第53話.共同戦線
「……私から腕輪を奪うつもり?」
心を決めたティオの判断を鈍らせるようにして、フミカが出し抜けに問うてくる。
「そ――っ」
ティオは一瞬、言い淀んだが、どうにか強気に続きの言葉を紡いだ。
「そ、そうだよ。ボク、フミカさん相手でも引かないから!」
「……私の使い魔を、相手にしても?」
ぎくりとするティオ。
フミカの手にはいつの間にやら、召喚用紙が握られていたのだ。
無属性魔法しか使えないティオには使い魔はいないが、フミカの場合は違う。
もし彼女に使い魔を召喚されてしまうと、状況は一対二となるのでかなり不利だ。
焦って飛びつこうとするが、一拍遅い。
既にフミカは口を動かしている!
「……おいで、コガちゃん」
低い声でフミカが呟く。
召喚用紙に刻まれた複雑な紋様がぴかっと光ったかと思えば、煙が噴き出てくる。そうなるともう召喚を止める手段はないので、ティオは顔を歪め、より後方へと飛び退るしかなかった。
――チャンスだったのに!
フミカが使い魔を召喚する前に距離を詰め、すぐに腕輪を奪うべきだった。
だが後悔しても遅い。水と風魔法、ふたつの属性を使いこなすフミカの使い魔はきっと、とんでもなく優れた生き物だ。ティオにもう勝ちの目はないかもしれない――
だが……そうして煙が晴れた後に現れた生き物を前に、ティオは口を半開きにしてしまった。
「……えっ? あれ?」
見間違い? ごしごし目を拭ってみるが、やはり目の前の景色は変わらない。
フミカの手に乗っているのは、かわいらしい小亀だった。それも全長わずか五センチほどのサイズだ。
唖然とするティオに対し、あ、となにかに気づいたような顔をしたかと思えば、フミカは指先で亀の頭を撫でつつ、ティオに紹介してくれた。
「……小亀だから、コガちゃんなの」
い――癒されるっっ!
フミカ独特の雰囲気に流されかけるティオ。別に名前の由来が気になったわけではないのに!
だが――ここは心を鬼にしなければ。みすみす目の前に現れたフミカを見逃すわけにはいかない。もともと、そういう約束でもあったはずだ。
「ふ、フミカさん! それにコガちゃん! それじゃあ遠慮なく行かせてもら――」
「【火炎矢】」
とか言っている場合ではなかった。
フミカの背後から飛んできた燃えさかる火の矢を、バックステップで避けるティオ。フミカはといえば水のバリアーのようなものを張って、不意打ちから身を守っている。
視線を投げると、フミカの背後から姿を現してみせたのは、赤い髪の毛のキュキュ――双子の姉妹の片割れである。
「あら、お猿のようにすばしっこいのね。今ので酷い火傷でも負ってくれたら、話が早かったのに」
ルールに抵触するようなことを軽々と口にしてのけるキュキュだったが、先ほどから東西に分かれたクラスメイトたちもひっきりなしに魔法を撃ち合っているので、大した違いはないかもしれない。
だがフミカが後ろにキュキュを引き連れるような形で登場したことに、ティオは困惑しつつあった。
意外すぎる組み合わせだが、もしかしてこのふたり、手を組んでいるのでは――
「……そうだった。追われてたんだった」
「ええっ!? 言うの遅いよ!」
「……ごめん」
「いや! 謝るようなことじゃないけど!」
疑いはすぐに晴れた。だが状況は変わりない。
ティオはキュキュだけでなく、自分の周囲三百六十度に視線を巡らし、警戒を強める。そんなティオの行動をおかしがるように、キュキュはくすくすと笑う。
「あら。あらあら。もしかしてリュリュのことを気にしているの?」
「……そりゃそうだよ。あなたたちはいつも仲良く一緒にいるし」
「仲良しですって。聞いてたリュリュ?」
「キュキュ姉。聞いてたよ」
ゾッとした。
耳元を掠めたその吐息の主の腕が、ティオが二の腕に装着している腕輪の表面へと触れていた。
全力で地を蹴り、その場から離れるティオ。何とか腕輪は取られずに済む。
そして声の主――リュリュは余裕を見せるためなのか追いかけてはこないで、ぱたぱたと走ってキュキュの元へと合流する。
「っいつのまに……!」
フミカに引き続き、リュリュにまで背後を取られたことを悔しがるティオ。
だが……フミカのときはともかく、今のティオは極限まで意識を集中して警戒範囲を広げていた。そんな状態で、背中を取られるなんてことが……。
その表情に、キュキュがぷっと噴き出す。
「そもそもおかしいと思わなかった? 全員のスタート位置は三百メートル以上離れていたはずなのに、開始直後に十人もの生徒が顔を合わせるだなんて」
「それは……」
「今のリュリュの登場もそうよ。警戒していたアナタの背後を取るなんて、そう簡単にできないはずでしょ?」
言われれば、その通りだった。この試験は始まった直後から、何かがおかしかったのだ。
「キュキュ姉の采配。キュキュ姉の作戦。キュキュ姉はいつだって、天才」
「その通りよリュリュ。そしてあなたも天才よ。これは全部、私たちの企てなのだから」
手を合わせた美しい双子が歌うように唱えると、はっと息を呑んだフミカが言う。
「……空間魔法……!」
そうか、とティオも気がついた。
これはあのときと同じだ。【中央第二遺跡】で行われた課外訓練。
あのときは同じ場所をぐるぐると、ずっとナナオ率いるチームのみんなで歩いていた。
それとは逆の芸当を、キュキュたちは――中間試験が始まる前から、森に仕掛けていたのではないか?
「空間は、切って繋げて、グルグルねじ曲げるモノなのよ。ねぇリュリュ?」
「キュキュ姉。そうだね。だからふたりは、無敵」
「そうね。私たちは無敵よ、リュリュ」
艶やかな笑みを交わし合うふたりを前に、ティオは――。
悔しさに、歯噛みしてはいなかった。
ただ、見据えていた。この双子を撃破するには、どうすればいいのか。ただそれだけをである。
身体能力だけならば、クラス内にはナナオを除いてティオに勝てる相手はいない。優等生であるキュキュやリュリュだって、決して。
だったらティオのやるべきことは、勝負を自分の得意分野に持ち込むことだ。それさえできれば勝機はある。謎めいた魔法を使いこなすふたりにだって、勝つチャンスはあるのだ。
つまり……たった一瞬でもいい。彼女たちの集中力を乱すことができたなら。
「……フミカさん。協力しよう」
「……ティオ?」
フミカが訝しげな表情で振り返る。
無理もなかった。だがティオは、敢えてその疑念を笑顔で躱す。
「お互いに敵同士でも……他に共通の敵が居たなら、協力することだってあるでしょ?」
「……それもそうかも」
どうやらフミカも了承してくれたようだ。
キュキュとリュリュほどではないだろうが、ティオだって、ナナオやレティシア、フミカとの連携の場数はそれなりである。
ティオはゆっくりとフミカに近づいていくと、キュキュたちを見据えたまま小声で唇を動かした。
「さっきの水のバリアーって、何秒保つかな?」
意図を察したフミカも、ほとんど唇を動かさずに応じてくれた。
「……同時に攻撃されたとして、八秒ジャスト……かな」
「それならカンペキだ。ボクが合図をしたら、発動してくれる?」
「……わかった」
いける、と確信するティオ。緊張によってかこめかみに汗が伝うが、笑みを浮かべた表情は崩さない。
圧倒的に優位であったはずのキュキュとリュリュが姿を現したのには、きっと理由がある。
空間魔法については、その仕組みさえ詳しくは分からない。
だが、おそらく、直接的にティオたちに危害を加えるような力ではない。そのため、腕輪を奪うという行為を達成するには、魔法の使い手たちがわざわざ姿を現すしかなかったのだ。
そして先ほど、リュリュはそれに失敗している。
態度を繕って誤魔化してはいたが、たぶん背後を取った時点で本当はティオの腕輪を取る算段だったのだ。だが非力な少女はその策に失敗し、姉の庇護へと逃げた。
もう一度同じ手を使ってこないのが、良い証拠だろう。余裕の表情をしながらも、今もきっとふたりは必死に、ティオとフミカの腕輪を得る手段を考えているはずだ。
それなら、時間を与えるのは得策ではない。
「……【筋力強化】」
低く呟くティオ。
白いオーラにも似た魔力がたちまち放出される。それが次第に、ティオの身体に纏わりつくようにして立ちのぼっていき、やがてその全身を薄い膜のようにして覆う。
その瞬間、キュキュとリュリュは胸の前で素早く腕を構えた。
「【火炎矢】!」
「【水冷弾】!」
咄嗟の行動だというのに、回避が困難なようほぼ同時に放ってくるのは見事だった。
だがそこでティオも叫ぶ。
「フミカさん!」
「……りょーかい。コガちゃん」
『……グ……』
小さな唸りのようなものが聞こえたかと思いきや、隣のティオごと、フミカを中心に展開された水のバリアーがふたりを守る。
どうやらこの防御魔法はフミカの魔法ではなく、彼女の使い魔である小亀の力のようである。だが今はそんなことを呑気にフミカに訊いてみる場合でもない。
さらにティオは続ける。
「……【超強化】!」
唱え終わるとティオは、真横に立っていた木に思いっきり抱きつくようにして、両腕を回した。
「ふぐっ!」
お腹に力を溜めて、とにかく気合いで引っ張る。
地中深くに張った長く太い根が、メキメキ、と音を立てて千切れ始める。少しずつ傾き始めた大木の青々とした葉が揺れ、数十枚が地上へと降ってくる。
さすがにティオの狙いに気がついたのだろう、慌てたキュキュたちが魔法の角度を調整し、ティオに狙いをつけるが……フミカは左に一歩、すすっと移動してきて、そんなティオをバリアーで守ってくれる。
残り三秒。
いよいよ数十本の根は半ばで千切れ、ティオはその血管の浮いた細腕で、優に十メートルはある一本の木を――無造作に持ち上げる。
「ひ、ひぃっ……!?」
「きゅ、キュキュ姉……っ」
魔法の発動を止め、さすがに後退るキュキュとリュリュ。
だがそんなのは無意味だ、と気がついたのだろう。ふたりは手と手を取り合い、大慌てで逃げだそうとするが……そんなふたりに向かってティオは目を光らせると、
「いっ……けええええええええ!」
全身全霊の力で――ブン投げた。