第78話.大人たちの方針
――そうでした。
ナナオはその光景を見て痛感する。
アルーニャ女学院という特別な養成機関で教育を受ける少女たちは、そりゃもうとびっきり優秀な、未来の魔法士や騎士揃いなものだから、うっかり失念していたが。
――この国、女の人はとにかくがむしゃらに強いんだった!
名のある学院を卒業していようと、いなかろうと。
そこらを散歩する老婆も、買い物をする主婦も、店番のお姉さんも、大人しそうな少女も、優劣はあれど魔法という圧倒的な力を有している。
どんなに凶暴な魔物が襲いかかってきても。あるいは、闇の魔道具を持つ男性たちが突如として反旗を翻したとしても――柔軟に対応できるのだ、この街の人々は。
『ね? だから言ったでしょ?』
女性たちに追いかけ回される、青のスカーフを腕に巻いた男性を眺めつつリル。
ナナオは「うん……」と力なく頷く。もはや闇魔法の効力も失いつつあるのか、泣きわめく男性の姿にちょっぴり自分の姿が重なった。
俺ももし正体がバレたらあんなことになってしまう……! そう思うと、とてもじゃないが他人事ではない。むしろ男性側に救いの手を差し伸べたいくらいだった。我ながらどっちの味方かわからない。
そうして葛藤するナナオの前髪を、左から右に。
何かの影が、おそろしいスピードで横切ってかすめた。
「!?」
遅れて飛び退るナナオ。
すると一拍後に、道端の果物を売っていた屋台が拉げていた。
成人した雄熊の優に3倍ほどある巨体の魔物が、その屋台へと衝突したからである。どうやらナナオの前髪をちりっと焼け焦がしたのは、投げ飛ばされた熊だったようだ。
「――あれ? キミ、追いかけてきたの?」
戦場のまっただ中とは思えないほど、緊張感の欠片もない声だった。
ナナオが左方に目を向けると、今まさに熊を投げ飛ばした直後らしいその人が、構えを崩してなめらかに微笑む。
――ミラ・シフォン。“暴星”の異名を持つ、当代最強の冒険者。
正しくは、ミラを追いかけてきたわけではなく、フミカを探しているのだが……。
詳しい事情を話している場合でもない。ナナオは曖昧に頷いた。
「えっと、まぁ」
「でも兵士さんは通してくれなかったでしょ? どうやって?」
「それはその……お姉さんのジャンプを真似して、どうにか」
「……驚いた。よくあの外壁を越えられたわね。ただの学生とは思えないわ」
パンパンッと軽く手を払いつつ、ミラが接近してくる。おそろしいことに彼女は素手で、あの巨大な魔物を投げ飛ばしたらしかった。
「そういえば改めて、キミは何て名前なの? 妹はななせんぱーい、なんて呼んでたけど」
「ナナオです。ミヤウチ・ナナオ」
「ナナちゃんね。外見通り、かわいい名前」
ナチュラルにちゃん付けされてしまった。恥がすごい。
「それじゃあナナちゃん。再会ついでに、協力してもらえない?」
「え? 協力?」
ちょっと数が多くて困ってたのよ、と笑うミラ。
彼女が振り向かずに指差す背後に――先ほどの熊型魔物と同じ個体が大量に迫っていた。
気がついた次の瞬間、ナナオは抜刀していた。
炎熱の剣――!
轟! と放たれた炎の衝撃波が、襲い来る魔物の群れへと向かう。
周囲の人を巻き込まないよう無意識に力をセーブした結果、炎の波は一直線に地面の上を駆け抜け、魔物だけを害していく。
悲鳴を上げる間もなく、焼き尽くされていく大量の魔物。その光景を前に、リルがナナオの耳元で興奮を隠しきれない様子でコソコソ囁いた。
『ナナオ、アンタ――かなり魔力を制御できるようになってるじゃない!』
「……言われてみれば」
確かにリルの言うとおりだった。
というか以前は、炎熱の剣から炎を飛ばす、なんて芸当も出来なかったのに。
王都の地下で、【浄化の炎】なんて新技を獲得したおかげだろうか? 炎の扱いに、かなり慣れてきた感じだった。
「わお、スゴい!」
塵も残さず燃やし尽くされた魔物を前に、わぁっとミラが幼げな歓声を上げる。
しかしその後くるりとこちらを振り返った彼女の瞳は、どことなく得体が知れなかった。……腹の内を探られるようで、ちょっとゾワッとする。背筋が。
「本当にキミ……ただ者じゃないわね、ナナちゃん」
「お褒めにあずかり光栄です」
火の粉を散らす炎熱の剣を鞘に収めつつ、ナナオは薄く笑みを浮かべて受け流した。
「あぁっ!? み、ミラ様じゃないですかー!」
するとタイミング良くというべきか、別の聞き覚えのある声の主が近づいてきた。
確認してみれば――こちらに向かって歩いてくるのは、ガークとアルコ。
肌にベルトを巻きつけただけという、露出狂同然の格好をしたガーク。
それに清潔感あるジャケット姿の、ぽっちゃり体型のアルコ。
冒険者ギルドのギルド長と秘書兼受付嬢を務めているふたりが、ミラを発見して近づいてきていた。
「もうどうなっちゃうかと思ってましたがー! まさかミラ様が駆けつけてくださるなんてー!」
「お久しぶりアルコちゃん。私も久々に王都に戻ってきたらこんな騒ぎが起こってて、驚いちゃった」
「まぁ、お前が来たならどうにでもなるか。さっさとやかましいヤツらを一掃しちまえよミラ」
「無茶言うわねガーちゃん。私、まだ現状把握もできてないんだけど?」
当代最強の冒険者だというミラは当然、冒険者ギルドに名を連ねているのだろう。
だからギルド運営側と仲良く話すミラにまったく違和感はなかったのだが、和気藹々としたその雰囲気に、ナナオも呑気に入り込む――なんてことはできなかった。
それもそのはず。
つい先日、この王都にてナナオはガークとアルコと知り合っている。
だがそのとき、ナナオは男の格好をしていて、「ナオ」と偽名を名乗っている。
だから今、アルーニャ女学院の制服姿のナナオが「お久しぶりです」なんて話しかけたものなら、たぶん一発でナナオの正体は露見してしまうのである。
「アァ? お前……」
そのときだった。
ギロリ、とその鋭い眼光でガークがナナオを睨みつける。
……も、もうバレた? ナナオは控えめな笑顔を浮かべたまま、ガークに相対する。
どうにか自分からは目を逸らさず、疚しいことなどありませんよー、潔白ですよー、と素知らぬ風にして。
するとガークは、
「……まぁいいか」
とボソッとつぶやき、小指で耳をほじり出した。どうやら追及は免れたようで、ナナオはほっとする。このガークという人物、格好の奇抜さも相まって、敵に回したら終わりみたいな雰囲気があるのだ。
もうナナオのことなどどうでも良さそうに、ガークはミラへと向き直ったのだが、アルコはちらちらとこちらを気にしているようだ。
……戦場のど真ん中に女学生がいたら、そりゃ気になるか。
ナナオは長い前髪と横髪をかき集め、表情を隠すようにしながら頭を下げた。
「初めまして。ナナオといいます」
「あっ、これはどうもご丁寧にー。ウチはアルコ、それでこっちはギルド長のガークっていいま」
「それでレイから聞いた話だが」
あっ、ガークに遮られた。アルコがショックそうな顔をしている。
「【青の憤怒】とかいう魔道具を扱う男だらけのテロリスト集団が、このクーデターの首謀者だそうだ。まず広場で魔道具による爆発が起こったが、数人の怪我人が出ただけで死人はひとりも出てない。いま思えば、あれは陽動だったみたいだがな。うぜぇ真似しやがって」
爆発……おそらく、通用口の外でナナオたちが聞いた爆発音がそれだろう。
「男だらけのテロ集団? しかも魔道具が使える……。ふぅん、そういうこともあるのね」
そしてミラの相づちはものすごく適当だった。魔道具に強い関心を示していた妹のハノンノと異なり、どうやらこの話題にはあまり興味がないらしい。
「その後すぐ、北門は大量の魔物と、それに乗っかった男どもがなだれ込んで突破されちまったが、今は数人の選りすぐりの冒険者を配置している。これ以上の敵の増援はないだろう」
「なるほどね。あっ、そういえばレイちゃんなら、さっき見かけたわ。戦力を迅速に各地に分けてて、さすがの手際の良さだなって感心しちゃった」
やはりこの事態に、騎士団長であるレイも動いているようだ。
となると、現在その配下として動いている研修生の「生徒会長」も、この騒ぎのまっただ中にいるのだろう。
あの人はいろいろ油断ならないからな……とナナオは気に留めておくことにした。
「騎士どもはともかく、オレのギルド所属の冒険者どもはそれなりの粒ぞろいだからな。チェックした限り今のところ問題なく応戦できてはいるが、男・子供を庇いながらあちこちに戦線を維持するのはかなり困難でな」
「相手は人海戦術を取ってるみたいだもんね。いずれどこかが呑み込まれて瓦解するかも、ってことね」
ガークの言葉に、秘書のアルコが説明を付け足す。
「王都内に放たれた魔物の数はおよそ百五十。魔道具を持つ男性の数は五十、といった具合ですがー……魔物に関しては、彼らの使い魔というわけではないようです。北門から殺到したことからも、北のノグルヴの森あたりでテイムして、連れてきたのではないかと分析中ですー」
ふんふんなるほど、と頷いていたミラが、凛とした眼差しでガークを見つめる。
「ということは――私のやるべきことは、とにかく魔物とテロリストたちを容赦なくブッ叩くこと。……でいいのかしら?」
「そういうことだ」
「そういうことですねー」
そういうことなんだ……。
ちなみに会話しつつ、ミラはあっちこっちに拳を振りかざしたり、蹴りのモーションを放ったりとせわしない動きをしている。
そのたび、遠くの方から「ギャアアッ」とか「うごぶッ?!」とか悲鳴が聞こえてくるので、おそらくは遠く離れた敵に衝撃波のようなものを繰り出して吹っ飛ばしているらしい。……さすが当代最強。
ガークはふわぁと欠伸して、緩みきった声音で言う。
「引き続き、オレたちの仕事は好き勝手に戦闘。それと気が向けば戦闘行動中の国民の援護。男・子供の避難誘導は騎士どもの仕事だから、手を貸してやる必要はナシ」
「了解、ボス。人の流れを見るに、いずれ南門方面に全員退避する予定なんでしょうし……私は北に向かいつつ、派手にブチかましておくわね」
そしてミラはナナオへと顔を向けると、気負わない口調で訊いてきた。
「ナナちゃんはどうする? 私と一緒に来る?」