22. 謁見
太陽が真上に昇る頃――と言っても、曇り空で太陽は見えない。
しかし、時計の針はもうじき十二時を指す。
賢者カドゥケウスはアザレア側の要求をあっさりと受け入れた。
傲慢なあの男が、従者を一人だけ城内へ遣わせると言う一方的な条件をよくぞ認めたものだと不思議に思う。
しかも、神託の儀式道具を一式持った上で。
あまりにもアザレア側に有利な状況に、私は疑念が一層深まってくる。
十二時の鐘が鳴るのに合わせて、アザレアの城門が開かれた。
私がテラスから眺めていると、城門を一人の女性がくぐってくるのが見えた。
アルストロメリアのメイド服を着た白い髪の老婆――否。若い女性だ。
「カリス様。そろそろ下に」
「ええ」
ジーナに促されて、私はテラスを後にした。
万が一に備えて、私はアザレアに持ち込んだすべての暗器を身に着けている。
もしもの時はザドリックを守るために戦う覚悟だ。
カドゥケウスが一体何を仕掛けてくるのか――絶対に油断はできない。
◇
玉座の間では、ぐったりとしたザドリックが玉座にもたれ掛かっていた。
「ザドリック! 大丈夫なの!?」
「……うん。大丈夫」
彼はそう言うけれど、とても大丈夫なようには見えない。
顔色はそれほど悪くないけれど、疲弊しているのが容易に見て取れる。
こんな状態の彼を賢者の遣いと会わせてしまってよいものだろうか……。
「主様。もう少しだけ頑張って下さい」
「頑張る」
ザドリックを励ましたのは、漆黒の甲冑を纏った大柄の魔物――ケインだ。
彼は初めて私と会った時と同じ装備を身に着けている。
普段の姿とは打って変わって、この姿だと凄い威圧感があるな。
「カリス様は玉座の傍に」
「はい」
ザドリックを中心に、私は彼の右手に立ち、ケインは彼の左手に立った。
この位置からだと玉座の間が良く見える――
六名の側近達は、玉座の前で左右に分かれ、それぞれ張り詰めた様子で扉を睨みつけている。
各々必要な武装を済ませており、いざという時は即座に相手の拘束も可能だ。
イブリスだけこの場に姿が見えないのは、城の入り口から玉座の間まで闇魔法で従者を誘導する必要があるため。
さらに、壁際にはジーナを含めた無貌の女達が並んでおり、威圧のために石像鬼達まで配置するという手の込みよう。
万が一の対策は完璧と言える。
――いくら賢者が悪知恵を働かせようにも、この状況でザドリックをどうにかできるとは思えない。
「さて。お客人が現れる前に……」
ケインが甲冑の手を開いてザドリックへと向けた。
すると、突然真っ黒い靄が彼の全身を包み込んでいく。
「ケイン様、何を!?」
「認識疎外の魔法――いわゆるハッタリです」
「ハッタリ……?」
ケインが手を下ろすと、ザドリックを包む靄が膨れ上がっていく。
それはしばらくして何かの形を成していき、靄が晴れた時には――
「この姿は……!」
――ザドリックをまったく別の姿へと変えてしまっていた。
「相手は魔王陛下の生存を信じております。ならば、謁見するのは陛下でなければ嘘ですからな」
「……なるほど。凄い嘘だわ」
ザドリックは、中庭で私が目にした魔王とまったく同じ姿に変わっていた。
否。死体と違って顔面が潰れていないので、その素顔が良く見える。
耳まで裂けた大きな口、鋭く釣り上がった三白眼、絶えず怒っているかのような凄まじい形相。加えて、額に第三の目まで開いている。
これが魔王本来のご尊顔――もしも本人が生きていたなら、顔を合わせることを躊躇ってしまうような恐ろしい貌だ。
「僕の姿、ちゃんと父上のように見えてる?」
うわぁ。
口調はザドリックのままなのに、声が低く野太くなって別人が喋っているみたい。
「よろしいです。そのままお父上のような威厳ある喋り方を心掛けてください」
「わかったよ。ああいう固い喋り方はあまり好きじゃないんだけど……」
「主様、お真面目に!」
「はいはい。……余は魔王ガルガリシオンである。頭が高い! ……どう?」
「まぁよろしいでしょう」
見た目と声が変わるだけでずいぶんと様になる。
やはり人間の視覚と聴覚で受け取れる情報は重要だな。
「カリス。余が困った時には助太刀を頼むぞ」
「……承知しました」
見た目は魔王なのに中身がザドリックだと思うと、なんだか調子が狂ってしまう。
とは言え、もしも彼がヘマしそうになったら私が助けてあげないと。
その時、扉の隙間から黒い影が伸びてきた。
影は玉座の手前で立ち上がり、二つの目玉が現れて私達を見据える。
「客人がいらっしゃいました。予定通り従者の女性が一名のみです」
「わかった。賢者に動きはないな?」
「はい。今のところは城門の外で大人しく馬車に留まっております」
「賢者が妙な動きを見せた時はすぐに報せよ」
「承知しました」
ケインとの話を終えるや、黒い影――イブリスは扉の外へと戻っていった。
「いよいよか。アザレアの民以外と会うのはこれで二度目だから、緊張するね」
「ザドリック、真面目に魔王を演じなさい!」
「わかってるよ――わかっておる。安心して傍にいるがよい、カリスよ」
……本当、調子が狂う。
そして、とうとう扉が開き始めた。
「……!」
ゆったりした足取りで玉座の間へと入ってきたのは、メイド服を着た若い女性。
年齢は私とほとんど変わらないと思うけれど、彼女の真っ白な髪をテラスから見た時は老婆かと思ってしまった。
それにあの真っ赤な眼……まるで生気を感じないのは気のせいだろうか。
彼女は足を止めると、その場に跪いて頭を垂れた。
「賢者カドゥケウスの従者筆頭――サーティと申します。この度は、魔王陛下との謁見をお許しいただき恐悦至極にございます」
従者――サーティは卒なく挨拶を済ませた。
声色は変わりなく、魔物の群れに囲われながらもまったく動じた様子がない。
あの男が選ぶだけあって肝が据わっている。
「遠路遥々よくぞ参られた。面を上げたまえ、サーティ殿――」
客人を前に、いよいよザドリックが喋り始める。
「――余がアザレアの統治者、魔王ガルガリシオンである。隣にいる我が妻カリスのことは存じておろう」
「もちろんでございます。我が国アルストロメリアと魔王陛下の治めるアザレアに平和の架け橋を渡した救世の君――その名とお顔を忘れる者などおりましょうか」
「其の方らより手土産があるとのことだが?」
「はい」
あらためて扉が開き、今度は無貌の女が手押し車を押しながら入ってきた。
そこには私の背ほどもありそうな大きな儀式杖に、金と銀の刺繍が施されたストール、そしてガラスの皿や燭台などの道具が並べられている。
「こちらが神託の儀式道具にございます。我が主カドゥケウス、並びにアルストロメリア宮廷評議会からの親睦の証としてお持ちいたしました。どうぞお納めください」
あれが儀式道具……。
この目で見るのは初めてだけれど、それがどのような物かは私も概ね把握している。
一見したところ、本物のように見えるけれど。
「キャッタン、カーミラ!」
「はぁい」「はい」
ケインに呼ばれた二人が列を離れて手押し車へと向かい、儀式道具の観察を始めた。
「……どうか?」
「文献にある通りの道具が揃っております」
「うん。杖や祭具もろもろ含めて本物っぽいです」
あの二人は真贋を見分ける役か。
でも、最後に本物であることを決めるのは――
「確実なのは、本来の持ち主にご確認いただくことですね」
――そう。私の確認以外にはあり得ない。
この場をどう誤魔化そう。
「お妃様。ご確認をお願いしても?」
「……本物に違いないでしょう。そこにある祭具からは女神様の聖なる気を感じます」
「なるほど。さすが聖女様ですな」
ケインは特に疑う素振りもなく納得してくれた。
キャッタンとカーミラも同じようで、列へと戻っていく。
本当は何も感じないけれど、この場はこれで取り繕うしかない。
仮に偽者であっても、私の事情を知るサーティは何も言わないはず……。
「サーティ殿。一つ訊ねたいことがあるのだが?」
「何なりとお訊ねください、陛下」
「なぜそなたの主は、人間国家連合にとって重要な祭具を余に譲ろうなどと考えたのかね?」
「聖女様なき我が国に、神託の儀式道具など宝の持ち腐れ。むしろ聖女様の下にお戻しすることこそが筋でございましょう」
「……なるほど。しかし、あれだけ必死に余を倒そうと足掻いた者達のすることとは思えぬな」
「人間国家連合は変わったのです。首脳陣もこれ以上の争いは無益と悟り、アザレアとの恒久的な和平を望んでおられます。聖女様に続き、儀式道具すらも預けたことで、我らの真意をご理解いただけるものと思います」
「……ふむ。そういうことならば、ありがたく受け取ることとしよう」
……本当に?
人間国家連合の老人達がそんな決断などできるものだろうか。
魔王がいなければ人間同士で争いかねない国々が、魔物との和平のためとは言え、女神の神託を手離すなんてことがあり得るの?
「さらに付け加えるならば、我が主――カドゥケウス様からの謝罪の証でございます」
「ほう」
「あなた様を傷つけた罪をこれにてお許しいただきたい……そう申しておりました」
「謝罪と言うならば、あと二人足りぬのではないか?」
ザドリックが思いもよらないところをつつき始めた。
彼としては、賢者は父の仇である三人のうちの一人に過ぎない。
サーティの説明でそこに引っ掛かったのか……。
「陛下のご不満も当然のこと。しかし、あとの二人はどうしても謝罪できない理由があるのです」
「そうか。その理由は余が納得できるものなのであろうな?」
「勇者は亡くなりました」
「……っ」
サーティの言葉に、明らかにザドリックが動揺した。
「聖騎士につきましては、休戦条約が決定する過程で投獄されております」
「投獄? 仮にもそなたらの英雄であろう……なぜだ?」
「聖女様が平和の架け橋になることを拒んだため、国内で一悶着あり……詳細は身内の恥ゆえ、何卒ご容赦を」
「……」
……そう。
魔王を倒した三英雄――勇者、聖騎士、賢者――のうち、今もなお健在と言えるのは賢者カドゥケウスのみ。
勇者は、魔王との戦いで負った傷が悪化して死亡。
聖騎士は、聖女を魔物に嫁がせることを嫌った反対勢力に与し、教会との抗争の末に捕らえられた。
人間国家連合が聖女を捧げてでも早急に休戦条約を結ぼうとした裏には、そんな深い事情があったのだ。
「以上のことから、陛下に謝罪を示せるのはカドゥケウス様のみ。どうか、これにて我が主の罪をお許しください」
「……わかった。いいだろう」
「ありがとうございます」
「だが、そなたの主の目的は本当にそれだけなのか?」
「と申しますと……?」
「余は、他に替えられぬ宝を得た。今さら儀式道具が手に入らずとも、人間国家連合との休戦条約を違えるつもりはない。そちらに利することは何一つあるまい」
「それがカドゥケウス様の覚悟なのでございます。他意はございません」
「本当に?」
「間違いございません。カドゥケウス様は真に平和を願うお方。陛下の討伐に臨まざるを得なかったのも、人間国家連合の民を思う使命感ゆえのことなのです」
嘘をつけ!
あの男にそんな義侠心などあるものか。
「信じよう。余としてもこれ以上の部下を失うことは望まぬ」
「ありがとうございます」
その時、私はサーティの唇がにわかに動くのを見逃さなかった。
……笑った?
魔王が主の罪を許したから――否。そんな明るい笑みじゃない。
これは仕掛けに上手くハマった時に、気の緩みから見せてしまうわずかな油断。
私にはわかる。
なぜなら、私もかつてそんな油断があった――暗殺者として未熟な頃に。
「サーティ殿、他に何か陛下に申し上げたいことはあるかね? なければ、これにて謁見を終了とするが」
ケインが発言した傍から、サーティはゆらりと立ち上がった。
踵を返すのかと思ったが、どうやら違う。
「陛下。そして皆様。私ごときのお話に長々と付き合っていただき、誠に感謝いたします」
「どういう意味かね」
「こちらの準備が整ったということでございます!」
言うが早いか、サーティは素早く飛び退いて指を鳴らした。
すると一瞬前まで彼女が居た場所に異変が起こった。
空間に一筋の切れ目ができたかと思った直後、その切れ目が開いたのだ。
そこから現れたのは――
「魔王陛下、あらためてご尊顔を拝見できて光栄です。そして、聖女カリス様も」
――賢者カドゥケウスその人だった。




