20. 余命
私はザドリックと一夜を過ごした。
……と言っても夫婦的なそれではなく、彼が高熱で倒れてしまったため、夜通しで看病をしていたのだ。
「大丈夫?」
「うん。だいぶ良くなったよ」
ベッドに横たわりながら、ザドリックがほほ笑みかけてくる。
私は彼の額にかぶさっている熱冷まし用のスライムを軽くタッチした。
スライムはプルプルと身を震わせた後、彼の額から飛び降りて床を跳ねていく。
次に、私が彼の額に手を当ててみると、まだ少し熱を感じた。
「まだ熱があるわね」
「ごめん。儀式の後はみんなとパーティーを開くつもりだったのに……」
「気にしないで。あなたの体が第一よ」
「うん」
私が手をどけると、ちょうど代わりのスライムが飛び跳ねたところだった。
スライムは彼の額に着地し、プルプルと身を震わせた後、ピタリと動きを止めた。
「カリスの――ううん。なんでもない」
「何?」
「カリスのお父さんってどんな人?」
「お父さん……」
ザドリックからの唐突な問いかけに、私は言葉に詰まってしまった。
この質問における私の父と言えば、聖女カリスのお父君であらせられるアルストロメリア国王陛下のことを指す。
もちろん国王や王妃、また他のご兄妹についての情報は頭に入っている。
想定問答はおおよそ用意してあるし、ザドリックの質問に答えることは容易だ。
でも、今の私は以前とは違う。
私はもうアザレア側に立ってしまった。
夫である彼に、今さら虚飾された私のプライバシーを話すのはどうにもモヤモヤしてしまう。
かと言って、真実の私に父親などいない。
そんなものは知らない。
……そう思った瞬間、脳裏に一人の男性が思い浮かんだ。
「言いたくないなら言わなくてもいいよ」
「……非常に厳格なお方だったわ。祖国のためにご自身はおろか、子どもにまで犠牲を強いる。面と向かってお話をすることは公務の時くらいで、普段は傍にいることも許されない。でも、私にとってあの方がいたからこそ……今の自分がいる」
「僕の父上とは真逆だなぁ」
「そう?」
「そうだよ。父上は僕にとても優しくしてくれた。それに、血の呪いを解く方法を探そうとしてくれた……まさに命懸けで。人間にとって、父上は仇敵以外の何者でもないんだろうけど、僕にとっては誇りだよ」
「そうね。父君の気持ち、今なら私にもわかるわ」
魔王が命を賭してでも息子を守ろうとした気持ち――それは愛。
父親がいて、その人に愛されるなんて、私にはそれが何よりも羨ましい。
「でもさ。いくら平和のためだからって、娘を敵国にお嫁に出すなんて気が進まないと思うんだけど……なんて言われて出てきたの?」
「女神の加護があらんことを――それがあの方に掛けられた言葉だったわ」
「酷いなぁ! 娘が嫁入りするのに、それだけ!?」
ザドリックが憤慨している。
私はそんな彼をなだめるように、熱を持った頬を撫でてあげた。
「それでいいの。私とあの方は……それでいいの」
今、初めて気づいた。
私が今まで命懸けで数々の使命をこなしてきたのは、国のため――だけじゃない。
あの方に認めてもらいたかったんだ。
私の最初の記憶は、戦火に見舞われて荒れ果てた町。
幼かった私の手を取り上げたあのお方の笑顔。
優しく抱きかかえてくれたその時の温もりは、今も忘れていない。
例えあの方にとって駒の一つに過ぎなかろうと……この気持ちに偽りはない。
「……そっか。厳しいお父さんだったんだね」
「そうね。とても厳しいお方だった。でも、使命をこなしていくことで、あの方に評価される実感があって嬉しかったのも事実なの。そんな形でしか接点が得られなかったから」
「カリスって第一王女でしょ? それなのにそんな扱いだなんて、人間の王族ってとても淡白なんだね。カリスが可哀そうだよ」
「そ、そうね」
本物の聖女カリス様は、国王陛下から蜂蜜のようにドロドロに甘やかされていたと聞き及んでいるけれど……。
「それじゃあ、お母さんはどんな人?」
「母は――」
その時、部屋の扉がノックされた。
入ってきたのは、ザドリックの看病を命じられた無貌の女達だった。
「失礼いたします。お薬の時間です」
彼女達が手に抱えているのは、ユニコーンの涙を調合したという薬。
この薬のおかげで、ザドリックは本来ならばすでに死んでいる血の呪いの激痛をやり過ごせている。
一滴で一年、一口で十年、一瓶飲み干せば百年は若返るとされる秘薬でさえも、ザドリックの寿命を騙し騙し延ばす程度の効果しかない。
彼が父より受け継いだ血の呪いとは、それほどまでに恐ろしいものなのだ。
「ザドリック。また後ほど」
「うん」
私はザドリックの頬に口づけをすると、その場を無貌の女達に譲った。
部屋の外に出ると、杖を抱えたジーナと、ウンディーネのディーヌが心配そうな顔で私を見つめていた。
「ザドリック坊ちゃまのご容態はいかがでしょう?」
「だいぶ熱が下がりました。あなたのスライムのおかげです、ディーヌ」
「わらわの力が少しでも坊ちゃまのお役に立てるのならば、本望でございます」
ディーヌの体は水で出来ている。
彼女は自身の体の他、あらゆる液体を自在に操る能力を備えており、彼女が存在するからこそ、この城の浴場や厨房、そして花園に至るまで、すべての水場は清潔に保たれていると言える。
さらに必要があれば分裂することもでき、ザドリックの額に留まっていた熱冷まし用のスライムも彼女の体から分離したものだ。
「ディーヌは、引き続き彼の苦痛を和らげてあげてください」
「畏まりました」
ディーヌは人の体を崩して不定形になるや、閉ざされた扉の隙間からザドリックの部屋へと入っていった。
……ちょっと引いてしまう入場方法だこと。
「お受け取り下さい」
ジーナが私に杖を渡してきた。
私がそれを受け取った途端、ケインの声が聞こえてくる。
「カリス様。少々、私と二人きりでお話をよろしいでしょうか」
「……? はい」
◇
私はケインを持ったまま花園を訪れた。
花園では、ハニースプライト達が如雨露を抱えて花々に水を与えている。
その如雨露には、ディーヌから分裂したスライムが詰まっていて、水をあげるたびに小さくなっていくのが見える。
……ちょっと面白い光景だ。
先代王妃様の墓石を見上げながら、ケインに問いかける。
「話とは、ザドリックのことですね?」
「はい」
……やはり。
「彼の容態は良くなっているように見えますが……違うのですか?」
「たしかに肉体の変異は収まりました。おそらくはあなた様のおかげで」
「私の?」
「つい先日までは、主様は一日の半分はあのお姿になられておりました。しかし、今は変身している時間であるにもかかわらず、元のお姿のまま」
「もしや突然の高熱はそのことに関係が……?」
「おそらくは血の呪いが今までと違った形で主様に作用しているのでしょう。変貌も激痛も狂気も起こらない代わりに、著しい体調不良に襲われておいでです」
「四十度を遥かに超える高熱が一向に下がらないとあっては、悪い傾向には違いありませんね……」
「秘薬ユニコーンティアーの効果でなんとか熱は抑えられておりますが、ご本人は意識を保っていることすらお辛いでしょう」
「それなのに私を慮るようなことを……。本当に優しい人」
「愛しておられるのですよ。陛下と同じです」
「先代様と?」
「陛下も奥方への愛ゆえに正気を保たれておりました。奥方が亡くなられた後は、主様への愛によって――愛こそが血の呪いを抑制する最高の薬なのです」
「でも、愛だけでは呪いを解くには至らない」
「残念ながら」
目の前にそびえ立つ先代王妃様の彫像を見て、私は申し訳ない気持ちになる。
アザレアとザドリックに明るい未来が見え始めたと思ったら、若き魔王は死の淵に追いやられている。
しかも、父王より受け継いだ呪いによって。
これが女神の下した断罪というのであれば、罪のない息子にまで罪を被せるのはあまりにも残酷ではないか。
もしも私が本物の聖女ならば、それについて女神に問いただすこともできるのかもしれないけれど……。
「カリス様。あらためてお願いがございます」
「え?」
「主様の余命はもういくばくもございません! 何卒、女神の神託を! 主様の呪いを解くには、もはや女神よりその方法を得るしかないのです!!」
「ごめんなさい。以前にも申し上げた通り、儀式道具がなければ女神様から神託を受けるのは不可能です」
「ならば、アルストロメリアに働きかけて儀式道具をここに! 最悪、強奪を視野に入れることも辞しませぬ!!」
「……」
できることならケインの望みを叶えてあげたい。
その望みはアザレアの民すべての望みであろうから。
でも、それは無理な話だ。
しょせん私は紛い物の聖女。
仮に正規の手段でアルストロメリアに手紙を送っても、適当な理由を作られて拒否されるに決まっている。
それに強奪もまずい。
かろうじて平和を保っている現状を壊してしまうし、儀式道具がアザレアに届けられることで、私が偽者の聖女だと明らかになってしまう。
そんなことになれば、私を愛してくれたザドリックや、私に心を許してくれたアザレアの民を裏切ることになる。
……いや。それはおかしいか。
私が聖女カリスを名乗っている以上、彼らを謀っていることには違いない。
それでも、ケインの案を受け入れることはできない。
「ケイン様、それは無謀です。儀式道具が他国に渡ることは、アルストロメリアが手段を選ばずに阻止するでしょう。せっかく築けた休戦条約が水泡に帰すやも――」
「それでも、です。仮に我らが全滅しても、ザドリック様だけは未来を生きていただきたいのです!」
「それほどまでの覚悟が……」
「アザレアは本来、三百年前に滅びていた国。それでもなお我らが理性を保ち生きながらえてこれたのは、魔王陛下とお妃様、そしてザドリック様の存在があってこそ。我らの最後の望みは、ザドリック様の未来――それだけなのです」
「……」
「そして、あなた様がいらっしゃればその未来は明るい。我らはいつでも命を捨てることができまする」
止められないか。
私がザドリックと共に生きる覚悟をしたように、側近の彼らもまた、ザドリックのために命を投げ出す覚悟だ。
その覚悟を拒否するのは、あまりにも無礼だ。
「……わかりました。祖国にその旨を懇願してみましょう」
「感謝いたします!!」
「でも、期待はできません」
「その時は仕方がありません。カリス様には申し訳ございませんが――」
なんて皮肉。
私がザドリックのために動こうとすればするほど、真綿で首を絞めることになる。
何かないのだろうか?
すべてを丸く収めるような、奇跡のような方法が……。
◇
アルストロメリアに手紙を送って四日。
ザドリックは相変わらず高熱に苦しみ、しかもその状態は一日の半分どころか三分の二にまで及ぶようになった。
容態は悪くなる一方。
あれから晩餐は開かれていないし、彼は見る見る衰弱していくばかり。
そんな彼を見るのが辛くて、今では夜も満足に眠れない。
「カリス様っ!!」
私が寝室で窓の外を眺めていると、血相を変えた様子でジーナが駆け込んできた。
「ジーナ? ……まさかザドリックの身に何か!?」
「いえ、そうではございません。しかし、一大事でございます!」
「どういうこと?」
「アルストロメリアから使者がやってきたのです!」
「なんですって!?」
「その代表者が言うには、神託の儀式道具一式を譲渡したいとのこと!!」
「本当っ!?」
信じられない。
祖国が自ら儀式道具を手離すなんて……。
「代表者は陛下とお妃様にお目通り願いたいと申しております」
「その人は何と名乗っているの?」
「賢者カドゥケウスと……ご存じですか?」
その名を聞いて、私は言いようのない不安に駆られた。




