最終話.新天地への旅立ち
王都にほんの小さな混乱を巻き起こした事件から、三日が経ち――取り調べを終えたフミカは、寮の自室でひとり荷造りをしていた。
理由はひとつ。本国への強制送還のためである。
アルーニャ王国とガルーダ魔国とは、長らく敵対関係にある。
両国は事実上、国境線を封鎖し合っているため、密入国したことが明らかとなったフミカは、当然ガルーダ魔国へと帰らなければならなくなった。
といっても、身元引受人も居ないので、生まれ故郷に帰ったとして、明日を無事に生きる保証もない。つまり、単にこの国で厄介者となったフミカは、ただ追い出されるというだけのことだった。
荷造りを進めていると、部屋のドアがノックされ、サリバが姿を現した。
思わずフミカは手を止め、その場で立ち上がった。
「……サリバ先生」
テロ騒ぎの後……リルと共に街中をさまよっていたフミカの手を引いてくれたのが、サリバだった。
フミカは知る由もなかったが、彼女が王都に戻っていると推理したナナオたちは、翌日の朝にサリバたち教師陣に事情のほぼすべてを説明していた。それを承知したサリバはランたち上級生を引き連れ、王都に駆けつけてくれたのである。
王都での混乱がそう大きくならずに静まったのも、サリバたちがギルドや騎士団と協力して魔物相手に前線で奮闘したからだった。それを聞いたとき――アルーニャ王国にもまともな大人がいるのだと、フミカは思い知ったのだった。
「ミス・アサイム。貴女は……私を恨んでいるのではありませんか?」
だが、部屋にやってきたサリバは開口一番、そんなことを言った。
だがサリバの言っている意味が、フミカにはよく分からなかった。
とぼけたわけではないのだが、もしかするとサリバはそんな風に思ったのかもしれない。
「……私は元々、クローティウス学園で教師をしていました。
教え子として、当時から頭角を現していたのが――現参謀長ニンファと、それに……魔法省大臣政務官であるシャルナ……この国の第一王女である、シャルナ・シャ・アルーニャです」
「……そうだったんですね」
知らなかったため、素直にフミカはそう言った。
「本来ならば私が、もっと早く……」
だがそれ以上、サリバは言葉にはできないようだった。
苦しそうに口を噤むサリバに、フミカはどう声を掛けたものか分からなかったが、ぺこり……と頭を下げた。
「ミス・アサイム……?」
「……私には分かりませんが、きっと私には想像の及ばないようなことがあって……先生は、苦しんできたんですね」
「――私は、誰かに労ってもらうような人間ではありませんよ」
「……いいえ。だって私、楽しかったです」
不可解そうに眉根を寄せるサリバに、フミカは精一杯の笑顔と共に感謝を告げた。
「この三ヶ月間、すっごく、楽しかった。……だから先生、ありがとうございました」
今日、フミカは、アルーニャ女学院を退学する。
「……この思い出があれば、私、国に帰っても寂しくないと思う。つらくても平気、だと思う。だから……ありがとうございます」
「ミス・アサイム……」
サリバが表情を歪める――かと思えば、ふぅ……と、それは深い深い、呆れるようなため息を吐いたので、フミカはきょとんとしてしまった。
今、なにか変なことを言っただろうか? 不思議に思っていると、「違うんです」というようにサリバが首を弱く振る。
「……何と言えばいいか、貴女は……級友に恵まれていますね」
「……え?」
「だって、貴女と一緒に行くからと学院を出る問題児たちが居るのですから」
「……えっ?」
そう言い残したサリバと入れ替わるようにして。
フミカの部屋に、ほとんど走ってくるような勢いでナナオたちが押し寄せてきた。
「俺も行くよ」
「わたくしも行きます」
「ぼ、ボクもボクもっ」
「あたしもついていきますぅ」
ナナオ。
レティシア。
ティオ。
ハノンノ。
……最後のひとりはほとんど面識さえないのだが、そんな風に矢継ぎ早に告げられ、フミカは呆然としてしまった。
「……何で?」
フミカは首を傾げた。本当に、ナナオたちが何を言っているのかサッパリ理解できない。
すると四人は争うようにして次々に口を開く。
「フミカのこと放っておけないから!」
「ナナオのことが放っておけませんので!」
「フミカさんとナナくんのことが心配だからだよ!」
「フミカせんぱいとななせんぱいを二人きりにしたくないんで!」
「……ン?」という顔で、四人が顔を見合わせる。お互いの発言がうまく重なり合って、聞き取れなかったらしい。
こほん、と咳き込んだレティシアが、その場を代表してか手元の書類を取り出し、フミカの前に突きつけるようにして言い放つ。
「わたくしたち、既に本日付けで全員それぞれ、アルーニャ女学院とクローティウス学園を退学しておりますわ! ですので、心配はご無用です」
……そんな馬鹿な。
レティシアの手から書類をひったくったフミカは、その四枚の紙に目を通す。
だが……間違いない。書類は本物だった。ナナオたちは全員、学校を退学してしまっている!
「……な、何で。そんなことしなくても、私……」
「学校を途中退学するなんて、珍しいことでもありませんわ」
「むしろ姉妹契約の関係で、多いとも言われてるよね」
「また学びたくなったら入学し直せばいいだけですしねぇ」
もはやフミカの反応がおかしいのか? と言うくらい、ほのぼのとやりとりしている面々。
二の句が継げずにいるフミカだったが、そのときナナオが唐突に言った。
「でさ、フミカ。それにみんな、相談なんだけど。俺と一緒に魔王に会いに行ってくれない?」
次はナナオ以外の四人が一斉に「は?」と呟いた。
何で急に魔王? しかも「ちょっとそこまで散歩しない?」みたいな口調で?
「もともと俺、魔王を倒すためにこの学院に入ったんだよね。フミカがガルーダ魔国に戻るんだったら、渡りに船というか……魔国で冒険者として生計立ててさ、それで近いうちに魔王城に行ってみようよ」
「いや、行ってみようよ、みたいな気軽なノリでたどり着ける場所ではないと思いますが……?」
異論を唱えるハノンノに、しかしナナオはあっけからんと言う。
「そうなの? でもフミカが使ってる魔道具みたいに、目の色を変える魔道具をハノンノに造ってもらってさ。それ装着して魔国に行けば何とかなりそうじゃない?」
「全然何とかなりそうにない、穴だらけの作戦だ……」
「うーん、まぁ出来なくはないですけどぉ」
「出来なくはないんだっ!?」
「意外とすごいんですわね、ハノンノさん」
意外は余計ですぅ、と唇を尖らせるハノンノ。
そんな、いつも通りのやりとりを目にして……フミカの胸に、こみ上げてきたものがある。
ひとりで旅立つなんて、大したことじゃないと思っていた。
でも、何だか自分は今、どうやらひどく安心しているようだ。そしてその理由は、疑うまでもなくもう――わかりきっている。
フミカはナナオにぎゅう、と強く抱きついた。
万感の思いを込めて、告げる。
「……ナナオ君、大好き」
「俺もフミカのこと、大好きだよ」
ナナオもそっとフミカの頭を撫でて、そんな風に返してくれる。
「もちろん、シアとティオのことも!」
――うん、この一言がなければなぁ……とフミカはそっと涙を拭いた。
ちなみに巻き込まれたレティシアは何ともいえない顔をして、ティオは複雑そうに笑っている。お互いの目がちらちら、と合う。
彼女たちを置き去りにして、ナナオとそういう関係になるには、まだまだアピールが足りないようだ。……頑張らないと、とフミカは密かに拳を握った。
「えっ、あたしは……? あたしは入ってないんですか、ななせんぱい?」
「ハノンノは出会ったばっかりだし……というか言動が胡散臭すぎていまいち信用できないというか」
「えー、ひどぉい! ハノ的にはぁ、レア――じゃない、この世界の誰よりも貴重で規格外なせんぱいのことを、精一杯慕っているのにぃ~」
「ナナ的にはぁ、そういう発言がとにかく怖いっていうかぁ」
「だからあたしのセリフ真似しないでくださいっ。ななせんぱいがやっても可愛くないですよぉ」
飽きずに言い争いする仲間たちを見遣って、フミカはくすりと笑った。
つい数日前、フミカはナナオに言ったのだ。
生徒会長と共に去って行こうとするナナオを呼び止めて、こう叫んだ。
……あなたに、この国の女王になってほしい、と。
そのために、ナナオの噂を王都中にばらまき、王国中の注目を集めた。
アルーニャ王国の女王は、現女王の指名によって選ばれる。
今まで、血の繋がりのない人間が女王に指名されたことは一度もないが……血縁関係がなくとも、理論上は誰しもに平等にチャンスがあるのだ。そしてナナオならば、とフミカは信じていた。
ナナオならこの国を、きっと変えられる。
男なのに魔力を持つナナオならば、きっとこの歪んだ世界のカタチだって、変えることができる。
そう身勝手に期待するフミカを振り返って、ナナオはいつもののんびりとした笑みと共にこう言った。
「うん。じゃあ――女王様はアレだけど……王様、目指してみるよ。だからフミカも、応援してくれる?」
+ + + + +
所離れて、ガルーダ魔国。
その中心位置にある魔王城の中を、その人物は歩き回っていた。
難攻不落と目される魔王城だが、実はその内部はほぼ機能しておらず、事実上ほとんどハリボテ同然の設備しか整っていなかったりする。
しかもその超巨大な城に住むのは、たったひとり。――魔王その人だけなのだ。
「おや、こんなところに居たのか」
目当てのシルエットを発見したその人物、生徒会長は――自然と声を掛け、その近くへと寄った。
魔王城の狭い倉庫の中に、そのシルエットは転がっていた。何もそんなところを選ばずとも、と思うのだが、狭くて小さいところが落ち着くという本人の特性故なので、致し方なかったりする。
毛布にくるまってゴロゴロしていたその小さな影は、生徒会長の存在に気がつくと、ぶるぶる震えだした。……これもいつものことである。
最高級の毛布の中、さらに分厚いフードをかぶって全身を守ったその人――魔王は、姿を見せないままぽそぽそと言葉を発した。
「……あの子は……だいじょうぶ、だった?」
「フミカ・アサイムのこと?」
こくん、と頷くフードに向けて、何でもないように生徒会長は言う。
「うっかり殺しかけたりしたけど、元気みたいだよ。もうすぐこっちの国に戻ってくるみたいだし」
「…………っ!?」
「そんな愕然としなくても。殺しかけただけで、殺してはないよ。額は斬ったけど」
「…………ッ!!」
「あはは。そんなに心配なら、この前みたいに突撃してくれば良かったのに。ねぇ、愛らしい女神サマ?」
狼狽えていたフードの反応が、ピタッと停止する。
「……自分は、女神じゃ、ない」
「ああ、そうだったね」
「……半分だけだから」
「よく知っているよ。ところで君が誰より憎んでいるだろうもう半分だが、この国に向かっているようだよ」
「…………ッ!?!?」
「あはは、また混乱してる」
お腹を抱えて笑う生徒会長。フードの中身はぐぬぬ、と悔しそうに唸った。
「……あの男の子……いっしょ、に?」
「ミヤウチ君ね。もちろんそうだろう、現在は彼が主なんだから」
「……彼……は」
「僕も知り合ったけど、面白い子だったね。あれで女の子なら僕が貰いたいくらいだったんだけど」
「本、気?」
「半分本気さ。嫌なの?」
これには返答に困ったようで、フードはまたふて寝を始めてしまった。
やれやれと肩を竦めた生徒会長は、フードを見下ろしたまま笑顔で言ってのける。
「きっと君の予言は、近いうちに当たるのだろうね。早く僕もその伝説に立ち会いたいな」
「伝説?」
「そうさ。異世界より召喚されし新たな勇者は魔王を倒し、黄金の女王をも打ち破り、歪んだ世界の礎を塗り替える。
そして、彼の友人である少女の望み通り、次代の王の座を引き継ぐ――なんてとびきりの伝説、見逃すわけにいかないだろう?」
生徒会長――名無しの少女は、にっこりと微笑む。
それから遠く時を隔てた、後の世で……とある書物が世界中を出回り、少年少女の目をそろって輝かせる未来が訪れることを、まだそのときは、誰も知らない。
――これは、女子が強すぎる世界で、ひとりの少年が最強の剣聖へと成り上がる物語である。
これにて完結です。読んでくださりありがとうございました。
次回作は来週~再来週あたりからの投稿を予定しています。