第54話.ルール無用
「「ひゃ……ひわあああああっ?」」
かわいらしい悲鳴を上げながら、逃げ惑うキュキュとリュリュ。
――ズドオオオォン!
そのちょうど足元に向かって投擲された大木が、地面を穿つ。
凄まじい土煙が上がり、辺り一帯が覆われる。
この騒ぎにさすがに気がついたのか、頭上を飛び交っていたはずの多数の魔法も今や息を潜めたように静まりかえっている。ティオにとっては好都合であった。
「な、何するのよ! 殺す気!?」
「大丈夫。ちゃんと当たらないように投げてるから!」
「違うわよ! あたしたちがどうにか避けただけでしょーッ!」
だから、どうにか避けられるように投げたのである。
怒鳴るキュキュにも怯まず、ティオはさらに隣に生えていた、先ほどより一回り小さな木をむんずと無造作に掴む。
ひいっと、キュキュとリュリュが身体を震わせた。
「腕輪をこっちに渡して! じゃないとずっと投げちゃうよ!」
「そ、そんなこと言われて――大人しく渡すわけないでしょッ」
投降してもらうのが最も穏便な手段なのだが、プライドの高いキュキュはティオの提案を即座に断る。
ならば、と容赦なく、再び木を持ち上げるティオ。
それを見てキュキュとリュリュは魔法を飛ばすどころか、顔を青くするだけだった。本当はこの場から逃げたいのかもしれないが、やはりプライドの高さこそが、ティオなんかを相手に引き下がる道を彼女たちに選ばせないようだ。
「ほら、行くよー!」
「きゅ、キュキュ姉……っ」
だがそこで、ティオに誤算が生じた。
涙を浮かべてキュキュの服の裾を掴むリュリュ。そんな妹の姿に、姉であるキュキュがいち早く、冷静さを取り戻してしまったのだ。
それは兄弟に恵まれなかったティオにとって、本当に、予想外のことだった。
キュキュは自分の頬を一度張ると、大きく深呼吸をし、ティオとフミカを正面から見据えてみせたのである。
「敵に背中を向けるなんて……サイル家の人間に、あってはならないことね」
声色と表情を変えたキュキュに、焦ったのはティオだった。
引っこ抜いた木を勢いよく投げるが、宙から飛来するその木に対し、キュキュはリュリュを庇うように片手で抱きながら、その場に踏み止まってみせる。
「【火炎弾】……よっ!」
唱えた彼女の伸ばした手から、三発の火の玉が発射される。
その魔法はティオの投擲した木にぶつかったと思えば、瞬時に燃え上がらせてみせた。初級の炎魔法といえども、高い魔力を持つキュキュの魔法であれば、それは中級に匹敵するほどの威力を発揮するのだ。
軽く舌を打ったティオは、さらに別の木を倒そうとするが、それより素早くキュキュが次の判断を下す。
「もう、こうなったら仕方ないわ――リュリュッ!」
「キュキュ姉……了解ッ」
覚悟を決めた様子の双子に、炎魔法か水魔法が飛んでくる! と警戒するティオとフミカだったが、違った。
キュキュとリュリュが同時に、首に提げていたチェーンを手で掴んだ。
その動作に、ティオは願掛けか何かと思ったが、フミカは違った。それと似た動きを、フミカは何度か見た経験があったのだ。
「……魔道具!」
その途端、だった。
双子の首元が光り、ネックレス型のアクセサリーに擬態していたそれが――特殊な魔道具へと姿を変える。
キュキュは巨大な鋏。そしてリュリュは、ただの針仕事用のモノに見えるような針と糸である。
一見すると武器には見えないようなアイテムを前に、動きが遅れるティオとフミカ。
その隙をキュキュたちは見逃さず、くるくるとその場でダンスをするように舞いながら、即座に魔力を編んでみせた。
「仮縫いで繋がってた全部、全部を――情け容赦なく切り飛ばしちゃう!」
巨大な指穴に丸ごと通した両腕を、力の限り動かして。
ジャキンッ! と激しく音が鳴るほどけたたましく、鋏のハンドルを動かしてみせたキュキュに応じ、リュリュは空中で針と糸を複雑に交差させる。
「うん。キュキュ姉! 切った空間、全部、全部全部、一斉に――ここに繋がっちゃえ!」
まるで姫巫女の舞うような優雅な動きに、ティオたちが呆気にとられていたときだった。
ぐにゃり――と空間が歪む。
「えっ!?」
「……っ?」
自分がどこに立っているのか一瞬、分からなくなる。
それもそのはずだ。目の前の景色すべてが、歪んでいる。足元さえも何か得体の知れない穴のようなものが這い出てきて、まともに立ってさえいられない。目を開いたままでいると、頭がおかしくなりそうだった。
「な、何これ……ッ?」
これがキュキュとリュリュの――空間魔法?
そう戦慄すると同時、ティオは森に入ったときの違和感をようやく、思い出していた。
この森には何度か、ナナオやリルと共に入って魔法の訓練を行っている。だがずっと、何か釈然としない感じがして、でもそれは中間試験による緊張のものだと、そう思っていたけれど……
ああ、そうだそもそも――こんなところに木は無かったし、あんなところに草は茂っていなかった。
森の中は継ぎ接ぎだらけになっていたのだ。複雑怪奇に空間がねじ曲げられて、摩訶不思議なフィールドへと変化していた……!
「――え、ええええっ!」
耳元で素っ頓狂な大声を上げられ、びくっと顔を上げるティオ。
驚くべきことに、すぐ隣にニコル……土魔法を使う短い髪のクラスメイトの姿が出現している。ティオだけでなく、ニコルの方もかなり狼狽えているようだ。
「な、なんで? あーし、さっきまで森の中に居て……」
かと思えばそこから少し離れた位置に、ニコルのみならず何人ものクラスメイトが次々と並んでいる。全員が軒並み、唖然としていて、何が起こっているのかよく把握していない顔だ。
その顔ぶれを見て、あっと声を上げるティオ。突然現れた九人は、先ほどまで東西に分かれて魔法の撃ち合いに興じていたクラスメイトたちだ。
遮蔽物のないフィールド内に、気がつけばティオ、フミカ、キュキュ、リュリュ、それに九人――合計して十三人もの生徒が詰め込まれるように立ち尽くしている。
今や疑いようなく、これはキュキュたちの空間魔法による芸当なのだろう。正直、魔法の改変規模としては、これほど凄まじいものも無い。
「さて、じゃあもう面倒だから……乱戦といきましょうか、皆さん」
ニコッと愛らしく笑うキュキュだが、ティオたちにとってはもう、ほとんど悪魔のそれに近い。
完全に主導権はサイル家の双子の姉妹が握ってしまっている。このままではもう乱戦どころか、姉妹に好き勝手に蹂躙される他はない……
「――そうだね! 乱戦いいと思う!」
だが。
「えっ!?」
悲鳴を上げたのは他の誰でもなく、リュリュだった。
何故か困惑した表情で、左の足首を抑えるような仕草をしている。
その理由はすぐに判明した。いつのまにかキュキュたちから数メートル離れた位置に立っていた人物――ナナオが、人差し指でくるくると、ひとつの腕輪を回していたのだ。
「リュリュは華奢だから、こんな細い腕輪を足首に通せるんだな。驚いた」
「ナナくんっ」
「……ナナオ君!」
お互い、安心しきったような声を上げてしまい、思わず顔を見合わして、慌てて逸らすティオとフミカ。
そう、現れたのはナナオだった。ふたりに向かって片手を挙げて応じてみせてから、どうやってか奪ったばかりのリュリュの腕輪を自分の右手首へと装着している。
何気なくその動作を見て、ティオは驚いた。他のクラスメイトたちも唖然としている。
何とナナオは、リュリュのものを含め、六つもの腕輪を持っていたのだ。
さすが――ナナくん。
やはり憧れのナナオは、ティオの先の先を行く人物だ。状況も忘れて、そのことに感動を覚えるティオ。
「……キュキュ姉。やられちゃった」
しょぼん、と肩を落としたリュリュが、ナナオに恨み言をぶつけるでもなく、とぼとぼと戦場の隅っこへと向かう。
どうやら腕輪を奪われた者はその時点で失格という、最低限のルールは守るつもりのようだ。
そんな妹の様子に歯噛みしつつ、キュキュはナナオをぎろっと鋭く睨みつけた。
「ミヤウチ・ナナオ――相手するのが面倒だから呼び寄せなかったのに! 何でわざわざやって来るのよ!」
「そりゃあ腕輪が欲しいからだけど……」
呑気に答えるナナオ。
それからナナオは激昂したキュキュが再度文句を言う前に、その場に居る全員に聞こえるような大声で言い放った。
「俺が持ってる腕輪は自分の分を含めて六つ! それとシア……レティシアが三つ持ってる!」
一気にざわめきが広がる。ティオも驚いた。
レティシアはこの場に姿を見せてはいないが……その言葉が真実ならばナナオとレティシアだけで、かなりのクラスメイトを撃破したことになる。
思考をまとめる暇もないまま、ナナオは矢継ぎ早に言葉を続ける。
「そうなると残りは十二個……つまり、この場に居る君たち十二人の分だけだ! だからキュキュの言う通り、この場で最後の戦いをやるしかない!」
ナナオの言葉に急き立てられるようにして、数人の生徒が魔法ではなく、用意していた武器をそれぞれ抜いた。片手剣や細剣、弓矢に斧と、実に様々な武器を。
ティオもそのひとりだった。メリケンサックを力強く構え、フミカに呼び掛けたのだ。
「フミカさん、共同戦線は――ここで終わりだ! ここからは正々堂々と戦おう!」
「……異論なし」
キュキュはナナオにこの場の主導権を奪われたことに、かなり苛立っていた様子だが、小さく溜め息を吐くと、気を取り直したように鋏を胸の前で構える。
「……私はノセられたフリをしているだけなので、勘違いしないように」
「もちろん。俺としては大歓迎だけど」
「……本当にムカつくわ、あなたって」
そんなふたりの遣り取りを正確に理解していたのは、木陰でのんびり欠伸をしていたリルくらいだろう。
『……十二人、ってわざと呼び掛けたわね、アイツ。自分やツンデレ王女から腕輪を奪うのは反則、とでも言いたいのかしら?』
無論、そんなルールは定められていない。レティシアが奪取していた腕輪を後から奪ってみせたのは、そもそもナナオなのだから。
だがこの場に居る十二人――否、正しくはキュキュを除く十一人は、気が昂ぶった一時的にと言えど、おそらく勘違いしただろう。ナナオやレティシアに手出しするのはルール違反……というより、姑息な真似だと。
そしてリルの考えが正しければ、勘違いしたクラスメイトたちの群れに、あと数秒も経たずにナナオは突っ込む。もちろん、七つ目八つ目の腕輪を奪うために。
ふわぁぁ、ともう一度、リルは気の抜けた欠伸を洩らす。
『ツンデレ王女の安全の確保のために、ほとんど無意識に言ったんだろうけど、これくらい計算的に魔王にもぶつかってほしいところね……』
そうして試験終了時間いっぱいまで、腕輪の奪い合いは続いたのだった。