第46話.迷子探し
「つまり、アナタは連れの女性とはぐれてしまって、わたくしも学院の先輩とはぐれてしまった、と……」
ナナオ、ならぬナオ・ミヤガイの話を訊いたレティシア――ならぬシアは、ふむ、と納得がいったように何度か頷いてみせた。
お互いに連れとはぐれてしまったとは、何とも奇妙な話だったが、ある意味ではこの場にフミカが居合わせなかったことにほっとするナナオ。
現時点では、レティシアは目の前のナオがナナオ本人であるとは全く勘づいてない様子だ。だが、もしもフミカとレティシア、それにランが正面から出会っていたら、なし崩し的にナナオの正体がレティシアたちに知られてしまっていた恐れもある。
レティシアは目の前の男がそんな緊張感をやり過ごしていたとは知る由もなく、片目を瞑ったままちらっと視線を投げて寄越してきた。
「まぁ、薄々そんなことだろうとは思っておりましたわ。王都で一人歩きする男性なんて、初めて見ましたから」
「そうなの? 何で?」
「何でって……」
途端に柳眉をひそめるレティシア。
何かおかしいことを言ってしまっただろうか? 理由を訊こうとするナナオだったが、その機先を制するようなタイミングで、
「あーあーあーあー! 面倒くせぇなぁ、ったく!」
なんて、とんでもない大声がきこえてきて、反射的に声のする方向を向いた。
その人物は先ほど、大量の女性冒険者たちが走り去っていった方角からフラフラとやって来ていた。
「音量を抑えてください、ガーク様ー! 国民が怯えますのでー!」
「オメーの方がデケー声だっつの、アルコ。 ……お?」
声の主は、道の真ん中で突っ立っていたナナオとレティシアの目の前で立ち止まる。
その人物を前にして、ナナオはその直後――驚きのあまり目を剥くこととなった。
ガーク、と呼ばれていた女性の出で立ちである。
刈り上げた色素の薄い髪には、一部に赤いメッシュが入っている。瞳はギラギラと、燐光を放つかのように青白い光を放っていた。
身長はかなり高く、百八十センチ近いだろうか? 細身でモデル体型なのだが、上半身をやたら傾けて歩いているので、正確な身長は分からなかったが。
だが、恐るべしはその格好だった。……服の布地がほとんど無いのだ。
豊満な胸も、腹部も、脚も、極限まで露出しかかっている。布地というか、もはや彼女の身体に巻きついているのはほとんど、黒く細い革製のベルトだけだった。その頼りない装備によってどうにか、変態と露出狂の境界線の合間を彷徨っている、という感じだ。
思わず若干、視線をずらすナナオだったが、ガークはそんなナナオには一切目を向けようとしない。
その代わりに、彼女は細い顎のラインを撫でるようにしながら、まじまじとレティシアの顔を至近距離から眺めた。何というか、非常に不躾なほどに。そのギラギラとした光を放つ瞳には、異様な迫力をも備わっていた。
「誰かと思えば――あれ、コイツ誰だっけな?」
「……人違いではないでしょうか」
首を僅かに傾げたレティシアが冷たい声で応酬する。
「そうだったかもしれん」
ガークはどうでも良さそうに一言で済ませて顔を離したが、レティシアの反応からして明らかに面識がありそうだった。ナナオは余計なことは言わなかったが。
「ああぁ、すみませんー。ウチのギルド長がちょっかいかけて……」
ガークの後ろからひょこっと姿を現せた小太りの女性――確かアルコ、と呼ばれていたか。その人が、ぺこぺこと丁寧に頭を下げる。
こちらはオフィスの受付嬢でもやっていそうな、清潔感のあるジャケット姿の三十代くらいの女性で、ナナオは少し安心感を覚える。ほぼ裸同然の女性を直前に目の前にしていた以上、当然だったが。
というか。……ギルド長?
「そうなんですよー。こんなんでもギルド長なんですよー」
ナナオの顔つきを見ていろいろ察したのか、アルコはげっそりしたように肩を落としてしまう。
「こっちはギルド長のガークで、ウチはその秘書っていうか……ギルドの受付も担当してるアルコです」
「ああ、どうも。俺はナオです」
「……シアですわ」
アルコに挨拶を返しつつ、ナナオは考える。
ギルドというと、きっとアレだ。冒険者なら誰でも登録できて、クエストを受けて魔物を倒しに行ったりして、その報酬をくれる、ゲームによく出てくる不思議な組織に違いない。
だがあのイカれた格好の女性が、まさかギルド長だったとは。
恐れおののくナナオと、無表情のレティシアとを交互に見遣り、アルコはおずおずと切り出した。
「あのぅ……デートの最中に本当に申し訳ないんですが、おふたりに訊いてもいいですかー?」
「「デート!?」」
そうだったのか! とびっくりするナナオと、じゃないですけど! という意味で狼狽えるレティシア。
両者それぞれの衝撃を受けた表情を前に、アルコはふらふらとその場でふらついた。
「くうう。反応が初々しいー……若いっていいなぁ……じゃない――ウチらは今、人捜しをしてるんです」
人捜し?
思わず顔を見合わせるナオとシア。何せふたりとも、たった今、知り合いを探しているところなのだ。
「このあたりで見かけませんでした? 小さい女の子、なんですけど」
それからアルコは身振り手振りを交えて、必死の説明を続けてくれた。
「こう、これくらいの背丈で。きらきらーって靡く金色の髪をしていて。瞳なんて、宝石みたいに綺麗なエメラルドの色をしていて。それにすっごく可愛らしい、まるで地上に舞い降りた天使みたいな――」
しかし途中から、何だか自分でも信じられないような顔をしながら。
言葉を止めて、アルコはレティシアのことをそっと指差した。指された張本人はといえば、不思議そうに何度か瞬きを繰り返しているだけだ。
「…………そう。まさにあなたみたいな、女の子なんですけど」
「はい?」
「あっ。す、すみません。あなたがあまりにもその子に似ているから、ついー……」
てへへ、と照れ笑いを浮かべるアルコ。
「ああ、それにしても……王都に在留していたギルド所属の冒険者全員を総動員しても、見つからないなんてー……どうしましょう、ガーク様?」
「安心しろ。いざとなったときはアルコの腹をカッ捌いて、お偉方に手打ちにしてもらう予定だからな」
「それならよかったー! ……え? 今なんて?」
これはこれで意外と良いコンビなのか、血生臭い話をしつつも笑顔のふたり。笑顔の意味合いに関しては、捕食者と生贄のそれに変わっているような気がしなくもなかったが。
少しだけ考えていたナナオは、小さく挙手をして、そんなふたりの間に静かに割って入った。視線がふたり分向いてきたところで、ようやく発言する。
「その、俺たちも手伝いましょうか?」
「はぁッ? おいおい坊主、舐めてるのか?」
ナナオの提案を、ふん、と鼻で笑うガーク。
「お前みたいなガキが手伝って見つかるなら、苦労しねェよ。それとも何か? お坊ちゃんは探知魔法のひとつでも使えるってのか?」
ひたすら挑発的な物言いである。窘めるようにアルコがガークの腕を引っ張ったが、ガークは気に留める様子もない。
ナナオはどう言葉を返したものかと思ったが、結局、首を振っただけだった。だって実際、そんな魔法使えないし。
そんなナナオの横を、弱者を嘲笑う笑みを浮かべてガークが通り抜ける。
「じゃな、ガキ共。今の話は忘れとけ」
そんなガークの後を、ぺこぺこ頭を下げてからアルコが続いた。
ナナオは無言のまま、ふたりの後ろ姿を見送る。
だからこそ――その後交わされたふたりの会話までは、ナナオに聞こえることはなかった。
「……なぁ、アルコ」
「はいー? どうされました? ガーク様」
「さっきのあのコスプレ男だが――魔力数値は見たか?」
「え? あはは、何言ってるんですか。男の子の魔力量なんて見たってしかたがないでしょー、どうせゼロなんですから。
それより隣の女の子はすごかったですよ、是非我がギルドに引き入れたいレベルですねー!」
「……そっか。フツーはそうだよなァ……」
すっかり考え込むように黙ってしまったガークの様子に、戸惑うアルコだった。
「ねぇ、シア」
ふたりが去った後。
ナナオはレティシアに話しかけたが、彼女は何も言わなかった。
わざとナナオの言葉を無視している、という雰囲気ではない。人差し指を顎に当てたまま、眉を寄せて、何か考え事をしているようである。
「もしかして、さっきの人たちが探してるのって……王女さま、とかなのかな」
しかしナナオがそう声を潜めて呟くと、レティシアは鋭く顔を上げた。
整った顔は厳しく歪んでいる。
「どうしてそう思うのです?」
「俺にはよく分からないけど、ギルドっていうのはかなり大きな組織のはずだ」
ナナオがよくやっていたRPGゲームとかだと大体そうだ。
もしもこの世界のギルドと呼ばれる組織も、そんなゲームみたいな代物だとしたら、その規模はかなりのものになるはずだ。
「そのギルドが、今動かせる人員を全員動かして、しかもギルドでいちばん偉いらしい人まで、自らその女の子の捜索に当たってる。それはフツーじゃ考えられないことだと思う」
「そうとも限りませんわよ。王女でなくても、良家の子女なのかも」
レティシアは頑なに認めようとはしなかったが、次第にナナオの推理は確信に変わりつつあった。
そもそもここは王都だ。普段は王城に住むその子が、移動中か何かの拍子に逃げ出したりしたのだとしたら……今回の騒動は、ありえない話ではないだろう。
「そうだとしても――シア、その子を一緒に探そう」
「何故?」
「俺が、個人的に心配だから」
会ったこともないその子のことではなくて。
いや、もちろんそれもあるけれど――先ほどから小刻みに身体を震わせているレティシアのことが、ナナオは心配で堪らなかった。
「それに俺、こう見えて一応、軍人だしね! 迷子を探す義務があるというか!」
「犬のおまわりさん」という童謡でナナオはそれを骨の髄まで学んだ。
迷子の子猫さんをお家まで送り届けるのは猫スキーの責務なのである! まぁ、犬のおまわりさんは最終的に困ってしまって終わってるけども!
「そんな堂々と嘘を吐かなくても。アナタはただの民間人でしょう」
が、冷静なレティシアの指摘に、ナナオの盛り上がっていた呼吸が止まりかけた。
「……え? バレてた?」
「バレバレですわ……アナタが本物のイシュバの軍人ならば、腕に所属部隊章がついているはずでしょう?」
やれやれおバカさん、って感じに肩を竦められてしまった。
数十秒前の発言が急激に恥ずかしくなってきて、ナナオの頬に熱が上ってくる。部隊章ついてないのに俺ってやつは……。
「う……ゴメン。でも、その子が心配っていうのは本当なんだ。嘘じゃない」
「そこは疑っていませんわ。でもアナタだって人捜し、していたんでしょう? まずそちらを優先すべきなのでは?」
レティシアの言葉を受け、ナナオはフミカの顔を脳裏に思い浮かべる。
小柄でほっそりとした外見の、水色髪の少女。無口で無愛想ではあるが、フミカは気配りのできる子だ。
ナナオが直面している問題を知ったらきっと、彼女は自分を探すのを優先しろなんて言わないだろう。
「いいや、大丈夫。まずは協力してその女の子を見つけよう」
ナナオは軽く首を横に振ってから、そうレティシアに語りかけた。
「その子のことは、会ったこともないから俺に何か分かるわけじゃないけど――慣れた土地じゃないなら、今もひとりで怖い思いをしてるはずだ。早く助けて、保護者の人に送り届けてあげないと」
その後からフミカ、それにレティシアのラン探しを手伝うのでも遅くはあるまい。
そう意気込むナナオに、レティシアはどこか困惑したように目を向けて、ゆっくりとそれを細めた。
「ナオ……でしたわね。アナタは、何というか――少し、わたくしの知り合いに似ていますわ」
「そうなの?」
「――無鉄砲で、お節介なところ。それを自分ではお節介だと、あんまり自覚してないところとか」
「それは何というか……迷惑な知り合いだね」
ナナオが歯に衣着せぬ物言いをすると、ほんのりとレティシアは笑った。思いがけず柔らかい微笑である。
「ですわね。とっても迷惑、してますわ。でも……」
「でも?」
「……何でもありませんわっ」
ぷい、とそっぽを向いてしまうレティシア。
言葉の続きが何となく気になったナナオだったが、今はそれを追及している場合でもないだろう。
「それで、どこから探そう? ぶっちゃけ俺もあんまり王都には詳しくないんだけど」
「ああ。それなら、迷子の行方には一応心当たりがありますので」
やはり思った通り、迷子の少女はレティシアの知り合いらしい。
「馬車――を使うと、見落とすかもしれませんわね。徒歩で向かってみるしかありませんか」
「どこに行く?」
ナナオが問うと、レティシアはきっぱりと答えた。
「学院です。わたくしが通っている全寮制の魔法学院――アルーニャ女学院ですわ」