18. Shall We Dance?
朝起きて、私はとんでもないことに気が付いた。
「髪留めが……ない……っ!?」
なんて迂闊な……!
昨日は晩餐が急遽中止になったから、ドレスアップすることがなくて今の今まで気付かなかった。
ザドリックのベッドに落としたことは覚えているけれど、その後どうなったのかはわからない。
……まずい。
あの髪留めが魔物の手に渡ったら、聖油を塗られた武器だと見抜かれてしまうかも。
「髪留めナラここダ」
「っ!!」
急に目の前に髪留めを差し出されたので、私は全身が硬直してしまった。
髪留めは、黒いトレイ――否。束ねられた髪の毛の上に、下敷きを挟んで乗せられている。
髪を目でたどっていくと、天幕の外に小柄な影が見えた。
「ビアンニ……ありがとう」
私は下敷きと一緒に髪留めを受け取った。
見たところ、仕込み刃を暴かれた形跡はない。
どうやら彼女はこれが武器だと気付かなかったよう。
その時、下敷きに封蝋が張られていることに気が付いた。
これは下敷きではなく封筒だ。
しかも、その封蝋はアザレアの紋章――ザドリックからの手紙!
「礼ヲ言うのハ、コチラの方。アリガトウ」
「今日はずいぶん素直ですね?」
「素直にもナル。オマエが――いや。アナタがザドリック坊ちゃまヲ救ッテくれタのダカラ」
「……私は彼を救ってなどいませんよ」
「救ッテいるヨ。本当にアリガトウ――」
しゅるしゅると幕の下を滑っていく髪の毛。
天幕の外にいるビアンニは、すでに踵を返して扉へと向かっていた。
「――アナタなら、イイ」
彼女は最後にそうつぶやくと、廊下へと出ていった。
「……」
寝室に一人きりになった後、私は手紙の封を破った。
封筒から出した便箋を拡げてみると、中央にわずか一行――
今日の正午 花園へ。 その場にて あなたの命をいただく
――とだけ書いてあった。
お世辞にも上手とは言えない独特の癖のある字。
これはザドリックの自筆?
それよりも、これは私に対する明らかな殺害予告だ。
まさか昨日の一件で私の正体が露見した!?
髪留めの仕込み刃が見抜かれたか。
でも、あの後の会話ではそんな素振りはどこにも……。
そもそもどうして広間でも食堂でもなく花園なのだろう。
私への制裁が目的だとしたら、アザレアにおいてもっとも神聖と言える花園が処刑場所に選ばれるのは不自然。
仮にも先代王妃の墓所があるのだから、ザドリックが認めるとは思えない。
とすると、側近の誰かがザドリックを装ってこんなものを?
送り主はケイン?
それともビアンニ?
あるいはカーミラ?
イブリスならば私に気付かれず監視できるか?
もしかしてキャッタンに魔鏡を無断で使ったことがバレた?
……わからない。考えても困惑が募るばかり。
チラリと机の上の置き時計を見やると、時刻はちょうど七時を指していた。
「正午まであと五時間――」
私への制裁の可能性は拭えない。
である以上、私も暗殺者として準備をしておかなければならない。
「――とうに覚悟はできている」
私はキャビネットの中に隠しておいた短剣を手に取った。
囚われた場合、魔法を使える相手に黙秘は意味をなさない。
いざとなったら、情報を引き出される前に自らけじめをつけなければ。
任務失敗の代償は自決――それが暗殺者の矜持だ。
◇
正午まであと少し。
私は普段とはやや趣の異なるドレスに身を包み、寝室を出た。
着替えを手伝ってくれたジーナは、今日に限って鮮やかな装いを一切許さなかった。
私が身に着けたのは、純白のドレスに、真珠のネックレス、そして白銀のティアラ――全身を真っ白く染め上げるようなコーデだった。
その一方で、髪留めとイヤリング、付け爪は見た目に添うということで許容された。
姿見を覗いてみると、頭から爪先に至るまで本当に真っ白だった。
極東の島国には、死に際して白い服を着る風習があるそうだけれど、今の私はまさしくそれを思わせる。
「参りましょう」
「ええ」
ジーナが廊下に出ていく隙をついて、私は隠していた短剣をガーターへとくくりつけた。
確実に自決するには、仕込み刃や毒針よりも短剣がベスト。
とりあえずこれで準備は整った。
私は澄ました顔のまま廊下に出て、颯爽と花園へ向かう。
死出の衣装がこれほど美しいドレスなら、私には願ってもないことだ。
◇
薄暗い通路から花園に出ると、太陽の光が私の顔を照らした。
……眩しい。
これほど強い太陽光がアザレアに差し込んでくるなんて珍しい。
「お待ちしておりました。奥へお進みください」
花園に入って早々に迎えてくれたのは、イブリスだった。
なんとイブリスは黒い影の上から黄色いドレスを羽織っている。
スカートを履いているということは、女性だったの……。
「待ってたよ、カリスちゃん!」
キャッタンが手を振りながら私に声を掛けてくる。
彼女はいつもの服装と違って、明るい色のドレスを着ていた。
相変わらずの能天気な表情から察するに、私が魔鏡を無断使用したことに気付いているとは思えない。
見れば、その場にはイブリスやキャッタンの他、側近達が勢揃いしていた。
「あら。お綺麗ですわね」
真っ赤なドレスを着ているのは、カーミラ。
「……フンッ」
深い緑色のドレスを着て鼻を鳴らしているのは、ビアンニ。
「わっはっは! 主役の登場か!!」
橙色のスーツで豪快に笑っているのは、コベンホルト。
「なんと美しいお姿。あのお方にも引けを取りませんわ」
水が人の形を成しているウンディーネのディーヌも、青いドレスで着飾っている。
「昔を思い出しちまうな。まったく感無量だぜ」
城外警備でほとんど姿を見ないケンタウロスのケイロンまで、黄土色のスーツ姿だ。
「おお、カリス様! よもやこの時が来るとは夢にも……くうぅっ!!」
最後に目に留まったのは、地面に突き刺さっている杖のケイン。
八人の側近達は二手に分かれて、先代王妃の墓石まで列を作っていた。
一方、墓石の前には、ひざまずいて祈りを捧げているザドリックの後ろ姿が見える。
真っ白いスーツを着ていることから、どうやら彼も正装の様子。
「???」
……何がなんだかわからない。
針の筵になることも覚悟していたのに、周りの者達が私に向ける態度にはまったく敵意を感じられない。
それどころか、みんな晩餐の時よりも楽しそうな顔をしている。
制裁の場というのは私の考え過ぎだった?
否。あの手紙の一文は、明らかに私への害意を示したもの。
明るい雰囲気の場とは言え、油断はできない。
「ほら、早くっ」
「ザドリック様がお待ちかねですわよ」
「坊ちゃまヲ待たせるナッ」
側近達が列の間を通るように急かしてくる。
まだ状況が把握できていないけれど、仕方がない。
私は彼らの作った列を通って、ザドリックのもとまで急いだ。
「カリスです。ご命令通り参上しました」
私が話しかけてすぐ、彼は立ち上がって顔を見せてくれた。
「待っていたよ、カリス」
ザドリックは凛とした表情で私を見上げている。
顔色の悪さはすでになく、その立ち振る舞いは堂々としていて、微塵も幼さを感じさせない。
腰には帯剣し、髪型も整っている上、王冠を頭に戴いている。
ここにいるのは、昨日までの子どもっぽい彼ではない。
紛れもない魔王だと実感させられた。
「ザドリック……」
「カリス。僕と踊っていただけますか?」
ザドリックが手を差し伸べてきた。
困惑したけれど、彼の有無を言わさぬ圧を感じて、私は彼の手を握ってしまった。
踊るとはどういうこと?
アザレアでは、処刑の前に罪人と踊るという取り決めがあるの?
もしや、ダンスをミスしたら即処刑なんてことが……。
いやでも、相手に説明もなくそんなアンフェアな刑罰があるとは……。
だけれど、ここはアザレア。魔物の国の価値観なわけだし……。
「!」
困惑する中、私の腰にザドリックの手が置かれた。
続けざまに彼がステップを始めたので、私は慌てて足を動かした。
……ダンスが始まってしまった。
花園に風が吹いたと思ったら、突如として音楽が聞こえてくる。
見れば、墓所の横に古めかしい蓄音機が置かれていて、そこから優雅な曲が流れている。
これは……円舞曲?
この雰囲気は、かつて貴族邸に潜入した時と似る。
暗殺対象と失敗の許されないダンスを強いられることは、その時に経験済みだ。
私はザドリックの息に合わせてステップを続けた。
身長差があるのに、思いのほか違和感なく踊ることができる。
彼はダンスに慣れているのだろうか?
ザドリックの顔を覗いてみると、彼は足元を見下ろしたまま必死の形相をしていた。
……慣れているどころじゃない。必死に踊っているのだ。
今もまだ状況の把握ができない。
でも、彼が本気で私と踊ってくれているのは理解した。
だから私は――
「私がリードします。合わせてください」
「……うん!」
――本気で踊ることにした。
太陽の日が差し、優しい風が吹き、花びらが舞ってこの場を彩る。
その不思議な踊り場で、私は特務機関の訓練生時代に叩きこまれたダンスを惜しげもなく披露した。
ターンが早過ぎてザドリックを引っ張ってしまうこともあったけれど、彼はしっかりと私の動きについてきてくれた。
曲が進んでいくうちに、彼は私を見上げながら笑えるほどの余裕ができていた。
私達はいつの間にか息がぴったり合っていたのだ。
……踊るさなかに思う。
これはザドリックなりの私への餞なのかもしれない。
裏切り者の命を取る前に、最後に与えてくれた安息の時間なのだ。
こんな慈悲をかけられては、自ら刃を立てるなど無礼の極み。
謹んで彼の断罪を受け入れよう。
それが私に安息を与えてくれた彼へできる最後の償いなのだから。
蓄音機から曲が聞こえなくなった頃、私達は足を止めた。
「ザドリック。覚悟はできています」
笑いかけた直後、彼は私から離れて腰を下ろした。
すぐに彼の腰にある剣が閃き、私の首を落としてくれるだろう。
それもまた良し――
「?」
――しかし、彼は剣を抜くどころか、その場に膝をついてしゃがみ込んでしまった。
「一ヵ月も待たせてしまってごめん。本当は、きみを迎え入れた最初の日にやるべき儀式だったんだ」
「はい?」
「でも、あの頃の僕はこうやって踊るような体力もなかった」
「え?」
「けど、今はきみのおかげで体力も戻ってきた。この姿のまま、長い時間を過ごせるようになったんだ」
「???」
「今こそ盟約の儀礼と共に、きみにこの言葉を贈りたい」
彼はその手に小さな箱を携えていた。
箱が開かれた時、私の目に眩いダイヤモンドの指輪が映る。
「愛している。きみの命を、この先ずっと僕に預けてほしい。踊ることで示した通り、僕は未来永劫きみの手を離さず、この身を傍に置くことを誓う」
ザドリックの言葉を聞いて、私はさらにびっくり。
これってアザレアにおける婚礼の儀式!?
あの手紙の一文――命をいただくって、もしかしてそういうこと!?




