第79話.フミカの過去1
ミラの問いかけに対し、ナナオは迷わず首を振った。
「いえ。俺はやるべきことがあるので」
「あら、そうなの」
ミラは残念そうだったが、案外あっさりと引き下がってくれた。
何かあれば頼る、という約束をして、ナナオはその場を離れる。とにかく今は、早くフミカを探さなければならない。
そしてフミカの居場所について、既にレティシアから答えは得ていた。
――『昔から言い伝えられておりますの。魔眼を癒すには、アルーニャ王国の王族の血が必要だ――と』
アルーニャ王国の王族。
その血を求めているフミカが向かう場所。――となると、選択肢はかなり絞られる。
彼女の仲間だという【青の憤怒】が王都地下に潜んでいたことを加味すれば、もう答えは明白である。
フミカが居るのは、王都の中央……城壁に囲まれた偉大なる王城。
そこでおそらくは、王族の血を得ようと、今も彼女はその近くに身を隠しているはずだった。
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向かってくる魔物を炎熱の剣で倒し、【青の憤怒】の男たちは徒手空拳でなぎ倒しながら、ナナオは王城の正門前まで無事にたどり着いた。
今まで機会もなかったので王城に近づいたこともなかったのだが、近くで見れば見るほど立派な偉容である。正直、ただの一般庶民であるナナオはその外観に圧倒されていた。ディ○ニーランドのシン○レラ城くらいすごかったので。
そしてナナオにとっては都合が良いことに、正門付近に見張りの姿はなく、シンと静まりかえっている。騎士たちが街で逃げ惑う人々の保護と警護に当たっているからだろうか? このあたりは手薄になっているのかもしれない。
『油断しないでね、ナナオ』
「わかってるって」
王城の周りは新緑の芝生が覆っている。目の前には噴水があり、花壇があって、そして初代の女王の姿を示したものだという金で出来た像まで飾られていた。
ナナオは躊躇いつつ、正門を堂々と通って、芝生を急ぎ足で進んでいく。誰かに見つかれば、お咎め程度では済まないかもしれないが……今は進む以外に道はなかった。
そしてナナオは、目的の位置にまでたどり着いた。
聳える城の正面玄関――ではなく、城を右から迂回して、使用人用のものであろう小さな通用口の、そのすぐ近くである。
「フミカ」
何もない空間に向かって、ナナオは声を掛けた。
瞬きもせず見守っていると、ナナオの声に反応するかのようにピクリ――と、空間が小さく揺れる。
……簡単には見つからないだろう、と思っていた。
だが、ここでもリルに貸し与えられたスキル【索敵】が役に立った。これは人間や動物を光点として、頭の中に思い描かれるマップに表示するスキルだが、特定の人物の居場所を特定するには不向きである。光点の色や形はすべて同じで、まったく判別できないからだ。
しかしめまぐるしく動くマップ表記の中、たった一つだけ、ぽつんと動かない光点があった。しかも場所は王城付近である。
ナナオはそれを見たとき、すぐにフミカだ、と思った。なぜか確信していた。
そして、瞬きした次の瞬間には、誰も居なかった空間に誰かが書き足したように――見慣れた少女の姿が、出現していた。
制服の上から薄汚れた外衣をかぶったフミカは、ぐったりと疲れた顔つきをしていた。
「……よく分かったね、ナナオ君」
なんだかナナオは、その声を長らくきいていなかったような気がした。
体育座りをして地べたにしゃがみこんでいたフミカが、ゆっくりと立ち上がって、スカートについた汚れをぱっぱと払う。あまりに自然な、いつも通りの仕草だった。
ナナオはそんな彼女を見つめて、ひとつのことに気がつく。
「眼鏡、壊されちゃったけどもう一つ持ってたんだ」
「……これはスペア」
指摘すると、フミカは小首を傾げるようにして、眼鏡のツルを持ち上げてみせた。
よく見ると、縁の部分の色が違う。以前使っていたのは赤色だったが、今使っているのは黄色だった。
そしてそんな彼女の整った顔の、額の部分には――未だはっきりと、斬られた跡が痛々しく残っていた。
すでに傷は塞がってはいるようだが、ナナオはそれを見て思わず唇を噛みしめる。だが、フミカには傷を気にする様子はなかった。
「……どうして私が、ここに隠れてるって分かったの?」
フミカは単純に、その点が気になっているようだ。
しかしリルの持つスキルのことを話すわけにはいかないので、少しだけ嘘を織り交ぜて説明することにする。
「俺の肩に乗ってるリルが――そういう能力を持ってるんだ」
「……人捜しの魔法?」
「そんな感じ。厳密には違うんだけど、誰かがここに居るってことは分かった」
リルは黙ったまま、ナナオにしばらく撫でられている。静かな時間が続いた。
どこか不思議な気分だった。すぐ近くではひどい騒ぎが起こっていて、フミカはその渦中の人物であるはずなのに――こうして向かい合っていると、ただの夢だったような気までしてくる。
「フミカ。フミカは……【青の憤怒】の一員なの?」
それでも、ナナオには訊くべきことがあり、フミカもそれを覚悟しているようでもあった。
ナナオが静かな声で問うと、フミカは一瞬だけ顔をしかめてから、確かにこくりと頷いた。
「……そう。私は【青の憤怒】のひとり。力を求める彼らに魔力を分けて、王家の転覆を目論んだテロリストの……ひとり」
「どうしてかって……訊いてもいい?」
しばらく間を空けてから、フミカがゆっくりと首肯した。
「……いいよ。でもそれを説明するには……私の過去のことから、話さないとならない」
「フミカが話したくないならそれでもいいよ」
「……ううん。ナナオ君なら。ナナオ君だから……話すよ」
フミカは語り出した。
それはナナオが知るよしもない、彼女の苦痛にまみれた過去の物語だった。