13. 呪われた真実
目を覚ますと、私は明るい場所に寝かされていた。
「おおっ。お目覚めになられましたか、カリス様!」
この声はケイン宰相だ。
身を起こすと、すぐ傍でケインが私を見下ろしていた。
杖を持っているのは真っ黒い人影――人間形態(?)のイブリスだった。
「誠に申し訳ございませんでしたっ!!」
イブリスはケインを投げ出すや、突然その場に土下座して謝り始めた。
……魔物の土下座なんて初めて見る。
「まさかあなた様が中庭に入ってくるとは露ほども思わず! よもやその玉体を傷つけてしまうなど、このイブリス一生の不覚!!」
「こ、こちらこそ入場を禁止された中庭に立ち入ってしまって、ごめんなさい」
「傷はユニコーンの涙を調合した薬によって完治しております! どこかご加減の悪いところはございますでしょうか!?」
「いいえ! もうすっかり良くなったようですっ」
興奮するイブリスをいなして、私は現状の把握に努めた。
そして、自分がまだ中庭にいることに気が付く。
「ここは……中庭ですか?」
「恐れながら、現在発生している水害を考慮してこの場に留まっていただきました。私の暗黒領域を解除した上で、燭台も多数持ち込みましたので、カリス様の視界にご不便ないと思うのですが……」
「はい。よく見えます」
中央には、巨人の死体が変わらず鎮座している。
明るくなってからあらためて辺りを見回してみると、中庭の地形は著しく損傷していた。
おそらくここが勇者と魔王の決戦の場。
勇者様との一騎打ちは、よほどの激闘だったと見える。
「あのご遺体は、先代の魔王陛下ですね?」
「その通りです」
私が訊ねると、芝生の上に転がるケインが答えた。
「人間が認識していた魔王と、ザドリック様は別人。どうしてこの事実を私にお伝えにならなかったのです?」
「それは……」
ケインが言葉を詰まらせた。
私にすべてを明かさなかった理由は聞くまでもない。
伴侶として捧げられたとは言え、私が裏切る可能性を拭えなかったからだろう。
そして、事実その懸念は的中している。
「おっしゃる通りでございます。万が一の事態に備えて、カリス様にはしばらくこの事実を伏せておくことになっておりました」
……やはり。
まぁすでに察しはついていたけれど。
「万が一の事態とは、私の謀反を予期してのことでしょうか?」
「……恐れながら」
「事実を伏せた理由は納得できます。私は敵国から嫁いできた女……すべてを語るには日が浅すぎる」
「しかし、我々は本気でカリス様を受け入れるつもりでおりました! それに、今はもうあなた様の謀反を疑う者はおりません!!」
「ありがとう――」
ここで彼らを非難して、私に有利な条件を聞き入れさせることもできそうだけど、やり過ぎて心象を悪くすることは避けたい。
この場は不問に付して、良き王妃のイメージを演出するだけに留めておこう。
「――あなた方の対応を咎めることはいたしません。私が同じ立場なら、きっと同じことをしたでしょうから」
「寛大な措置、感謝いたします」
「しかし、それだけに一つ理解できないことがあります」
「なんでしょうか?」
「なぜ先代様のご遺体をあのままにしておくのです。これではあまりに……」
「……」
ケインが押し黙っている。
人間並みの知性があるこの城の魔物達が、かつての主人とは言え、その死体を野ざらしにしておくとは思えない。
そこには何か重大な理由があるはず。
それだけはこの場で聞きだしておきたい。
「何か事情があるのでしょうか?」
「……実は、陛下の血には呪いがかけられているのです。我々魔物が触れれば、立ちどころに死を迎えてしまう恐ろしい呪いです」
「死の呪い!?」
「そのためご遺体を運び出すこともできず、不本意ながらそのままに……」
魔物だけを殺す呪いですって?
そんな呪いが存在するなんて初耳だけど……。
「その呪いは、勇者によるものなのですか?」
「いいえ。はるか昔から陛下の血は呪われていたのです」
「どういうことです?」
「これも時が経ってからお伝えするつもりでしたが、この場を借りて説明させていただきます――」
ケインは魔王の過去について話し始めた。
でも、芝生の上に転がったままではあまりに恰好がつかないので、私は杖を拾い上げてあげた。
「――事の始まりは三百年ほど前。当時、アザレアは緑豊かな土地でした。そして、人間の王が治める平和な国でもあったのです」
「この土地が……人間の国!?」
「人間国家連合に属する国々が建国される前の話です。カリス様がご存じないのも仕方ありません」
「……話の続きを」
「かつてのアザレアは大陸制覇を成し遂げた大国でした。しかし、そのために他国へと多くの犠牲を強いたのです。アザレアの民は国の躍進に熱狂し、英雄である王を崇め、属国とした他国の民を奴隷のように扱いました――」
そんな歴史、聞いたことがない。
そもそもアザレアという国だってここにきて初めて知ったのに、そのアザレアがかつて大陸を支配していた大国だなんて……。
「――しかし、その栄華は長くは続きませんでした。アザレアは女神の怒りに触れて、呪いをかけられてしまったのです。人間の心を失くした者は、人間の姿であるべからず――女神はその言葉と共に、アザレアの民を魔物へと変えてしまいました」
「人間を魔物に!?」
「この城で働く使用人や、外を徘徊する者達。彼らはすべて、元はアザレアの民――人間だったのです。かく言う私も、魂が元の体から抜け出て魔導杖に宿った存在です」
「信じられない……」
「その事実を記憶し、伝えられる者はもう私しかおりません。陛下は勇者によって討たれ、魔物にされた民の多くは記憶も知性も失い、長い年月のうちに人間達に殺されてしまいました。あなた方が古より仇敵として憎んできた魔物とは、元は同じ人間だったのですよ」
「……」
「とは言え、皮肉なことに今も昔もアザレアの民が疎まれていたことには違いありません。我々は自らを選ばれし者だと錯覚し、それだけの大罪を犯してきたのです。女神がお怒りになるのも無理からぬこと……」
私は今、どんな御伽噺よりも信じ難い話を聞かされている。
事実なんて確かめようがないけど、心当たりがないわけでもない。
各地に残る大昔に滅びたという古代王国の伝説――それこそがアザレアなのだとしたら、魔王軍が優れた魔道具を所有していることも納得がいく。
「では、イブリスやビアンニ達も元は人間だったのですか?」
「いいえ。側近達は後世になってアザレアへと合流してきた、我々とは起源を異にする者達です。アザレアは腐っても大国……各地で人間達に迫害された者が、この国に集まってくるのは自然の成り行きと言えましょう」
「そういうことですか……」
「話を戻しましょう。女神の怒りに触れたアザレアの民の中でも、特に陛下はおぞましい呪いをその身に受けました。お姿が魔物となった他、我を忘れるほどの破壊衝動、人間への憎悪と嫉妬に身を焼かれる精神疾患、さらに同族をも遠ざける血の呪い……かつての偉大なる王はもはや存在しませんでした」
「……」
「そんな陛下が孤立せずに王の矜持を貫くことができたのは、お妃様の存在があったからこそです」
「ザドリック様の母君……」
「お二人の間に主様がお生まれになったことで、陛下は理性を取り戻し、お妃様も生きる気力を取り戻しました。我々も絶望の中に希望が残っていたと思いました。しかし、そう思ったのも束の間」
「一体何があったのですか?」
「主様はお姿こそ人間に近しいですが、その血は陛下の呪いを受け継いでいました。まだ幼いあの方にとって、その血はあまりにも強すぎる毒……すぐに命の危険が迫り、やむなく陛下は主様を仮死状態とし、封印なさいました」
その封印も先代が勇者に倒されたことで解けてしまったわけか。
と言うことは、ザドリックの危機は去っていないのでは?
「ザドリック様のご容態は問題ないのですか?」
「日常生活はなんとか。しかし、一日の大半は自室にてお休みになられておいでです」
ケインの話を聞いて、私は以前カーミラが言っていたことを思い出した。
『ただでさえ時間が限られるのに、陛下は勉強嫌いですから』
あの言葉は、そのことを指していたのか。
「カリス様。アザレアがなぜ人間国家連合に侵攻を試みたか、わかりますか?」
「人間達の攻撃から身を守るためでは」
「それもありますが、一番の理由は別にあります」
「? それは一体……」
「陛下が聖女であるあなた様を欲していたのは、その力に最後の希望を見出したからなのですよ」
「私の力に?」
「神託です。陛下はご子息の呪いを解く方法を得るために、どうしても聖女様を通して女神の意思を仰ぎたかった。しかし、魔物の要望など人間が受け入れるはずもない……だから人間国家連合に戦いを挑んだのです。その物量差ゆえにいずれ敗北することを確信しながら」
人と魔物の戦いの始まりが、そんな理由だったなんて。
私は、おぞましい怪物の本能ゆえの侵攻だとばかり……。
「主様に残された時間は長くありません」
「え?」
「ユニコーンの薬で騙し騙し過ごしてきましたが、日に動ける時間も少なくなってきました。主様のお命はもってあと数ヵ月でしょう」
「そんな……っ!?」
「どうかお願いいたします、カリス様。何卒、神託の儀式道具をアルストロメリアより取り寄せることはできないでしょうか!?」
「……!」
魔王の後継者ザドリックが死ぬ。
あと数か月足らずで。
私が行動に移すまでもなく任務を完了できるなんて、なんて運がいいのだろう。
魔王が死ねば魔物は淘汰され、人々に犠牲はなくなる。
これで世界は平和になる。
……なのに、この焦燥感は何?
私は自分が何を憂いているのか、わからない。




