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17. 裸の少年

 目を覚ますと、私はシャンデリアの明かりを見上げていた。


 ……いけない。寝てしまった。


 ここはザドリックのベッド?

 でも、隣に彼の姿はない。

 枷も外れたままになっているし、一体どこへ……?


 身を起こしてみると――


「こっちを見ないでっ!!」


 ――ザドリックの声が聞こえてきた。


 声のした方に向き直ってみると、ヘッドボードの厳めしい装飾の裏側に角の生えた頭が見えている。

 その角の主がザドリックだとはすぐにわかった。


 彼は時折ボードの裏から私を覗くと、すぐに顔を引っ込めてしまう。


 なんと彼はすっぽんぽんで、腰回りにシーツを巻きつけているだけだった。

 どうやら怪物の姿になった時に衣服は引き千切ってしまったらしい。

 もしかして、こんな恰好だから恥ずかしがっているの?


「なぜ隠れているのですか?」

「カリスを怖がらせちゃうと思って」

「怖くはありませんよ」

「でも、またいつあの姿になってしまうか……」

「今は私のよく知る小さな魔王様です。それに、仮にあの姿に戻られたとしても、私は怖がりませんよ」

「本当?」


 ザドリックが恐る恐るボードから顔を出した。


 赤い瞳の少年が不安げな表情で私を見つめている。

 その顔は数日前に会った時よりも明らかにやつれていた。

 それに、全身に残る痛ましい傷跡……。


 ケインは、ザドリックがあと数ヵ月の命だと言っていたけれど、その予測は間違ってはいなさそうだ。

 彼が父親から受け継いだ血の呪いは、本当に命の危険を孕んでいる。


「こちらへどうぞ」


 私はベッドから足を下ろし、隣のシーツをぽんぽんと叩いた。


「でも……」

「いいから、いらっしゃい」


 しばらくして、ザドリックはヘッドボードから出てきた。

 そして、遠慮がちに私の隣へと座る。


「ドレス汚してごめん」


 私のドレスはザドリックの血がついて赤黒く染まっていた。

 職業柄、血には慣れているから何とも思わない。

 でも、先代のお妃様のドレスを汚してしまったことは申し訳なく思う。


「むしろ私の方が謝るべきです。そもそもあなたのお母様のドレスなのですから」

「カリスが謝る必要なんてないよ! 僕が勝手に贈ったものだし、着てくれてるだけでとっても嬉しいよっ」

「でも」

「いいんだ。気にしないで」

「……わかりました」


 ザドリックの必死に訴える顔を見て、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。


「ねぇ、カリス。一つ聞いてもいいかな?」

「どうぞ」

「あの時、どうしてあんな怪物の姿をした僕に近づくことができたの? あの姿の僕は、側近のみんなだって近寄れないほど危険な存在なのに」

「私は人間ですから、あなたの血が毒になるようなことはありません」

「でも、部屋に入ってきた時、僕が暴れているのを見たでしょ?」

「はい」

「怖くなかった?」

「……少し」

「僕は一日の半分以上はあの姿になる。あの姿でいる時は、全身に激しい痛みが襲ってきて、何もかも壊したくなるんだ。それが城であっても、誰であっても――」


 ザドリックは縮こまって、にわかに震えている。


「――僕は自分が怖い。大事な城を、大切な仲間を傷つけてしまうのが怖い」

「だから自らに枷を……」

「こうすることで、少なくとも誰かを傷つけることはないから」

「でも、ご自身が傷ついてしまいます」

「僕のために誰かが傷つくくらいなら、僕が傷つく。僕のせいで誰かが辛い思いをするなんて絶対に嫌なんだ」

「優しいのですね」


 私はザドリックの頭を撫でてあげた。

 すると、彼は甘えるように私にもたれ掛かってくる。


「嫌なら言って」


 ザドリックが言うのを聞いて、私は彼を抱きしめてあげた。

 彼から感じられる不安を少しでも取り除いてあげたかったから。 


「私は、あなたがどんな方なのか理解しているつもりです」

「……僕ってどんな奴?」

「明るい性格でみんなの中心に立ち、誰かを慮る優しい心を持っている。怖がる理由がどこにありますか」

「でも、側近のみんなはどう思ってるか……」

「ビアンニもカーミラも、あなたのお世話ができないことを悲しがっていましたよ。イブリスや使用人の皆も気持ちは同じでしょう。あなたの血が彼らにとって毒でなければ、私の出番なんてありませんでしたよ」

「……そうかな」

「そうです。あなたはみんなから愛されているのですよ」

「……そうだったら、嬉しいな」


 魔物に他者を慮る心があるなんて、人間(私達)の誰が思っただろう。

 そもそも人間(私達)魔物(彼ら)について何も知らなかった。

 元は人間であることも。

 そして、今もまだ心が残っていることも。


 人間(自分)のために魔物(他者)を滅ぼそうとする。

 そんな人間(私達)魔物(彼ら)にどんな違いがあるだろうか。


「そ、それより! ケインから聞いたんだけど――」


 ザドリックは慌てた様子で私から離れた。

 見れば、顔を真っ赤にしている。


「――中庭に入ったんだってね」

「はい」

「父上のご遺体、見たんだろ」

「見ました」

「きみの国を騙したことは悪いと思ってる。でも、仕方なかったんだ」

「わかっています。アザレアの民のためでしょう」

「うん。……父上が亡くなって、僕は目覚めた。久しぶりにみんなと会えると思ったのに、側近達のほとんどは勇者達との戦いで死んでしまっていた。また戦いが起これば、もっと酷いことになる。だから嘘をついてでも魔王が生きてることをアピールする必要があったんだ」

「魔王の名は、人間国家連合(ガヴァメント)にとってこれ以上ないほどの抑止力。生き残るために利用するのは当然のことです」

「でも、きみを巻き込んでしまった。休戦条約を結ぶことが目的だったけど、まさか聖女が差し出されるとは思わなかったんだ」

「ザドリック様……」


 彼が申し訳なさそうに言うのを見て、私は胸が痛む思いだった。


 私の正体をザドリックには知られたくない。

 休戦条約に乗じて、魔王の暗殺にやってきただなんて、口が裂けても言えない。

 私の命が危険だからという理由ではなく、彼のこの純真な心を傷つけてしまうのがたまらなく恐ろしいからだ。


「もしカリスが家に帰りたいのなら、帰っても構わない。でも――」


 ザドリックの小さな手が、私の手を握り締めた。


「――できればもう少しだけ僕の傍に居てほしい。きみが傍にいてくれると、なんだか心が温かくなるんだ。こんな気持ち初めてで……きみがいなくなって、この気持ちを失うのが……怖いんだ」


 ……同じだ。

 ザドリックも私と同じ――(うち)に熱い何かを持っている。


「帰りませんよ」

「え?」

「だって、このアザレアが私の新しい家ですもの」

「カリス……本当にいいの?」

「私もアザレアに来て初めて得たものがありました。それをずっと手放したくない……それはきっと、ここにしかないものだから」

「それは何?」

「安息」


 私は、アザレアに来て手に入れたこの宝をこれからもずっと享受したい。

 図らずとも手に入れたこの気持ちを失いたくない。

 ザドリックと、他のみんなと、これからも。


 でも、私にはそんな資格がないこともわかっている。

 私はすでに彼らを裏切ってしまっているのだから……。


「カリスが傍に居てくれるのなら、その安息――僕がずっと守り続けると約束するよ」

「ありがとう、ザドリック様」

「そんな堅苦しい呼び方、しないでいいよ」

「……そうですね。ザドリック」


 その名を呼ぶと、ザドリックは嬉しそうにほほ笑んだ。





 ◇





 その後、私がザドリックと共に外へ出ると、側近達が並んで待っていた。

 ビアンニもカーミラも、イブリスもキャッタンも、コベンホルトや他の側近達まで勢揃いして、安堵した表情を浮かべている。


「ね。みんなの気持ち、わかったでしょう?」

「……うん。僕もみんなが……大好きだ」


 ザドリックの見せた嬉しそうな笑顔を見て、私も釣られて笑ってしまう。


「では、私はドレスを着替えてきます。それに浴場にも――」


 私が歩き出した直後、ザドリックが手を掴んだ。

 驚いて振り返ると――


「!?」


 ――彼の唇が私の頬に触れた。

 突然の不意打ちに、私は驚きで声も出せない。


「大好きだよ。カリス」


 ザドリックは真っすぐと私を見つめながら言った。


 本気? 冗談?

 いやでも、一応、私達は夫婦なわけだし……本気?


「誰かカリスを浴場へ連れて行ってあげて。ドレスは僕の血がついているから勿体ないけど処分を。それと、キャッタンには倉庫で探してきてほしい物がある」


 主の命を受けて、側近達が即座に動き始める。


「ところでケインてどこいった? 一昨日からずっと見ないんだけど」

「もしや陛下がまたどこかに置き忘れてきてしまっているのでは……?」

「あっ! そう言われるとそうかも」

「すぐに城内の通路を捜索いたします」


 そう言うと、イブリスは通路の闇に溶け込んで消えてしまった。

 その場に残った他の側近達も、踵を返して通路を戻っていく。


「ザドリック……」

「顔が赤いよ、カリス。びっくりさせちゃったかな」

「べ、別に驚いてなんかっ」

「そう。それじゃ、今度はもっとしっかり驚かせてあげる」

「えっ。一体何を……?」

「それはその時のお楽しみ!」


 こんな楽しそうなザドリックは初めて見る。

 そして、これほど彼に緊張している自分も初めて。


 彼が何を企んでいるのか、今からとても楽しみに思えてしまうのは――私も彼のことを少なからず……?

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