第47話.妹の救出
数時間前に通った城門を再び通過して、ナナオとレティシアは学院への道を急ぐ。
しかし授業内でも何度か思ったとおり、レティシアはどうやら持久力があまり無いらしい。
数分も走っているうちに、次第に息が上がってきていた。ナナオからも遅れてしまっている。
後ろを振り返りながら、ナナオは控えめに申し出た。
「――良かったら、おんぶでもする?」
「はぁ……っ!?」
息を弾ませながら、レティシアは素っ頓狂な声を上げる。
「な、何故わたくしが、っはぁ、初対面の男性におんぶを……!?」
「いやー、でも苦しそうだし」
「はぁっ。あ、アナタの体力が――異様な、だけですわ!」
負けん気の強いレティシアは、それからグングンとスピードを上げると、ナナオの隣まで追いついてきた。本当に負けず嫌いな子なのである。
ただ、ワンピース姿というのもあり、本人は強がってはいるが走りにくそうではある。
心配しつつ正面に顔を戻したナナオは、「あっ」と指差した。
「――見てシア! あの子!」
「…………っ!」
森に沿う形で整備された道は、ほぼ一直線に続いている。
だから道の先にその姿が見えたとき、ナナオはそう叫んだ。
その直後のレティシアの反応速度は、尋常ではなかった。
横のナナオを追い越したかと思えば、スカート姿にも関わらず全力で疾走する。
「ちょ、ちょっと待って!」
と言いつつ数秒後にナナオが追いついたときには、既に一触即発の雰囲気だった。
ぜぇ、ぜぇと荒く息を吐きつつもどうにか呼吸を整えたレティシアが、凄味のある瞳で目の前の――ふたりの男を睨みつけている。
どこにでもいそうなふたりの若い男だ。ふたりとも、腕に水色のスカーフを巻いている以外は大した特徴がない。
だが、その人畜無害そうな顔つきとは裏腹の持ち物を目にして、レティシアのみならずナナオも、強い警戒を覚える。
そして、こちらを動揺した目で見つめるふたりの、その真ん前には、ほんの五歳児くらいか……小さな女の子が突っ立って、レティシアのことを注視していた。
「……アナタ方、その子に何をしてますの?」
溢れ出そうな怒気を無理やり抑えたような、レティシアの声。
男たちは焦ったように視線を交わしてから、揃って歪んだ笑みを浮かべてみせた。敵意がないのを証明してみせるように。
「何って……オレたちはただ、この子が困ってるから助けてあげようとしただけだぜ?」
「そうだ。人さらいみたいな扱いはやめてもらえるかな? お嬢さん」
「へぇ、そうですか。左の方は、大きな麻袋を持っているように見えますが?」
「……これは、その……」
慌てて後ろ手に隠したそれと共に、左の男が後ろに下がろうとする。
そちらにナナオとレティシアの意識が向いた瞬間だった。
右の男がすかさず、立ち竦む少女の首を引っ張り上げた。
「きゃっ」
「!」
「オラァ! このガキがどうなっても良――」
「どうにかなるのはあなた方の方ですよ」
だが、男たちの目論みは早々に打ち砕かれる。
目にも止まらぬ――神速と言い換えてもいい速度で動いたナナオが、男たちの間を風のように音もなくすり抜けていたからだ。
そしてその腕には、人質にされかけていた少女が抱えられている。その光景を見て男はようやく、自分の腕が手刀かなにかに捉えられていたことに気がついた。その正体が何かも、実際は見当もついていなかったが。
「危ないから君はシアと一緒にいてね」
男の手からあっけなく少女を奪還したナナオは、レティシアの傍に戻り、その腕へそっと少女を預ける。
「……!」
無事に戻ってきた少女を前に、瞳を潤ませるレティシア。
だが、それで男たちが引き下がるわけもなかった。
「いい、気にせずやるぞ! 相手は女ひとりだ、オレたちだって倒せる!」
おお。どうやら俺の存在は勘定からは外されているっぽい。
感心するナナオだったが、そう呑気にしてもいられない。
麻袋を放り投げた男は、懐から何かを取り出した。
小振りのナイフだ。だが……どうやら普通のナイフではない。
刀身が禍々しい黒いオーラをまとって、男の腕全体を覆うほどにまで膨らんでいるのだ。
それを鞘から引き抜いた途端に、男の顔色までもが、闇に侵されたように淀み、目なんて充血して瞳孔まで開いている。
……明らかに様子がおかしい。
そしてナナオの背後でそれを目にした途端、レティシアが緊張した声音で叫ぶ。
「――気をつけて! あれはおそらく……魔道具です!」
「は、ハハ。遅いぜ。オレだってこれさえあれば……!」
男はそれを手に、危うい笑みを浮かべてまっすぐ向かってくる。
ナナオは強い焦りを覚えた。
刃物を持った男、それにその魔道具らしい刃物を恐れて――のことでは、ない。
この世界において、男が魔法を使えないのは常識。
つまり応戦するにしても、レティシア、それにこの悪党たちの前で魔法を使うところを見られるわけにはいかないわけで。
……しょうがない。
ここは徒手空拳で行こう、と一瞬の間に判断するナナオ。
やったことないけど!
「てやぁ!」
適当な掛け声を上げながら、立ち向かってくる男に――ナナオはとりあえず頭突きをかました。
もちろん、その手に握られたナイフの軌道はばっちりと避けて。
「がふゥ?!?」
衝撃のあまり男は容赦なく吹っ飛ばされ、背後の木に激突。
そのままがくん――と首を垂らして気絶する。たぶん骨は折れてないだろうが、額からはだらだらと血が流れているのでかなりのダメージがあったようだ。
「な、何だこのガキ!?」
目を愕然と見開いたもうひとりの男も、慌てて懐を探ろうとする。
だが遅い。それを待ってやる義理もないので、ナナオは情け容赦なく距離を詰め、男の額にも思いっきり頭突きした。
「ご――ッ」
肺からありったけの空気を失うような音をさせつつ、仲良く同じ木に二人目も激突。
折り重なるような形で気絶し倒れる姿を前に、ナナオは思った。
「俺、徒手空拳もわりといけるかも!」
リルがこの場にいたら間違いなく「それ徒手空拳なの!?」とツッコむところだが、残念ながら不在だったので、ナナオの徒手空拳への信頼度は勢いよく跳ね上がる。
小学生の頃に頭から側溝に落ちたりもしたけど、無傷だったもんな……! むしろ側溝が痛んだらしく次の日に補修工事されてたし。
「……驚きました。アナタ、とても強いんですのね」
「石頭には自信があるんだ」
駆け寄ってきたレティシアを振り返る。
「それでシア、縄とか持ってる?」
「縄……いえ、持ってませんわね」
「――みゃー、もってる」
そこに意外なところから、舌っ足らずな声が上がる。
レティシアにひっついたままの、ちっちゃな少女のものだ。
ギルドで働いているらしいアルコ、という女性が話していた通りの、天使のように愛らしい外見の女の子。
アルコが指差したのも頷けるくらい、その見た目はレティシアによく似ていた。美少女のレティシアを幼くしたら、そのままこんな感じになるんだろうな、と思うくらいにそっくりだ。
大きく違うのは髪型くらいで、癖のない長髪を細いリボンで飾っているレティシアと違い、少女はウェーブがかった髪を三つ編みにしている。
フリフリのピンク色のドレスのどこに隠していたのか、縄の束を取り出して、それをナナオへと少女が差し出す。
縄の左右の先端には木で出来た取っ手のようなものがついているので、おそらくは縄跳びのようなものだろうか?
そんなに長さはないが、男ふたりをまとめて縛るには十分そうだ。
「ありがとう。借りるね」
小さな手から縄を受け取り、気絶した男たちへと駆け寄るナナオ。
拘束はすぐに済んで、再びナナオがレティシアたちの元へ戻ろうとすると、
「――ミアナ」
え? ミャーナァー?
猫の鳴き声かと聞き間違えたが、そういうわけではなかったらしい。
少女のことをそう呼んだレティシアが、唇を固く引き結んで向かい合っている。
ふたりの間を流れる空気は、張り詰めていた。ごくりと息を呑みつつ、静かにそんなふたりに近づくナナオだったが、レティシアはこちらをチラッと見遣っただけで、ナナオに対しては何も言わなかった。
「…………おねーたま」
怒気を孕んだ声で呼ばれた少女は、小さな肩を震わせている。
やがて、ぎゅ、と小さい、お餅みたいに柔らかそうな手が、レティシアに向かって伸ばされた。まるで縋りつくようにして。
だがレティシアはその手を取ることはせず、きつい表情で言い放った。
「ダメでしょう、ひとりでこんなところに来て!」
「!」
びっくーん、と震える少女――ミアナの手。
だがレティシアはそんな反応にも怯まず、さらに激しい口調で詰め寄る。
「また護衛を振り切ったんでしょうけど、少しは自分の立場というものを考えなさい!」
「でも、だって、みゃーは、おねーたまに……あいたかったんらもん」
「会いたかったもんじゃ、ありません!」
「……っうー……!」
ミアナはレティシアに怒られ、ほとんど泣き出しそうな顔になってしまう。
澄んだ碧眼の縁には涙が溜まり、今にもこぼれ落ちそうだ。顔も真っ赤っかになっていて、とても見ていられない。
そんな遣り取りを見ながら、やっぱり、という思いもナナオの胸に去来する。
この子は――ミアナは、レティシアの妹だ。
つまり、アルーニャ王国の王女のひとり。
話を聞く限り、ミアナはきっと、大好きな姉――レティシアに会うために、ひとりでアルーニャ女学院へと向かおうとした。それでレティシアも、妹の行く先に心当たりがあったのだ。
だがそこで、ミアナは悪党たちに誘拐されかけた。高級そうな洋服に身を包んでいるので、それで目をつけられてしまったのだろう。
男たちはミアナを尾け、人目のないところで拐かそうとしたのだ。だからレティシアが妹を心配するのは当然のことではある……のだが。
「もしわたくしたちが間に合わなかったら、どうなっていたと思いますか!? 今頃、無事ではなかったかもしれませんわよ!」
「ちょ、ちょっとシア」
落ち着いて、と割って入ろうとするナナオだったが、レティシアの怒りは治まらない。
そう、彼女は――怒り狂っている。今まで目にしたこともないくらい、激しく。
「命も危なかったのかも、しれませんのよ! ミアナ!」
「うっ……うう……!」
姉妹の遣り取りはとても見ていられるものではなかった。兄弟の居なかったナナオにとっては特に。
だが――やがてミアナは、ほとんど泣きそうな顔になりながらも、鼻を啜ってから叫んだ。
「ご……ごめんなしゃい!」
「!」
「ごめんにゃさい、おねーたま……! みゃー、だめなことした……!」
謝罪の言葉と共に、いよいよミアナの双眸からはぽろぽろと涙が零れ落ちる。
その瞬間、レティシアはそんな少女のことをぎゅーっと力強く抱きしめていた。
「……分かれば良いの! もう――ミアナは、お転婆すぎますわ!」
「だってこうでもしないと……おねーたまにあえないんらもんっ……!」
びーびーびー、と激しく泣き出すミアナを大事に抱きしめつつ、レティシアの瞳にも光るものが浮かんでいる。
ナナオはそれで、思わず笑みをこぼす。どうやら無事、仲良しの姉妹は仲直りが出来たようだった。