第60話.アイドルの誘惑
ハノンノの提案に対し、ナナオは暫し固まった。
……連れて行く? 見ず知らずの彼女を?
「いや、それは――ちょっと」
「えぇーっ?」
なぜか断られるとは想定していなかった、とばかりに大袈裟に口を開いて驚いてみせるハノンノ。
「そっちのティオ先輩はいいのに、何であたしはダメなんですかぁ? ナナせんぱい、ひどいです。意地悪ですぅっ」
「え? えーっと……」
目に涙を溜めて、悲しげに訴えてくるハノンノ。
ものすごくわざとらしいリアクションだ。なのだが……そのあまりの愛らしさにナナオは言葉に詰まってしまう。なんだか自分がとってもひどいことを言っているような気さえしてくる。
何だろうこの子……この異世界で出会った中で、何というかいちばん、浮いている。
ハノンノと相対していると、まるでナナオは前世の――地球で過ごしていた頃に戻るような気持ちになるのだ。クラスでアイドルじみた人気を誇る、かわいい女の子と話しているかのような……と言うと、感覚的には近いだろうか。
「ぼ、ボクは……ナナくんとは一緒に戦ったことも何度かあるからっ」
しどろもどろなナナオに代わるようにして、ティオがすすすっと前に出る。
心優しいティオのことなので、そんな風に突き放すような言い方をするのはかなり勇気がいることなのだろう。かなりおっかなびっくりな口調になっている。
「れ、連携もそれなり、だと思うし――でも、キミはほら、他の学園の人だし……!」
「えー、そんなの理由になりませんよぅ。他のガッコの生徒は、ななせんぱいと仲良くしちゃいけないんですかぁ?」
「えっ……」
えっ!?
ティオのみならずナナオもびっくりした。この子、俺と仲良くしたくて、ついてくるって言ってるの? お気持ちはうれしいですけど……。
……じゃない。どういうことだ?
そもそも今日が初対面で、しかも教室の外に居たハノンノとは、学院を出る前に言葉を交わしたわけでもない。
それなのにハノンノがナナオと仲良くしたいというのは、どう考えても辻褄が合わない。
それではまるで、彼女はナナオのことをずっと前から知っているかのような――
「……あ、間違えましたぁ」
「は?」
ナナオがポカンと見返すと、ハノンノはぺろっと可愛らしく舌を出してみせた。
「そうそう。ほら? 同じ交換留学生同士として、きゅきゅ? せんぱい? のことがしんぱいっていうかぁ?」
もはや誤魔化す気も感じられないほど雑な言い様である。
ゼッタイ嘘だな、とナナオは確信した。この子、キュキュのことなどたぶん何とも思っていないぞ。
そんなナナオの表情を前にして、ハノンノは少し考え込むような仕草をしたかと思えば、唐突にそんなナナオに接近してきた。
にこにこと、張りついたような笑みを浮かべて。
「……ななせんぱぁい」
つま先立ちになって、背伸びをしたかと思えば。
ハノンノがナナオの耳元に唇を寄せ――色っぽい、掠れた声音で囁いた。
「……あたし、ななせんぱいの正体、わかっちゃったかも」
至近距離で目が合うと、さらにハノンノは笑みを深くし、ナナオの表情の変化を窺うようにじっと見つめてきた。
その言葉に、どうにかナナオが動揺せずにいられたのは、こんな日が来ることを何度か想定していたからだった。
自分の正体――隠している性別が、誰かにバレてしまう日である。
「ごめん。ちょっと意味がわからないけど」
首を傾げながら平坦な口調でそう返すと、ハノンノは「またまたぁ」とくすくす笑う。だが、それ以上は何も言ってこない。
思わせぶりなことを言ってはいるが、きっとハノンノには確信があるわけではない。ただ鎌をかけてきているだけなのだ、とナナオは推理した。
――そう。俺は自分の女装レベルに、今やそれなりの自信がある。
……っていうと何かヤバい人っぽいけども。
しかし今まで、事故でお互いの秘密を知ったフミカ、それにナナオ自ら正体を明かしたティオ以外に、ナナオの性別に気づいた者は居ない。数ヶ月の学院生活を共に送ってきたクラスメイトや教師のサリバさえもだ。
ハノンノはまったく動揺を見せないナナオにしばらく、目を細めていたが、それからわざとらしく二歩後ろに下がると、ぱんぱん、と両手を叩いてみせた。
「ではでは、いつまでも喋ってないで行きましょうよ先輩たちっ。キュキュせんぱいを探しに行くんですもんね! まずは王都ですか? 他にヒントないですもんね?」
「ほ、本当に一緒に来るの? ハノンノさん?」
ナナオとハノンノが不意の接近を果たしてから、戸惑い気味に目を逸らしていたティオが慌ててハノンノに声を掛ける。
「当たり前ですよぅ。それにあたし、こんなところで置いてかれたら、大声上げて泣いちゃうかもですよー?」
「「…………」」
ナナオとティオは揃って沈黙する。ほとんど脅迫だった。ハノンノは自分を切り捨てた場合、サリバたちをここに呼び寄せると宣言しているのだ。
ナナオは大きく溜め息を吐いた。こうなったら、覚悟を決めるしかないだろう。
「俺とティオ、けっこう足が速いけど……ハノンノはついてこられる?」
「ハノ、でいいですよ、ななせんぱい。仲の良い人はみんなそう呼ぶので」
今度はティオが胡乱げな目つきになる。そっか、ボクとは仲良くしたくないのかぁ……みたいな感じで。
「……じゃあ、ハノ。ハノは俺たちについてこられる?」
「それに関してはご心配なくです」
ナナオの問いにハノンノは軽く答えると、右手の小指に着けた銀色の指輪に左手でちょこん、と触れてみせた。
すると驚くべきことに――指輪はぴかっと光り、一瞬にしてその形を解くと、まったく別の形状へと変化し……ハノンノの両足を太腿近くまで覆った。
光が静まった後には、ハノンノの細い足を、白く細長い、金属製のブーツのような形のそれが包み込んでいた。
何度か感触を確かめるように、その場でぴょんぴょんっ、と飛び跳ねるような仕草をしてみせるハノンノに、恐る恐るとティオが訊く。
「それって、魔道具?」
「そうですよ、自作の魔道具です」
その回答に、ナナオは驚いた。
個人の才能を伸ばし鍛えるアルーニャ女学院とは異なり、魔法の研究などに力を入れているのがクローティウス学園とは聞いていたが……まさか生徒が個人的に魔道具を製作しているとは。
「これは装着した人間の脚力を強化する魔道具です。あたしの魔力量はちっぽけなものですが、それでも数時間程度であれば問題なく連続で使用できます。デザインがかわいくないので、改良の余地は大アリですけどね」
事も無げに言って、肩を竦めるハノンノ。
だがナナオとティオは、すっかり尊敬の目をそんなハノンノへと向けていた。ふたりとも魔道具を見た経験は何度かあるものの、それを造ってみせたなんて人に出会ったのは初めてだったので。
するとハノンノは、露骨に顔を顰めてみせた。
「……ちょっと、そんな目で見ないでくださいよ。こんなの、ろくに魔法が使えない出来損ないが造った劣等感の塊なんですから」
何となく、その言葉も表情も、ハノンノが初めて見せた裏表の無いもののようにナナオには思えた。
「こんな目で見たくもなるよ。純粋にすごいと思うし、俺、それがどういう仕組みで出来てるのかもぜんぜん分からないし」
「うん。ボクも驚いた。そんなにすごい魔道具を造れるなんて」
「そりゃあ、アルーニャ女学院の体力バカ――こほん。優等生さんたちは、こんなのそもそも必要無いですしね」
完全にバカって言ったな、今。別にいいけど。
「さあ、それじゃあ行きましょう。王都目指してレッツゴー、ですっ」
愛らしい掛け声を上げたハノンノが、臆面なくナナオに抱きついてくる。
鼻腔をくすぐる柑橘類の甘い香りと共に、むぎゅうっ――と、何か、柔らかいものが腕に当たってつぶれるような、形を変えるような、とんでもない感触があった。
一瞬、ナナオの頭の中が真っ白に染まる。……ナンダロウ、コレ。
当たっているとかではなく、そういう次元ではなく、自分の腕を包み込むような、そういう魅惑のもっちりとした、ふにふにの何かの――
固まるナナオ、その横に居たティオが跳び上がるようにして必死の抗議をする。
「ちょっと! ナナくん固まってるよ、ハノンノさんっ」
「え~? 女同士ですし、これくらいのスキンシップは当たり前ですよぅ」
「そ、そうかもだけど……でも……!」
「ねぇ、ななせんぱぁい。こんなのフツーですよねぇ?」
甘えるようにナナオの顔を上目遣いで見てくるハノンノ。
だがナナオは既にそれどころではなかった。鼻の下がだらしなく伸びてないかどうか、触って確認したい。鼻血はさすがに、さすがに出てないはずだけども。
「……ウ、ウン。フツー……だよね、ウン」
「ナナくんっ!?」
……俺の正体、もしかしてほんとにバレてるのかも、とちょっと自信がなくなってきたナナオであった。