26. 終幕
すべてが終わった。
賢者カドゥケウスは倒れ、城内に侵入したすべてのホムンクルスの全滅も確認された。
アザレアの地では珍しく曇り空が晴れ、快晴のさなか太陽が真上から差している。
こんな空模様は久しぶりで、心が洗われる想いだ。
激痛に悶えていたザドリックはひとまず症状が落ち着いた。
今は中庭に横になったまま、私がその手を握っている。
アザレアの受けたダメージは深い。
城は倒壊の恐れがあるほどボロボロになってしまったし、アザレアの民には多くの怪我人を出してしまった。
ケインを除いた側近達はみんな重症で危うかったけれど、運よくホムンクルス達が回収していたユニコーンティアーの秘薬が傍にあったことで、全員が危機を脱した。
誰一人死者を出さなかったことが奇跡とも言える。
「アザレアは救われた。しかし、主様の容態は優れぬまま……果たしてこれからどうしたものやら」
「ねぇねぇ! ウチ、ちょっと閃いたんだけどっ」
「キャッタン。騒ぐと主様のお体に響くから、静かにしていなさい」
「これ、なーんだ!?」
キャッタンが満面の笑顔でガラスの皿を取り上げてみせた。
側近達は彼女の行動を察せないでいる。
かく言う私も同じく――一体何が言いたいのだろう。
「ふむ。倉庫にそんな皿あったかね?」
「神託の儀式道具のお皿だよ! そこに聖女様もいるんだし、これで今から女神の神託を受けてみようよ! そうすればザドリック様が助かる方法がわかるかもよ!?」
「そ、そうかぁーーっ!!」
ケインが大声を上げた。
その場の全員の視線を集めた彼はばつが悪そうに咳き込むと、すぐに無貌の女達に儀式道具の回収を命じた。
……そうだった。
まだその件が解決していないままだった。
私が聖女でないことは、ザドリックにはすでに知られている。
そして、あの時カドゥケウスとの会話が聞こえていたアザレアの民にも。
その事実を明かさずに話を進めるのは大いに問題があるだろう。
「ダメです。儀式道具のほとんどは、賢者が派手に暴れてくれたおかげで破損してしまっています。これでは神託なんてとても……」
カーミラが折れた儀式杖を手に取りながら言った。
それを聞いて、ケインは残念そうな声を上げる。
「なんということだ……」
「それどころか、ホムンクルスどもが倉庫の魔道具を地上に持ち出したせいで、それもまとめて破壊されてしまっています」
「むぅ……。ユニコーンティアーが残っていてくれたことが不幸中の幸いだったか」
「魔鏡と一部の武装、それと小物類は無事を確認しています。一応、破損が見られないか調べさせていますが……」
「うむ。ご苦労だったな、カーミラ」
アザレアのダメージは私の想像以上に大きいようだ。
人的被害がなくとも、魔道具の多くが失われてしまったことは大きい。
それもすべて私の責任と言える。
「カリス様……」
ジーナが私に声を掛けてきた。
彼女は――目も鼻も口もないけれど――何か言いたげな様子で私を見つめている。
もちろん言いたいことはわかっている。
私の正体は、ザドリックを始めとした一部のアザレアの民に知られてしまった。
そうなってはもう隠す理由などない。
否。むしろ真実を明かしてしまいたいというのが正直なところだった。
「……みんなに聞いてほしいことがあるの」
私は、アザレアの民に自分が偽者の聖女であること、そしてザドリック暗殺が真の目的だったことを正直に告白することにした。
結果、彼らから恨まれ、命を失うことになっても受け入れるつもりだった。
なのに――
「そう。でも、カリス様はカリス様でお変わりないのでしょう?」
「だったら別にいいんじゃないかな。ウチ、細かいことは気にしないからっ」
「……別にアナタの過去なんて興味ナイ」
「ま、現状を見りゃ小さなことだわな!」
「経緯がどうあれ、あなた様を疎む者などこのアザレアにおりましょうか」
「過ぎたことはいいってことよ。俺は今のあんたが好きだからな!」
――真実を告げた彼らの反応は、驚くほど素っ気なかった。
「あなた達も、私を許してくれるの?」
私は残りの二人にも意見を仰いだ。
芝生の上には、二つの目玉と、杖が一本転がっている。
「許すも何も、我らアザレアの民一同、カリス様のお心は知っております」
「その通りです。主様と同様、あなた様はもはやアザレアになくてはならぬ存在。過去を悔いる必要などございませぬ!」
イブリスとケインからも私を責めるような言葉は聞こえない。
私は緊張が解れて、目頭が熱くなってしまった。
「ありがとう……! ありがとう、みんな……!!」
裏切り者の自分を受け入れてくれた彼らに、私はあらためて感謝を告げた。
ありがとう――もうそれしか言葉がない。
「カリス。きみはもうアザレアの一員なんだ」
「ザドリック」
「今後、僕に何があっても、きみはみんなと一緒に幸せに暮らしてほしい」
「な、何を言うのっ!?」
「わかるんだ。僕にはもう時間がないってこと……」
「やめて! ザドリック、そんなこと言わないでっ!!」
ザドリックは穏やかな笑みを浮かべたまま、私を見上げている。
この笑顔がもうじき見られなくなるなんて、絶対に嫌だ!
「ユニコーンティアーも残りわずか。主様の寿命をほんの少し永らえさせる程度でしょうが、最期までご看病いたします」
「ザドリック様」
「ザドリック坊!」
「ザドリック坊ちゃま!!」
ザドリックの周りに側近達が集まって励ましの声を掛けている。
避けられない死を前に、家族に囲われているこの状況は幸せなことなのだろうか。
……きっと幸せなのだろうな。
「そうそう。これ、カリスちゃんのだよね?」
「えっ」
「そこに落ちてたのを拾ったの。……違った?」
「これは……」
キャッタンが差し出してきたのは、私の短剣だった。
サーティを突き刺した時に刃こぼれでもしたのだろうか、切っ先が欠けてしまっている。
「……ありがとう」
私はキャッタンから短剣を受け取った。
刀身を覗き込んでみると、刃にはまだ聖油が残っているようで、私の顔が反射して映り込んでいる。
「?」
その時、刀身に映り込む私の背後で何かが光るのが見えた。
振り返ってみると、カーミラが中庭に持ち込んできた魔鏡が目に留まる。
「あれは……」
私は鏡面に文章が浮かび上がっていることに気が付いた。
思わず側近達を押し退けて、魔鏡の前へと飛び出してしまう。
「カリス様!?」
「どうなされたのです」
困惑する側近達をよそに、私は魔鏡に映る言葉を読み上げた。
「すべての聖油を……王に捧げよ……さすれば……道は開かれる……」
なぜ聖油のことを?
そもそも誰が魔鏡にこんなメッセージを?
でも、アザレアの民であるザドリックに聖油を使えば、彼の命は……。
「あれぇー? なんで魔鏡が映ってんの?」
「なんだありゃ。ありゃあ文字か……なんて書いてあるんだ?」
「聖油とは女神の加護を受けた油のことでございましょう。なぜそんなものを?」
側近達もメッセージを読んで困惑している。
次に、彼らの視線が私へと集まる。
私はザドリックの元へと戻り、聖油を塗り込んであるすべての道具を取り外した。
ユニコーンティアーの空瓶にそれらに塗られた聖油をすべて洗い落とし、かろうじて小瓶一本分に達したそれをザドリックの口へと運ぶ。
「カリス……」
ザドリックの口が開いて、私は躊躇ってしまった。
あのメッセージを鵜吞みにしてこの聖油を彼に与えてよいものだろうか。
聖油はアザレアの民にとって致死性の猛毒――考えれば結果は見えていると言うのに、私は一抹の希望にすがろうとしている。
「ザドリック。私を今一度、信じてくれますか?」
「当然だよ。妻を疑う理由なんてない」
「……ありがとう。愛しています」
私はザドリックの口へと聖油を注ぎ込んだ。
すべてを飲み込んだ彼は、まるで眠るように目をつむると――
「あぁ。なんだか気持ちがいいや……」
――全身が輝き始めた。
「ザドリック!!」
輝きが増す一方で、彼の体が見る見るうちに縮んでいく。
唖然としながら成り行きを見守っていると、光が止んだ頃には、彼は少年の姿へと戻っていた。
「ザドリック……」
「カリス?」
目を開けた彼は、ケロッとした様子で身を起こした。
「ザドリック様!!」
側近達が湧く一方で、ザドリックは不思議そうに全身を撫でている。
「どうしたの、ザドリック。一体何が……?」
「もう痛みを感じない。それに不思議と体が軽くなった気分だ」
「それって……」
「呪いが解けたみたい」
「ザドリック!!」
私は思わず彼を抱きしめてしまった。
「なんと喜ばしい! こんな奇跡が起こるなど!! ……しかし、一体あの魔鏡のメッセージは何だったのでしょうか?」
ケインが喜び半分、困惑半分で不思議がっている。
それは私も同じこと。
あらためて魔鏡を見てみると、すでに鏡面には何の文字も映っていない。
それどころか――
「うわっ!」
――キャッタンが興味深そうに鏡面を覗き込んでいるさなか、鏡が割れてしまった。
「ちちち、違うよ! ウチ何もしてないよっ!?」
慌ててキャッタンが訴えている。
けれど、誰も彼女が何かしたなんて思っていない。
「あのメッセージが送られた直後にこれとは、どうにも妙だな」
「はい。おそらく何者かがメッセージを送ってきた影響で、鏡が割れてしまったのではないかと思いますわ」
ケイロンとディーヌが、半泣きしているキャッタンを慰めながら言った。
「カリス。きみはどう思う?」
「……私は……」
ザドリックが私の顔を覗き込んでくる。
彼の赤い瞳は、太陽に反射してキラキラ光り輝いており、思わず見惚れてしまう美しさだった。
「カリス?」
「ザドリック。私は――」
言いながら、私はザドリックを抱きしめた。
「――女神様のお慈悲だと思います」
「女神……」
「いつだったか、女神様にアザレアの平和を願ったのです。もしかしたら、その時の私の願いを聞き届けてくれたのかもしれません」
「そうなんだ。ありがとう、カリス」
「いいえ。妻として――このアザレアの妃として、当然のことをしたまでです」
私達は鼻先が触れ合うほど間近で見つめ合った。
どちらかがほんの少し顎を上げれば、唇が重なりそうなほどの距離――
「……っ」
――だったのだけれど、側近達にじっと見られていたものだから、私もザドリックもとっさに顔を離してしまった。
「別に気にすることありませんのに」
「わしらのことは空気と思っていいぞ!」
「ええ。どうぞご自由に接吻をお楽しみくださいな」
……やめて。
そういうことストレートに言われると恥ずかしいから!
「さて。色々と問題は解決したけど、城もこんなんなっちゃったし、これからどうしたもんかな」
ザドリックはボロボロになった中庭を見回し、感慨深い表情を浮かべている。
「城は倒壊の恐れがあります。建築から三百年以上も経っておりますし、中枢であれほどの破壊があっては致し方ないことではありますが……」
「そうだね。長い歴史の詰まった城だから残念だ」
ザドリックは、取り上げたケインを振り回しながら何かを思案している。
「ザドリック。何を考えているのです?」
「うん。頃合いかなって思ってさ」
「……何の?」
「休戦条約とか、暗殺とか、人間国家連合と付き合っていくのは大変だよ。だったら、新天地で一からやり直したいと思ったんだけど……どうかな?」
その発案に私は驚かされた。
この広大な領土を捨てて、新たな土地を探すというの?
王族らしからぬ言葉に聞こえるけれど――
「アザレア総出のお引越しってわけか! いいね、俺も旅をしたいと思ってたんだ」
「川や森といった自然に囲まれている土地でしたら素晴らしいですわね」
「わしは食材豊富な土地ならどこだっていいぞい!」
「少し寂しいケレド……ソレが坊ちゃまの望みなラバ、お供シマス」
――どうやらみんな納得しているらしい。
「カリスはどうかな?」
「私も皆と同じ気持ちです。ついていきます、どこまでも」
ザドリックがにこやかに笑った。
これからもずっとこの笑顔と共にいられるのなら、私は祖国との決別も厭わない。
心からそう思う。
「ところで、さ」
「はい?」
「カリス――きみのこと、これからもカリスって呼んでいいのかな?」
「あ」
「聖女カリスは仮の名前だったんでしょ。だったら、きみの本当の名前を知りたいな」
「私の本当の名前……」
気恥ずかしそうなザドリックの顔を見て、わたしはくすりと笑った。
彼をゆっくり抱きしめ、私はその問いに答える。
「私の名前は――」




