16. スティレット13
魔鏡からメッセージを送って数日が経った。
あれから特に変化もなく、私はいつも通りの毎日を送っていた。
……いつも通り、か。
私が魔王の城にやってきて、もう一ヵ月以上。
いよいよ目に入るすべてのものに慣れてしまったな。
「カリス様。本日はどちらへ?」
寝室で朝食を終えた後、ジーナが声を掛けてきた。
「ザドリック様のお部屋へ行きたいわ」
「陛下のお部屋でございますか!?」
「そうよ。ここ最近、ずっと晩餐にお出にならないから心配なの。連れて行ってくれるわね?」
「い、今は少々難しいかと……っ」
ジーナが明らかに動揺している。
私をザドリックに会わせることを躊躇っているの?
なぜ今さら……?
「私は彼の妻です。それなのにずっと夫の顔を見ていないなんて、おかしいわ」
「そ、それはその通りですが……」
「案内するつもりがないのなら構いません。一人で探します」
「ああっ! お、お待ちをカリス様っ」
私が寝室から出ると、ジーナが慌ててついてきた。
この慌てよう――明らかにザドリックに何かが起こっている反応だ。
ならば、その現状を確かめないわけにはいかない。
「案内はしてくれるの、ジーナ?」
「……承知しました。ご案内いたします」
ジーナは渋々ながらも折れてくれた。
◇
私達は何度か階段を上った後、薄暗い袋小路で立ち止まった。
ジーナが壁の暗がりをランプで照らしだすと、闇が裂けて新たな道ができた。
「この先に陛下のお部屋が――」
ジーナが喋りだした途端、開けた闇が再び閉じてしまう。
何が起こったのかと思っていると、突然、闇の中に二つの目玉が現れた。
……イブリスだ。
「カリス様でございましたか」
「イブリス。ここを通していただけますか?」
「それは……」
イブリスは押し黙ってしまった。
さっきのジーナの反応といい、魔物達の様子がおかしい。
「ザドリック様の妻である私を通せない理由などあるのですか?」
「……」
「彼とはこの一ヵ月、晩餐の場でしか顔を合わせていないの。しかも、最近は体調不良で晩餐にもお姿を現さない。婚姻を結んだ夫婦がおかしいと思わない?」
「おっしゃる通りです」
「なら、ここを通してくれるわね?」
「ですが今はよろしくありません」
「どういうこと?」
「……」
まただんまり。
その時、背後から何かがこすれ合う音が聞こえてきた。
振り返ると、天井から大量の髪の毛が垂れ落ちてくる。
「ビアンニ?」
髪の毛が床につくと、その中から這い出るようにしてビアンニが現れた。
彼女はヒタヒタと私の隣へ歩いてくると、イブリスを見上げる。
「イブリス様。遅カレ早カレ、この女――いえ。お妃様ニモ知られるコト。陛下のお部屋に案内シテもよろしいカト」
「……わかりました。ここから先はビアンニ、お前がご案内して差し上げなさい」
イブリスの目玉が消え、闇が裂けて再び道を作った。
「ついて来イ」
ビアンニは髪の毛を動かしてジーナからランプを奪い取るや、闇の裂け目を通って先へと進んでいってしまう。
「カリス様。わたくしはここでお待ちしております」
「ええ。行ってくるわ」
私はジーナに告げた後、ビアンニの後を追いかけた。
裂け目の向こうに続いていた通路は、窓もなければ燭台もなく、真っ暗な空間が続く続くのみだった。
「一つダケ、頼みたいコトがアル」
「……何かしら?」
ビアンニはいつの間にか私の隣を歩いていた。
「陛下トお会いしテモ、怖がらナイであげてホシイ」
「? 夫の姿を怖がる妻がいるものですか」
「お願イ」
「……大丈夫です。心配はいりません」
こんなにへりくだったビアンニは初めて見る。
それに、怖がらないで、とは一体どういう意味だろう。
歩き続けるうちに、暗闇の奥に青い光で照らされる扉が見えてきた。
扉の前には、ランプを持つ数人の無貌の女、それに――
「カリス様!? ビアンニ、あなたどうして彼女を連れてきたの!」
――カーミラの姿があった。
「これ以上、隠したトコロで何にナル?」
「それは……そうですけれど」
「ワタシ達ニハ何もシテ差し上げられナイ。でも、この女ナラ……」
「……そうね」
カーミラは私を一瞥するや、道を開けるように扉の前から退いた。
無貌の女達も同様。
私は彼女達の作る列を通って扉の前に立った。
その時――
「グウォオオォオオォォォッ!!」
――扉の奥から、獣の咆哮のような音が聞こえてきた。
「今のは……!?」
なぜザドリックの部屋からこんな音が聞こえてくるの?
まさかザドリックの声……!?
「ビアンニ、カーミラ。ザドリック様に何かあったの?」
「ワタシの口カラは、とても言えナイ……」
「中に入ればわかりますわ」
二人とも悲しげな表情を浮かべたまま私を見入っている。
彼女達の様子から、私はザドリックの身に何か大事が起こっているのだと確信した。
「……そうさせてもらうわ」
扉を見上げた時、キラキラとした不思議な光沢を放っていることに気が付いた。
宝物庫の扉と同じ――この扉もミスリルで作られている。
「私は、カリス・アンナ・マリア・アルストロメリア。ザドリック様の妻です。道を開けなさい!」
扉が二つに割れて、ひとりでに開いていく。
部屋に窓はないが、昼のように明るい。
天井から吊るされたシャンデリアの火が、広い部屋を煌々と照らしているためだ。
家具は中央に置かれたベッドが一つのみ。
そして、ベッドの上には得体の知れない巨大な何かがのたうっている。
そのシルエットはまるで獣――否。そんな表現では足りない。
「……怪物」
見れば、床や壁には明らかに破壊痕とわかる爪痕や窪みが見られる。
やったのは……考えるまでもないな。
私が部屋の中に足を踏み入れて間もなく、後ろから扉の閉じる音が聞こえてきた。
これで私はこの密室で怪物と二人きり。
私は身が強張るのを感じながらも、ベッドへと近づいていった。
「ウグオオオオォォォッ!!」
怪物が再び咆哮を上げ、ベッドで暴れ始める。
とっさに身構えたが、怪物がベッドから起き上がってくることはなかった。
怪物は全身を拘束されていた。
両手、両足、胴体、首――それぞれに太い鎖の繋がった枷が取り付けられており、怪物は寝返りすら打てない状態にされている。
しかも、枷は入り口の扉と同じ光沢を放っていることから、ミスリル製のよう。
そこまでしなければ押さえられないということか……。
「グウウゥウウオオオオォォォ~~~ッ!!」
これは咆哮?――否。悲鳴なのではないか。
私には、怪物が助けを呼んでいるように思えてならない。
脳裏にケインの言葉を思い出す――
『陛下はおぞましい呪いをその身に受けました。お姿が魔物となった他、我を忘れるほどの破壊衝動、人間への憎悪と嫉妬に身を焼かれる精神疾患――――主様はお姿こそ人間に近しいですが、その血は陛下の呪いを受け継いでいました』
――私は彼の言葉を誤解していた。
父親である魔王から受け継いだ血の呪いがザドリックの体を蝕み、命の危険が迫っているのだと思っていたけれど、どうやら違う。
あの小さな男の子が、呪いによって魔王と同じ異形へと姿を変える――それが受け継いだ呪いの本当の脅威だったのだ。
「ザドリック」
ベッドの傍――怪物に寄り添える位置まで来て、私は彼の名を呼んだ。
「グウゥゥゥ……ッ」
今まで暴れていた怪物は急に大人しくなり、私の顔を見上げた。
怪物の全身に見られる黄金の体毛に、頭部から生える禍々しい漆黒の角、そして股座から伸びる鰐のような尻尾――その姿は中庭にある魔王の姿と似る。
しかし、燃えるような真っ赤な瞳だけは、ザドリックの面影を感じさせた。
「……酷い傷。枷を外そうとして暴れたのね」
ザドリックの体は傷ついていた。
枷のはめられた辺りは皮膚がうっ血し、酷いところだと裂傷ができていて、血すら流れている。
『陛下の血には呪いがかけられているのです。我々魔物が触れれば、立ちどころに死を迎えてしまう恐ろしい呪いです』
再びケインの言葉を思い出したことで、合点がいった。
父親から呪いを受け継いだのであれば、その血は魔物には致死の猛毒となる。
今、誰もザドリックの傍にいられないのは、その呪いのせいなのだ。
そして、血の呪いに害されず彼の看病をできるのは、この城では人間である私だけ。
「私です、カリスです。わかりますか?」
「グウウゥ……ウウゥ……」
猛獣のようだったザドリックの表情が穏やかになっていく。
私のことがわかるようだ。
理性も記憶も残っているのに。
あんなに純真な子だったのに。
呪いを受け継いだせいで、こんなおぞましい姿になってしまうなんて。
……あまりに不憫。
「苦しいでしょう、ザドリック?」
「ウッウウゥ」
「今、楽にしてあげますからね」
私は束ねていた髪の毛から髪留めを外した。
この髪留めにはナイフが仕込んである。
女神の加護を受けた聖油を塗り込んであるから、魔王の後継者とは言え、急所を突けば苦しむことなく息絶えるだろう。
この場には私達以外には誰もいない。
今この瞬間こそ、私が使命を果たす絶好の機会だ。
髪留めに隠してある刃を抜こうとした時、ザドリックが口を動かし始めた。
「ウゥ……カ、リ……」
「え?」
「カ、リ、ス……」
「喋れるのですか……?」
「カリ、ス……ッ」
ザドリックが私の名を呼んでいる。
赤く光る両目には涙が滲み、私を見つめている。
人ならざる形をした手を震わせながら、私へと伸ばしている。
「……グウゥ」
拘束されている彼の手は、私には届かない。
それでも必死に手を伸ばすことを諦めない彼を見て、私は髪留めの刃を露わにすることを躊躇っていた。
なぜ?
私は暗殺者として、今まで何十人と標的を殺してきた。
それなのにどうして今さら躊躇う。
いくら人間に近しい姿をしていようと、子どもであろうと、ザドリックは魔物だ。
しかも、魔物を統括する魔王だ。
彼が生きている限り、この世界に真の平和は訪れない。
人間国家連合は決して魔物との共存は望まず、特務機関は魔王の確実な死を望む。
……そうだ。
事ここに及んで、何も考える必要はない。
本来の自分を思い出せ。
名前もなく、過去もなく、軸もない。
それが私――スティレット13。
闇に生きる暗殺者。
それ以外でもそれ以下でもない。
他の生き方など知る由もない。
ただ標的の暗殺を果たすのみ!!
「カリス」
「!?」
「また、みんなと、晩餐……」
「う……ぁ」
その言葉がきっかけとなり、私の脳裏に晩餐の日々が思い起こされる――
ザドリックの笑顔。
側近達の悪ふざけ。
魔物らしからぬ温かい食卓。
私の心で弾ける熱い何か。
――安息を感じたのは、生まれて初めてだった。
「……ええ。また一緒に晩餐を」
私は髪留めを取り落としてしまった。
とっさに手を伸ばしたのは、シーツの上に落ちた髪留めではなく、ザドリックの手。
その手を優しく握ってあげると、彼は安らかな表情で目をつむった。
血だらけの手だったけれど不快感はない。
間もなくして、ザドリックの体に変化が起こる。
全身の体毛が薄くなり、筋肉が縮小し、角も尾も引っ込み、次第に元の姿へと戻っていった。
小さくなった手足は何もせずとも枷から抜けていく。
ベッドに横たわるのは、私が初めて玉座の間で見たのと同じ少年だった。
「ザドリック――」
彼は私の手を握ったまま、まったく離そうとしない。
せっかく落ち着いて眠っているのに、無理に手を離そうとして起こしてしまうのは無作法かな。
「――仕方のない人」
私は彼に添うようにして、身を横にした。
ザドリックの寝顔がよく見える。
どれほど時間が経ったのか――私はいつの間にかまどろみへと落ちていた。




