10. 聖女の提案
食堂にある大時計の針が午後七時を指した。
城内にゴーンゴーンと不気味な鐘の音が鳴り始め、無貌の女達が料理をワゴンで運んでくる。
「鐘が鳴るようになったのですね」
「その方がカリスにとって便利だろうと思って」
「お心遣い感謝します」
「鐘の音は朝七時と夜七時に鳴るようにしてあります。他にも鐘を鳴らしてほしい時間があったら教えてくださいね!」
円卓の対面に座るザドリックが言った。
今日も彼は元気そうだ。
「ザドリック様、何やら嬉しそうですね?」
「はい! だって、僕からの贈り物をちゃんと着てきてくれたので!」
そう言えば、今着ている黄色いドレスは彼に贈ってもらったものだった。
「素敵なドレスをありがとうございます。感謝に尽きませんわ」
「ふふっ。喜んでもらえて、僕も嬉しいですよ!」
晩餐の料理が配膳されるさなか、ザドリックの椅子に立てかけられているケイン宰相が言う。
「カリス様。本日は誠に申し訳ございませんでした」
「はい?」
「ハウスキーパーのイブリスより聞き及んでおります。ビアンニとカーミラが失礼を働いたと……」
「そのことですか。もう気にしていませんよ」
「しかし、仮にも主様の側近たる者がお妃様に対して礼を欠くなど言語道断。時代が時代なら、処刑も辞さないところでございます」
「処刑だなんて! それだけはやめてくださいっ」
「あぁ。なんというお慈悲……! カリス様は女神のような女性であらせられる」
「はぁ」
魔物に女神様のよう、と褒められるのはまた違和感が……。
私の身に危険を及ぼす可能性はできるだけ避けたい。
ビアンニとカーミラが危険を孕んでいるのはわかるけど、あの二人が私のせいで処刑されたとして、関係者に逆恨みされない保証はない。
揉め事はできるだけ穏便に解決した方が今後のためになるだろう。
「私はこのお城の方々とまだまだ信頼関係が作れておりません。今後はその点を改善していければと思います」
「申し訳ございません。人間であるという理由で、カリス様に不信感を持つ者もまだまだ多く……すべて私どもの責任です」
「そんな……。私も妃となった身です。共に改善して参りましょう」
「そう言っていただけると助かります」
ケイン宰相は私のことを疑っている様子はない。
今回の件で、表立って私に害をなそうとする魔物はいなくなるだろうから、ゆっくりと信頼を培っていくことに努めないと。
……に、しても。
「主様! もう少し綺麗にお食べなさい!」
「ん?」
ザドリックはさっきから料理に夢中。
しかも、ナイフとフォークの持ち方がまるでなっていない。
一体彼の教育は誰が――って、ケイン宰相だったか。
やはり杖だからテーブルマナーのようなことは教えにくいのだろうか?
「……よし」
ザドリックとの距離を縮めることも私の任務の内。
私は意を決して、席を立った。
「カリス?」
「失礼します、ザドリック様」
私は円卓を半周して、ザドリックの隣へと立った。
そして、彼が握るナイフとフォークの持ち方を矯正してあげた。
その時に触れた彼の手の感触は、人間のものと何ら変わりないように思えた。
「あ、あの……カリス?」
「ザドリック様はナイフとフォークの持ち方を間違えておられます」
「えっ!」
「ナイフはこう、フォークはこう持ちます。そして、お皿を手にとって召し上がってはいけません」
「……」
「スープを音を立てて飲むのはマナー違反です」
「……」
「お肉は口に合うサイズに切ってから――って、聞いていますか?」
「は、はいっ」
ザドリックは顔を赤くして目を泳がせている。
……なんだろう。
これは新しい反応かもしれない。
「ごめんなさい。僕はその……あまりものを知らなくて」
「謝ることはありません。誰にだって知らないことはありますもの」
「でも、魔王の僕がこんなこともできないんじゃ、カリスはガッカリしない……?」
「しませんよ。知らないことは覚えていけばいいのですから」
「そういうもの?」
「そういうものです」
「……ありがとう」
強張っていたザドリックの表情が緩んだ。
釣られて、私の表情も緩んでしまう。
「それと、野菜もちゃんと残さず食べましょう?」
「はい……」
急に嫌そうな顔に変わった。
私が席に戻ると、再び配膳が再開された。
ザドリックはナイフとフォークの持ち方を意識しているようで、恐る恐る出された皿を覗いている。
なんだか懐かしい気持ち。
特務機関で訓練を始めて間もない頃、貴族の所作なども学ばされた。
その一環にテーブルマナーがあり、教官の躾と称した体罰に怯えながら四苦八苦したものだ。
そんな私が、誰かにものを教える時が来るなんて。
人生というのはわからない。
「そうだ。カリス、あらためてありがとう」
「はい?」
「えっと、その、母様のお墓参りをしてくれたって聞いたから」
「そんな……お礼なんて。とても綺麗な墓所でしたよ。あれほど多様な花々が咲いている場所は、アルストロメリアにはありません」
「あの花園は、僕が生まれる前からこの城の大切な場所として護られているんだ。母様が好きだった花がいっぱい植えられてる。僕もよく行くんだ」
「そうですか」
この言い方から察するに、やはりザドリックは魔王の息子。
最近生まれたばかりで、魔力も知性も未完成と考えて間違いなさそうだ。
そのあたりの情報をもう少し探りたいところだけど……。
「あの場所、僕以外はみんな神聖視していて近寄りたがらないんだ。花を供えるのはいつも僕だけ。だから、その、カリスが花を供えてくれて嬉しいよ」
「ザドリック様のお母様の墓前であれば、当然のことです」
「うん。ありがとう!」
屈託のない笑顔に、私は見惚れてしまう。
社会の闇に生きてきた私にとっては眩し過ぎる笑顔だ。
その時、私は閃いたことがあった。
「それでは、こうするのはどうでしょう。月に一度、この城の皆でお母様の墓前に花を供える機会を設けると言うのは?」
「……そんなこと考えたこともなかった」
「それを繰り返すことで、いずれお墓参りが習慣となるでしょう。悪いことではないように思いますが」
「うん、うん! それ、いいね! さっそく来月から始めようっ」
ザドリックが興奮気味に賛同してくれた。
上手くいけば、魔物が一同に会する場を作れるかもしれない。
任務を遂行するためにも、この城にいるすべての魔物を把握するのは必須。
特に、危険な魔物、好意的な魔物といった区別をつけるのは重要だ。
「う~ん。使用人は集められるでしょうが、側近達はどうでしょうか」
「難しいのですか、ケイン様?」
「申し上げにくいのですが、現在の側近は癖のある者が多く、しかも協調性がないのですよね……。お恥ずかしい限りです」
「なるほど」
「お墓参りに呼びつけたとして、果たして集まってくれるやら」
魔王の呼び出しにも応じないなんてことある……?
実は統制が取れていないの?
「お墓参りを名目に急に呼びつけるのも難しいのですね。では、まず晩餐に側近の皆様の参加を促すというのはいかがでしょう」
「晩餐にでございますか」
「はい。食を共にすれば信頼も深まるというもの。私も側近の方々について知りたいですし、いつも私とザドリック様だけではこの円卓は大き過ぎますもの」
「おぉ……! そこまで我々のことを想っていただけるとは、感激いたしましたっ!」
「は、はぁ」
「それでは、明日よりさっそく晩餐に参加するよう側近達に呼びかけましょう!」
ケイン宰相も納得してくれた。
思いのほか早く側近達のことを把握できるかも。
「よろしいですね、主様!?」
「ん? うん、いいと思うよ」
一方のザドリックは、やはり食事に夢中。
ちゃんと人の話を聞くようにあとで注意しておかないと……。




