第44話.フミカのお願い
ナナオが思ったとおり、今日は何やら常連客のほとんどが忙しなく外出していったとかで、宿屋の従業員であるケータも珍しく暇を持て余していたらしい。
となれば無論、最初からそのつもりではあったが、ケータを交えて三人で仲良くお昼ごはんを食べることになった。
美味しい食事をいただいた後は、学院に入学してからの出来事を(一部伏せつつ)ナナオが面白おかしく語ってみせた。
すると、しばらくは相槌を打ったり、驚愕に表情を染めたりしていたケータが、話しの合間でおずおずと言った風に切り出した。
「あの、実はアルーニャ女学院のことでずっと気になってたことがあって」
「ん? なになに?」
「規格外の新入生って……ナナオさんたちは知ってる?」
ナナオはしばし固まった。
心当たりがなかったから――ではない。その逆である。
――それって、たまに上級生とかが呼んでる俺のあだ名的なヤツ……。
正しくはあだ名ではなく二つ名のようなものではあったが。
だが、その呼び名のことを何故王都に住むケータが知っているのだろう? と不思議に思うナナオ。
そういった動揺もあって黙ったままでいると、ケータは意気込んだように話し出した。
「四の月の頃から、王都ではすごく話題の人物なんだ! 最強魔法を使ったり、神獣を召喚してみせたり、ドラゴンを退治してみせたり……! 普通じゃありえないような奇跡を何回も起こしてる女の子なんだって!」
「へ、へぇ……」
「しかも極めつけは魔王撃退! 一時期は宿屋でも、ずっとその話題で持ちきりだったくらいなんだよ。すごいよね! どんな人なんだろう……」
そう熱く語るケータの頬には赤みが差している。その人物はケータにとっても、憧れを抱くべき存在のようだ。
というか……俺のことだよな、やっぱり。次第にナナオの方はどんな顔をしたらいいか分からず、目線をうろうろさせてしまう。
ナナオのやらかしをいつも近くで目の当たりにしてきたフミカはといえば、ナナオと同じく沈黙したままだ。だがその唇を引き結んだ表情は、困っているというよりは陰鬱そうなものだった。
「ねぇ、ナナオさんは知り合いじゃないの?」
「い、いやぁ……その……」
何となくフミカの助け船を期待していたナナオは、その助力がどうやら得られ無さそうだと気づいて冷や汗を掻く。
基本的に素直さだけが取り柄のナナオにとって、目を輝かせた純真なケータに嘘を吐くなんてのはあってはならないことである。
だが、魔王やドラゴンの件に関してはサリバに口止めされているので、ケータの話を「はいそうです」と認めるわけにもいかない。
歯切れの悪くなるナナオと黙ったままのフミカを不思議そうに見比べて、ふとケータが小首を傾げる。
「あれ? というかさっき、ナナオさん……試験で火球を出そうとしたら失敗して、でっかい灼熱の火の塊が出ちゃったって言ったよね?」
「……言ったかな?」
「言ったよ! それに上級生と決闘したって、規格外の新入生も同じような噂があったような……。それに彼女は、太陽の光の下で艶めく鳶色の髪の毛をした、目つきの鋭いとびっきりの美少女だって聞いたような……あれ? もしかして――」
ヤバい。
これはバレる。ほぼ自分のせいだけど。というか噂、盛られすぎてるけど。
期待を宿したケータの瞳が、容赦なくナナオに迫る。
そのときだった。
「――用事を思い出した」
ガタンッ、と椅子を大きく引き、フミカが立ち上がった。
そんなフミカを、ぽかんとした顔で見上げるナナオとケータ。だがフミカはナナオをぎろり、と軽く睨むようにしてみせた。
そこでようやくフミカの意図に気がついたナナオは、遅れて立ち上がる。
「そうだ! 用事があったんだよね!」
「……買い物。そろそろ行かないと売り切れちゃうかも」
「そうだったんですね……! 長く引き留めてしまってすみません、出口までお見送りします」
話題を引きずらないのはさすがというべきか。
すぐに従業員の顔に戻ったケータが、フミカを先導して宿の玄関へと向かう。そんなふたりにナナオも、胸を撫で下ろしつつついていく。
「ぜひまた、おふたりで遊びに来てくださいね。次は美味しいお茶菓子でも用意して待ってます」
「ありがとうケータ。また近いうちに必ず」
「…………」
フミカは無言で会釈するだけだったが、それでもケータはうれしそうに微笑んでくれた。
毎日忙しい日々を送っているケータにとっては、ナナオたちとの時間は実際、かなり心安まるものだったのだった。
少年に手を振られて見送られたナナオは、首の位置を正面に戻すと、隣で立ち止まっていたフミカに平身低頭した。
「フミカ、ごめん。助かった!」
「…………」
だが、やはりフミカは無言のままである。
ナナオのふがいなさに怒ってるんだろうか? 再度謝ろうとしたところで、フミカがナナオをじっと見上げてきた。
淡い水色をした瞳が、眼鏡のフレーム越しにキラッと煌めく。
「……約束」
「え?」
「……今日おでかけする条件」
「ああ、もちろん覚えてるけど……」
曖昧に頷くナナオの腕を、がしっと取るフミカ。
思いがけず強い力に驚くナナオを引っ張って、フミカは控えめに口角を上げる。
「……今から、叶えてもらう」
「今から!? い、いいけど――」
そのままずるずる、と引きずられていくナナオであった。
+ + + + +
どこに連れて行かれるのかと思いきや。
「いらっしゃいませー! 『エキゾチ』にようこそ!」
ひとりの若い店員さんが笑顔で迎えてくれる。
――フミカが向かった先にあったのは、衣装屋だったのだ。
店名は「エキゾチック」から来ているのか。アルーニャ王国各地の民族衣装やコーデを体験できる、というのが売りのお店だそうだ。
他では味わえない大きな特徴が若い女性からの注目を集める、新進気鋭の店舗らしいが……そういうのに疎いナナオはいまいちピンと来ない。そしてここに連れて来られた理由も、未だしっかりと判明してはいなかった。
「フミカ、それで条件って……」
振り返りかけたナナオの目に、その光景が映る。
店員さんの耳元で、ごにょごにょ……と何やらフミカが吹き込んでいる。
ふんふん、ふんふんふんと激しく頷く女性店員さん。
何だろうか、たまにふたりしてチラチラッ、とナナオの方を窺うような視線を送ってくるが……。
「――なるほどです、わっかりました! あとはすべてこのわたくしめにお任せくださいね!」
「……うん。お願いします」
どうやら話は済んだのか、店員さんは忙しなくどこかに走って行ってしまう。
その後ろ姿を見送ったナナオは、
「それで? フミカの言ってた条件って、買い物に付き合うこと?」
などと、白々しく言ってみた。ゼッタイ違うんだろうなぁ、というのは薄々気づきつつ。
そして当然というべきか、フミカは首を横に振った。ダヨネ。
「……ナナオ君には、私の願いをひとつ叶えてもらう」
「フミカの願い……」
「お待たせしましたぁっ!」
「うわビックリした!」
ものすごい急スピードで店員さんが帰ってきた。お待たせどころか速すぎる。
見ればその手には何やら大量の服やアイテムがぶら下げられている。そのラインナップを目にしてようやく、ナナオはフミカの「願い」というのを察したのだが――
「さてさてさて、では試着室に移動しましょうお姉さん! 大丈夫、わたくしに身を委ねて!」
「逆に身の危険を感じる!」
怯えるナナオは容赦なく試着室にブチ込まれた。
フミカはいってらっしゃい、とばかりに軽く手を振って見送ってくれたのだった。
……その数分後。
「おお、良い感じ! この初々しい感じが何とも!」
「……うん。良いと思う。……格好良いと思う」
などと女性ふたりに囃し立てられ、ナナオは七五三みたいな気分に陥っていた。
太腿ほどにまで裾が伸びた青の外衣。
その中身である軍服も、足元のブーツまでもきっちりとしたデザインのものだが、なんだかちょっとベル〇イユっぽくて気恥ずかしい。夏直前だからか、さすがに肩のびらびらのヤツはついてなかったけど。
そう。フミカの願い――それは、ナナオが女装を解くこと、だった。
というわけで現在のナナオは、フミカの要望により赤茶色の長いウィッグは外して、学院のフリフリ制服ももちろん脱いでいる。
店員さんはさすがに試着室までついてこなかったが、装備を外したナナオの姿を見るなり「……詳しくは聞きませんよ!」とウィンクしてくれていた。客の秘密は守ってくれるようだ。
――今はそれよりもフミカ、である。
「……良い……」
フミカがナナオの姿を見て、頬を緩めてうっとりと呟く。
そもそも夜寝るときなんかはウィッグは外してるじゃん、などととナナオ的には思うのだが、フミカの様子を見ているともはやそんな小言は言えそうもない。
それなのでおとなしく、その場に突っ立っている他はないナナオ。実を言うと久々にスカート以外の衣類を着られたのが、ちょっぴりうれしかったりもする。
ナナオの出で立ちはコーデを担当した店員さんにとっても納得のいくものだったのか、満足げにナナオの周囲を歩き回りつつ解説してくれた。
「これはアルーニャ王国、その第二の王都とも呼ばれるイシュバの街で流行しているファッションです。
涼しげな青を基調とした、軍服チックなデザインに、シンプルな白のパンツを合わせたクールに優雅に知的なコーデ! しかし軍帽は正面から見ると三角帽に見えるのが気が抜けてて大変キュート。うーん、実にエキゾチですね!」
「……うん。エキゾチ」
「通気性もバツグンですからね、これからの季節にも存分に着用できちゃいます!」
「……バツグンにエキゾチ」
もはや店員さんの言葉はきこえていなさげな、ぼぅっとしたフミカ。大丈夫かな。
さすがに心配になってきたナナオは慣れないブーツでフミカに近づいてみた。
するとフミカは何とか意識を取り戻したようで、そんなナナオに微笑みかけてくれた。
「……ナナオ君、男装似合うね」
「待ってフミカ」
ちがうちがう。逆。
必死に否定するナナオだが、フミカはどこ吹く風という様子だ。
「……これ、一式買う。お勘定を」
「ども~かしこま~☆」
「えっ? 俺が出すよ」
制服のポケットに入れたままの財布を取りに戻ろうとするナナオだが、フミカはきっぱりと言う。
「……私のお願いだから。私が払うのは、至極当然」
「でも」
「……寮に戻ってからも、たまに着てほしい。主に私が癒しを求めているとき」
そんなまっすぐな目で懇願するように言わなくても……。
結局、その場はフミカが譲らなかったので、ナナオはありがたく奢ってもらうことにした。
そしてお礼に一着買うよ、とナナオが申し出たところ、「……人前で着替えるの恥ずかしい」とあっさり断られたのだった。お、俺には容赦なく着せたのに……!