12. 中庭の秘密
ザドリックとその側近達との賑やかな晩餐が終わってしばらく――
あれから毎日、晩餐には側近達が同席するようになっていた。
側近の数も少しずつ増え始め、十二ある座席がとうとう八つまで埋まった。
と言っても、側近は全部で八人だそうなので、私とザドリックを含めても円卓には二つの空席ができてしまうのだけど。
しかし、着々と魔王の城についての情報は集まりつつある。
――今日も新たな情報を探すため、城内の探索に励むとしよう。
でも、その前にやることがある。
この数日、ほとんど毎日のように私の寝室にはザドリックからドレスやネックレスが贈られてきていた。
晩餐に備えてそれらをコーディネートする必要があるのだけど、私にとってはそれが想像以上に大変な負担となっていた。
ジーナが意外と服装にうるさく、組み合わせが悪いと外に出してくれないのだ。
あーでもないこーでもないとドレスとアクセサリの組み合わせを思案していると、勢いよく扉が空いた。
入ってきたのは、慌てた様子のジーナだった。
「どうしたの、ジーナ?」
「本日の晩餐は中止となります! カリス様は終日お部屋から出ないようにとのことですっ」
「えぇっ! 一体どういうこと!?」
「今朝から降り続けている豪雨の影響で、城の下層で水害が起きているのです。厨房の被害が大きく、本日の晩餐までに修復が難しいとのことで……」
「水害? たしかに大雨だけど、城の周りには崖もあるのに水害なんて起こるの?」
「アザレアの雨は、浴びると溶けるほどの酸性の雨なのです。それについてはイブリス様の結界で影響は小さいですが、他に問題が生じておりまして」
「問題って?」
「酸性雨からアシッドスライムが発生しました。触れると何でも溶かしてしまう厄介な存在で、下層に入り込んだため総出で処理中なのです」
「アシッドスライム。そんな天災があったのね……」
スライムも魔物の一種のはずだけど、この城の魔物達にとっては厄介者なのか。
この土地の生態系は本当にわけがわからないな。
「数が多いので、わたくしもこれより処理の応援に行って参ります。お傍を離れるのは心苦しいのですが、何卒ご容赦くださいませ」
「私は大丈夫。スライムの処理、気を付けてね」
ジーナは深く頭を下げた後、早足で寝室から出ていった。
終日寝室から出るな、か。
このチャンスを活かさないわけにはいかない。
私は適当なコーディネートに決めて、こっそり寝室を抜け出した。
◇
どうやら下層の騒動は思いのほか大事のようだ。
普段なら移動中にすれ違うことの多い無貌の女や、城内警備を務める石像鬼の姿までまったく見ない。
たまに感じることのあるビアンニの視線も、今日に限ってはまったく感じられない。
ジーナの同行もないので、今の私は完全に自由に動き回れる。
ずっと気がかりだった中庭に、今日こそ入り込むことができそう。
……と思っているうちに、私は一階へとたどり着いた。
入り口の方からは騒がしい音が聞こえてくる。
スライムの対処をしている魔物達の声だろうか。
私は声から離れるように、城の内側へと進んだ。
城の見取り図は見せてもらっていないので、中庭の場所はわからない。
しかし、ここ数日の城内探索でジーナから進むのを止められた通路が一つだけある。
今まで通ったことのない一階の通路――その先にこそ中庭があるはず。
魔物と鉢合わせをしないように、細心の注意を払いながら目当ての通路へと向かう。
息を殺し、足音を立てず、私はとうとう件の通路へとたどり着いた。
「……!」
その通路の先を見て、私は思わず息を飲んだ。
奥の方は目を凝らしても何も見えないほど暗闇に包まれていたのだ。
私がやってきてから、城の通路には等間隔に燭台が置かれるようになった。
しかし、この先の通路には燭台が一切置かれていない。
まるで私が立ち入ることを想定していないかのように……。
「よしっ」
私は壁に掛けられていた燭台を取り上げ、通路を進み始めた。
暗闇の中、燭台の明かりを頼りに通路を進んでいくと、ぼんやりとアーチが見えてくる。
そのさらに先を照らしてみると、地面に芝生が見られた。
……中庭だ。
中庭へと足を踏み入れてみると、そこは静寂が支配していた。
耳に聞こえてくるのは、私が草を踏む音だけ。
何歩か歩いてみて、私はこの場に違和感を感じた。
燭台をかざしてみても、ほんの1mくらい先までしか明かりが届かない。
まるで暗闇に光を吸い込まれているようにすら感じる。
不意に、私がよく知る臭いが漂ってきた。
「血の臭い?」
一瞬、体が強張ったものの、私は血の臭いを頼りに暗闇を進んだ。
臭いが一層強まったところで燭台をかざすと、視界に思わぬものが現れた。
「こ、これは……!!」
私が目にしたのは、両膝をついたままうなだれている巨人の姿だった。
立ち上がったとするならば、その全長は5mほどにはなろうか。
どうやら死んでいるようだが、その威圧感は凄い。
巨人の全身は筋肉質で剛毛に覆われていた。
膝から腰、肘から肩にかけては禍々しい角が無数に生えており、背中には歪な翼、腰からは太い尾が伸びている。
よくよく見れば、巨人は傷だらけだった。
ところどころに焼かれた痕、斬り裂かれた痕が見られる。
翼には大きな穴が開いており、片腕は千切れて芝生の上に転がっていた。
胸元から頭部にかけて刻まれた裂傷は特に酷く、まるで切り株を斧で叩き割ったかのような凄惨な状態だった。
顔面が抉られているせいで、どんな顔なのかもわからない。
死体を観察しているうちに、くしゃくしゃになった髪の毛から山羊のような角が突き出ていることに気が付いた。
巨大で立派な角――それを見て、私はザドリックの角を思い出した。
「あ……」
そうか。
この巨人は――
「あの子の父親……」
――魔王の亡骸なのだ。
私が死体に近づこうとした時、突如として闇の中に巨大な二つの目玉が現れた。
「何者だ!?」
鼓膜が破れるかと思うほどの怒声が響き渡った。
さらに、暗闇から伸びてきた黒いリボンのようなものが私の体へと巻き付いて、一気に締め付けてくる。
「ぐぁ……っ」
まるで万力!
すぐに筋肉や骨が軋む音が聞こえ始めた。
振りほどくどころか、声も出せない。
リボンだと思ったものは、この闇そのものだ。
闇が私の体を縛り付けている。
まるで鎖でがんじがらめにされているかのように、まったく動けない……!
「ネズミめ、どこから入り込んだ!? これ以上、陛下のご遺体を辱めることは許さぬ!!」
この闇はイブリスだ。
図書室や食堂で会った時と違い、殺意のこもった感情を爆発させている。
まさか私がわからないの?
このままでは絞め殺される……!
「……!? あ、あなた様はっ!?」
突然、イブリスの闇から解放されて芝生へと投げ出された。
背中を強く打ちつけて、思わず咳き込んでしまう。
「おおおおぉぉ~~~っ! 私はなんということを! なんということをぉ!! カリス様、お妃様、申し訳ございません!!」
「うっ」
仰向けになっている私を、涙を蓄えた目玉が覗き込んできた。
……怖い。
「誰か! 誰かいないか!! 薬を持てぇぇぇっ!!」
目玉が慌ただしく動き回る光景は実にシュールなものだった。
まるで悪い夢を見ているかのよう。
次第に、私の意識は遠のいていった……。




