿は人間の男の子そのものだ。
年齢は十歳かそこらに見えるが、外見通りの年齢なのだろうか?
彼の着ている人間の衣服は一体どこで手に入れたのか?
勇者様との戦いで瀕死になったと聞いたが、まったく怪我が見られないのは何故?
……疑問が尽きない。
「聖女様は長旅でお疲れの様子。晩餐まではお部屋で休んでいただきましょう」
宰相が気を利かせてくれた。
今、私は混乱している。
頭の整理がつくまでは一人になりたい。
「そう。それじゃケイン、案内してあげて」
「承知しました」
ケイン――宰相の名か。
見た目に似合わず、意外と普通っぽい名前だ。
「聖女様を寝室にご案内せよ!」
宰相の命令で、後ろにひざまずいていた女達が立ち上がり、再び列を作った。
わざわざ帰りの道を作ってくれるなんて至れり尽くせりだな。
「それでは、魔王陛下。これにて失礼させていただきます」
「はい」
ニコリと屈託のない笑顔を贈られて、私はまた困惑した。
ますます普通の子どもと区別がつかない。
私が踵を返した時――
「あのぅ、聖女様?」
――魔王から声が掛かり、緊張が走る。
何か不審なところがあったのか?
そんな疑いを持って振り返ってみると、少年は笑顔のまま私を見つめていた。
「その赤いドレス、とっても似合ってますね」
……まさかドレスを褒められるとは。
聖女でないことを見透かされたと思ったが、どうやら杞憂だったか。
「ありがとうございます」
「僕、好きですよ。血のように赤い色って」
「……陛下の好みなど、色々お聞きしたく存じます」
「そんなへりくだった喋り方しなくていいですよ。僕らは夫婦でしょ?」
「は、はい。承知しました」
「ほら、また」
「あっ。失礼……しました」
「ふふっ」
くすくすと笑う少年を見て、私はこの場が本当に魔王の居城なのかと疑ってしまう。
私は馬車の中で悪い夢を見ているのではないか?
でなければ、これらはすべて魔法による幻覚ではなかろうか?
……いけない。
この場の雰囲気に飲まれてしまっている。
使命を忘れるな。
私は魔王を――彼を殺すためにこの地にやってきたのだ。
「それでは、失礼いたします」
「うん。またね!」
魔王の視線を背に感じながら、私は二列に並ぶ女達の間を通って玉座の間を出た。
扉が閉まった頃、私は自然と深い溜め息をついていた。
足を止めていると、一緒についてきた無貌の女が私に視線(?)を送ってきている。
どうやら彼女が寝室への案内役らしい。
私が歩き出すと、女は青いランタンを掲げながら廊下を先導した。
王城の闇を照らす青い光は不気味だったが、それ以上に辺りの暗闇から感じられる不穏な気配が、私の警戒心にいちいち引っ掛かって気が削がれる。
まずはこの環境に慣れないと、任務に集中できそうにない。
◇
薄暗い通路を歩き続けてしばらく。
女が壁の暗がりを照らすと、闇が裂けてその先に新たな通路が現れた。
不気味な仕掛けだ。
魔法で城内の通路を隠しているのだろうか。
その通路に入ってからというもの、あちこちから視線を感じて背筋が寒くなる。
周囲を見回しても、あるのは深い闇――そこから一体何が私を視ているのか……。
しばらく通路を進んでいくと、外の景色を見渡せるテラスが見えた。
否。テラスではなく、それは隣の塔へと続く空中の渡り廊下だった。
「これはなかなかに……素敵な眺めですね」
そこから見える光景は、地平線の彼方まで荒れ果てた大地。
ポツポツと見られる黒い森には怪鳥が飛び回り、沼地には巨大な蛇のような生き物がうねっている。
赤黒い荒野には入城時に目にした魔物達の姿まで。
……万が一の時の脱出は不可能だな。
渡り廊下を通って塔に入ると、その内側は螺旋階段になっていた。
女は階段を上に登っていったので、私は彼女の後に続いた。
私の寝室というのは、その螺旋階段の先――塔の頂上にあった。
寝室は思いのほか広い。
不気味なデザインをしているものの、テーブルやクローゼット、本棚などの家具が置かれ、中央には天幕のついたベッドまである。
壁には巨大な魔物らしき頭蓋が飾られている他、鎧戸の備え付けられた窓が。
床にはふわふわした踏み心地の良い絨毯が。
天井にはステンドグラスが張られていて、人間らしきシルエットの男女と手を繋ぐ子どもの絵が描かれている――この城には違和感のある絵だ。
「案内ご苦労様です」
私が話しかけても女は何も言わない。
……それはそうか。
無貌なのだから、目も鼻も口もないのだ。
彼女は青いランタンをテーブルに置くや、一礼して部屋を出て行ってしまった。
時計もないこの部屋で、一体どれだけ待てば晩餐の時間になるのだろう。
まぁそれはともかく、せっかく一人になれたのだから少しは気を楽にしよう。
私は幕をめくってベッドに倒れ込んだ。
ふわふわもこもこした実に寝心地の良いベッドだった。
人生でこれほど上質なベッドは初めて。
「ひとまずは様子をうかがうところからだな」
そう独り言ちた後、私は眠気に誘われた。
ここまでの旅路で想像以上に気を張っていたのか……。
私はまどろみに落ちていった。
◇
どれくらい時間が経っただろう。
ふと目を開けると、目も鼻も口もない人間が私の顔を覗いていた。
「……っ!!」
突然のことに身が凍って、声すら上げられなかった。
ベッドに横たわる私を覗いていたのは、無貌の女だ。
彼女は私が起きたのを見て、顔を離した。
どうやら寝入ってしまった私を起こそうとしてくれたらしい。
「あ……。ば、晩餐の時間ですね?」
彼女はこくりと頷いた。
女は天幕から出ていくと、テーブルに置かれたランタンを取り上げ、扉の前でこちらに向き直った。
何を言いたいのかはわかる。
「はぁ」
私は溜め息をついた後、ベッドから降りて彼女と共に寝室を出た。
迂闊だった。
まさかこの私が――いくら疲れていたからとは言え――、相手の存在に気付かずにあれほど接近を許すなんて。
暗殺者としては失格と言わざるを得ない。
と言うか、天幕の外から声を掛けてくれればいいのに。
……それは無理な話か。