第42話.王都デート
「そうだ、王都に行こう!」
朝食を食べ終えたナナオは、唐突にそう叫んだ。
寮のダイニングルームである。そこでナナオは、フミカと向かい合って食事をしていた。
ちょっと寝坊して遅い時間になったので、離れたところに数人が食事している以外にダイニングルームに人の姿はない。
そして今日は週末の二日間、その一日目。
異世界『タナリス』では、一年を通して一から十二の月があり、そして月はそれぞれ二八の日数と決められている。ちなみに週は七日ずつ割り当てられている。
だが明確に曜日というものは存在しておらず、年月に関わる単位はすべて数字で簡易的に表される。
そのため、人々は日にちを言葉にするときは、たとえば「五の月の三の週の六の日」――なんてまどろっこしい言い方をする。ナナオでいうなら、単純に「五月二十日」になるのだが。
そんなナナオの感覚でいうと、未だに今日――五の月の三の週の六の日は、土曜日の位置づけであった。
もぞもぞとサラダを食べていたフミカは、叫ぶナナオをぼんやりと見てから、またもぞもぞとサラダを咀嚼する。
レタスを飲み込んだところでようやく、
「……何で?」
と低い声で言った。
フミカの反応の鈍さには慣れっこのナナオは気にすることもなく、
「俺、この世界に辿り着――じゃない、学院に来る前は王都に何泊かしてたんだ。お世話になった宿屋の人に、久しぶりに会いに行こうかなって」
そう笑顔で言い放つ。この世界に辿り着いた直後に、なんて余計な一言はどうにか、言い切らずに済んだ。
そんなナナオの言葉に、フミカは考え込むように少し目線を下に下げる。いつもはわりと二つ返事をくれるフミカにしては、煮え切らない反応である。
「フミカはしょっちゅう王都に行ってるから、つまらないかな……?」
ナナオが頬を掻くと、フミカは緩く首を横に振る。
「……いいよ。行こう」
「やった」
そう来なくっちゃ、と笑うナナオ。
だがフミカは僅かに口元を微笑ませ、一言を付け足した。
「……でも、ひとつだけ、条件」
+ + + + +
しばらくぶりに馬車から降り立ったナナオは、凝り固まった全身の筋肉を解してから、ふぅと大きく息を吐いた。
「着いた~!」
目の前に広がるのは、絢爛たる王都――その名もルーニャ。
他国を凌駕する国土を誇るアルーニャ王国だが、ルーニャの土地はその約十三分の一に当たるというから、その規模の大きさが窺える。
ナナオとフミカは列を成している大門脇の入場専用の通路に並び、順番が来ると、それぞれアルーニャ女学院の学生証を見せた。
学生証は身分証としてはかなり価値が保証されているものらしく、ほとんど素通りのような勢いで城門を通過する。
以前、王都から学院に出立するときは、リルが作った住民証(偽造)で通ったので、なんだか今日はホッとするナナオである。
そうして石畳の道を進んでいった先に、見覚えのある光景が広がっていた。
王城を中心に、丸く囲むようにして築かれている巨大な城壁内を、ひしめき合うようにして人々の賑わいが満たしている。
それはナナオが学院に入学する前に見た光景と何ら変わらなかったが、あの頃と違って現在は生活に落ち着きがあるからか、何だかより楽しげにも見えるのだった。
「さっそくなんか食べよっかな」
「……ナナオ君、もうお腹すいたの?」
出店から漂ってくる食欲をそそる匂いにナナオが鼻を動かしていると、おかしそうにフミカが言う。
「いやー、前に俺が王都から学院まで歩いたときは一時間くらいだったんだけど、今日の馬車は妙にのんびりしてただろ? だから余計にお腹すいちゃって」
「……馬車で三時間くらいふつう。一時間で踏破できるのは、ナナオ君の体力と速度が異常」
「またまた、ご冗談を」
前にリルあたりがそんなことを言っていた気もするが、軽く流すナナオ。そもそも細かいことを気にしない性質の少年なのである。
現在は女装少年であるところのナナオは、さっそく「あ!」と声を上げた。
「フミカ、あっちに串肉が売ってる。買ってきていい?」
転生直後、リルから授けられていた貯金はまだほとんど手つかずだ。買い食いするくらいのお金は問題なくある。
わくわくと目を輝かせるナナオに、フミカはちょっと恥ずかしそうに別の方向を指差した。
「……うん。私は、あっちのチュロも気になる……かも」
そこからはとにかく、食べ歩き三昧となった。
寮でカレンさんが出してくれる食事も文句の付け所なく美味しいのだが、出店で食べるジャンクっぽいフードはまた別の魅力がある。この雑で濃い味つけが堪らないのだ。
長い串肉をすぐに平らげたナナオは、次はこれまた巨大な肉饅頭にかぶりつく。
「うわあ、美味しい……」
思わずうっとりと呟いてしまう。
薄い皮を歯で破くと、中から熱々の具が蕩けるように出てきて、肉汁と共に口の中を包み込んでいく。
隣では、同じものを購入したフミカが、やはりナナオと同じく幸福度数の高そうな顔をしている。表情の変化に乏しいフミカだが、ルームメイトのナナオにはけっこう、その喜怒哀楽ははっきりと読み取れるのだ。
そしてその横顔をちらりと眺めながら、ナナオは良かったと思う。今日、フミカを誘えて良かった。
というのも、ナナオには気掛かりなことがあった。それに気がついたのは、ちょうど課外訓練の後くらいからだろうか。
――何となく、フミカに元気がない。
ふとした瞬間に何度か、ナナオには彼女が塞ぎ込んでいる風に見えることがあった。
理由は分からなかったし、それとなく訊いてもフミカはその理由を決して教えてはくれなかった。
だからナナオは、学院以外の場所でフミカにリフレッシュしてもらいたいな、なんてことを考えたのだ。フミカ自身は王都には慣れているかもしれないが、誰か別の人間と連れ立つことで、いつもと違う気分を味わえたりするかもしれない。
……まあ、最終的にはフミカに王都を案内してもらえる、というナナオ側の利益になってしまうのかもしれないが。
ちなみに昨日の内にレティシアとティオにも声は掛けたのだが、ふたりには断られてしまっていた。
「生憎と先約がありますの。ごめんあそばせ」とツーンとした態度で去って行ったのがレティシア。
「ボク、まだ四の月の学費が返し終わってないから、明日も働くんだ」と申し訳なさそうにしていたのがティオ。
無論、ふたりにはお土産を買うつもりである。普段お世話になっているラン先輩にも。
なにか女の子が好きそうなアイテムが見つかればいいのだが……女の子に何かをプレゼントした経験といえば、母親に母の日のたびにカーネーションを渡していた経験くらいしかないナナオ。そのあたりは、フミカに助力を仰ぐしかないだろう。
「そういえば、フミカ」
今朝、王都に行くのにひとつ条件があるって言ってたけど――と言いかけて、ナナオは固まった。
「……ついてる」
ふわり――と、何か甘いような香りが鼻腔をくすぐる。
気がつけば、触れるほど近くにあった水色の瞳が、ぱちりと柔らかく瞬く。
フミカの伸ばしていた小さな手が、ナナオの口元についていた肉饅頭の欠片をきれいに掬い取る。
それを妙に色っぽく赤い舌を出して、ぺろり、と食べてみせるフミカ。
「……うん。美味」
言葉少なに感想を述べるフミカから、ようやくナナオは目線を逸らす。
……これ少女漫画でよく見るヤツぅ! ぶるぶると震えながら噛み締めるナナオに、ほとんど無意識でやってのけたフミカは平然としている。
「あ、ありがとう」
「……どういたしまして」
そんなこんなしているうちに、馴染みのある宿屋の前へと到着していた。