第82話.事件の黒幕
その重い一撃をナナオが受け止められたのは、ほとんど奇跡だったかもしれない。
美しい装飾の成された剣を手に、上空から弾丸のごときスピードを以て斬りかかってきたのは――生徒会長、その人だった。
炎熱の剣を持ち替え、その表面で斬撃を直接受け止めたナナオだったが、踵が地面にめり込むほどの衝撃に思わず息を呑む。
「やぁ、こんにちはミヤウチ君」
そのくせ、当の生徒会長は万人を籠絡せしめるほどの涼やかな微笑を浮かべているのだから、ナナオは軽く舌打ちをしてしまった。
「……どうも、生徒会長。二日ぶりですね」
「そうだね。会えない間も僕は、君の麗しい翡翠の瞳を脳裏に思い浮かべていたよ」
「からかってます?」
「口説いているんだよ」
……何というか、ペースが崩されるんだよなこの人。
ナナオが勢いよく剣を弾くと、生徒会長は後方に飛び退り、城の白い壁に素知らぬ顔で足をついて着地する。
常人離れした運動神経を見せつけながら、ふと生徒会長は目線を細め、ナナオの肩へと目をやった。
「おや、その白い猫は……」
ぶわっ、とリルが全身の毛を逆立てた。どうやら生徒会長を警戒しているようだ。
しかし生徒会長の方はといえば、何やら感心したように顎に手を当ててうなずいている。
「……そうか。それでは、やはり君がそうなんだね」
「……? 何の話です?」
「いや、こっちの話さ。忘れてくれ。ところでミヤウチ君、フミカ・アサイムを発見してくれてありがとう」
協力に感謝するよ、と薄い笑みのまま軽く頭を下げる生徒会長。
ナナオは答えず、ちらっと背後に守ったフミカの様子を確認した。
「…………」
フミカも警戒に身体を強張らせてはいるが、落ち着いた様子だ。
ナナオは再び、生徒会長と向き合った。炎熱の剣は、ナナオの意志に呼応するように轟轟と燃え盛っている。
ナナオは鋭く切り出した。
「生徒会長。あなたは誰の味方ですか?」
「……うん?」
「どうしても確認したいんです」
重ねて言うと、生徒会長は細身の剣を片手でもてあそびつつ、軽い口調で応じる。
「僕の依頼主の名前は、君に明かすことはできないが――そうだね。まず、アルーニャ王国の王族の味方ではないよ。それを守る騎士団の味方でも、ないね」
「……?」
フミカが不審そうに首を傾げると、おかしそうに生徒会長が笑う。
「おや、意外かな?」
「……私を斬った人だから。てっきり」
「テロリストの一味である君を斬ったのは、単にあの場面での最適解を選んだだけだからね」
……ならば、生徒会長はいったい誰の味方なのだろう。
戸惑うフミカに、彼女は煙に巻くような口調で言う。
「かといって、アルーニャ学院の上級生として、君たち下級生を庇護する立場でもない。僕には僕の使命があり、それを遂行するために行動しているだけなのさ」
「……なら、一体あなたは誰の……」
「――ガルーダ魔国側、ですか?」
ナナオの問いに。
ぽかんとしたのはフミカだけではない。その肩に乗ったままのリルも、そして生徒会長もそうだ。
だが、生徒会長のそれはすぐに、油断ならない相手を見やる怜悧な眼差しへと切り替わっていた。唇の端に乗せた微笑はそのまま、だったが。
「どうしてそう思うのか、訊いてもいいかい?」
「組織名は変わるにせよ、あなたはたぶん、アルーニャ王国側の人ではないんだなと思ったからです。だとしたら、今回の件に関わる人として考えられるのは……」
「ガルーダ魔国の人間くらい、か」
ナナオが静かに頷くと、生徒会長は、それはそれは面白そうに口端をつり上げた。
「――驚いた。君には本当に驚かされるな、ミヤウチ君」
「……まぁ、これだけヒントをもらえれば」
「こっちはヒントのつもりもなかったんだよ」
どうだろうな、とナナオは思う。この人はどうやら、自分にとって面白いかそうじゃないかで、物事を判断して行動している様子だから。
「しかしそこまで見抜かれたなら――」
「……どうして」
「うん?」
「……どうして、同じ国の人間が、私を……!」
フミカに言葉を遮られた生徒会長は、肩を竦めてみせた。
ちらっとナナオの方を見てきたので、どうやら説明しろ、という意味らしい。……ナナオはふぅと息を吐き、炎熱の剣を鞘に仕舞い込んだ。そうしてからフミカを振り返る。
「同じ国の人間だからこそ、だよ。フミカ」
「……え……?」
「生徒会長の役割はきっと、アルーニャ王国とガルーダ魔国、両国の関係を密かに取り成すことなんだろう。そんな彼女にとって、フミカが……魔族がテロリストに加担しているという事態は、放っておけるものじゃなかったんだ。もしそれが公になれば、王国が――魔国側に攻め入る口実になってしまうから」
「……!」
「だから率先して、フミカを斬った。たったひとりの魔族の少女が、アルーニャ王国の男たちに操られただけ……そういう図式を作りたかったんだろうね。それならガルーダ魔国の非は少なくて済むからだ。むしろ男性たちが複数関与していたわけだから、王国は率先してこの事実を隠そうとするかもしれない。そうなれば万々歳、ってことだったのかも」
「そんな……」
だが、ナナオは知っている。フミカに話すつもりはなかったが……生徒会長はあのとき王都地下で、本気でフミカを殺すつもりだった。
つまり、生徒会長の最大の目的は――口封じ。
アルーニャ王国の闇を知るフミカの口を、文字通り完膚なきまでに塞ぐことだったのだろう。
やはり生徒会長は、油断ならない人物であり……そして、ナナオとは相容れない存在だった。
だが、ナナオはそれを理解した上で、生徒会長に向けてこう言い放った。
「それで、生徒会長。俺に協力してほしいんですが」
「……うん?」
「今回の件の黒幕、だろうなって人が分かったので」
「……本当っ!?」
生徒会長がぱちくりすると同時、フミカも驚いた表情でナナオの袖を引っ張ってくる。
そんなふたりに、ナナオは頷いてみせた。
「【青の憤怒】を裏で操っている存在、って言えばいいのかな。それ、分かったんです。だから――力を貸してください、生徒会長」
「それ、僕は何か得をするかい? ここでフミカ・アサイムを真っ二つにしたほうが、後の処理が楽な気がするんだけどなぁ」
どうやら生徒会長は、面倒な流れになってきたと思ったようでそんなことを言ってきた。
びくっ、と震えるフミカを背にかばい、ナナオは微笑んでみせる。
「いいえ、俺が保証します。ここで黒幕を叩いておいた方が、ガルーダ魔国のダメージは減るはずです。むしろ……アルーニャ王国に、大きな貸しができるかもしれませんよ?」
それは生徒会長にも劣らない、華麗かつ自信にあふれた笑みだった。
「……君は……」
生徒会長は、やがて静かに、流れるような動作で剣を収めてくれた。
「面白い、というか……さすが、都で話題の規格外の新入生。この僕相手にそんな啖呵を切るとはね」
「えっ……そのあだ名、生徒会長も知ってるんですか……」
「はは、そんなショックそうな顔をしない。素敵な二つ名じゃないか」
そうかな……そうは思えないけど……。
ブツブツ呟くナナオの前で、くるりと方向転換する生徒会長。
「城の敷地のすぐ傍に騎士団の宿舎があるから、そこで話を聞こう。なぁに、取って食ったりはしないから安心してくれたまえ。今後の打ち合わせ、というやつだから」
「はぁ……」
頷いたナナオは、背後を振り返った。フミカは瞳を見開いて、そんなナナオを見上げてくる。
ここから先の話を、ナナオは、フミカには聞かせるつもりはなかった。そしてフミカも、そんなナナオの思いを察知したようで、袖を握っていた手はすんなりと離れる。
だが別れる前に、「そういえば」とナナオは切り出した。
「俺の噂を王都で流してたのって、フミカ?」
「……どうして、分かったの?」
フミカの返事は、ほぼ答えそのものだった。
「何となくそうなのかなって。ケータと話してるときとか様子がおかしかったし」
フミカには言わなかったが、実は理由は他にもある。
四月から毎週のように、フミカは森に行くと言って姿を消していたが、ナナオがティオと森で特訓をしている際も、フミカの姿は一度も見かけなかった。
そうしている間に、王都では続々と、「規格外の新入生」なる人物の噂が流れだした。ケータもそんな風に言っていたはずだ。そして今日、ようやくナナオは気がついた。
眼鏡型の魔道具を、フミカは「自分の目の色を誤魔化す」ために使用していると初対面の際に説明していたが……あれはおそらく、正しくはない。
その魔道具の正しい特性は、自分の姿を変えることなのだ。だからフミカは王都でも怪しまれず、女学院の新入生の話をして回ることができた。先ほど城の壁に沿って姿を消していたのも、同じ魔道具の能力なのだろう。
それにさっきの話の続きだけど、とナナオは付け加える。
「二年生に、レティシアが交換留学の代表生徒だって嘘を流したのもフミカだよね」
今度こそ、フミカは観念したようにため息を吐いた。
「……そっか。ナナオ君、ぜんぶお見通しだったんだね」
きっとフミカは、ずっとナナオに助けを求めていた。
キュキュを生贄に差し出すことに躊躇ったからこそ、【青の憤怒】だけではなく、学院の中にまでレティシアが代表生徒になったと噂を流した。そうすることで、ナナオたちの誰かが違和感に気づけるよう仕向けたのだろう。
本当はもっと早いタイミングで、ナナオはフミカを止めるべきだったのだ。
それでも、どうにかナナオは間に合った。
これからまだ重要な局面がいくつか残ってはいるが、何とか当面の危機は乗り切ったのだ。フミカが傍にいるのだから、それだけは間違いない。
「――じゃあ俺、生徒会長と話してくるよ。リルを残すから、フミカは一緒に安全な場所に避難しててくれ」
ナナオがそう言うと、リルはおとなしく従い、フミカの足元へと向かう。
「……ナナオ君……!」
だが、フミカの言葉はそれで終わりではなかった。
そのすぐ後、ナナオは思いもよらない言葉を彼女から告げられることとなる。