EX. 暗躍~賢者と聖女の結託~
賢者カドゥケウスは、カーテンを閉め切った部屋で独り思案していた。
彼を照らすのは机の上に置かれた小さな燭台のみ。
そこへ、部屋の扉を開いてメイドが入ってくる。
それは真っ白な髪と真っ赤な眼をしたメイドだった。
「ご主人様。宮廷評議会の皆様が、至急、円卓議場に来るようにとのことです」
「放っておけ」
「よろしいのですか?」
「老人どもの不毛な議論に耳を貸すつもりはない」
カドゥケウスの声色は何ら普段と変わりないものだったが、メイドはその声にほんのわずかな怒りの色を感じ取っていた。
そして、主が何に憤っているかも理解していた。
「此度の暗黒領土への派兵の件、中止となったことはまこと遺憾でございましょう」
「老人どもには二通目のメッセージがよほど堪えたのだろう。前日までは新しい玩具を与えられた子どものようにはしゃいでおきながら、魔王が生きていると伝えられた途端あの様だ」
「見るに堪えない愚物の集まりです。……もう始末なさっては?」
「逸るなよ、13号。今、評議会を潰しても俺にメリットはない」
スティレット13がアルストロメリアへ送ったメッセージは二通。
一通目が届いた時点で、法王庁の庁舎に存在するすべての鏡にその内容が映し出され、ちょっとした騒ぎが起こった。
王国の魔法使い達によって、鏡に現れた文章が鏡面通信用の魔鏡によるメッセージだと判明し、評議会は当日のうちに人間国家連合の首脳陣に暗黒領土への侵攻を具申するに至った。
魔王の死が確定し、その後継者は呪いによって死にかけの状態――そうとわかれば、偽聖女による暗殺を待つまでもない。
さらに、魔王軍こそが伝説の古代王国そのものであり、宝物庫に無数の魔道具が収められているという事実が明らかになったことも大きい。
……しかし。
数日の後、二通目のメッセージが届いて状況は一変。
評議会は「前回送ったメッセージはすべて間違いだった」という一文に大いに落胆し、魔王の城がある暗黒領土への侵攻を急遽断念してしまったのだ。
「スティ様の身を案じておいでなのですね」
「まぁな。二通目のメッセージは、魔法で洗脳されたスティか、あるいはスティを装った魔物によって送られたものと解釈するのが妥当だ」
「あのメッセージは、スティ様の意思で送られたものではないと?」
「間違いない。一通目はスティが魔王城潜入で得た確かな情報を送ったのだ。それに対して、二通目の内容を信じるならば彼女の行動に矛盾が生じてしまう」
「魔鏡の件でございますね」
「老人どもよりは頭が働くな、13号」
「お褒めに預かり光栄でございます」
カドゥケウスの中で、すでに二通目のメッセージに秘められた真の意図はおおよそ見当がついていた。
「メッセージの送り主は、一通目の真実を、二通目の虚構で上書きしようとした。無能な評議会はそれにまんまと騙されたが、俺は違う。お前はどうだ、13号?」
「どちらも送り主がスティ様なのであれば、側近達の信用を得られていない彼女が宝物庫に案内され、あまつさえ魔道具を紹介されたという一通目の情報と矛盾が生じます」
「そうだ。さらに魔王の死体を中庭で見たという点も俺の記憶と一致する。魔物どもが魔道具を所持していた理由も、アザレアとやらの存在で説明できるしな」
「あの二通目が送られてきた事実そのものが、一通目が真であるという証左というわけですね」
「ああ。魔王はすでに死んでいる。その息子とやらも死にかけ。侵攻は今をおいて他にない――だと言うのに、老人どもが日和りやがって……! このまま手をこまねいていれば、スティの救出に間に合わなくなるかもしれないってのよぉ!!」
あからさまに憤慨し始めた主を見て、メイドは眉をひそめた。
「……スティ様がご無事だとよろしいのですが」
「それも時間の問題かもな。せっかく俺だけの兵隊を用意しても、徒歩で暗黒領土を渡るわけにはいかん。いくら側近の数が少ないとわかっていても、不意の奇襲でなければさすがに城の陥落は困難だからな」
「やはり評議会に掛け合うべきでは」
「無駄だろうがな。だがまぁ、司祭だけでも味方に出来れば馬車くらいなら融通してくれるかもしれんな……」
カドゥケウスは立ち上がるや、ローブをなびかせて入口へと向かった。
メイドはその後に無言で続く。
◇
二人が円卓議場へ向かう途中、彼らの進路を妨げるように一人の女性が立ち止まっていた。
「お待ちしておりましたわ、賢者様」
その人物を目にして、カドゥケウスは怪訝な表情を浮かべる。
「これはこれは……聖女カリス様。侍女もつけずにお一人で何を?」
「あなたに用があるのですよ」
「私に? わざわざ聖女様からご足労願えるとは光栄ですね」
「テラスへ」
聖女は通路脇にあるテラスへとカドゥケウスを誘った。
彼は廊下にメイドを控えさせたまま、テラスで王都の街並みを眺めながら聖女の言葉を待つ。
「最近、部屋に来てくれないのね」
「俺もこのところ多忙でね」
「女遊びが? それともお人形遊び? あるいはその両方かしら?」
「……俺に何の用だ、カリス」
聖女は嫌らしげな笑みを扇で隠しながら、カドゥケウスへと近づく。
「知っていますのよ。そこのメイドがあなたの物騒な玩具だということ」
「耳聡いな。で、本題はなんだ?」
「私のコネで、軍馬付きの装甲馬車を数両ご用意できるわ。戦闘能力を持つ御者も一緒にね」
「物騒な玩具を持っているのは、きみの方じゃないか?」
「どっちもどっちでしょう。でも、目的は同じではなくて?」
「何が言いたい」
「あなたはあの女暗殺者、私は魔王城にあるという魔道具、それぞれどうしても手に入れたい。利害は一致しているわ」
「……きみが求める魔道具とは?」
「ユニコーンの涙を調合したとかいう秘薬――あの女のメッセージによれば、それが宝物庫には大量に置かれているそうじゃない」
「なるほど。ユニコーンの涙には若返りの作用がある。ご所望の品はそれか」
「交換条件よ。その秘薬を一つ残さず回収し、私に捧げること。それを守ってくれれば、今申し上げた玩具をあなたにお貸しするわ」
「断ったら?」
「不思議なことに、あなたの玩具がいつの間にか日の目を見ることになるでしょうね。史上最悪の錬金術師によって生み出された合成獣として」
「……フッ」
「うふっ」
「フフフフハハハハハハッ」
「うふふふふふふふっ」
テラスに響く二人の笑い声。
その様子を、メイドは廊下から不安げな表情で覗き見ていた。
「まったくお前は恐ろしい女だな、カリス。いいだろう、交渉成立だ!」
「ありがとう、カドゥケウス。お互いの未来のために手を取り合いましょう」
邪悪な笑みを浮かべる聖女を前にして、カドゥケウスは内心毒づく――
このような毒女が女神の神託を受けられる時点で、女神信仰など地に落ちたも同然。
利用するだけ利用して、人知れず抹殺するのが世のためだ。
――しかし、彼は決してそれを表情には表さず、満面の笑みをもって聖女と手を取り合った。
「それにしても、古文書にすら記されていない古代王国がまさか魔物の国だったとは驚きだったわ」
「城には古語で書かれた書物もあるらしい。宝物庫の魔道具などは、どれほどの価値があるか想像もできん。まさに世界がひっくり返るぞ」
「素敵ね。アルストロメリアが他国に先んじて宝物庫のすべてを手に入れられたら、我が国は世界の覇者になれるかもしれない」
「きみの父上にその器があればの話だ」
「あら。だったら、あなたが次の王になってみる? 私の生き方に口を出さなければ、もう一度あなたとの婚約を考えて差し上げてもよくてよ」
「……そうだな。考えておこう」
邪悪はお互い様。
カドゥケウスは、いつの間にやらその表情に本音を垣間見せていた。




