19. 新しい道
「……」
「……あれ?」
私が黙ったままでいると、ザドリックがあたふたし始めた。
「あっ。えぇと、指輪を……受け取ってもらいたいんだけど……」
「……」
今までのことを整理すると、どうやら私の思い違いだったらしい。
ザドリック達は私を殺そうとなんて考えていないし、裏切り者だと疑っているわけでもない。
むしろその逆で、私と彼の婚姻の儀式を今になって執り行ってくれている――そう解釈するのが正しいみたい。
「あわわわわっ」
「!?」
突然、ザドリックが顔を引きつらせた。
彼は指輪の入った箱を取り落として、ケインのもとまで芝生を這っていってしまう。
数秒前までの凛々しい姿はどこへやら……。
「どどど、どうしよう、ケインッ!?」
「落ち着いてください、主様。カリス様の前でなんと情けない!」
ザドリックはケインを引っこ抜き、言い合いを始めてしまう。
「だだだ、だって、想定と違う反応だよ!?」
「そのようですね。カリス様は事態を飲み込めておられない様子」
「なんで!?」
「う~ん。事前に儀礼のことを伝えていなかったのが裏目に出たのかもしれませんね」
「そんなぁ! その方が喜んでくれると思ったのにっ」
「びっくりさせ過ぎてしまったのかもしれません。何せ、アザレアの民と人間では異文化交流が過ぎますから……」
「そんなの困るよ! 昨晩、晩餐を取りやめてまで必死にダンスを練習したんだぞ!?」
彼はケインを激しく揺さぶった後、引きつった顔のまま私へと向き直った。
私の態度を受けて、思いのほか混乱している様子。
「……あの、カリス?」
「はい」
「その、これは、一ヵ月遅れの僕達の婚姻の儀式なんだけど……」
「左様ですか」
「さ、左様です!」
「……はぁ。どうして事前に伝えて下さらないのです」
ザドリックからの言質が取れて、私は全身の緊張がようやく解れた。
私の不安はまったくの杞憂だった。
婚礼の儀式への誘い文句にあんな物騒な言葉を使うなんて、誤解するのも仕方ない。
普通に事実を書いてくれればよかったのに!
「ごめん。びっくり度が高い方が喜びもひとしおかと思って……」
そんな無茶苦茶な!
発想が子ども……なのは、やはり彼が子どもだからだろうか。
「本当にびっくりしました。お望み通り、かつてないほどに」
「えっ。お、怒ってる!?」
「怒ってはいません。ですが、どうなることかと肝を冷やしました」
「うえぇー!? そんなに!?」
「だってそうでしょう。手紙に命をいただくなどと書かれては、何事かと思いますもの。しかも、呼び出された場所が花園となれば、困惑もひとしおです」
「えぇっ!? あの文面って何かまずかった!?」
「アザレアではどうかわかりませんが、命をいただくなんて書かれたら、人間は命を取られるものと思いますよ」
「そそそ、そんなつもりは! あれはアザレア王族が意中の相手に贈るフレーズで、ついつい気取って使ってしまって……っ」
……やはりそんなところか。
殺害予告と愛の告白が同じ文句とは、人と魔物の解釈違いとは恐ろしいもの。
「でしょうね。まぁでも、たしかにドキリとしました」
「うぅ……。もしかして怖がらせちゃったのかな? ごめんよ……」
ザドリックがしゅんとしてしまった。
こういうところも含めて、素直で真っすぐなんだなぁ……。
「やはりあの文面はよろしくありませんでしたね」
「ちょ! 何言ってんだよケイン! お前だって納得してたじゃないかっ」
「いやぁ~。私は考え直した方がよろしいと具申しましたよ?」
「そ、そうだけど……っ」
杖と言い合う彼を見て、私はその滑稽さについ噴き出してしまった。
「ふっ。ふふふふっ」
「カリス?」
「私の国とアザレアでは、習慣や生活様式が異なるのは当然のこと。無知ゆえに至らぬ点はまだまだありますが、この地のすべてを受け入れられるよう努めて参ります」
「えっ。それって……」
私は、足元に転がる箱から指輪を取り上げた――
ダイヤモンドは太陽の光に反射して、美しく輝いている。
闇に生きてきた私には、あまりにも眩し過ぎる輝きだと思う。
しかも、結婚指輪など過去のいかなる任務でも身に着けたことはない。
本来、私には分不相応で、荷が重すぎる代物。
……だけれど。
私はもう、この暖かい安息の地から、あの冷たい闇の中には戻れない。
今の私には、彼らが呼んでくれる名前がある。
この地で過ごしてきた確かな思い出がある。
この城で彼らと共に生きていきたい――そんな夢と希望がある。
――胸を満たすこの充足感……これが愛。
ザドリックは光だ。
ずっと闇の中をさまよっていた私に、彼は安息の場を与えてくれた。
そんな彼に、私はいつの間にかこれほどまでに惹かれていたのか。
「返答がまだでしたね」
「うん」
ザドリックはずっと不安げな顔をしていた。
私は指輪を持ったまま彼に歩み寄り、精一杯の笑顔で笑いかける。
すると、強張っていた彼の表情が緩んだ。
そして――
「私もあなたを愛しています」
――指輪を左手の薬指へとはめた。
直後、側近達が歓声をあげた。
風が吹き、色とりどりの花びらが舞い上がった。
「カリス。今の僕はまだまだ頼りないかもしれないけど、将来、必ずきみを幸せにしてみせる!」
「ザドリック……」
「僕は魔王だ。魔王に二言はない。だから……きみの幸せは絶対だ!!」
「はい。幸せにしてください、魔王ザドリック――」
私を見上げる燃えるような赤い瞳に魅せられる。
この人が将来どんな男性になるのか、ずっと見守っていきたい。
優しい心を持つ魔王が世界に何をもたらすのか、見届けていきたい。
その妃として、私は誰よりも彼の力になりたい。
「――私も、そんなあなたの傍でいつまでも見守って参ります」
私は膝をついてザドリックと視線を合わせた。
息が掛かるほど間近で互いを見つめ合った後、私は彼と唇を重ねた。
「……っ!!」
「昨日のお返しです」
不意打ちを受けて、ザドリックは顔を真っ赤にしている。
その姿がたまらなく愛おしい。
私は我慢できずに、その頬をつついてしまった。
ザドリックも頬を膨らませて応戦してくる。
こんな充足感のあるスキンシップは初めて――胸が熱くなる。
生きよう。
この小さい魔王と、このアザレアで。
私は新しい道を進むのだ。
「不束者ですが、これから末永くよろしくお願いいたします」
◇
その夜、私はあらためて宝物庫へと侵入した。
目的は一つ。
魔鏡を使って、アルストロメリアに再びメッセージを送るためだ。
内容は次の通り――
前回送ったメッセージはすべて間違いだった。
私は側近達の信用を得られず、偽りの情報を与えられていた。
あの恐ろしい魔王は健在で、すでに傷も回復しており、人間国家連合の動向に目を光らせている。
彼は休戦条約を信用してはいない。
私はある程度の自由を与えられているが、正体を明かさぬよう努めるのが精一杯。
アルストロメリアの宮廷評議会に告ぐ。
決して魔王の逆鱗に触れるような早まった行動は起こさぬように。
――私のアザレアへの裏切りを帳消しにするようなメッセージだ。
その一方で、祖国へ嘘のメッセージを伝えるのは心が痛む。
しかし、こうでもしなければアザレアへの侵攻を招く可能性が高い。
このメッセージが評議会に届き、今一度アザレアへの対応を考え直してくれることを祈るのみ。
どうか祖国にもアザレアにも、何事も起こりませんように……。
そんな都合のいい現実があるわけがない。
わかっていても、今の私にはそれを祈ることしかできないのだ。
「慈悲深き女神よ。願わくば、この地に永遠の平和を与えたまえ。あなたの裁きで、彼らは十分に苦しみました。もうこれ以上の罰は……悲しみを生むだけです」
私は短剣の刃を見つめながら独り言ちた。
刀身に塗られた聖油がランプの灯りに反射し、にわかな煌めきを見せる。
……私達の未来は、神のみぞ知る。




