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第6話.赤目の眼鏡っ子との出逢い

 

「新入生の入学記念式典はこのあと講堂で行われます。席は特に決まっておりませんので、お好きな席をお選びくださいね」


 学院の玄関口に待ち構えていた上級生らしい女子たちからそう案内を受けたナナオは、しかしふたりの指し示す講堂の方角には向かわなかった。

 というのも、講堂に向かう前にやるべきことがあったからだ。


「すみません。先に寮に行ってもいいですか?」


 上品そうなふたりは顔を見合わせる。

 見たところナナオが大荷物を抱えているわけでもないので、なぜ寮に寄る必要があるのか不思議に思ったのだろう。


「もちろん構いませんが……。でもあまり時間もないのでお早めに……」

「了解です!」


 はきはきと返事をして、ナナオはバタバタと忙しなく駆け出した。


 アルーニャ女学院は全寮制の学院である。その敷地内に寮も存在しているので、また遠くの正門まで戻る必要はない。

 ナナオは校舎の輪郭に沿うような形で舗装された煉瓦の道を突っ切り、寮まで辿り着いた。


 校舎と並んで遜色ないようにと造られたのだろう、同系色のこれまた巨大な寮を前にして、落ち着き無く辺りを見回すナナオ。

 寮住まいの生徒にでも運良く会えればいいが、と思っていたら、荷物を運ぶ新入生たちの案内のためか、寮母らしき妙齢の女性が寮の入口前に立っていた。


「あら、こんにちは。新入生の子かしら?」


 目敏くすぐナナオの存在に気づいた女性が近づいてくる。

 ナナオはぺこり、と頭を下げた。


「初めまして。新入生のミヤウチ・ナナオです」

「どうも初めまして、ナナオさん。私は寮母のカレンよ」


 カレンは茶髪を後頭部で結わえた、ぽや~んとした柔らかい雰囲気を纏う女性だった。

 にこにこと人好きのする笑みを浮かべているカレンに、ナナオもうっかり和んでくる。


「もうそろそろ式典の始まる時間だけど……どうかしたの?」

「それがその……制服を汚してしまって」


 苦笑しながらスカートをちょっとだけ持ち上げる。フリルの汚れに気づいたカレンが「あら」と目を丸くした。


「少しだけお水を分けていただけませんか? 汚れを落としたらすぐ講堂に行きますので」


 そうお願いしながら、ナナオはちょっと焦っていた。

 というのも、先ほどまではちらほら荷物を運び込む使用人の姿があったのに、今は寮の周りに人っ子一人いないのだ。たぶん生徒はみんな講堂に向かって、使用人も仕事を済ませているのだろう。このままだと式典に間に合うか微妙かもしれなかった。


「お安いご用よ。ならまずあなたのお部屋に案内しましょう」

「え? でも――」

「女の子はこんなところでスカートの手入れなんかしちゃダメよ」


 そうウィンクされ、ナナオは思わず黙り込んだ。確かにそうかも……。

 こういった事態には慣れているのだろう、カレンはナナオを寮に案内すると、一度キッチンに引っ込んで手早く水差しを持ってきてくれた。

 水差しと一緒に、アンティークのように可愛らしい小鍵を渡される。


「ナナオさんのお部屋は二階の角部屋よ。階段を上ってすぐ右に曲がって、いちばん奥のお部屋だから」


 カレンに案内されたとおり二階に上がる。

 外観を見たときから覚悟してはいたが、思っていた以上に寮内は広かった。

 すぐに隅っこに辿り着くかと思いきや、歩いても歩いても曲がり角にぶち当たってしまう。

 ようやく角部屋の前に辿り着いたナナオは、水差しを片手に持ち替え、鍵穴に鍵の先端を突っ込んだ。


 ガチャリ……と解錠音がすると同時、室内へと入る。


「おお……」


 清潔感のある広々とした空間に、思わず感動の吐息が漏れる。

 王都の宿屋も決して悪くはなかったが――やはり広さが違う。

 というかただの学生にこんな豪華な部屋を貸し与えてくれるなんて、とてつもなく太っ腹な学院だ。

 しかも何故か、ベッドは二つも置いてあるし。


「……っと、早くスカートをどうにかしないと」


 ナナオはバタンと勢いよく扉を閉めた。

 それから、ミニスカの汚れたフリル部分を見下ろしてみる。


「水をぶっかける……は逆に目立つもんな。濡れタオルの間に挟んだりしたら泥って落ちるのかな……」


 うーむ、と顎に手を当ててしばし考える。

 こういうとき、母親はどうしていたっけ……いま思い返すと、小さな頃から門外漢の困り事があると、すぐに母を頼ってばかりだった。

 ぞうきんの縫い方とか、鶴の折り方とか、靴紐の結び方だとか……そのたび母は嫌な顔ひとつせず、やってくれていたっけ……。


 ふと、郷愁の念を覚えながらも、首を振り払ってその思考を頭の片隅に追いやる。


「とりあえず脱ぐか」


 その方が手っ取り早いかと、スカートをストンと足元まで落としてしまう。

 未だに慣れないスースー感から解放され、ホッとしつつもスカートを持ち上げようとした瞬間だった。


 中腰になったナナオの背後で、ドアの開く音がした。


「――え?」


 反射的に振り向く。

 目の前に女の子が立っていた。


 眼鏡のレンズを眼鏡拭きで拭っていた彼女が、気配に気づいたのかゆっくりと顔を上げる。


「……え?」


 はっきりと目が合った。

 その赤い、赤い双眸が、ナナオを見て驚いたように見開かれている。


 しかし驚いたのはナナオも同じだった。

 蹈鞴を踏んだ結果、足元のスカート生地に躓いたナナオの両足が床を離れる。


「えっ、うわ――」


 まずい、と背筋に戦慄が走ったときにはもう遅かった。


「…………っ!?」


 そのままナナオは、息を呑む彼女に向かって体勢を崩してしまう。


 ガッターンッ!

 と、床やらドアやらが軋む凄まじい音と共に、ふたりは倒れ込んだ。


 衝突する直前、ナナオはどうにか少女の頭と床の間に右腕を差し入れていた。

 少女が低身長だったおかげもあり、何とか庇い切れたのだが……その腕が衝撃でしびれていて、しばらく身動きができなくなる。

 だが、ナナオが動けない理由はそれだけではなかった。


 左手が、少女の胸元――あまりに柔らかい感触を、思いきり掴んでいた。

 今まで触ったこともない、控えめながらふにゅっと弾力のある――なにかを。

 

「――――誰?」


 彼女の、小さな唇がそう囁く。

 それもほんの近い距離で、だった。彼女の吐き出した柔らかな吐息がナナオの唇に直接当たるくらいに、ふたりの距離は近かった。

 お互いの身体も密着し合って、その繊細な形までもがはっきりと伝わり合うくらいには。


「え、あ……」


 急にナナオの喉がからからに渇き始める。何て答えたらいいか、判断ができない。

 やがて、この緊急事態にも関わらず無表情を保っていた少女が、ぽつり、と呟いた。


「………………胸。あと、股間……も。当たってる、んだけど」

「どわあああッ!?!」


 ナナオは野太い悲鳴を上げて少女の上からズザザッ! と勢いよく飛び退いた。

 その拍子に腰がベッドのフレームに激突する。しかし「痛い!」なんて言っている暇はない。

 ナナオはその場に思いきり土下座をした。やはりその弾みで額が固い床に激突したが、本人はパニックでそれどころではなかった。


「ご、ごごごごめん! ど、どっちもわざとじゃなくて!」

「……わざとだったら変態」

「だ、だよね。ごめん。本当にごめん!」

「……別に、いい。気にしてない」


 感情のこもらない声でそう応じ、少女が身体を起こす。


「寮母の人、誰もいないって言ってた、のに……案外テキトー……」


 何か文句らしきものを呟きつつも、衝突事故で手元から落としていた四角いフレームの眼鏡を拾い上げると、それを慎重に目元へと装着している。


 すると何故か――少女の赤かった瞳が、その髪の毛より少し色素の薄い、淡い水色へと変じている。

 ……アレ? とナナオは首を傾げた。光の角度? ……でもなさそうだけど。眼鏡になにか仕掛けでもしてあるんだろうか?


「……それで、何で男子がココにいるの」


 だが、呑気に考え事をしている場合ではなかった。

 びくり、と肩を震わすナナオに対して、水色の少女は顔色ひとつ変えない。

 言い逃れができる状況ではなかった。何せこっちはパンイチである。そして不本意ながら――お互い派手に接触、してしまったわけで。


 今さらながらパンイチで話すのもどうなのかと、とりあえずナナオはおずおずとスカートを履き直す。スカートを履く方が逆に変態ぽかったが、そこは仕方なかった。

 その間も彼女はほっそりとした腕を組んだまま、一言も言わずナナオのことを見ていた。恥ずかしいのでどちらかというとそっぽを向いてほしかったのだが……。


「えっと、俺……実は、魔力がある? ……らしくて」

「…………」

「魔法の使い方とかいろいろ勉強して、魔王を倒したいなーとか思ってまして。それで……女学院に入ることにした、みたいな」


 リルのことを隠した以外は全て事実である。

 が、非常に胡散臭かった。話していてナナオ自身もそう思ったので、少女の心証は最悪かもしれなかった。


 ちょっと泣きたくなってくるナナオに、少女が静かに口を開く。


「……あなたも、私の正体に気がついたでしょ」

「え?」


 何の話? とナナオはぽかんとしてしまう。正体?

 少女は眼鏡のフレームを、コンコン、とノックするように白い爪先で軽く叩いた。


「赤き魔の眼――魔眼。これを有するのは、魔族だけ。この国の住人なら誰でも知ってるコト」

「え、いや、よくわからな――」

「私はこの呪われた眼を治す方法を探して、この学院に正体を隠して入学した。でもそれもこれで終わり。まさかこんなにアッサリ初日に、正体が知られるなんて……」


 ……どうしよう。なんか今さら知らなかったですって言えない空気になってきたぞ。

 流れが変わってきたのを感じて黙るナナオに、ふぅ、と嘆息じみた溜息を吐く少女。


「……煮るなり焼くなり、好きにすれば。人間は魔族が嫌いでしょ」

「え、あ、いや……その! ……これは提案なんだけど」


 何? というように、細められた赤い瞳が怠そうにナナオを見遣る。

 ナナオは勇気を振り絞って言い放った。


「そういうことならお互い――脅迫し合うのはどうだろう」

「…………は?」

「つまり、俺は男で、君は魔族。お互いに学院に入るには難ありってことだろ? それを知っちゃった時点で、お互いの弱点を握り合ってるってことになるから、お互いに脅迫すれば――それでトントンで、ウィンウィン、ってことにならない? なるよね、きっと!」


 シーン……と室内に沈黙が落ちる。

 やっぱダメかぁ、と天を仰ぎかけたナナオだったが、


「……私を殺さないの?」


 本当に消え入りそうなほど小さな声で、少女が問うてきた。


 表情は相も変わらず、無表情のままだった。だが語尾が僅かに震えていたのに、ナナオは気づいて――だからこそブンブンブン! と首を大袈裟なまでに横に振りたくった。


「こ、殺さないよ。それに君の正体も内緒にする。誰にも話したりしない。だから君も、俺の正体を周りに黙っててくれると助かる、っていうか」


 この世界における魔族の立ち位置は正直よく分からないが、女装男子よりはたぶんマシだろうと思う。というかだいたいの人のポジションはいまの俺よりゼッタイまとも。

 もし少女がナナオの秘密を黙っていてくれるなら、ナナオが彼女の秘密を周囲に勝手にばらまく理由は一つもなかった。

 そう思っての提案だったが、少女は見つめていないとわからないくらい僅かに眉根を寄せていた。何か、腑に落ちないことがあるような様子で。


「……あなたは、この眼が恐ろしくはないの? この血のように……赤い眼が」


 あ、これゲームとかでよく聞く台詞――などと、ふざけた相槌を打つわけにはいかない。

 目の前に居るのはゲーム内のキャラクターではない。血の通った、ひとりの人間――ひとりの魔族なのだから。

 というわけで、ナナオは素直な感想を返すことにした。


「恐ろしくないよ。俺、トマト好きだし」

「…………トマト?」

「うん。トマトに似てて、赤くてきれいな眼だと思う!」


 にこにこするナナオを見つめたまま、少女が固まっていた。

 その不自然な反応に、ナナオは「あれ?」と思考を回転させ――ようやく気がつく。


 …………しまった!

 ここは「夕焼けの色」とか「ルビーの色」とか良い感じの例えを出す場面だった。ゼッタイそうだ。

 いや、でもそんなオシャレな例えがパッと浮かぶ方がすごくない!? 俺じゃトマトが限界なんだけど!


「ご、ごめん! 女の子の目を野菜に例えるなんて俺はなんて失礼なことを!」

「……いい……けど」


 未だ反応が鈍い少女。

 その頬が、密かに赤いことにナナオは気がついていない。当の本人は、大切なことを思い出した真っ最中だったからだ。


「――って、そうだった!」

「え?」

「入学記念式典だよ。早く講堂に行こう!」


 すぐさま部屋を出るナナオだったが、少女はついてこようとはしない。部屋の中で立ち止まったままだ。


「何やってるんだよ。君も新入生だろ? 早く行かないと」

「別に、いい。式典なんかもともと出るつもりは」

「いいから行こう! きっと思い出になるからさ!」

「……引っ張らないで。自分で走れる」


急かすナナオに、ほんのりと迷惑そうな顔をしつつ少女がついてくる。

渋々ではあるが、式典には一応参加する気になったようだ。安堵したナナオは、後ろを振り返ってこう切り出した。


「そういえば自己紹介してなかったけど、俺はミヤウチ・ナナオ。君の名前は?」


 やがて、気が遠くなるほどの沈黙の後に、ぽつりと眼鏡女子が答えた。


「…………フミカ・アサイム。年は、じゅうろく」


 これが、寮のルームメイトであるフミカとの出逢いだった。



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