第56話.戸惑いの優等生
「私が代表生徒――、ですか?」
感嘆の吐息を数人が上げる中。
名指しされたキュキュはといえば、どちらかといえば不審そうに眉を寄せていた。
そんなサリバとキュキュの間で、妹のリュリュがおろおろと視線を彷徨わせている。
リュリュにアイコンタクトを送って黙らせてから、キュキュはサリバの方を向いて言った。
「でも、他に相応しい生徒が居るのでは? 例えば……」
「俺?」
「ゼッタイ違うわ!」
もの凄い勢いで怒られ、地味に落ち込むナナオ。
「ゼッタイ違いますね」
サリバまで深く頷いていた。ひどい。
咳払いをしてから、気を取り直したようにキュキュが言う。
ちら――と後ろを振り返りながら。
「……レティシア・ニャ・アルーニャ王女とか。だってクローティウス学園といったら……」
「サリバ先生が指名したのはアナタですわよ、キュキュさん」
だが、そんなキュキュの言葉を遮るレティシア。
確かにその通りだった。
そもそも、ナナオの知るキュキュは、レティシアにも負けず劣らず負けん気の強い女の子である。
試験でも総合一位という晴れ晴れしい結果を残し、交換留学の代表生徒に選出された――本来のキュキュなら、その快挙をまず喜びそうなものだが。
だが……キュキュが渋っている理由は、想像がついた。
代表生徒は一校につきひとり。
つまり――キュキュがいつも一緒に居る双子の妹であるリュリュは、その留学についていくことができない。だからキュキュはリュリュのことを気にして、戸惑っているのかもしれない。
サリバはといえば浮かれないキュキュの顔を見て、淡々と言った。
「……貴女の提案通り、というわけではありませんが。もしも気が乗らないということであれば、ミス・アルーニャに代表生徒を任せるつもりではあります。彼女も非常に優秀な生徒ですから」
「!」
その言葉に大きく反応したのは、当のレティシアである。
フミカの小さな頭越しにその表情を確認したナナオは、反射的に――挙手していた。
露骨に嫌そうに顔を顰めるサリバ。
「……何ですか、ミス・ミヤウチ」
「自薦ってことで、俺が引き受けちゃダメですか? それ」
弾かれたようにこちらを見るレティシアの方に視線は向けず、サリバと向かい合うナナオ。
しかしサリバは「何を言い出すかと思えば」と呆れた溜め息を吐いた。
「それだけは断固拒否します」
「きょ、拒否っ!? 俺だって一応、三位なのにっ!」
「実力はともかく……貴女のような問題児を他校に送り出せるわけないでしょう。クローティウス学園の校舎も人員も、我が校ほど丈夫ではないのですから」
サリバはひどく真面目な口調でそう言ったが、その言葉にクラスメイトたちが控えめな忍び笑いを洩らす。
ナナオは唇を尖らせつつ、両腕を頭の後ろで組む。こうなるともう、ナナオが出来ることはなさそうだ。
そうして外野が盛り上がっているうちに、キュキュはサリバにぺこりと頭を下げた。
「少し……考えさせてください」
それは普段のキュキュからは考えられないほど、弱々しい声音であった。
「いいでしょう」と頷いたサリバが、続けざまに言う。
「ただ、返事は本日の放課後までにいただけますか?」
「はい……わかりました」
「それと。今から筆記試験の答案用紙を返しますが、まず先にお伝えしておきます。……今回の筆記試験で総合点数が二百点以下の生徒についてですが」
ナナオは何やら嫌な予感を覚えた。
筆記試験。四科目の試験で、それぞれ百点ずつ割り振られているので、最大総合得点は四百点。
つまりサリバが言う総合点数二百点以下とは、ナナオの生きてきた世界でいうと、いわば――
「本日より二週間、授業後に補習を行います。二週間後のテストに受からなかった場合はさらに一週間の補習を行いますので、夏期休暇を失いたくなければ心してかかるように」
――赤点。
筆記試験十九位と二十一位は、揃って机の角に額をぶつけたのだった。
+ + + + +
「こんばんは、ナナオさん。それに……ティオさん、だったかしら?」
夕暮れ時である。
橙色に染まった花壇の花に囲まれながら、ふらふらと寮に戻ろうとしたところ、ナナオとティオはとある人物に呼び止められた。
ラン・ヘーゲンバーグ。一学年上の、頼れるラン先輩だった。ナナオたちの後に続いて校舎から出てきたようで、片手には学生鞄をぶら下げている。
「こんばんは。ラン先輩も補習ですか?」
「そんなわけないでしょ。筆記試験の採点で納得いかないところがあったから、教師に直談判しにいってたのよ」
冗談のつもりだったが本気で引かれてしまった。
「え? あなたたちもしかして……補習だったの?」
「……まぁ……」
「……はい……」
これがあと二週間以上続くの? という絶望をふたりで噛み締めていたところです。
暗い顔で頷くナナオとティオを、何やらかわいそうな生き物を見るような目で見遣るラン。
「そうなの……お疲れ様」
「ラン先輩は中間試験、一位だったんですよね。すごいです」
二年生の試験課題は、五対五のグループ戦だったらしい。剣と魔法を駆使しての高度な団体戦だ。
掲示板を見た限り、ランは二年生の中でも飛び抜いて優秀な成績を残したようだった。二位の生徒とは、圧倒的な差が開いていたのである。
だがランはナナオの言葉に、軽く肩を竦めただけだった。
「すごいって言っても、あの女が居なかったから……本当の一位とは言えないわ」
何となく一緒に帰る流れになったので、ナナオは両隣にランとティオを連れて歩き出した。
両手に花、というやつだ。そんなことを口にすれば、ナナオの正体を知るティオはともかく、ランには訝られてしまうだろうが。
「そういえばその、ラン先輩が以前から気にしてる人って誰なんですか?」
今まで何となく踏み込んでいなかった話題だが、思いきってナナオは訊いてみることにした。
補習疲れで、頭がぐったりしていたせいかもしれない。何か気の逸れる話をしたかったのだ。
ランはこの話題を嫌がるかと思いきや、案外あっさりと応じてくれた。
「生徒会長よ」
「生徒……会長?」
異世界にも生徒会ってあるんだ。
というナナオの感想が顔に出ていたかは不明だが、ランは付け足すように言った。
「ああ、えっと、勝手にそう名乗っている女なの。そんな肩書きは本来存在しないんだけど」
「え?」
「ただ、カリスマ性――というのかしら。そういうのがずば抜けているから、自然とみんな、あだ名のような感じで呼ぶようになったのよ。生徒の長、ってね」
「な、なんだかすごい話ですね……」
ティオも圧倒されている様子だ。ランは下級生ふたりの反応に苦笑している。
「今は王都の騎士団で、学生としては異例なんだけど実戦訓練に研修生として参加しているそうよ。あの女、いっつも、私の数歩先を軽々と歩いているのよね……試験だって毎回一位を取られてるし」
悔しそうというよりは、もはや遠い目をしているラン。
ランほどの実力者がそこまで評するということは、本当にその生徒会長とやら、とんでもない人物なのだろう。曲者なのは間違いなさそうなので、会ってみたいような、その逆のような微妙なところである。
「ナナオさんこそ総合三位だったんでしょ? それに実技はぶっちぎりの一位だったじゃない、さすがね」
「あー、あれはただの運というか……ズルというか……」
「あはは。あなたに限ってズルはないでしょ」
もう少しランの話を聞いてみたかったが、話題は自然とナナオたち一年生の話へと移ってしまう。
だが残念がっている暇もなく、ランは「そういえば」と顎に人差し指を当てた。
「なんだっけ、交換留学プログラム? 代表はレティ……レティシアさんに決まったんだって?」
「えっ?」
その言葉に驚くナナオ。
ティオと顔を見合わせると、ティオの方も不思議そうに首を傾げている。
「教室でクラスメイトたちがそんな話をしてたんだけど……違うの?」
「違うというか……ボクたちが聞いた限りは、サリバ先生はキュキュ・サイルという女の子を推薦してました」
「ああ、サイル家の……。それなら、みんなの勘違いだったのかも。真偽関係なく、噂話はすぐ広がっちゃうのよね」
ちょうど寮についたので、部屋の階数が違うランとはそこで別れる。
「ナナくん。キュキュさんは代表の話、断ったのかなぁ?」
そう訊いてくるティオに、ナナオは曖昧な返事を返すことしかできなかった。
キュキュが代表を断った場合、間違いなく、交換留学の話は第二候補のレティシアへと行くはずだ。
しかし……ナナオには、レティシアは留学生に選ばれるのを嫌がっているように見えた。
それが正しい感想だったのかは分からない。だが、少なくとも、レティシアはサリバの言葉を歓迎してはいなかったはずだ。
でなければ、あんな風に固く唇を引き結んで、顔を強張らせたりはしないだろう。
考えれば考えるほど、やはり「俺を代表にしてくれたら丸く収まるのになぁ……」と首を捻ってしまうナナオだった。
ゼッタイまた、断固拒否します! とサリバには嫌がられるだろうけど。