第81話.真実のカタチ
でも、十歳の、何の後ろ盾もない小娘の私が、既に姿を消している殺人者たちに復讐する術はなかった。
それでも、どんなに無力でも私は生き延びなければならなかった。
もう、私を守ってくれる父も母も居ない。近くに他の村や町はなく、頼れる相手は他に誰も居なかった。
何が何でも生き延びてやろう、と私は強く誓った。魔物を狩り、野草を食べ漁って、空から降りかかる雨の水滴で喉を潤した。そんな日々が何日も、何日も続いた。
そうして放浪の果てに出会ったのが、アルーニャ王国を追われたという男性の集まりだった。
その頃の私は、アルーニャ王国がどんな国なのか知らなかった。遥か西方の豊かな王国だと知ってはいたが、直接目にしたこともない。
無知な私に、彼らは様々なことを教えてくれた。
そうして私は知ったのだ。彼の国が、どれほどの差別に満ちた国なのか……。
まず、アルーニャ王国では魔法を使う女性が圧倒的強者で、男性は弱者として虐げられている。
奴隷制度なんかは数百年前に廃止されたものの、男性は職を選べる立場にはなく、女性の影の存在として生きるよう強いられてきたという。
彼らは皆、多かれ少なかれ身の回りの女性への恐怖や憎悪を抱いていた。力で屈服されてきたのだから、それも当然のことだった。
ガルーダ魔国では、男は家庭を守る者で、女は外で仕事に励む者とされてきた。どちらが優れているというわけではなく、どちらも大切な役割を担っている。そこには助け合いの精神がある。
だからこそ、アルーニャ王国の真実が私には恐ろしかった。彼らが女性たち、そしてそんな世を作り出した現女王たち王族に反発し、反旗を翻すのも当然のことだと思った。
そうして私は、決定的な言葉を彼らの口から聞いた。
アルーニャ王国は、秘密裏に強力な魔道具の開発を進めている。
そのほとんどは、ガルーダ魔国の魔族を排除するためのモノだ、ということを――。
「……それが、私がこの国に来たきっかけ」
昔語りをするフミカの表情は、淡々としていた。
目の前のナナオの姿など見えていないように、フミカは訥々と続ける。
「その後、私は彼らと共に……アルーニャ王国へと侵入した。そこで協力者を得て、男でも使える魔道具を手に入れたの」
「あの、ナイフのこと?」
闇色のオーラをまとったナイフ。あれを手にした男たちは正気を失った様子になってはいたが、その魔道具を使っていたはずだ。
フミカがぼんやりとした様子で首を横に振った。
「あのナイフ自体は……別に、特別なものじゃないの」
「じゃあ、魔道具って……」
「……彼らが身につけていた、水色のスカーフ。あれこそ、【青の憤怒】の象徴であり、男性でも発動できる魔道具。私の魔力を彼らに分け与えるための、特別な道具」
ナナオの視線に気づいてか、フミカは自分の頭をさらりと撫でてみせた。
「……由来は、私の髪の色。恨みに染まった私の色は、チーム名に含めるのがふさわしいって、みんな言ってくれた」
「……協力者っていうのは?」
「……ごめん。ナナオ君が相手でも、それは言えない」
そっか、とナナオは大人しく引き下がった。無理に訊いても、フミカは答えてくれそうにないと思ったからだ。
「いくつか、俺から確認したいことがあるんだ。いいかな?」
「……答えられることなら」
「交換留学生のことを【青の憤怒】――彼らに話したのは、フミカ?」
質問形式ではあったが、ナナオはその答えを確信していた。
思った通り、ためらいつつフミカは頷く。それを確認した上で、さらにナナオは問いかけた。
「その上で、シアが……レティシアが代表生徒だって、フミカはわざと嘘を吐いたの?」
フミカの肩が静かに強張る。
表情筋が緊張のためか、わずかに引き攣ったようにも見えた。
「…………そう」
囁くような声音で、答えるフミカ。
「……私が、彼らに言った。第九王女が代表に決まったって。もともと、みんなそのつもりで動いてたから、疑われなかったし……」
「そうか。――俺はフミカのことを大切な友だちだって思ってる」
「…………?」
唐突な言葉の意味がわからなかったのだろう。
眉根を寄せて顔を上げたフミカに、ナナオははっきりと告げた。
「でもこの件に関しては、俺は君をゼッタイに許せない」
「……っ!」
泣き出しそうな子供のように、フミカの顔が歪む。
ちょっと、と言うようにリルの短い腕がナナオのほっぺを突く。
ここで刺激するのはマズい、とリルは言いたいのだろう。何せ過去の話を始めたあたりからずっと、フミカの背からは闇色のオーラが立ち上り、今も尚、それは増幅し続けているのだから。
本当なら、ナナオだって言葉を止めたかった。フミカにそんなつらそうな顔をさせるのは本意ではないのだ。
だけど――それでも、フミカを大切に思うからこそ、伝えなければいけない。
覚悟を決めて、言い放った。
「俺はフミカのことが大事だけど、シアやキュキュのことも大事だと思ってるから。どんな理由があったにせよ、キュキュは誘拐されて、ひどい目に遭いかけたんだ。だからフミカのやったことを認めてあげることは、俺には出来ない」
「……じゃあ、私は……どうするのが良かったの?」
項垂れるように、力なくフミカが呟いた。
「……どうすれば、正解だった? ねぇ、ナナオ君。ナナオ君なら……わかる、の?」
「わかるよ。すごく簡単なことだから」
「え……」
「俺に相談してくれれば良かったんだよ」
フミカは呆然としていた。ナナオの言葉の意味が、よく呑み込めないようだった。
それは本当に、幼子そのものみたいに弱々しい表情で、きっとフミカは十歳のその頃から――自分の時間を止めていたのだろうと、ナナオはそんな風に思う。
「まぁぶっちゃけ俺は頼りないと思うから、シアやティオや、それこそサリバ先生だって。みんなフミカの言うことを真剣に聞いて、力になってくれる。そういう人ばっかりだろ?」
「……でも……だけど……」
「それで俺たちは、フミカの大切な人たちを殺したヤツを、捕まえる手伝いをする。どんな手を使ってもそれをやり遂げる。
そうだな、例えば俺、実は当代最強の冒険者さんとも一応、顔見知りだし……あと冒険者ギルドの一番偉い人とかも一応、知り合いだったりするしね!」
ナナオはふんぞりかえって言い放った。
肩のリルが呆れて『それ、ほぼ人任せじゃない……』とかぼやいてるが、気にしない。人との縁だって、巡り巡って強力な武器になるのだ。
「少なくとも俺たちは、フミカの魔力を利用して、国家転覆を企むような真似はしないよ」
「…………」
「フミカも、本当は気づいてるんだろ?」
目の端にうっすらと涙を浮かべて、フミカがゆっくりと頷く。
そうだろうな、とナナオは思う。弱っているところにつけ込まれ、正常な判断力を失っていただけで、フミカはもともとナナオなんかよりずっと賢くて聡い子なのだから。
その心に抱えていた悲壮な思いに、ナナオは気づいてあげられなかった。
だけどそれでも、と思う。まだ間に合う、そのはずだ。
ナナオはその場に立ち尽くしたままのフミカに、ゆっくりと近づいていく。
嫌がられるかと思ったが、フミカはそんなナナオに向かって、躊躇いがちではあるが手を伸ばしてくる。もちろん、ナナオもその手を取るつもりだった。
だが――
ナナオはそこで炎熱の剣を抜刀した。
びくり! とフミカの身体が震える。しかしナナオが剣を構えたのは、もちろんフミカ相手ではない。
ナナオは上空に、鋭く剣を向けたのだ。
「――下がって、フミカ!」
ナナオの怒気さえ孕んだ声音に、驚いたフミカが一歩だけ退く。
その瞬間、遥か上方――城の屋根から、きらりと光る何かが飛来した。