24. 羨望と嫉妬
サーティが爪を振り下ろした。
私は間一髪のところでそれを躱したものの、その切れ味を見てゾッとした。
彼女の爪は、床をバターのように切り裂いていたのだ。
「さすが特務機関最高の暗殺者。大した身のこなしです」
「サーティ、あなた達は間違っています! 人間国家連合の首脳陣がこんな勝手を知れば、どうなるか!」
「そのためのアザレア侵攻ですよ、スティ様。人間国家連合を相手に私達だけでは手に余る。しかし、宝物庫の魔道具をすべて手に入れれば、アルストロメリアは世界の覇者となれる」
「なんて大仰なことを……! 妄想に過ぎるわ!!」
「その妄想を現実にするのが我が主の才能です」
サーティの追撃の一手。
今度もなんとか躱したけれど、玉座に背中をぶつけてしまった。
「話し合いでなんとかなる相手じゃなさそうね」
「死んでください、スティ様。ご主人様のため――いいえ。私のために」
「あなた、どうしてあんな男にそこまで尽くせるの!?」
「あなたに理解できるはずがない。……いや、化け物に絆されたあなたになら理解できるのか……?」
一瞬ながらサーティが垣間見せた表情を見て、私はハッとした。
ホムンクルスとは、人の姿をした異形の存在に過ぎない。
人間的な感情を持たず、創造主の命じるままに行動し、その命を使い切る。
そう伝承にあったのに……。
「あなた、まさかカドゥケウスのことを……!?」
「スティ様は邪魔なのです!!」
サーティが両手を振り回しながら迫ってくる。
とっさに玉座を飛び越えて攻撃を躱したものの、背もたれが綺麗な断面を残してずり落ちていくのを目にして血の気が引いた。
まるで羽根が刃物になった風車を振り回されているよう。
「なるほど、ダンスもお得意のようですね!?」
間をあけずに襲い来る爪撃をギリギリで躱しながら、私はなんとかその攻撃に目を慣らしていくことができた。
サーティの攻撃力は人間のそれを遥かに凌駕している。
けれど、戦闘経験まで豊富な戦士というわけではない。
私の身体能力でもかろうじてその動きを見切ることはできる!
「うあっ」
すれ違い様にサーティの足を蹴飛ばし、彼女は床に倒れ伏した。
仮にも女性の姿をした相手に抵抗はあるけれど、彼女を人間と思ってはいけない。
私は短剣をサーティの背中へと振り下ろした。
しかし――
「えっ!?」
――突如、背中から生えてきた腕に手首が掴まれてしまった。
「こんな姿、本当はあの方に晒したくないのに……っ」
振り向いたサーティを見て、私は心底身が震えた。
彼女の頬や額には、いくつもの丸い眼球が見開かれており、元の両目を合わせて八つの視線を私へと向けていたのだ。
しかも、背中からは衣服を破ってさらに腕が生えてきている。
なんておぞましい姿――最終的に、サーティは元ある腕を含めて、八本もの腕を露わにした。
「あ、あなた一体!?」
「私は、蜘蛛の魔物アラクネの血と臓物を合成されて創り出されたホムンクルス。この姿、醜いでしょう? でも、あの方のお傍に居られるのなら、どんな姿だって受け入れるわ」
「……あなたの気持ち、私にもわかる」
「だったら死んで。私とあの方の未来のために!!」
サーティは新たに生えてきた六本の腕を鉤爪のように変化させ、私へと伸ばしてきた。
次から次へと襲い来る攻撃をなんとか躱し続けたものの、とうとう私の背中は壁に突き当たってしまう。
彼女の間合いが一気に広まったことで、まんまと壁際まで追い詰められたのだ。
「もう逃げられない」
「くっ」
「あなたに私の苦しみがわかる?」
「なんですって!?」
「来る日も来る日も、あのお方はあなたを想う一方。どれだけ健気に尽くしても、私はあの方の道具以上にはなれない。もう我慢ならない……っ」
「ならば気持ちを打ち明ければいい。なぜそうしないの!」
「あなたが存在する限り、私は彼にとって次にもなれない。まずはあなたが死んでから……それから彼への告白を考えます!!」
六本の鉤爪が伸び、私の左右の壁へと突き刺さった。
……退路を塞がれた!
サーティの鋭い爪が私を狙う一方、こちらの武器は短剣のみ。
勝機は薄いけれど、私もただでやられるわけにはいかない。
「この命、むざむざ差し上げるほど安くない!」
「抜かせ、裏切り者がぁぁぁっ」
彼女が身を乗り出した瞬間、その横腹に火のついた燭台が突き刺さった。
「うぐぁっ!?」
燭台の青い火がサーティの体に拡がり始める。
「カリス様、お逃げ下さいっ」
「ジーナ!?」
サーティに不意打ちしたのはジーナだった。
さらにその後ろからは、無貌の女達がサーティへと燭台を投げつけ始める。
「うぐわああぁぁぁっ」
さすがのサーティも炎に焼かれるのは堪えるのか、私の進路を塞いでいた六本の鉤爪を抜いて防御に徹した。
「さぁ、お急ぎを!」
「あ、ありがとう」
無貌の女達の燭台投擲が続く中、ジーナは私の手を引いて駆け出した。
しかし――
「顔もない出来損ないの女もどきがぁぁぁぁ!!」
――サーティが口から吐き出した何かに打たれて、女達は吹き飛ばされてしまう。
彼女が吐き出したのは白い塊。
あれは蜘蛛の糸……?
「逃がすかぁぁぁぁ」
距離を取ろうとした私に向かって、サーティが再び何かを吐きつけた。
背中に何かが当たった感触を感じた直後、私は逃げてきた方向へと引っ張られる。
「!?」
あまりにも強い力に引かれて、ジーナの手も放してしまった。
私は床に倒れて、ズルズルとサーティの元へと引きずられていく。
……間違いない。
彼女が口から吐き出したのは蜘蛛の糸だ。
固形にして投擲する他、本物の蜘蛛のように物を捕えることもできるのか。
「ぶっ殺してやるぅ~~~!!」
私を目の前まで運んだ直後、サーティは口元の糸を断ち切って前屈みになった。
彼女の開かれた口は鋭利な牙を剥き出しにし、私の顔へと迫ってくる。
「舐めるなぁっ!!」
「うぐっ!?」
私は握っていた短剣をサーティの顔面へと突き立てた。
いくら蜘蛛のホムンクルスとは言え、これならどう!?
「無駄なことをぉぉぉ!!」
だ、ダメかっ!
外皮が硬すぎて、短剣の刃が切っ先しか刺さらない。
これでは動きを止めるには至らない。
「ぐうううぅぅぅっ」
「その綺麗な顔をめちゃくちゃにしてやるぁぁぁぁ」
目の前まで迫りくる死の恐怖に、私は身をすくませた。
しかし、その牙が顔に食らいつく直前、彼女は悲鳴を上げて身をひるがえした。
「ぎゃあああぁぁぁぁっ!!」
床に倒れたサーティは顔を押さえて悶えている。
私の短剣では致命傷を与えるには足りなかったはずなのに、一体どうして……?
「カリス様、ご無事ですか!?」
困惑する私の元へジーナが駆け寄ってきた。
「ジーナ、あなたが?」
「いいえ。カリス様のお力では……?」
「まさか……」
サーティは次第に動きが鈍っていった。
そして、短剣の刺し傷から真っ白な煙が立ち昇り始める。
なんと彼女は顔面が溶けだし、その影響は全身へと拡がっていった。
その様子を見て、私はこの事態を引き起こした原因を察した。
「聖油……!」
私の短剣の殺傷力は普通のものと大差ない。
ただ一点、女神の加護を受けた聖油を塗られているという事実を除いて。
聖油を塗られた武器は、魔物にとって致命的な弱点となるのだ。
「あううぅぅ。我が君、カドゥケウス様、お、お助けをぉぉぉ~~~」
しばらく足掻いていたサーティだったけれど、その言葉を最後に、とうとう骨だけを残して跡形もなくなってしまった。
「お、お見事でした。カリス様」
「……」
私はホムンクルスの成れの果てを見て、複雑な気持ちだった。
あんな邪悪で傲慢な男が生み出したホムンクルスが、愛情を得るに至るなんて一体どれほどの奇跡なのだろう。
それなのに、主人は彼女の気持ちなどまったく知る由もない。
あまりにも……彼女が哀れだった。
「うわああぁぁっ!!」
その時、ザドリックの悲鳴が聞こえてきた。
周囲を見渡して、激戦の真っただ中で勢いよく壁に叩きつけられる彼を見つけた。
悶える彼へと向かっていくのは、ほとんど無傷のカドゥケウスだ。
「魔王の息子が何だと言うんだ! しょせんガキはガキじゃねぇか!!」
「うぐぐっ」
ザドリックはすでにボロボロ。
やはりカドゥケウスを相手にするほどの力は彼にはなかった。
このままでは殺されてしまう。
「雑魚が粋がるんじゃねぇよ!!」
「ぎゃあっ!!」
カドゥケウスがザドリックの頭を蹴りつけた。
奴はその姿勢のままザドリックを壁に押し付け、勝ち誇った笑みを浮かべている。
「フッ。魔王なんざ時代遅れの骨董品も同じ! てめぇもそんな父親から生まれたのなら、同じく処分してやるよ!!」
「ち、父上を……侮辱するなっ」
「負け犬が跳ねっ返るな!!」
「ぎゃああぁぁぁ……!」
踏みつけられたザドリックは悲鳴を上げている。
とても見ていられない……。
玉座の間の戦いは拮抗していた。
メイド達はサーティ同様に異形の姿を露わにしており、側近達はそれぞれ一体多数の攻防を強いられている。
あの状況では、ザドリックの助太刀に入る余裕のある者はいない。
「カリス様。わたくしどもはあなた様の安全を第一にと命じられております。ここは逃げましょう!」
「でも……」
ジーナを始めとした無貌の女達が私を気遣ってくれているのはわかる。
でも、夫を見殺しになんてできるはずがない。
「ホムンクルスどもよ! そろそろ宴のフィナーレを飾るとしよう!!」
カドゥケウスが叫んだ。
主の言葉を聞くや、今まで奮戦していたホムンクルス達が一斉に静まり返る。
それを見て、側近達は警戒と共に困惑している。
「よぉく見ていろ、クソガキ。てめぇの大事な僕どもが駆逐される様を!!」
「な、何をする気だ……?」
「空前の処刑ショーだよぉ!!」
ザドリックに言い放った後、カドゥケウスは頭上高くに掲げた指先を鳴らした。
直後、玉座の間に不可解な爆発が起きる。
「何事っ!?」
私は突然の異常事態に愕然とした。
その爆発はホムンクルスを中心に起こっており、側近達はことごとくその爆発に巻き込まれてしまっていた。
爆発は魔法の類ではない。
彼女達は自ら側近達へ駆け寄り、その直後に爆発を起こしている。
あれは自爆攻撃だ……!
「ぐああぁぁっ!」
「きゃああぁ」
側近達は爆発に巻き込まれ、次々と倒れていく。
死なないまでもそのダメージは甚大で、最後の爆発が起こった頃には、玉座の間に立っているのはカドゥケウスだけとなっていた。
「な、なんてことを……っ」
その惨状を目の当たりにして、ザドリックが唖然としている。
「さすが側近を名乗るだけのことはある。あの爆発に巻き込まれて、まだ全員息があるようだな。だが――」
カドゥケウスは玉座の間の扉へ向かって火球を撃ち放った。
扉はその一撃で粉々に砕かれてしまう。
「――トドメを刺すことなど造作もない」
廊下からは、新たなホムンクルス達が駆け込んできた。
その数は二十をゆうに超えており、倒れている側近達を取り囲んでいく。
彼女達のうち一人がカドゥケウスへと寄ってきて、目の前で跪いた。
サーティと同じく真っ白な髪をした女性だ。
「ご主人様。宝物庫の魔道具はすべて確保いたしました。シャドウデーモンにつきましては、外で同胞達が足止めを」
「そうか。やはり奴がもっとも厄介な相手だったな。寝ている化け物どもを今すぐ皆殺しにしろ。その後、全軍を以てシャドウデーモンを殺せ!!」
「承知いたしました」
「……13号はどうした?」
「彼女の生体反応は感知できません」
「ちっ。やられたのか、あの役立たずが……。お前が代わりに指揮を取れ、14号」
「は」
ホムンクルス達は倒れている側近達へと近づいていく。
「や、やめろぉ……っ」
「人類にとっての害虫を駆除するだけだ。やめる理由がどこにある!!」
カドゥケウスはザドリックを踏みつけていた足をどけると、腰の鞘から短剣を抜き放った。
そして、刃に向かって何かをつぶやくと、突如として刀身が赤く煌めき始める。
「子どもの姿で女の同情は誘えても、俺には通用せんぞ!」
奴は赤い刃をザドリックへ向けて構えている。
聖油は塗られていないようだけれど、あの魔法のこもった刃を受ければ、ザドリックの命はない。
私が止めるしかない……!
「やめなさい、カドゥケウス!!」
私はジーナ達を押し退けて、カドゥケウスの元へと走った。
しかし、奴が刃を引く様子はない。
「黙って見ていてくれ、スティ。すべての憂いはこの俺が断ってやる」
「お願い、もうやめて! 私が必要だと言うのなら、どこへでもついていきます!!」
その言葉を聞いて、カドゥケウスはようやく刃を止めた。
「それは、正式に俺の妻になるという宣言と理解していいのかな?」
「……ええ」
私の犠牲でこの場が収まるのなら、それが最適解。
ザドリックやアザレアの皆が殺されるのを黙って見ているなんて、私にはとてもできない。
「だ、ダメだ、カリス……」
「ザドリック」
「絶対に渡さない。きみは、僕の……」
「……!」
ザドリックの顔を見ているうちに、私は視界が滲んできた。
彼との別れを予感して、胸が締め付けられるような想いに駆られる。
苦しい――もう涙が止められない。
「ふ、ふざけるなぁぁっ!!」
「きゃっ!」
カドゥケウスが私の頬をはたいた。
突然のことに、私は足の踏ん張りも聞かずにその場へ倒れてしまった。
「俺の妻になると宣言した女が、なぜ他の男のために泣く!?」
「……っ」
「馬鹿にしやがって! 俺と対等になったつもりか!? お前は俺の所有物だ! 俺を不愉快にさせる言動は絶対に許さんっ!!」
……この男は狂っている。
愛情など永遠に理解できない、自己愛に駆られた怪物。
カドゥケウスこそ真の魔物だ。
「許さない」
「あ?」
「カリスを傷つけたお前を許さない」
「なんだとぉ!?」
ザドリックがふらりと立ち上がった。
その表情は怒りの色に染まっていて、以前にベッドの上で暴れていた彼を思い起こさせる。
私の胸を衝く不安。
それが確信に変わったのは、彼の角が禍々しい変容を始めた時だった。
全身は肥大化し、背中には翼と尾が現れ、額には第三の目が開く。
その姿は、いつぞやの異形の姿へと成り代わっていった。
「八つ裂きにしてやる!!」
瞬間、激しい魔力の渦が周囲へと吹き荒れた。




