第72話.二度目の転生
「…………ッッ!」
目覚めは唐突だった。
ナナオはカッ! と目を見開いた。
皮膚の下の心臓が、ドクドク言っている。その鼓動の音が、耳の奥で鳴り響くみたいに鮮明にきこえている。
血が止まり、凝り固まっていた脳味噌の中に、徐々に記憶が追いついてくる。
フミカの闇魔法。駆けつけてきた近衛騎士団。斬られそうになったフミカを庇い、自分は死んでしまって……しかしその後、タリアなる名前の女神によって、また元の世界に生き返ることができたのだ。
記憶はしっかりしている。それは良い。だがここはどこだ? 早くフミカの現状を確認しないと……。
なんて生き返った直後から忙しく考え事をしていたナナオだが、ふと近くから誰かの啜り泣く声がきこえてきて、思わず耳を澄ませた。
「……う、う……ううっ……」
押し殺したような弱々しい泣き声。だが位置が近いのと、他に物音がしないのもあって、その声はナナオの耳朶を強く打った。
視線を動かすと、どうやらナナオは、天蓋付きのベッドに寝かされているらしい。何だこの尋常じゃなく豪華なベッド。少なくとも寮ではなさそうだけど……。
そしてそんなナナオの触れられるほど近くに、顔を覆って肩を静かに震わす、レティシアの姿があった。
「……ナナオ……ナナオ……っ」
顔は見えなかったが、白い両手の間からは溢れ出るようにして、いくつもの透明な水が流れ落ちている。
制服が濡れるのも構わず、レティシアは何度も雫を落としては、ただ嘆いていた。苦しそうに、哀しそうに……。
――これ、声掛けたらゼッタイ驚かせちゃうよね。
と、ナナオは思った。だってほぼ間違いなく、この優しい女の子がこんな風に泣いているのはナナオが死んだ所為だからだ。
「シア」
しかしそれが分かった上で、ナナオはレティシアに声を掛けた。
なぜならこれ以上、レティシアが辛そうに泣いているのに耐えられなかったからだ。
ナナオが呼び掛けると、数秒だけレティシアの泣き声が止まる。だがまたすぐにそれは復活した。なぜか自身を責めるような激しい声色に。
「……この期に及んで、幻聴が聞こえるなんて……わたくしというやつは……!」
え!? いや、幻聴とかじゃない。思いっきり肉声で発声したけど。
「し、シア! 違うんだ、俺生き返った……」
……待てよ。そのくだりを話すと女神タリアの説明もしないとならない。そうするとただのヤバい人と思われちゃうかもだ。
「……いや、頸動脈切られたけどセーフで生きてたんだよ!」
「幻聴……幻聴……都合の良い幻聴……バカみたいな幻聴……」
「さすがに今回はもうダメだと思ったんだけどね! セーフだったから! ギリギリ平気だったから! だからもう泣かないでほし」
「や、や、や……やかましいですわアンポンタン!」
「アンポンタン!?」
きいいっとレティシアが唸りながら顔を上げた。
すっかり目が赤く腫れ上がっているが、その表情に先ほどまでの、消えてしまいそうな弱々しさはない。むしろレティシアは怒りに燃えていた。
そんなレティシア、興奮したままナナオの上に飛びかかってきて、ぎゅううと腕に力を込める。く、苦しい。襟を持ち上げられてるから首が絞まっている。わりとマジで本気で苦しい!
「わ、わたくしが――ど、どれほど後悔したとお思いですのっ!? それを何、ギリギリセーフで生きてたって何?! 心臓止まってましたわよ、もう何度も何十回も数え切れないほど胸に耳を当てて確認しましたわっ、もしかしたら動き出すかもしれないって、ティオさんも何度も泣きながら確認して、それで、それで……だからもう何ッ!?!」
「お、おち。落ち着いてシア……」
「落ち着いていられるわけありませんわせんわんわわ!」
大変だ。怒りのあまりレティシアがバグっている。
「も、もっかい死んじゃう……」
だがナナオが息も絶え絶えに訴えると、我に返ったのかようやくレティシアは腕を離してくれた。
ナナオの頭は再び、ぼふん、と柔らかな枕に埋もれる。レティシアはしばらく、無言だった。
「…………にゃにゃお」
ああ、思いっきり噛んでる。でも本人はいっぱいいっぱいの様子で、それにも気がついてなさそうだ。
怒られるかとも思ったが、ナナオは馬乗りになったレティシアに向かって手を伸ばして、その頭を軽く撫でてやった。
「……心配かけてごめん、ニャンニャン」
「…………っ」
じわぁ、と再びレティシアの瞳に涙が盛り上がる。
抱きついてきたレティシアを、ナナオも抱き返した。それでもなかなかレティシアの身体の震えは止まらなかったが、ナナオが何度も髪の毛を梳いてやると、次第に乱れていた呼吸が落ち着いてくる。
すると遅れて騒ぎに気がついたのか、ティオ、それにハノンノが他の部屋から慌てて駆けつけてきた。
「な、ナナく……」
それ以上話すことができず目に涙を浮かべるティオに対し、ハノンノは抱きしめ合うナナオとレティシアを見比べて、何だか胡散臭そうに首を傾げた。
「ななせんぱい、死んだんじゃなかったんですか?」
訊き方が怖いぞ、この小悪魔系後輩。
+ + + + +
天界と『タナリス』では時間の流れ方が異なるようで、ナナオが死んでから『タナリス』では六時間ほどが経過していたらしい。
あの後、倒れたナナオを兵士たちが王城へと運び入れ、すぐに王室御用達の医師が呼ばれた。
だがその時点で、ナナオが事切れているのは分かりきっていたようだ。医師は首を横に振った。
その後は、ナナオの死体を速やかに学院に返すべきか、王城で預かるべきかでいざこざがあったらしい。フミカの関係者として検分すべきでないか、という意見が騎士団からあったようだ。
結局すぐに結論が出ないため、放置されかけたナナオの死体を、レティシアが引き受けて自室へと運び入れた――とのことだった。ナナオが目を覚ましたのは、彼女の寝室の中だったのだ。
そして肝心のフミカはといえば、魔道具の発動と同時に姿を消したそうだ。数十人の兵士によって王都地下はくまなく捜索されたが、未だ手がかりのひとつも掴めていないらしい。
という話をレティシアとティオから聞き終えて、ナナオは力なく椅子の背もたれへともたれかかった。
夕刻を迎えた現在、王城内にある小会議室へとナナオたちは集まっている。
ナナオはしばらく心臓が止まっていた反動なのか、思うように身体を動かせずにいた。手足を持ち上げることはできるが、歩くのにも体力を消耗してすぐに息が上がるのだ。
それにレティシアたちも泣き疲れたのか憔悴しきっている。本来ならば話し合いの場は明日に延期すべきだったかもしれないが、ナナオたち自身の望みで、今日この場が急遽設けられたのだった。
「しかし驚いたな……ミヤウチ君は不死身だったりするの?」
などと薄笑いを浮かべて訊いてくるのは、未だ本名不明の生徒会長その人である。
光魔法の魔道具の下で見ると、その美貌はより際立っている。窓際に立ち、短い緑色の髪の毛を掻き上げる仕草など、舞台女優そのものの優雅さだ。
そしてその他のメンバーは、騎士団長のレイ、キュキュ、リュリュ、ハノンノ。
レイとハノンノはそれぞれ離れた席についているが、キュキュとリュリュは、生徒会長の両脇を固めるようにしてぴったりと寄り添っている。
「ちょっと、ミヤウチ・ナナオ! 私たちのお姉様に対して、その態度はあまりに無礼だわ!」
「キュキュ姉。言う通り。ナナオ失礼。万死に値する」
ナナオが生徒会長を睨み据えたまま無言でいると、すぐにキュキュとリュリュが怒り出した。
だが生徒会長は、また恐ろしく洗練された動作で、ふたりの肩にポンと手をやる。
「まぁまぁ落ち着いてふたりとも。事故とはいえ、僕はミヤウチ君を殺しかけてしまったんだ。彼女に恨まれるのも無理はないよ」
「でもっ、お姉様……」
「ふたりとも怒っていてもとってもチャーミングだけれど、僕はやっぱり笑った顔の方が好きだな」
「「お姉様……!」」
間近でウィンクと甘い言葉を受け、くらっとしている双子。
目を覚ました後は、首の皮一枚繋がっていて息を吹き返したなどと、ナナオはかなり苦しい言い訳を騎士団側に行っていた。仏頂面のレイはまったく信じられない様子だったが、それを研修生の生徒会長が「それは良かった」とあっさり流したのだ。生きていれば彼女からも事情が聞けるものね、と。
その点に関してはナナオは一応感謝しているのだが、とにもかくにも――相手はフミカを殺そうとした女性だ。
しかも、この身体で一太刀を受けたのだからよく分かる。生徒会長は人を殺し慣れている。
そしてたった一度の斬り合いではあったが、暗闇の中だというのにこの人はナナオの剣に常人を超えた速度で反応している。そのことからも、ナナオは確信していた。
この人は――ナナオがフミカを庇おうと飛び込んだのを認識した上で、事故を装ってナナオを殺してみせたのだ。